初手
「めんどくさいなー、これ。ちゃんと時間割組めるかなー」
安岡薫は配布された科目表を見ながら呟いた。
大学も2回生になると一般教養科目の授業は減り、代わって学部の専門科目の割合が高くなる。加えて、教職課程を取ろうと思ったら、そちらの科目の受講も考えなくてはいけない。両者は所属学部と教育学部がそれぞれ開講時間帯を決めるので、当然バッティングすることもありえる。
その場合は、必修でない方を諦めたり、来年に回せないか考えたりすることになるのだが、科目の優先順位がパズルのように組み合わさっており、目下の彼の悩みのタネだった。
「いっそ教職諦めるか……いやしかし、今の時代保険は多い方がいいし……」
そう言って彼は自嘲気味に笑う。そもそも、大学に入ったのだって一種の保険のようなものだった。それまでずっと生きてきた、まったく保険のない世界でこれ以上生活することについに心が耐えられなくなってしまったのだ。ならば、ここでも更に保険をかけることこそ、先に打った手を無駄にしない、ということだろう。
そんな風に、囲碁で培った考えが、彼の頭に浮かぶ。
それもまた、心地よく、ほろ苦い。
こんなことならやせ我慢せず、一回生の内に囲碁部の部室でも覗いておけばよかったと、少しだけ後悔の念がよぎった。
薫は元院生である。
院生、と言っても大学院生のことではない。囲碁において、プロ棋士養成機関にその在籍を認められている若者のことを院生と言う。早熟な世界ゆえに、厳しい年齢制限もあって所属しているのは成人を迎えてもいない少年ばかりであった。
厳しい対局を勝ちぬいたごくわずかの者だけがプロ棋士になれるという狭き門の世界で、薫はついにその栄冠を得ることあたわず、囲碁とはきっぱりと縁を切り、受験勉強にはげんだ甲斐あって一流とされる大学への切符を手にいれたのである。
それから一年以上。未練は残っていない――はずだった。
だけどもときどき、今のように囲碁への郷愁が胸をよぎる。
それも仕方がないことだ。多感な10代の日々にあって、自分には囲碁しかなかったのだから。そう考えて、その想いは仕方のないことと受け入れ、それでも彼はいつまでも過去に引きずられず感情をリセットし、前を向く――それが彼の習慣だ。
習慣だった。
「――あれ?」
だけど――
「なんだこれ――」
鼓動が、止まらない。
さながら走馬灯のように、小学校3年生のとき、初めて囲碁に出会ってからの記憶が蘇って来る。
感情がコントロールできない。
理性が敗北する。
いつもはできていた切り替えができず、胸に溢れんばかりの囲碁に対する感情が押し寄せてくる。
あるいは、今まで押さえていたものの反動か。
思考が波打ち、思念が渦を巻く。そこには囲碁。
打っている囲碁。解いている囲碁。
ライバルとの囲碁。師匠との囲碁。
勝った囲碁。負けた囲碁。
叶った囲碁。諦めた囲碁。
囲碁、囲碁、囲碁、囲碁――
ふっと、唇が動く。
「――打ちたいよぉ」
そして、安岡薫の意識は決壊した。