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異様な雰囲気に包まれていた。
政府・玄州総督・アドス市の三者代表による、アドス島産の金の配分を巡る交渉が、いよいよ開幕した。
列席者は皆、焦りや弱気、不安に疑心と言った感情を抱きながらも、決してそれを表には出さず。強気や余裕、冷静さや誠実さを努めて前面に押し出そうとしている。
だがそれでも、心の奥底に抱えた感情を、ここ一番の最も大事な局面で完全に抑え込めるとしたら、それは人では無いか、100年に一人の英雄の資質の持ち主だろう。
見たところ、この場に並の人間以上の存在は居ない。それ故に、意識して示される態度が醸し出す迫力と、無意識のうちに漏れ出る黒い気が複雑に混じり合い、名状し難い異様な雰囲気となって列席者達を包み込んでいた。
「ではこれより、三者間交渉を開催する。本交渉の議題は、アドス島から産出する黄金の政府供出量及び、その徴収代行たる玄天属州総督に代理業務の報酬として支払われる黄金の量を、再設定する事を目的とする。
異存はありませぬな?」
財務卿ジャスティン・ピニエルが議長役として開会を宣言する。一応、この交渉の席では三者は対等な列席者であるが、どうしても政府の代表である財務卿が議長役になる。
なお設けられた席は、三者が名目上は対等な事を受けて、円卓になっている。三角形を描くように円卓に着く三者の後方には、それぞれの事務・補助業務を担当する役人達の席が並んでいる。
もちろん提督の背後にも席が並べられ、ジャンやエステルを含む安東家の者達が、資料の束を用意してあらゆる事態に備えている。
「一体アドス市はどういうつもりでいるのか! 交渉の途中で担当者を外部の者に交代し、引継ぎで余計な時間を取らせるなど、交渉の席から逃げるための姑息な手段ではないのか!」
いきなり玄州総督であるユアン公爵の臣下グオ・コウゼがアドス市側を弾劾してきた。つい先日、軍事力を以てアドス島を占拠するなどと発言し、顰蹙を買ったばかりだと言うのにまるで懲りていないようだ。
だが矛先を向けられた提督は、難なくそれをかわす。
「逃げなどとんでもない。我々は近日中にこの交渉をまとめるために、アドス市から全権を委任されている。
引継ぎに時間が掛かったのは齟齬や誤認による後の混乱を予防するために必要な事であり、悪意が有ったかのような発言は控えていただきたい」
「ならば、本当に交渉をまとめるつもりが有るのだな?」
「当然である。一体この交渉を無意味に長引かせて、誰に利益が有ると言うのか?」
「それまで。アドス市全権代表の発言通り、我々は皆この交渉を早期にまとめる事を望んでいる。そこに異議を差し挟み、無用な疑念をかきたてるべきではない。
総督代表も、過激な発言は慎む様に」
渋々と言った面持ちでグオが着席する。それを待っていたかのように、今度は提督が口火を切った。
「私は正式な交渉の席に着くのは今日が初めてだが、これまでの議事記録と、事前交渉により、これまでの交渉がどのように推移したかは把握している。
そこで提案がある。よろしいだろうか?」
財務卿は即座に快諾し、グオも聞くだけ聞いてやると言わんばかりの顔で肯いた。
「本交渉の要点は即ち、金を三者でどの様に分配するかという問題に尽きる。
そこで三者全員に平等な決議権を付与し、二択の選択肢から投票によってそれぞれの権利を決定すると言う方式を提案する」
「……つまり、どういう事だ?」
グオが、その神経質そうな顔にさらに警戒の色を浮かべて問う。
「つまり例えば、我々アドス市の手元に残る金の割合がすでに決定された後も、政府と総督でどの様に金を分配するかを、アドス市の代表である私を含めた三者で投票を行い、最終決定を行う。という事です」
「我々の権利の決定に、無関係な者の意見を取り入れると言うのか」
グオが難色を示す。だが財務卿は肯定的だった。
「いや、アドス市代表の言う通り、三者による分配が問題なのだから、無関係とは言えまい。それに三者がそれぞれ自分の権利を主張していては、いつまで経っても話はまとまらない。
ここはアドス市代表の提案を受け入れて、二択の選択肢を決議する方式を積み重ねていった方が良いと思う」
「……まあ、構わぬか。三者それぞれ全く同じ、一人一票の投票権を持つのだな?」
「はい。投票においては全く同じ権利で、と言うのを想定しております。異存が有る方は?」
「構わぬよ」
「無い」
「では、そのような方式で決定を行うという事で、合意がなされましたな」
◇
アドス市側が提案してきたので、一体どんな小狡い手を使ってくるかと警戒したが、言ってしまえば単純な多数決投票で決めようと言う提案だった。
それならば、むしろ望むところだった。こちらは政府側と共同戦線を張っているのだ、いままで煮え切らなかったあの財務卿も、この明確な方式ならば態度をはっきりさせざるを得ないだろう。
