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4手目

「ただいまー、お父さん。あれ、誰かお客さん?」

 ようやく一通りのことを話し終え、一息ついている薫とグレイブの耳に、鈴の音のような心地よい声が聞こえてきた。

 ちなみに、グレイブが使った通訳の“棋術”の効果はほぼ無制限で、薫の言葉はこの世界の人に通じるし、他の人の言葉は薫の耳に入れば日本語となる。ただ、文字には適用されていない。

「ああ、ティエルア。ちょうどいいところに来たね。こちらはカオル。旅の棋士で、私の名を聞いてわざわざ訪ねて来てくださったんだ。失礼のないように。カオル、彼女は私の娘でティエルア。不出来な娘だがよろしく頼む」

 グレイブに紹介され、薫は居住まいを正す。武者修行のため旅をしているという設定は、先の話し合いの中で生まれたものだ。

「カオルです、よろしくお願いします」

「ティエルアです。何もないところですが、ゆっくりしていってください」

 微笑みながらお辞儀をするティエルア。明るい栗色の髪が踊る。だが顔の造りは父親と同じ東洋系だ。やはり地球の人種でいうとどこに入るのかわからないような顔立ちをしているが、全体的なバランスは取れている。露骨に言ってしまえば、美人だな、と薫は思った。

 初対面の二人を紹介したところで、グレイブが娘に向き直る。

「随分帰りが遅かったじゃないか」

「ゲラルさんのところで夕食を御馳走になっていたのよ。近くまで従者の方に送ってもらったから問題ないわ」

 あっけらかんと答えるティエルアに、後ろめたいような雰囲気はない。グレイブもそれなら、と得心したような顔になった。


 ゲラル=ファリネウス。

 ファリネウス家は、この村をはじめとする近隣区域を治める貴族である。グレイブは“師匠”として、国からいくらかの権限をもらってこの地方に派遣されているが、囲碁の実力は必ずしも政治力につながらない。また、才能で決められるリーダーではなく、血筋で決められるリーダーの方が都合がいいときもある。そういうわけで、この世界にも“貴族”というものが存在するのだった。

 ファリネウス家は前の当主が昨年亡くなり、今の当主であるゲラルはまだ独身の若手だそうで、最初は心配されていたものの、今のところ順調に日々の仕事をこなしているということだった。また、地方貴族と“師匠”という関係上、両者は緊密な間柄であり、このように食事に呼ばれたり、一緒に会合をしたりすることもしばしばあるとのことである。

「ティエルアは幼い時からゲラル様に遊んでもらっていてね、とても懐いているんだ」

「もう、父さんってば。そんな子供みたいな言い方しなくてもいいじゃない」

 説明しながらそう言葉を挟むグレイブと、顔を少し赤らめながら言うティエルアを見て、薫は彼らがゲラルとの関係をもっと深めたいと思っているのを感じた。さすがに無粋な気がしたので、貴族と棋士の婚姻が一般的なものなのかは聞けなかったが、この世界の仕組みを考えるに不自然なことでもないだろう。


「そうだ、ティエルア。これからカオルに一局教えてもらってはどうだね?」

 ひとしきり話を終えたところで、グレイブはそんな提案をした。

 ティエルアも“師匠”の娘として、人並み以上には囲碁を打つことができるらしい。――あくまで、この世界の人並み、ではあるが。

「それは是非お願いしたいわ!」

 ティエルアがぐいっと身を乗り出す。同時に両目がキラッと光ったような気がした。どうやら彼女は“グレイブの娘”としてでなく、純粋に一人の人間として囲碁を楽しんでいるらしかった。グレイブがスパルタな親である想像はできないが、元の世界で言えば中世のようなこの世界、ましてエリートの“師匠”の実子ともなれば人生の選択肢が狭く苦しむこともあるのではと思っていた薫にとって、この笑顔は安心できるものだった。

「ではこちらこそお願いします――“対局開始”」

 ややぎこちなくではあるが、薫は先ほどグレイブと囲碁を打った紺色の世界――“対局空間”を呼び出した。

 “対局空間”は“棋術”であって“棋術”ではない。つまり、“モク”を消費しないで、誰でも構築可能である、という特徴を持っているのだ。それゆえに、誰でもやり方さえ覚えればこの空間を呼び出すことができる。そう、薫であっても。

 薫は先ほどのグレイブとの話合いの中で、この方法だけは真っ先に知っておいたほうがいい、と叩きこまれていた。“対局開始”と唱えながら“対局空間”のイメージを強く持つことで発動する、という説明に、半信半疑のまま試してみたら成功した、というわけである。対局開始の方法についても、一番簡単なやり方はすでに教わっていた。置き石などの設定を細かくする方法は、おいおい教えてくれるとのことだ。

 ちなみに、この“対局空間”だが、グレイブの家に碁石と碁盤があったことからもわかるように“対局空間”の中でなくても、囲碁を打つことはできる。しかし、“名局”認定があるかもしれないという期待などから、普通は囲碁を打つとき“対局空間”を利用するのが一般的だとのことだった。


 グレイブから教わった通りに目の前の長方形に手を触れていく。ほどなくして、対局は開始された。

「「お願いします」」

 頭を下げた二人の声が被る。


 対局開始から数手、四隅にようやく石を打ち布石を展開していく段階で、しかし薫は自分の有利をすでに確信する。ティエルアは石の方向を理解していない。ただ漫然と価値の高そうな場所に石を打っていったり、知っている定石を試しているだけだ。隅と隅との関連性は理解できていないし、定石も形を覚えているだけで意味を理解していないから結果としてちぐはぐな応手になってしまっている。

 かといって、先ほどのグレイブのように大差で勝っては、折角隠していた自分のことがまたバレてしまいかねない。どう手加減するかと考えながら、薫も手を進めて行く。


 そして約1時間後、終局の時を迎えた。

「うーん、さすがに旅の棋士だけあって強いわね。参りました」

 ティエルアが静かに頭を下げる。

 盤面は随分と差が開いていたが、それでも囲碁の形になっているのは薫の手加減のおかげである。

 本来ならば中盤、ケイマになっている石にツケコシていけばティエルアの石は二つに分断され、どちらかが取られてもおかしくはなかった。しかしあえて筋の悪いデギリからいくことで、どうにか両方ともシノがせたのである。プロ目前まで行った身としては、手加減するにしてももうすこし美しい手を打ちたかったのだがブランクもありそこまでうまくはいかなかった。


「しばらくここにいてくれるなら、練習相手になってくれるわよね?」

 にっこり笑いながら右手を差し出してくるティエルアに、薫も笑顔で握手を交わした。


――内心では、指導碁の打ち方も思い出さないと、と考えながら。


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