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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
春の湊に
99/366

3

 棒を振り、体を動かすのに一拍遅れて、左右の長い髪が揺れる。

 疲労はある、だが動きは鈍っては居ない。むしろ、疲労を感じてからどれだけ動きを落とさずにいられるかが重要だ。

 練習用の棒を鋭く突きだすと、玉の様な汗が一緒に飛び散った。槍先が少しぶれている。

 流石にもう少し休んだ方が良いかとイスカは構えを解いた。紅夜叉(べにやしゃ)との立ち合いの後、小休止を挟んだだけで鍛錬を続けている。

 ふと視界の端に、およそこの場には似つかわしくない格好の人影が見えた。来客かとそちらを見ると、草で染めた自然色の、上下一体の襟の有る服を着た若い男だった。

若水(じゃくすい)道人(どうじん)

 イスカはあまり言葉を交わした事は無いが、高星(たかあき)の一応友人とでも言うべきその男の事は知っていたので、とりあえず声を掛けた。


「おや君は……イスカ、でよかったかな?」

「はい。棟梁様に用事ですか?」


 若水道人は時々勝手に上り込んで銀華(ぎんか)のお茶を飲んでいるが、その時はそれこそいつの間にか入り込んでいる。

 なので正面から来訪するという事は、何かしらの用事があっての事だと思った。


「うむ。実はお別れを言わねばならなくなってな。ゆっくり話でもしてから別れるべきかと思ってな」

「お別れ?」


 別れという単語に、イスカの顔が若干曇る。それに気付いてか気付かずか、若水道人は頭を掻きながら苦笑いで、言う。


「師匠からお叱りの手紙が届いてね。未熟者の癖に修行をさぼって何を遊んでいるかと」

「それは……何と言うか……」


 一気に力の抜けたイスカは、さぼったせいで叱られたのに『大変ですね』と言うのもおかしいし、かと言って若水道人がここに居着いたのは、高星に興味を持っての事なので『自業自得だ』と突き放すのも躊躇(ためら)われる様な気がして、言葉に詰まった。


「師匠怒ってるだろうなぁ。うちの師匠怖いんだ」


 苦笑いしていた若水道人だが、不意に顔が引きつり、小刻みに震えだす。


「……殺される」


 そんなに怖い師匠なのかとイスカは思う。安東(あんどう)家の中には怖い上司と言うべき存在があまりいないので、師匠を恐れる若水道人の姿は、ちょっとした驚きだった。


「……話を戻そう。若水道人様……道士様は、棟梁様に会いに来たんですよね」

「ああ、そうそう。できればゆっくりと別れ話でもしたいんで、時間が取れるか尋ねに来たのだが」


 イスカは高星が今どこに居たかと少し思案し、顔をしかめた。


「棟梁様は今日は、騎兵の調練の総仕上げで一日空けている。夕方には帰ってくるはずだけれども」

「間が悪いという訳か。仕方あるまい、帰るまで待たせてもらって、都合が付かない様だったらまた日を改めてという事にしよう」

「いいんですか?」

「なに、急ぎやしないさ。今更一日二日遅れたところで師匠の折檻に大して差が有る訳じゃないし……」


 若水道人が諦めた様な、どこか遠く見るような眼をする。


「とりあえず、お茶でも貰おうか。銀華君のお茶ももう、しばらく飲めないだろうし」

「呼んできます」

「ついでにお茶菓子も欲しいな、塩気のあるやつが良い。それと君も付き合え。一人で茶を飲んでもつまらん」


 図々しさに少し呆れながらも、イスカは仕方が無いと諦めて付き合う事にした。

 休憩と、水分と塩分の補給をするように仕向けられた事には、気付かなかった。


     ◇


 液体を(すす)る音が小さく響き、せんべいを(かじ)る音が時折軽快に鳴る。イスカと若水道人は縁側に腰掛けて、二人して茶を(すす)り、茶菓子のせんべいを(かじ)っている。

