2.インキュバス
白い机を見つめる。
面談の時間まであと五分を切った。
「あ~、腹立つな」
ルシファー様が貧乏ゆすりしながら呟く。
「……」
「いや、マジで……もう怒るしかないでしょっていう感じ」
ちらちらとルシファー様が横目でこちらを見ているが、俺は気にせずに白い机を見つめ続けた。
「だって、あれがこうなって……そりゃ誰でも腹立つだろ~」
「……」
「いや、もう逆に笑えて来るね、笑える」
「……」
誰に呟いているのか知らないが、独り言だとしたら声がでかすぎる。
迷惑この上ない。
「ありえない! いや~、もうありえないね」
「なんですか……さっきから」
俺は騒音に屈して、口を開いた。
「あ、え? なに? 聞きたい?」
眉を上げながら、翼をパタパタと嬉しそうにはためかせて、ルシファー様はそう言った。
「いえ、まあ……なにかあったんですか?」
不本意な発言をするというのは、目上の者に対してでもやはりストレスが溜まるものだ。
「じつはさ、これなんだけど……」
ルシファー様が白い机の上に置いてあった本を手に取り、俺の目の前に突きつけた。
「……新約聖書ですか? それがどうかしましたか?」
「どうもこうも……なんか俺が神に負けた~みたいなことが書いてあってさ」
「ええ、そうでしょうね……違うんですか?」
「は? 負けるわけないでしょうが、勝ちましたよ、最後なんかすごいのだして勝ちましたよ」
関係ないが、腹の立つ話し方だな……と俺は思ってしまった。
「どうやって勝ったんですか?」
「そりゃ、あれだよ……ど~んっ! みたいな感じで……」
「……」
「こう、指先から赤いやつをど~んって、やってさ」
「……」
「ど、ど~んって」
「……」
「もういい! もういいよ! ああ、そうですね、私が悪うござんした」
急に席を立ち、扉へ向かうルシファー様。
「あ、どこにいかれるんですか?」
「ト、トイレだよっ!」
そう言って、肩を怒らせながら外にでていくルシファー様
めちゃくちゃ不機嫌になってしまった。
今度からもう少し優しく接することにしよう。
しばらくたってから、白い扉がコンコンとなった。
「どうぞ」
「ち~っす」
髪の毛をくるくると人差し指でねじ回しながら、今日の面談相手であるインキュバス様が現れた。
「あれ? ルシファー様は?」
「今、おトイレに行かれております」
「ああ、そう」
インキュバス様は軽くお辞儀をして、椅子に座って足を組んだ。
「では、面談初めてもよろしいですか?」
「え? ルシファー様いないけど、いいの?」
「ええ、あの人がいるとめんど……」
「めんど?」
「ああ、いえ、ルシファー様がいると
私、雌鳥のように緊張してしまいますので」
「まあ、ちょっと意味わかんないけど……じゃあ、やろうぜ」
「はい、え~と、まず最近どんな感じですか?」
「最近ねぇ、う~ん、まあぶっちゃけ……」
インキュバス様の言葉を遮るように、携帯電話の呼び出し音が鳴る。
「ちょっと、でてもいい?」
「ええ、どうぞ」
笑顔で答える。
携帯電話の電源くらい切っとけやっ! と思ったのは内緒の話。
冬のボーナスは少しばかり少なくなっているだろうが、めげずに頑張ってもらいたいものである。
「あけみ? ちょ~ひさしぶりじゃんっ! え? 今度? 行く行く!」
あけみとインキュバス様の会話を聞いていると、白い扉が勢いよく開いた。
「あった! 写真あったよ!」
ルシファー様が写真を片手に、こちらに向かって走ってくる。
電話をしているインキュバス様のことなど眼中にないようだ。
インキュバス様もルシファー様が来たというのに電話を続けるとは、大した度胸だと思う。
「ほら、みてみ! ここ! 指先からど~んって出てるでしょ?」
突きつけられた写真を見ようにも、目から一ミリほどの近距離に近づけられたら
見たくても見れない。
「すみません、近すぎて見えないです」
「あ、ごめん」
写真の位置が離れる。
今度は写真の内容をきちんと読み取ることのできる距離だ。
「ほんとですね、指先からなんか出てますね、うにょ~んって」
「いや、うにょ~んっていうか……ど~んって感じじゃない?」
「でもなんか、糸引いてますし、うにょ~んって感じだと思うんですけど」
「え? だって、ほら、溶岩の成分とかも入ってるし
そりゃ、すこしくらいうにょ~んってなってるかもしれないけどさ」
「でも、ど~んって感じじゃないですよ、これ」
「いやいやいや、あれだよ? これ、ちょっと古い写真だからさ
そういう風にみえるんだよね、実際はど~んって感じだったんだよ」
「そうなんですか? じゃあ、ど~んって感じでいいんじゃないですか?」
「……ど、どにょ~んって感じだったかもしれないけどね、もしかしたらね」
「……」
「いや、うにょ~んって感じだったかもしれないよ、うん、そうかもしれない」
「……」
「……うん、もう分からないね、昔の事だし」
虚ろな目で、床を見つめたまま椅子に座るルシファー様。
極限まで落ち込んでしまった。
「あの、なんかすみません、余計なこと言ってしまって……」
「いやいや、気にしなくていいよ
うにょ~んだよ、ありゃもう、うにょ~んですよ」
こいつ、めんどくせーっ!
と、口から思わず出そうになってしまうのを俺は抑えつけた。
「じゃ、じゃあ、気を取り直して面談始めましょうか、ルシファー様」
「うにょん」
俺は椅子から立ち上がり、インキュバス様の肩を叩いた。
「あの~、インキュバス様、そろそろ……」
「いやいや、あけみの方がきれいだって~
いや、それは補正がかかってるだけだってば、あはは
……ん? それは、もちろん、あけみの方を選ぶわ、あはははは」
一向に通話を止める気配のないインキュバス様。
自然に会話が終わるのを待つしかない……か。
俺は踵を返し、自分の席に戻った。
「会話に夢中みたいですね」
「しょうがないよ、あれがあいつの、夢魔の仕事だも……ん?」
何かに気づいたように、ルシファー様の目に生気が戻っていく。
「……けしからん、けしからんなぁ」
言葉は怒っているのに、その眼差しには嬉々としたものが宿っていた。
「上司との面談の最中に、女の子とぺちゃくちゃと……実にけしからん!」
「これは、おしおきだなぁ」
ルシファー様の指先がインキュバス様の方を向いた。
その時点で俺は、ルシファー様が何をやろうとしているのかが分かってしまった。
「い、いや、さすがに……やりすぎじゃないですか?」
「え? おしおきだよ」
「いや、でも……神々と闘ったときのやつでしょ? 死んじゃいますよ」
「大丈夫だって、手加減するからさ!」
笑いながら、ルシファー様がこう呟いて視界が真っ赤に染まった。
「ど~んっ!!!」