2対1で、アドス市から搾れるだけ搾り取る決議を通してやる。その後の政府側との取り合いに、アドス市がくちばしを突っ込んでくるのは面倒だが、飴で釣るにしても鞭で脅すにしても、遠い政府よりすぐ傍に領地を持つこちら側の影響力の方が強い。
十分勝ち目はある。そう、グオ・コウゼは読んで、顔に出さずにほくそ笑んだ。
◇
「それでは最初の議題だが、アドス市の供出する金の量について、決を採る事を提案する」
財務卿が最初の決議案を出す。アドス市の供出する金の量を決めるとは即ち、政府及び総督の取り分を決めるという事であり、アドス市の手元に残る金の量を決めるという事でもある。
構図としては政府総督連合対アドス市、というものになる。
「異議無し」
即座に提督が賛成する。
「こちらも異論は無い」
グオも同意を示す。この件に関しては政府側と総督側の意思は同一である。危なげ無く勝つ事が出来る事案だ。
「では、これより供出量についての協議を行い、一時間後に採決を取るものとする」
財務卿が宣言し、席を立つ。続いて提督とグオも席を立った。そしてそれぞれ自分の後方に待機する使節団の面々と、具体的な数字を練り始めた。
もっとも、提督達アドス市側の代表に関しては、考えるまでも無く既に決まっている。アドス市代表の要求は、現行の供出量の維持である。
供出量を減らすと言うのはこの情況ではあまりにも非現実的であるし、すでに策を講じてある以上、供出量を僅かでも増やして妥協する必要は無い。
する事と言えば、深刻ぶった顔をして、さも苦しい立場であるように見せ、余計な疑念を抱かせない事くらいである。
これに対して政府及び総督側は、一時間では足りないくらい活発に協議がなされていた。
そもそも『アドス市の供出量』として、政府の取り分と総督の取り分が一括にされ、しかも政府と総督にどう配分するかはまだ未定な状態である。
この状態でアドス市にどれだけの要求を突き付けるかは、この後への影響も鑑みて慎重に決定する必要が有った。
即ち多く取り立てれば、せっかく多く取り立てた金を丸々相手側に持って行かれる恐れがある。わざわざ苦労して、味方の顔をした競争相手に儲けさせてやる様なものだ。
それならば程々に取り立てる程度にしておいた方がその危険は無いが、そうなると今度は自分の旨味が少なくなる。
さらに、政府側と総督側間での金の配分を決定する際にも、アドス市が投票権を持つため、過大な要求を突き付けたのがこちら側だと思われれば、その報復に相手側に有利な投票をされるかもしれない。
政府側と総督側、双方が等しくそう考えている以上、アドス市に突き付ける要求は、本心ではできるだけ重くしたいが、戦略的にそれを言いだしにくい情況にある。
故に双方が、言外に大きな要求を突き付けたいとほのめかすも、決して言質は取らせないと言う、実にややこしくまどろっこしいやり取りが、政府代表団と総督代表団の間でいつまでも交わされる事が続いた。
「そろそろ時間になります。いい加減結論を出さない事にはいけませんな。財務卿閣下?」
グオが棘のある、絡み付く様な言い方で財務卿に水を向ける。腹の内は決まっているのだから、いい加減アドス市に突き付ける要求を言葉にしろと言う腹積もりだ。
もちろん自分の方からそれを言いだす気は、毛頭無い。
「……そうだな、では――」
財務卿が羽ペンを取り、議事用紙に書き付ける。発言を文字にして回覧する事で齟齬の無い様にすると共に、後から確認できる確かな証拠とするための物である。
これに書き付けた以上、誰が何と提案したか、決して言い逃れる事は出来ない。
財務卿が書いた数字は、予想以上にアドス市にとっては過酷な要求だった。今までの財務卿の態度からすれば、意外とも言える。
しかしグオはこれを、相手に希望を与えておいて土壇場で容赦の無い通告をし、相手の精神に打撃を与えてこちらの思う通りの要求を飲ませる交渉術と受け取った。
「こちらとしてはもう少し低率の要求でも良いのですが、他ならぬ財務卿の仰せならば異存は何もありませぬ」
様子を窺う様に上目づかいになりながらグオは同意した。もちろん、腹の内ではほくそえんでいる。
たっぷり搾り取れる上に、政府側が進んでアドス市側の恨みまで引き受けてくれるのだから、当然と言えよう。
すでにこの次、政府側との金の取り合いについて考え始めていた。ここまで強気な要求をするくらいなのだから、政府側はアドス市から奪った金の大半を手に入れる見込みが有るのかもしれない。ここは少しアドス市に甘い顔を見せて味方に引き込んでおくべきか。
◇
一時間ぶりに、三者が円卓に着いた。三者の表情からは何も窺えない。三者とも、ここで腹の内を顔に出すほど素人ではない。
「ではアドス市の供出する金の量についての交渉を再開する。金の供出量について、現状維持案と、供出量の増額案が上がっている。
