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グオ・コウゼは焦れていた。
ユアン公爵家に仕える臣として、例え皇帝が相手でも容赦無く攻撃する。それが彼の忠義である。
それ故に、出し抜くつもりでいた皇帝。否、ペルティナクス大公派と共同戦線を張らざるを得ない現状は、愉快なものでは無かった。
しかも向こうの代表が、よりにもよって財務卿である。あの内乱で政権が変わった時、平然とした顔をして新体制下でそれまでと同じ様に職務を続けた、主を主とも思わぬ輩である。
とは言え財務に関する手腕が、帝国中探しても並ぶ者が居ない程の者である事は誰もが認めざるを得ない。それが余計に腹立たしい。
その上、財務卿である以上、皇帝の直臣である。こちらは公爵の臣下なので、陪臣という事になり、埋めがたい地位の差というものがある。
そして当然の如く、その差を盾に、こちらを低く扱ってくる。それが道理に沿ったものである以上、こちらは歯ぎしりするしかない。全く、本来ならば徹底的に対立すべき相手である。
しかしこちらにも時間が無い。雪解けと共に公爵は戦を始めるつもりでいる。そのため、その前にこちらの決着を付け、軍資金を搾り取らなければならない。そのためには、憎い相手との共闘も致し方ない。
しかし肝心の財務卿の態度が、どうにも煮え切らないのである。一体何を考えているのか、いつもあと一歩の所でアドス市を追い詰めない。
何故いつも肝心なところで手を抜くのかと詰問しても、揺さぶりを掛けるための戦術的行為だとか何とか言って、言を左右にするばかりだ。仕舞いには地位の差を持ちだして、追い出される。
そんな事が何日も続いて、いい加減焦れていたと言うのに、さらに不快にさせる出来事が突然起こった。
アドス市側の交渉担当者が、突然変わったのである。
新しい担当は、安東子爵家を交渉人として雇い、安東家の家臣が務めると言う。北の果て、辺境の流刑地の囚人兼看守の異民族が相手なのはまあいいとして、前任者からの引き継ぎ業務やらなんやらで、交渉が停滞しているのは我慢ならなかった。
引継ぎなど、相手の内部だけで済ませてくれればいいものを、これまでの交渉でこちらが要求した事、それに対するアドス市側の返答などを、いちいち確認するためにやって来ては、その度に何度となく申し立てた要求を、再び要約して言ってやらねばならない。
ただでさえ焦れていたところに、この余計な手間は急速に不満を蓄積させた。
もしや最初からこうやってこちらを煙に巻いて、時間を稼ぐのが目的では無かろうか。ある程度交渉が進んだところで、再び担当が変わってまた引継ぎだなんだと引き延ばすのではないか。
そもそもあの財務卿がさっさと押し切ってしまえば面倒は無いのだ。何故いつもいつも肝心なところで手を抜く? もしやアドス市側と密約を交わし、こちらを裏切るつもりでは無かろうな……。
悶々とした思いを抱えながら、グオの思考はどんどん猜疑心を深めていく。些細な言葉尻や、何気ないしぐさまでもが怪しく思えてくる。もしそうだとしたら、こちらも手をこまねいては居られない。連中め、私を裏切った報いをどう受けさせてやろうか……。
不意に、一つの思い付きが浮かび上がってきた。窒息寸前だったところに、空気の泡が浮かんで来た様な思い付きだった。
そうだ、私は帝国屈指の大貴族・ユアン公爵様の臣下ではないか。主家の威光と力を使わずして何とする。
しかもこれに大公派も巻き込んでやれば、連中も態度をはっきりさせざるを得まい。先んずれば人を制すと言うが、私がこれから行う事に大公派が追従するという事は、あのいけ好かない財務卿が、私の言うがままに動かざるを得ないという事だ。想像するだけで愉快ではないか。
考えれば考える程、その思い付きは素晴らしいアイディアの様に思えた。それを実行に移す事で、何か不都合が起きはしないかなどとは微塵も考えなかった。不都合など有りはしないと、何の根拠も無く確信して、検討さえしようとはしなかった。
グオ・コウゼはいつまでも、自分の素晴らしい策で全てが思い通りに動く様を想像し、陶酔を続けていた。
◇
一夜にして、アドス市は騒然となった。
グオ・コウゼがアドス市側にとんでもない要求を突き付け、しかもそれを旗下の者を使って自ら街中に広めたのである。
グオが突き付けたと噂の要求を聞いたとき、ジャンはまず驚愕し、次いでそんな事があり得るのかと疑った。
内容はともかく、とんでもない要求を突き付けてきた事は事実らしいと判断すると、迷う事無く提督の居場所を思い出し、息せき切って駆け込んだ。要求を突き付けられた当の本人に確認する以上に、確かな事は無い。
「提督! 街中で噂になってる事は本当ですか!」
「ほう、どういう噂になっている?」
ジャンとは対照的に、提督は意外なほどに落ち着いた様子だった。ただ周囲では、配下の者達が半ば混乱した様子で声を荒げているので、何も無かった訳では無い様だ。
「金を……金を差し出さないと、公爵の軍勢を引き連れてこの島を制圧するって。それも政府軍と共同で、この島を政府の直轄領にして、総督がその権限を以て統治するって」
「まあ、軍を動かす名分についてはいろいろ屁理屈を言っていたが、おおむねその通りだ。
要は、大人しく金を差し出さないと軍事制圧すると言う、脅しだな」