 そちこちでまばらに鍛錬に励んでいる姿を、ぼんやりと眺める二人の間に会話は無い。イスカにしてみればむしろありがたかった。

 若水道人とはそれほど親しい訳では無く、そんな相手と気軽に話せるほどイスカは人づきあいが上手くは無い。

 若水道人も何も言わないので、無理に何かを話す必要も無く。気楽だった。

 だがその気楽な沈黙も、いつまでも続く訳では無かった。不意に若水道人が、茶を半分ほど飲んだ湯呑を持つ手を止めて、尋ねた。


「君は何故、彼の……安東高星の下で戦うのだ?」


 何故、安東高星の下で戦うのか。そう問われてイスカは、何と答えるべきだろうかと思った。

 自分の戦う理由と言うものを、何も知らない相手に一から説明して、理解してもらうには、何と説明すべきだろうか。

 イスカの原点は何よりも、高星と出会う前のある出来事だ。だがそれはそれ自体長大な物語になり、重要ではあるが細かく語っていては長すぎる。

 何より、それはすでに一つの終結を迎えた、『終わった物語』であり、『今の物語』とは無関係ではないが、別の話である。だから、それに関しては一言で済ませる事にした。


「私の大切な人……私の姉様と友達は、言ってみればこの世の理不尽に殺されたんだ。そして私は二人と悲しい別れ方をした」


 イスカの顔が僅かに曇る。どれだけ時が経とうとも、その事を思い出すと生じる、胸に針を刺したような痛みは風化する事が無い。


「世の理不尽、か。私にも覚えがあるな。私も世の理不尽に絶望し、世捨て人になって身だ」


 若水道人がふっと遠い目をする。胸の痛みが無くならないイスカとは対照的に、何もかも諦め、風化しきった思い出になったと言う表情だった。


「別れる事を無くす事はできない。いつか必ずお別れはしなくちゃいけない。でもだからこそ、私はもうあんな悲しい別れ方は、誰ともしたくない。

 それは私一人に限らず、誰だって辛く、悲しい別れ方はして欲しくないと思った」


 若水道人は残りの茶を一気飲みしながら、彼女は心の痛みが解る人間だなと思った。それはありきたりの様で、その実稀有(けう)な事だとも知っていた。

 大抵の人間は、自分の心の痛みからは逃げのがれ、他人の心の痛みは一瞬通り過ぎるだけである。自分の様に。

 それはそれで悪くは無い。心の痛みをいつまでも抱え、他人の苦しみまでも共にすると言うのは、常人には耐えられない程の苦しみである。


「初めのうちはそう思っても、どうすればいいかなんて解らなかった。とにかく目の前に現れた悲劇の種を、どうにかしようとしていた。

 でも棟梁様と出会って、世の理不尽を無くす事が出来れば、悲しい別れは大きく減らせると思った」


 だがこの少女は、その小柄な見た目に反して、途方も無く大きくて苦しい心の痛みを抱え、背負い、それでいてなお前を向いて進む事が出来ている。


「棟梁様もこの世の理不尽に長い間苦しめられた血筋だ。その棟梁様がやろうとしている事は、理不尽に抗う事だ。それに協力して戦う事は、私の『悲しい別れを無くしたい』という思いと一致する」


 ただ目指すところが遠大過ぎて、多少あいまいになっている感は否めない。本人もそれは感じ、迷いを見せている様に感じた。その点もまた、高星と近いと言えるだろう。


「もちろん、そんな綺麗事で済まない事は解っている。理不尽に抗う棟梁様が起こす戦いで、また理不尽に命を奪われ、別れ、死んでいく人が出る事も解っている。

 でも、だからこそ私は、その過程で生まれる理不尽で悲しい別れを、一つでも二つでもいいから止めたいと思うんだ。

 ここに居れば、少なくともそうしようとする事はできる。私一人で戦っているよりも、大きな事ができるかもしれない。だから私はここに居るんだ」


 一息に話し終えるとイスカは、流石に口の中が渇いたのか、すっかり温くなったお茶を一気に飲み干した。


「まあ、今は自分の身を大事にしない、いつ死んでも構わないと思っている馬鹿な奴を止めて、『君が居なくなったら悲しむ子が居るんだ』という事を解らせてやるのが目標かな。

