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9.ベルフェゴール

白い机を見つめる。

面談の約束時間、時計の針はその時刻より五度ほど傾いている。

遅刻。

誰もがそう考える。

遅れてきたら、遅刻だ。

だが今回の面談相手は既に約束の時間の10分前にここにきている。


  「はぁ」


深いため息が扉の向こうから聴こえる。

その音のする方、俺の前方には3センチ程開いた扉から垂れた黄色い瞳が見える。

猫の目のような動物的な瞳。


  「はぁ、やだなぁ、かえりたいなぁ……うぅ」


言葉の最後に吐き気を我慢するような嗚咽が聴こえた。

しかし、まだ扉は開かない。

そうしている間にも俺とルシファー様の時間は刻一刻と過ぎ去っていく。

このままでは、時間の問題だと俺は思った。


  「……おいおい」


ルシファー様が呆れたような顔で扉を見つめて、呟いた。


  「はぁ、やだやだ、もう帰りたいなぁ」


しかし、そんなルシファー様の様子を知ってか知らずか

扉の前に立つ今日の面談相手はつらつらとダルそうな声を上げている。

俺はその声に耳を傾けた。


  「どうせ、文句ばっかりいわれるんだろぉなぁ、……はぁ、帰ろ」


まずい。

扉がゆっくりと閉まっていく。


  「あ……」


俺は咄嗟に立ち上がり、扉の前の人物に声をかけた。


  「あの! ベルフェゴール様っ??」


扉は閉まったまま、何の反応もない。

帰ってしまったか。

今日の面談は終了だな。

そんな思いが頭を駆け巡った。

しかし、事態は予想外の展開をみせた。

扉がゆっくりと開いていく。

外から猫背の男が内股でおずおずと部屋の中に入ってきた。

包帯だらけの身体を引きずって。


  「こ、こんにちは、ベルフェゴール様……」


  「え……こんに、あぁ! ダメだダメだ!どうせ、ドリルトンさんも

   ルシファー様も僕の事をこう思ってるに違いない」


  「あ、あの……ベルフェゴール様?」


  「促されないと部屋に入れないような、臆病で怠惰なやつだって!

   そ、そんなの、そんなの僕が一番分かってるさっ!!」


ベルフェゴール様はそう言いながら、自分の頭を壁にうちつけ始めた。

どんどんと壁がめり込んでいく。

俺はすぐに立ち上がり、ベルフェゴール様を制止した。

が、その勢いは止まらない。

どんどん、どんどん。

低い音と共にベルフェゴール様の首が徐々に壁にめり込んでいく。

どんどん、どんどん。

そして、がすっという鈍い音がしてベルフェゴール様は頭を振るのを止めた。

どうやら柱に頭が当たったらしい。


  「は! 僕はなにを……」


壁の中からくぐもった声が聞こえる。

頭を壁に突っ込んだまま、身体は力なくだらんと垂れている。

なんとも奇妙な光景だ。


  「ベルフェゴール様、落ち着いてください。とりあえず、そこから出ましょう」


俺がそう言うと、ベルフェゴール様は必死に頭の両端に位置する壁に

包帯だらけの手を当て、引き抜こうとした。


  「……抜けない」


ぼそぼそと声が聴こえた。

そして、今度は明瞭なルシファー様の声が俺が座っていた席の方から聴こえた。

その声が伝える内容は、無慈悲なものだった。


  「そのままでいんじゃね? 面白いし」


  「……なっ!」


なんてやつだ、と思おうにもルシファー様がゲスなのは今に始まったことではない。


  「……プ、クスクス、プスプス、プスススー! ウケるっ!」


笑いを堪えていたのだろうか、ルシファー様は左手で

必死に息を漏らさないようにしながら笑っていた。

だが、ウケるっ! と言った時点であまり左手で息を制止する意味はない。


  「……はぁ、いいよ、このままで、僕なんだか気にいっちゃったよ、ここ」


くぐもった声でそう言う。

頭のおかしなやつがもう一人いたようだ。


  「そうだ、話しをするときに顔も見なくていいし

   よく考えたらみんなこうやって生活すればいいんだよなぁ」


ウキウキした声が壁の中から聴こえる。

この方は自分の置かれている状況を分かっているのだろうか?

