言葉の神様
言葉の神様が言うには、もちろん言葉とは誰かに何かを、気持ちや想いを伝えるためのものではあるけれど、むしろそこには無限の解釈や無限の誤解を生むところがあるのだそうで。以心伝心のテレパシーにしなかった理由は、それを乗り越えるためなんだそうで。
下界のこれを見てごらんなさい。男女がいますね。これから二人は大事な話をしますよ。
「あなたのことが好きです!」
彼女が言います。
「僕も君が好きだよ」
彼も言います。告白成功と思うでしょう。違います。彼女は幼い頃より憧れであった彼に告白したわけですが、彼は幼い頃より苦楽を共にした親友である彼女に応えたのです。恋愛の「好き」と友情の「好き」は違いますね。誤解が生まれました。彼女は奥手なのでいつも通りの生活に戻りますが、彼女の態度にやがて彼も気付きます。
するとどうでしょう。気になりだした彼も、彼女にやがて好意を抱くようになるのです。単なる誤解であったものが、本物になるのです。二人は結ばれました。心は通じていましたが、恋愛ではなかったはずなのに。
このように、好きと言われれば好きになってしまうところがあるのが言葉なのです。相手の気持ちや想いを誤解してとらえることは、結果として、自分の心の中にいる相手の存在をそれだけ大きくしてしまうのです。
まったくもって、言葉とは摩訶不思議なものです。