 それができるだけの力が有れば、今よりもできる事は増えるだろうし」

「なるほど、それで焦って無理な鍛錬をしていたか?」

「見てたんですか?」

「いや、君に声を掛けられて初めて気が付いたから、鍛錬の様子は見ていない。だが息遣いの様子を見れば、無理をした事くらいは解る」


 イスカが気まずそうにうなだれる。自分でも無理をしているという自覚はある。だがそこまでしなければ追いつけない、だから無理をするしかない。


「それほどまでにその身を苛め抜く程なら、少し見てやろうか。何か役に立てるか、保証はできないが」

「道士様は、武術の心得があるのか?」

「道士の修行の基本は心身の鍛錬だ。そのため武術の基礎くらいは学んでいるし、その道を求道する道士もいる。まあ、私は本当に基礎を抑えた程度だがな。

 あまり俗世に干渉するとまた師匠が煩いのだが、このくらいはいいだろう。遠慮は要らん、ちょっと構えてみるといい」

「解った。お願いする」


 イスカが立ち上がり、練習用の棒を取りに行こうとする。


「ああ、できれば実戦に近い形式の方がいいな。その方が解りやすい。

 達人の方々ともなれば練習用の物でも細かい所まで解るのだが、いかんせん私はまだその域は遠いからな」

「ん、解った。じゃあ……」


 イスカがその場で変身をする。瞬く間に衣服は空色基調のインナーの上にジャケット、大腿部(だいたいぶ)を守る、金属板をスカート状に連ねた、鎧の草摺(くさずり)というパーツに近い物が付いたものに変わり、2m程の槍を持つ。


「――これは……!?」


 若水道人が驚愕と思案の入り混じった表情でイスカの事を見つめる。その時になってイスカは、自分が魔女と恐れられ、追われる事もある身であるという事を、今更ながらに思い出した。

 この地では何かしらの事情を抱えている者は珍しくない。そして何よりこの地を治める安東家の当主である高星が、そういうあまり人に言えないような事情を抱えた者に対して寛容である。

 だからつい忘れていたが、イスカの存在は全く理解出来ない者には驚きを、多少理解できる者には、理解できない事柄に対する恐怖を呼び起こす存在である。

 若水道人もまた、イスカという常識の範疇を超えた存在を目の当たりにして、驚き、恐れるのだろうか。思わず身を固くした。


「……少し良いか? 手を出してくれ」


 若水道人は眉を寄せた表情のまま、イスカに頼んだ。イスカがおずおずと槍を持っていない左手を差し出すと、若水道人は脈を取る様にその腕を掴んだ。


「ちょっとこのまま、陰気。ああ魔力と言った方が通じるか。魔力を体内で循環させてみてくれ」


 イスカが困った様な顔をする。


「……循環と言われても、どうすれば?」

「ふむ。直感だけで運用しているのか。なら、なんでもいいから術を使ってくれ。できれば継続的に使う物が良い」

「それなら」


 情況が呑み込めないが、ともかく言われた通り魔力による身体強化を行う。若水道人の言った通り、理論では無く直感で力を運用しているイスカが使えるのは、この他に『放電』だけだ。

 若水道人は目を瞑ってしばらくそのままイスカの腕を取っていたが、やがて戸惑った様子で呟いた。


「なんだこれは。使っているのは陰気だが、この流れ方はどちらかというと陽気に近い。いや、もっと根源的な『力』の様な……?」

「あ、あの……。もういいですか?」


 ぶつぶつとつぶやき続ける若水道人に、イスカが気まずげに問う。我に返った若水道人が、慌てて手を放す。


「おお、済まん済まん。えーっと、つまり君はあれか、世間一般で魔女と呼ばれている存在だな?」

「……そうだ。確かに私は、魔女だ」

「魔女の使う魔術は、現在の魔術体系理論では再現も、説明もつかない。それ故に恐れられ、時に狂信的な魔女狩りも行われると聞く。……君の言っていた理不尽が、なんとなくは解った」


