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3.アガリアレプト

白い机を見つめる。

隣にはいつにも増してそわそわと落ち着きのないルシファー様が座っていた。


  「どうかなさいました?」


  「い、いや、別に……」


俺はそれ以上は訊かずに、また白い机を見つめた。

少し経ってから机の向こうの扉からノックの音が聴こえてくる。


  「はい、どうぞ」


  「失礼致します」


柔らかい声だ。

ドアがじっくりと時間をかけて開き、腰の曲がった影が室内に入ってきた。

アガリアレプト様だ。


  「これはこれは、どうも、お久しぶりでございます……ドリルトン様、ルシファー様」


柔和な笑顔に深い皺が刻まれている。

俺はゆっくりと一礼をして、アガリアレプト様を椅子の方へと手で促しながら言った。


  「お久しぶりです、さあ、どうぞ、こちらへ」


ルシファー様は何もしゃべらない。

その身体の周囲には、幾分か緊張したような気配すら漂っている。

俺はアガリアレプト様が席に着いたことを確認してから、口を開いた。


  「早速ですが、最近調子はどうですか?」


  「いや、あっはっは、なにぶん歳なので……身体が思うように動きませんな」


  「そうですか、どこか特に悪いところがあったりするんですか?」


  「う~ん、耳が少し遠くなったように感じます」


  「耳ですか、補聴器を作らせましょうか?」


  「いえ、まだそこまで悪くなっているわけではないので……」


そう言ってアガリアレプト様はゆっくりと頭を振った。

悪魔も寄る年波には勝てないのだろう。


  「……はて? 今日はルシファー様から良い匂いが漂っておりますな」


会話が少し途切れて、アガリアレプト様が急に口を開いた。


  「え? き、きき、気のせいじゃない?」


身体をマナーモードの携帯電話のように震わせながらルシファー様がそう言った。


  「ん? なんとおっしゃいました?

   すみません、最近耳が遠くなっておりますもので」


  「き、気のせいじゃないのか? って言ったんだけど、も……」


  「ほぉ~気のせいですか、なるほどなるほど

   私もボケてきているのかもしれないですな」


  「……」


ごくり……とルシファー様の喉を唾が通過する音が聴こえた。

その額から汗が滝のように流れている。


  「あの、面談をつづけても?」


俺はアガリアレプト様とルシファー様の顔を見比べながら言った。


  「ああ、失礼致しました……どうぞ、つづけてください、ドリルトン様」


人の好さそうな優しい顔つきでそう言う。

俺は言葉通り、面談の質問を続けた。


  「え~と、最近困っていることとかありますか?」


  「困っている事……ですか、う~ん、不思議なことだったら、最近ありましたね」


  「不思議な事ですか? いったいなにがあったんです?」


  「ええ、実は最近、娘が下界に降りることがありましてね」


  「いいですね、ご旅行ですか?」


  「いえ、追放です」


俺はルシファー様と同じように額から滝のような汗が滴るのを感じた。


  「そ、それは、なんと申し上げてよいか……失礼しました」


  「いえいえ、いいのですよ……

   それで、娘がね、よくお土産を送ってきてくれるんですよ」


  「下界には……美味しいものがたくさんありますからね」


  「ええ、それで、先日黄色いプルプルとしたような甘い物質が届いたのです」


  「黄色いプルプル……ですか」


  「そうです、え~と、なんと言いましたかな

   プディンとかプニンとか、そう言った名前のやつです」


  「プリン、ですか?」


  「あ~、そうそう、思い出しました! それです!