しかし、この部屋で一番下っ端の俺にそんなことを言う権限もなく。


  「いいんですか? ルシファー様」


小声でルシファー様に問いかける。


  「いいって、だってこれ、プススー、見て! 待ち受けにしたよ、プッススー」


ルシファー様は自分のケータイを取り出して見せ、面白そうに笑っていた。

俺はそんなお馬鹿な二人を尻目に、自分の席に着いた。

早く面談を終わらせて、業者に連絡しないといけない。

仕事が一つ増えたことに対して、少しだけベルフェゴール様への怒りが増した。


  「さて、では面談をはじめさせていただきます」


  「……え?」


俺の前方右側の壁に頭を突っ込んだまま、ベルフェゴール様が言葉を発する。

どうやら、聴こえてないようだ。


  「面談をっ!! はじめさせてっ!!! いただきますっ!!!!」


  「こ、こわいよ、ドリルトン、落ち着けって」


  「そう、ですか? いつもと同じ、ですけど……ね」


ルシファー様の問いかけに、俺は呼吸を整えながら答えた。

どうやら怒っているように見えたらしい。

……苛々は募っていたが。

俺はそんな苛立ちを抑えながらポツポツと面談を始めた。

魔宅のこと、給与、同僚との間柄、なんなく面談は進んだ。

そこで、俺は以前から上がっていたベルフェゴール様に対する

ある報告について訊ねた。


  「……では、最後に、ベルフェゴール様にお聞きしたいのですが

   あなた定期的に下界に降りているそうですね」


  「……お、おりてますぅ、確かに、はい」


  「おかしいですね」


  「な、なにもおかしくないですよぉ

   偵察に行くのは当たり前じゃないですか」


  「いえ、行くこと自体はおかしくありません

   ベルフェゴール様が行かれた場所がおかしいんですよ」


  「な、なにがぁ?」


  「偵察の回数が多いんですよ、圧倒的に。しかも同じ場所になんども……」


  「!?」


ゆらゆらと揺蕩っていたベルフェゴール様の身体が棒のように硬直した。

ルシファー様は不思議そうな顔で俺の顔を見ている。


  「病院に……なんども行かれてますね?」


  「う、うん、そうだよぉ」


  「何をしに?」


  「て、てて、偵察だよぉ」


  「そのお姿で?」


  「そぉ、そうだよぉ、僕は全身包帯ぐるぐる巻きだし

   あそこだと悪魔だってばれにくいから」


  「それは理由になりませんね

   錬金術でもなんでも変身できる方法はいくらでもあるでしょう?」


  「うぅん、うぅん」


  「?」


  「実は、包帯が自分で巻けなくて……」


  「そ、それで……?」


まさか。


  「包帯を巻いてもらいに、病院にぃ」


  「え、ええと、他の同僚の悪魔か錬金術師に巻いてもらうようにたのめばよいのでは?」


  「他の悪魔と話すのこ、こわいしぃ、錬金術師さんも自分でやれっていうしぃ」


  「そ、それで、わざわざ下界の病院まで?」


  「う~ん、綺麗なお姉さんがいて……最初はたまたまみつかちゃったんだけど」


  「!?」


耳を疑った。

これは大問題だ。


  「ばれた? それで、その後も接触してると?」


  「で、でもすごくいい人でぇ、僕の事みても怖がらないし……」


  「……な」


まずいと思ったときには、既に遅かった。

ルシファー様は俺にだけ聞こえるような声で静かにこう呟いた。


  「蠅の王を」


その目つきは、今までのような温和なものではなかった。

どこを見るともなく、まっすぐ扉の方を見つめている。


  「や、やりすぎでは?」


  「それと、ベルフェゴールは揺れる海に沈める」