それぞれの場合、金の配分はどの様になるかは各自回覧した資料を確認する様に」
資料が配布される。皆一瞥をくれるだけだ。現状維持案は見るまでも無く、増額案もどの程度の要求がなされているかを確認するだけだ。
「確認事項が無ければこのまま採決に移るが、よろしいかな?」
誰も何も言わない。ただ、無言で肯くだけだ。
「では採決に入る。現状維持案に賛成な者、起立」
◇
目を疑った。何が起きているのか解らなかった。何故、何故起立者が二人いるのだ。何故政府代表の財務卿が現状維持案に賛成しているのだ。
「賛成多数により決定。アドス市の供出するべき金の量は、従来通りとする」
「ま、待て! これはどういう事だ! 一体どうなっている!」
「静粛に。玄州総督代表、これは全会一致で決定した、正当なる決議方法によって決議された事である。
あなたもこの決議方法に賛成した以上、それにのっとって決議された結果に異を唱える権利は有しない」
グオが喉の奥からうめき声を漏らす。全くの正論に対して何も反論する事が出来ない。
「アドス市の金供出量は決定された。よって次の議題に移る事とする。供出金の徴収代行業務に対する玄州総督への報酬として、玄州総督が有する事が認められる金の割合を決定する」
財務卿の物言いは、終始淡々としたいかにも官僚的なものだった。それは一切の抗議・弾劾・質問に取り合わないと言う意思の表れだという事が、はっきりと感じられた。
だがグオは、そんな財務卿の言葉もどこか遠くで鳴り響いている様に聞こえていた。
一体何が起こったと言うのか? 財務卿の裏切り? そうだとして、一体それで何の利益が有ると言うのか? いや、もしかしたら――。
グオの疑念は程無くして事実だと証明された。即ち政府側が、財政難を理由に玄州総督の金の取り分の減額を要求してきたのだ。
当然、グオはそれに抵抗したが、もはや無駄な抵抗である事は誰の目にも明らかだった。アドス市側が完全に政府側と同心して、一から十まで政府に賛成と言う態度だった。
何度かグオは、ほとんど半狂乱に近い様子で異を唱え、脅し、泣きつき、恥も外聞も無く抵抗して見せたが、それも長くは続かなかった。
誰よりも本人が絶望的な情況にある事を自覚しているため、ときどき思い出した様に激しく抵抗しても、すぐに諦めてしまう事を繰り返した。
結局、玄州総督の報酬は大幅に減額された。全てが終わってみれば、アドス市は従来通りの義務で何も失わず、政府側は絶対値で見れば従来よりやや多くの金を手に入れ、総督側は大幅に利権を失って一人負け状態となった。
◇
先程まで交渉を交わしていた会堂を出て帰路に就く頃には、流石に皆喜びの色を隠さなかった。提督も老人らしい優しげな笑顔を浮かべ、エステルもほっとしたような微笑みを浮かべている。もちろんそれ以外の者達も皆勝利を素直に喜んでいる。
アドス市の自治会にはすでに人を送って速報を伝えたので、今頃は安堵しているか、喝采を叫んでいるだろう。
「全て提督の計画通り、ですか?」
ジャンがこのドラマの演出家、もしくは総督代表を嵌めた陰謀家たる提督に訊ねる。
「まあ、ほぼそう言えるだろうが、主演は財務卿閣下というべきだろうな。どんな計画もそれを実行する人有ってのものだ」
「そうなるように仕向けたのは提督でしょうに?」
「否定はせんな。だがそれが全てだとは思ってはいない。実際、閣下が敵に回る可能性はゼロではなかった。勝ち目の方が大きい勝負ではあったが」
「まあ、勝てたのだからよかったでしょう。負けたとしても、俺達には実害は無かったんだし」
「そうだな。これで儂らの役目も果たせたし、ついでに副産物も得られた」
「副産物?」
「今度の件で、アドス市を挟んで北朝政府との交渉が出来た。名目上、南朝派を名乗っている儂らにとって、北朝政府との繋がりは大きな収穫だ。これでまた交易の幅が広がる」
「そこまで考えて今回の計画を? 一体何手先まで読んでいたんですか」
「盤上のゲームなら十手以上先を読むのは当然の事、二・三手先は読んで当然じゃよ」
「怖い怖い……。あ、俺ちょっと用足してくるので、先に行ってください」
ジャンは一人離れ、会堂のトイレに向かった。用事を済ませ、外から見えない様に折れ曲がった入り口から出たところで、誰かとぶつかりそうになる。
「おっと、済みません」
グオ・コウゼだった。とっさに身を固くするが、当のグオは顔面蒼白で、ジャンの事などまるで見えていないようだ。ややおぼつかない足取りで、ふらふらと過ぎ去ってゆく。
「主上に何と……、ゆるさん……、この報いは必ず……、どいつもこいつも……」
よく聞き取れない小さな声で、なにやらぶつぶつとつぶやくグオは、まるで幽鬼の様だった。
ジャンは微かな恐怖を覚えた。幽鬼の様なその様に、ではなく、何をしでかすか解らない、と言う気がした。