   それが三個入ったやつが私の家に届きましてね」


アガリアレプト様は、その時の想い出を慈しむように恍惚とした表情になった。


  「冷やして食べようと思いまして、冷蔵庫に入れておいたのですが……

   次の日には綺麗に無くなっていたのです」


今度は一転して、儚げな表情に変わる。


  「楽しみにしていたんですけど……ねぇ」


俺はゆっくりと隣でブルブルと震えながら汗をかいている奴の顔を見た。

――こいつ、やっちまったな。


  「ふ、ふふぅ、不思議なこともあるもん、だ、だなぁ」


ルシファー様が言う。

瞬間、アガリアレプト様の顔から柔らかさが消えた。


  「……」


何も言わずに、死んだような目でルシファー様を見つめるアガリアレプト様。


  「あの、アガリアレプト様、ちょっとよろしいですか?」


  「……」


  「あ、あの……」


  「……はい、なんでしょう」


そう言うアガリアレプト様の顔は岩のように固く無表情で、視線が俺の方を向くことは無かった。

対するルシファー様はそわそわと、部屋の隅を落ち着きなく見回している。


  「ちょっと、ルシファー様とふたりでお話しさせてもらってもよろしいですか?」


  「ええ、構いませんよ……では」


腰を上げて、老いた身体を持ち上げようとするアガリアレプト様。

俺はそれを制するように言った。


  「ああ! いえいえ、私たちが外にでて話してきますので!」


  「そうですか? では、お言葉に甘えて……」


そう言って、アガリアレプト様は再度席に座りなおした。


  「じゃあ、行きましょうか! ルシファー様」


  「え? な、なに? 何か問題でも?」


問題だらけだ、と俺は思った。

ルシファー様の腕を引きずるようにして、廊下へと出る。

がちゃりと扉が閉める。

俺は、アガリアレプト様に声が漏れないように注意しながら言った。


  「プリン、食べましたね?」


  「……」


  「食べたんですね?」


  「……だ、だってぇ」


  「だってじゃありませんっ!」


ついつい声が大きくなる。


  「ご、ごめん」


肩を落とすルシファー様。


  「ルシファー様、アガリアレプト様に隠し事が通用しないのはご存知でしょう?」


  「知ってるけどさ、一応……そこは、演技力でカバーしようかなって」


さっきのがもし演技だったとしたなら、ルシファー様が俳優になるのは絶望的だ。


  「無理ですよ、あの方の前で隠し事は通用しません」


  「だ、だよねぇ……」


  「……」


  「怒ってたよねぇ?」


  「ええ、ばっちり怒ってましたね、アガリアレプト様のあんな顔初めて見ましたよ」


  「怖かったね」


  「ええ」


  「……帰っていい?」


  「ダメですよ、絶対」


  「んじゃ、どうする?」


  「……謝りましょう、僕も一緒に頭を下げますから」


  「でも、俺あれだよ? 一応、地獄界の王的な立ち位置だよ?」


  「関係ありません、プリンを盗み食いしたものは、だれであろうと罪人です」


  「……はぁ、やだな」


  「行きますよ」


俺は、またルシファー様の腕を引きずりながら、扉を開けて中へ入った。


  「あの……アガリアレプト様」


筋が何本も入った老いた首がこちらを向く。


  「はい?」


  「あのルシファー様がプリンを食べてしまったそうです、申し訳ございません!」


俺は床に手と頭をつけ、大きな声で謝った。

隣を見上げると、ルシファー様がもじもじと指を遊ばせながら、斜め下を向いて俯いていた。


  「なにしてるんですか、はやく謝ってください」


小声でルシファー様に謝罪を促す。


  「……さい」


小さな、ほんとに小さな小さな声がルシファー様の口から洩れた。

その声は隣にいる俺ですら、なんと言っているのか聴こえないほど小さかった。


  「すみませんな、最近耳が遠くて……」


アガリアレプト様が無表情のまま、そう言った。


  「ご、ごめんなさい」


  「はい?」


  「ご、ごめんなさい! プリン食べました! ごめんなさい!」


膝をついて、翼を折り畳み、謝罪の意を伝えるルシファー様。

しばらくして、アガリアレプト様の口が開いた。


  「……いいんですよ、頭を上げてください、ドリルトン様、ルシファー様」


アガリアレプト様は柔和な顔つきに戻っていた。


  「ちょっと、やり過ぎましたかな、あっはっは」


  「へ?」


俺とルシファー様は素っ頓狂な声を二人そろって、出した。

笑顔で話し始めるアガリアレプト様。


  「本当はプリンなんて、どうだっていいのですよ……

   ただ、ルシファー様が盗み食いしたことをだまっていたので

   少し、灸をすえておこうと思いましてね」


  「な、なんだ……そうだったのか、よかったぁ」


ルシファー様はそう言って立ち上がった。


  「ルシファー様は地獄界の頂点に立つお方です……

   様々な悪魔を取りまとめるためには、信頼関係が

   大事になってきます、それを忘れないでいただきたかったのです」


  「よかったですね! ルシファー様」


  「う、うん!」


和やかなムードになって、俺とルシファー様は席に戻った。


  「……では面談を再開させていただきます」


気を取り直して、アガリアレプト様と面談をする俺とルシファー様。

住まいのこと、給与のこと、仕事内容のこと……一通り答えてもらった。

そして、面談は終わり、アガリアレプト様は白い扉に消えていった。


  「ふぅ、一時はどうなることかと思いましたが、よかったですね」


  「ほんとだよ、もう俺、アガリアレプトがプリンの話しはじめた時

   漏らしそうになっちゃったよ」


あはは……と安堵によって解放されたルシファー様の笑い声が室内に響く。


  「でも、可哀想ですね……娘さんが下界に堕ちて

   アガリアレプト様、今ひとりぼっちなんですよね」


  「ん? 可哀想? んなことあるわけないでしょ!

   あいつの娘が俺のプリンを食ったのが悪いんだから」


  「……え?」


  「ん? 言ってなかったっけ?

   俺が下界に降りたときに買ったプリンを

   あいつの娘が勝手に食ったから、追放したの」


  「えと、いつですか?」


  「ほら、先月、俺の家でパーティしたじゃん! あんとき」


  「それ、公表してます?」


  「するわけないじゃん! もっともらしい理由つけて

   下界堕ちしてもらったよ、当然だろ?

   さすがにプリンが理由で下界堕ちなんて認められるわけないし」


  「……」


こいつ、悪魔だ。

いや、悪魔なんだけどね。


  「だからさ、別に俺がアガリアレプトのプリン食ってもいいだろ

   そう思わない?」


思いません……そう言いかけた時、扉がじっくりと時間をかけて開いた。

そして、腰の曲がった影が扉の隙間から入ってきた。

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