  「!?」


揺れる海、灼熱の地獄の更に下層にある罪を犯した悪魔がゆくところ。

その熱は周囲の物質を振動させ、常に揺れているように見えるらしい。

……だが、少々厳しすぎないだろうか。


  「ま、まってぇ、ルシファー様

   ぼ、僕は、いいけど、あの病院だけは! 彼女だけは、た、たすけてぇ」


  「そうですよ、いくらなんでも……ベルゼブブ様を使うなんて、それに揺れる海まで!」


ベルフェゴール様がカミングアウトした瞬間、ある程度の重い処罰は俺も覚悟していた。

しかし、ベルフェゴール様と俺の気持ちは同じ。

いくらなんでも、やりすぎだ。


  「火の無いところに煙は立たない、だっけ?」


  「?」


  「下界の言葉」


そう言うと、ルシファー様はゆっくりと席を立った。

そして一歩また一歩と、ベルフェゴール様に近づいていく。

足を踏み出す度に、ピリピリと空気が電気を帯びたように痺れているようだ。

やがて、ベルフェゴール様の横に立ったルシファー様は

腰を曲げ、顔をベルフェゴール様の手に顔を埋めた。

これは、一体……。


  「……やっぱりな」


ルシファー様は合点が言ったような声をだすと、曲げていた腰を元に戻した。

そして、ゆっくりと俺の方を向いて言った。


  「ミカエルの匂いがする」


俺はまたしても耳を疑った。

ミカエルの匂い?


  「どういうことでしょうか」


  「さぁ、ま、こいつに聞くしかないよな」


ルシファー様は頭をふって、こう付け加えた。


  「その前に、あそこを消毒しないとな」


しばしの静寂。

ルシファー様は既に決断を揺るがす気はないらしい。

俺も覚悟を決めるべきだろう。


  「……分かりました」


俺はケータイを取り出し、蠅の王にルシファー様の意向を伝えた。

ルシファー様は席へもどり、ゆっくりとため息をついた。


  「あとは部下にやらせますので、ルシファー様はお戻りください」


  「あぁ、そうだな、なんか今日つかれたわ」


ルシファー様が白い扉からでていく。

俺はもっていたケータイで揺れる海への手配を部下に命じた。

電話を切ると、部屋に静寂が訪れた。

いや、静寂ではない。

よく耳をすますと、くぐもったすすり泣くような声が聴こえてきた。

声の主がだれかは考えなくても、分かった。


  「彼女は、わ、悪くないのに……

   なんで……どうして」


  「……ベルフェゴール様、あなたは悪魔でしょう」


  「そうだけど、好きで悪魔になったわけじゃない」


  「彼女を……その、愛していたのですね?」


  「……分からないよぉ、僕、分からない」


  「あなたのような悪魔は地獄界にはふさわしくありませんね」


  「そんなことぉ、分かってるよぉ」


  「……揺れる海はつらいですよ」


  「うぅ」


  「なんでも、熱による振動は空間が歪むほどだとか」


  「うううぅ」


  「……そろそろ泣くのをお止めになったらいかがです?」


  「でも……彼女が」


ベルフェゴール様の言葉を遮るように、大きな地響きが鳴った。

蠅の王が飛び立ったようだ。

あと数秒で街が一つ消える。

俺はベルフェゴール様から目線を外し、白い机に目を向けた。

白い机を見つめる。

そこに、雫がぽたりと落ちた。

白い机を見つめる。

身体が熱い。

白い机を見つめる。

歌が聴こえる。意識の遠くで。

だが、俺はもうそこには帰れないと悟ってしまった。

その瞬間、俺の視界は黒いインクで埋め尽くされた。

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