 イスカはただ顔を曇らせて、(うつむ)くだけで何も言わなかった。


「実際に見て、確かにこれは現代の理論では説明が付かないと解った。相反する性質を持つはずの、魔力と気力の両方の性質を持っている。

 それだけは解ったが、それ以上はさっぱり解らん。一体どうしたらこんなものが成立するのやら、師匠ならもっと何か解るかもしれないが」

「……解ったところで、何かが変わる訳じゃない」

「そうだな。一度世に根付いた偏見はそう簡単には消えないし、その力が何であったとしての、君が自分の意思を曲げるようには思えん。ならば大した問題ではないのかもしれないな。

 この件はとりあえず、私が見たままを師匠に話してみよう。何か解れば一応、連絡をする」


 若水道人がイスカの正面方向に数歩歩き、振り返る。


「さて、話が逸れたが本題に戻ろう。その槍を私に向かって構えてみろ。とりあえず、構えるだけでいい」

「あ、そうだった。じゃあ……」


 イスカが若水道人に向かって槍を構える。一見、普通に構えている様に見えるが、若水道人は口をとがらせて思案顔をしている。


「戦い方は誰に習った?」

「姉様に。でも――」

「どちらかと言えば、心構えに近い内容が主だったか?」


 イスカが軽く目を見開いた。


「そうだ。解るのか?」

「一見、ごく基本的な構えのようだが、それは基礎を習って身につけたものでは無く、実戦の中でより最適なものを求めた結果同じ所にたどり着いた、だな? 僅かに癖が有る。

 そのままゆっくりと攻撃して来い。武術だと『型を確かめる』と言うやつだが、解るか?」

「大丈夫だ。じゃあ、行く」


 イスカがゆっくりとした動きで槍を振るい、突く。槍先の動きは微塵もブレが無い。若水道人はそれを避けながら、イスカの動きを観察した。


「そこまでだ。本当に実戦の中で築き上げた感じだな。達人並みの恐ろしい鋭さと、素人同然の甘さがごちゃごちゃだ。だが一応、基礎は学んでいる様だな。付いた癖が直っていないようだが」

「うっ……、確かに槍術の先生の所に行って教わると、変な癖を直せと言われる」

「今のままでも十分強いだろう。だが今のままではこれ以上は望めない。独学の限界だな。

 だがすでにこれだけの事が出来ているのなら、武術の基礎を叩き込めば突き抜けるはずだ。それも、体の使い方・動かし方から見直せ。今は槍に頼りすぎている」

「体の使い方から、か……」

「そういうのはそれこそうちの師匠方の得意な分野なんだがな。あいにく私は人に教えられるほどの物ではない。

 もし機会が有ったらしばらく山に籠って、うちの師匠方の教えを乞うといい。口を利いてやる。山に籠って修行する余裕が有ればの話だが」

「これから一番大事な戦いが始まるんだ。もっと早く言って欲しかった」

「もっともな事だが、こればかりは巡り合わせだ。それは人の意思でどうこうできるものではない。与えられた巡り合わせの中で最善を尽くすしかないさ」

「巡り合わせの中で最善を尽くす……。そうだな、そうするしかない」


 だが、その最善が涙の別れしかないとしたら。いや、たとえどのような別れであっても、笑いながら別れをいう事はできるはずだ。その可能性を、イスカはすでに見た事が有る。

 最善を尽くしたのに、報われない結末にしかたどり着けないという事もありうる。その時はどうしよう?

 それでも最善を求め続けるしかないだろう。諦めたくなければ、そうするしかない。全てが無駄に終わるかもしれなくても、そうするしかない。

 そしてイスカは、折れてしまうその時まで、諦める気は無い。折れてしまう気も、毛頭無い。

 だからこれからも、前を向き続ける。それこそが、最善を追い続ける力を生んでくれるのだから。

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