「のんきな事を言ってる場合じゃないですよ! 相手は自分の思い通りにならないからって、剣を抜いて突き付けてきたんですよ。
見た事あるから断言しますけど、そういう相手には何を言っても無駄です。剣を抜いた時点で興奮していて、降参するか、力ずくで取り押さえるか、どちらかしかありません。
どうするんですか?」
「まあ確かに、自分の思い通りにならないから滅茶苦茶に暴れ出した、手の付けられない相手ではあるな。
だがよくよく考えてみると、駄々をこねる子供と同じ程度の行為でもある。こういう時は同じ立場で相手にせず、冷静に大人の、というよりも親の対応をするべきだ」
「子供と言いますが、相手は国内屈指の軍事力を持った子供ですよ?」
「それを実際に使えるかどうかはまた別だ。まあ、すでにいくつか手は打ったから、その結果が出るまでは待ちだな。何か飲むか?」
「え? えーっと、お任せします」
「指示を出したら後はお茶でも飲んでのんびりと待つ。そういう姿を見せるのもまた、将として必要な、統率の技術だぞ」
「はぁ……」
しばらく提督と向かい合って、出されたお茶を黙って飲んだ。こんな事をしていていいのかとも思うが、指示を出す立場にある提督がのんびりとお茶を飲んでいる以上、他にどうしようもない。
飲んでいるうちに心が落ち着いてきた。これはお茶の効能と言うよりも、提督の姿を見ているうちにそうなったという感じがした。
事実、お茶の味や香りには全く気が回らず、白湯を飲んでいる様な気がしていた。
一杯のお茶を飲みほしてからしばらく経ち。このまま黙っている他無いのなら、二杯目を頼もうかと思い始めた頃、エステルがやって来た。いや、ジャンが来るよりも先に出て、帰って来たと言う方が正しい。
「戻った」
「おう、エステル殿。首尾はどうかね?」
「完璧、と言うべきだろうな」
「エステルさん、どこで何をしてきたんですか?」
「ジャンも来ていたのか。なに、街の方に一応断りを入れた上で、
『公爵が軍勢を率いてこの島を制圧すると言うならば、街は安東家を傭兵として雇って対抗する。
どれほど公爵の軍勢が多くても、両手の指では数えきれぬ軍船が並ぶ艦隊を相手にする覚悟は御有か?』
と、グオ氏に言ってやったのだ。そしたら目を白黒させていたよ」
「とりあえずこれで、この島を軍事制圧するなどと言う、無茶な事はこれ以上言えなくなっただろう。
むこうは大艦隊を敵に回して戦をするなど、思っても居なかっただろうからな。今頃、狼狽えているだろう」
「何と言うか、本当に子供じみてますね。殴っても抵抗できない相手だと思って脅したら、強そうな奴が助けに入ってきて、逆にびびった悪餓鬼みたいに思えます」
「いい大人だからと言って、必ずしも発言や行動が大人だとは限らない。特にああいう、強大な組織の中に居て、組織の力と自分の力を混同している様な輩と言うのは珍しくない。
そういう人間を相手にする術を身に付けていないと、貴族相手の商売はできんよ」
「まあ、とにかくこれで、一件落着ですかね」
「いいや、これからだ」
「え?」
「この浅はかな発言を、最大限利用しない手は無い。まあ、見ておれ。じきに戻ってくるだろう」
提督が含み笑いを浮かべる。果たしてその後すぐにもう一人、使いに出していた者が戻ってきた。
「どうだ?」
「はっ、提督殿の読み通りです。財務卿は、グオ氏の発言は全くあずかり知らぬ事であると困惑した様子でした」
「やはりな。政府側を無理矢理巻き込んでしまおうと言う公爵派の、と言うよりも、グオ氏の独断・暴走だったか。
しかし連合を組んでいる以上、知らぬ事だ無関係だでは済まさぬ。公爵派の暴言の責任を、政府側に取ってもらうとしよう」
提督が会心の笑みを浮かべる。
「……何をする気ですか、提督」
「何をすると聞かれれば、特に何をする訳でも無いな。当初の予定通りに事を運ぶだけだ。
ただし、それをやりやすい情況にはなった。この機を逃すほど、間が抜けてはいないと言うだけの事だな」
「当初の予定通り……。ああ、そうか。大公派と公爵派の仲を裂いて、片方と手を組む、でしたね。
つまり大公派に、はた迷惑な味方の公爵派を捨てて、こっち側に付かないかと誘う訳ですね? もちろんそうする方が得だと言う利益もちらつかせて」
「そういう事じゃ。早速、財務卿の所に出向いて交渉を始めるとしようか。もちろん、秘密裏にな」
「グオ氏の暴言と言うか、とんでも発言も浅はかですが、こっちの策も単純と言う点では、いい勝負なくらいの単純さですねぇ」
「何も入り組んだ策を巡らすばかりが駆け引きではない。むしろ、単純な策で事を成す方が良い。なぜならそちらの方が費用が掛からんからな」
「費用が掛からない、ですか」
ジャンは、苦笑いをせずにはいられなかった。
「余計な費用が大きいと、しくじった時の赤字が大きいからな。利益が少なくても費用が掛からなければ十分効率は良いし、しくじった時の赤字も小さくて済む。
お主ら若い者は、高度複雑な技術を駆使して、華々しい成果を上げたがるものだが、年寄から言わせてもらえば、単純簡単な手で、地味でも旨味の大きい成果を上げるのが、妙手と言うものよ」
「それが出来たら――」
「苦労はせぬか?」
「年寄は要らないです」
提督は一瞬キョトンとし、すぐさま大声で笑い出した。
「なるほど! その発想は無かったわい! いやぁ、これはしてやられた。これだから長生きはするものじゃ!」
提督は愉快そうに、いつまでも笑い続けていた。




