1.アザゼル
白い机を見つめる。
そろそろ、あの方が来る時間だ。
人には時間を守れだの何だの言う癖に、あの方は時間にルーズなのだ。
コンコンと白い扉が鳴る。
「どうぞ」
扉がゆっくりと開いて、そこから堕天使ルシファー様が顔を覗かせている。
「ごめ~ん……怒ってる?」
「いえ、別に」
「マジで? 本当に? でも、目が死んでるよ?」
「怒ってませんから」
「いや、でも……」
「はやく、準備をしてください!」
少し言い過ぎたと言ってから思った。
「ご、ごめん」
そう言って、ルシファー様は大きな翼をドアにひっかけながら室内に入ってきた。
いそいそと俺の隣の席に腰をかける。
「入る時は、翼を畳んだ方がいいですよ」
「そだね、今度からそうするよ」
そだね、今度からそうするよ……何度この言葉を聞いてきただろうか。
俺は携帯電話を取り出し、受付に電話した。
「あ、すみません。準備ができたので、お願いします」
「わかりました」
電話口から丁寧な女のひとの声が聞こえる。
俺はそのまま電話の電源を落とした。
「……」
「やっぱ、怒ってるよね?」
「もうすぐ、来るらしいですよ、静かにしてください」
しゅんと肩を落とすルシファー様。
間もなく、白い扉がまたコンコンと音を立てた。
「失礼するっす」
豪快な声が聞こえる。
「どうぞ」
俺は答えた。
扉がゆっくりと開き、中から今日の面談相手であるアザゼル様が入ってくる。
「おっ、あっ、ちょ……ぬぅん!」
翼がドアにひっかかっている。
馬鹿ばっかりか、ここは。
「あのドアが小さいので、翼を畳んでから入ってきてもらえますか?」
「そっすか、わかったっす、ちょっと一回出るっすね」
「……」
待つ。
コンコンと白い扉が鳴る。
「おぉい! そっからかい! そっからやんのかい! ふつーに入ってこんかい!」
ルシファー様は最近ツッコミにハマっているらしい。
手の甲でビシッビシッと白い扉を叩くジャスチャーをしている。
俺の顔にはルシファー様の大きな翼が直撃している。
「あの、そういうのやめてもらっていいですか」
「……ごめん」
翼を畳み着席するルシファー様。
「あの、ノックはもういいですから……そのまま、入ってきてください」
「うっす」
扉が開き、のしのしとでかい図体で椅子に座るアザゼル様。
「緊張してますか?」
「う、うっす、ちょっとだけ……」
「最近、調子はどうですか?」
「まあ、ちょっと部下が言う事聞かなくて、困ってる部分もあるっすね」
淡々と面談を進める。
ルシファー様は隣で、腕を組んだまま目を瞑っている。
何か考え事でもしているのだろうか。
「最近、資格を取得したみたいですね」
「うっす、一級土木施工管理技士に受かりました」
「転職を考えたりしてるんですか?」
「いや、そんなことはないっすけど……」
「ルシファー様もなにか聞きたいことありますか?」
俺はルシファー様の顔をよく見た。
こいつ、寝とる。
「あの、なにか、自分、気に障ることでも言ったっすかね」
「いえいえ、そんなことはないですよ
お気になさらずに……それより、ちょっと、後ろ向いててもらえますか?」
「え、あ、はい、こうですか?」
俺はアザゼル様がちゃんと後ろを向いたことを確認してから、ルシファー様に向き直った。
そして、思いっきり頭突きを食らわせた。
「……うらぁっ!!」
ルシファー様の目が開く。
頭から申し訳程度に血が出ているが、まあ大丈夫だろう。
「あ、すみません……アザゼル様、もういいですよ」
「え、う、うす」
アザゼル様がゆっくりとこちらを振り返る。
「……なんか、おふたりとも、血がでてますけど」
俺とルシファー様の額を指さして言うアザゼル様。
「え? 気のせいですよ、じゃあ、面談を再開しましょうか」
「そう、ですか?」
俺は机で見えないようにルシファー様の脇腹を肘で小突いた。
「あ、あの……あれか、アザゼルは、最近どうだ? 調子は」
もう聞いたっつうの。
更に肘を小突く。
「ぃてっ……あ、そうそう! なんか、資格とったらしいな!」
それも聞いたよ!
強めに肘で脇を突く。
「いたっ! えと、え~と、あの、ごめんなさい」
「え!?」
「じゃなくてだな! え~、ああ、そうそう、地獄界に対して何か改善してほしい事とかあるか?」
やっとまともな質問が出てきた。
「そうっすね、もうちょっと給与がよかったらいいんすけどね」
「は?」
「いや、あの給与が……」
「は?」
「給与が……」
「は?」
「なんでもないです」
「そりゃよかった」
最悪だ、こいつーっ!!
俺は助け船を出すつもりで口を開いた。
「今の寮には満足してますか?」
「え~と、そろそろ出たいっすね……安い戸建てを買おうかなと思ってるっす」
「おお、いいですね、どのあたりですか?」
「第1天、シャマインあたりで十分っす」
第1天といえば、堕天する前のルシファー様の同僚であるガブリエルが支配している場所だ。
これはルシファー様がよく思わないかもしれないな。
俺はふと、ルシファー様を見た。
爽やかな笑みを浮かべている。
「シャマインに越したら、あの写真ばらまくぞ」
「引っ越さねえっす、はい!」
ふたりとも清々しい笑顔だ。
見てるこっちも清々しい気持ちになってきちゃうぜ!
「……では、最後になにか質問ありますか?」
「そうっすね、あの……夏のボーナスが自分のところにだけ振り込まれてないみたいなんですけど……」
「本当ですか、すぐに確認させますね」
「はい、お願いするっす」
「では、今日はありがとうございました」
「うす、ありがとうございました」
立ち上がり、恭しく俺とルシファー様に礼をして、扉へ向かうアザゼル様。
そのとき、急にルシファー様が立ち上がり、アザゼル様の耳元で何かを囁いた。
ゆっくりと戻ってきて席につくルシファー様。
「あ、あの……」
アザゼル様が声を発しながら、俺の方を振り返った。
「さっきのボーナスの話、やっぱ記憶違いでした! すんません!」
笑顔でそう述べるアザゼル様の目には、綺麗な透明の液体が溜まっていた。
悪魔も涙を流すのだなと俺は思った。