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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
アドスの僭主
92/366

3

 九人委員会開催の三日前。提督達が帰った後の屋敷で、コルデロはすぐに行動を始めていた。

 屋敷の執事に命じて、今夜の食事にタンクレーディを招待させた。彼は公私においてコルデロの弟子の様な存在であるため、来いと言えばその通りに来る。

 コルデロが望んだとおりに夕食に呼ばれてきたタンクレーディは、あいさつもそこそこに切り出してきた。


「コルデロ殿、わざわざお呼びとは、例の件で何か?」

「まあ、そうなのだが。いきなりそれを口にするものではない。空とぼけと言うものが必要になる事もあるのだ」

「失礼しました」

「まあ、よい。食事をしながらゆっくり聞かせてやるゆえ、くつろいでいけ」

「では、お言葉に甘えて」


 コルデロは、夕食をしながらタンクレーディに、一連の安東(あんどう)家の申し出を話して聞かせた。そして最後に自分はそれに賭けてみる事をすでに心に決めており、そのためにこの件を九人委員会で可決させるつもりであると打ち明けた。


「お話は分かりました。コルデロ殿がそのつもりならば、私に異存はございません。

 それで、私は何をすればよろしいので?」

「まずはしばらく儂が行う根回しの席に同席していれば良い。次の委員会の開催までに事を進めなくてはならないから、ほぼ毎日付き合ってもらう事になるだろう。

 くれぐれも、動きを悟られる様な事は無い様に」

「心得ておりますとも」

「ならばよし。次は明日の昼にここを予定している。そのつもりで居ろ」

「はい」


 その後はそれぞれの持つ事業の話などをしながら、老いてなお盛んな師と、壮年に達した弟子が向かい合う夕食の時間が過ぎて行った。


     ◇


 翌日の、昼にはまだ少し早い時分。コルデロの屋敷をスカルラッティが訪ねた。


「やあ久しいなコルデロ。お前の招待を受けるなどいつぶりだろうか」

「お互い、今は委員会に席を持つ身だからな。友とは言えそうやすやすと私的な交友も出来なくなってしまったわい」

「私的な交友、ね。わざわざ昼飯時よりも少し早く呼んだのは、何か込み入った話があるからだろうに」

「まあ、そうだな。長生きすると知り合いが増える分、ややこしい人間関係の問題も多くてなぁ。偶には気の置けない友の意見が聞きたくなったのよ」


 笑って言うコルデロに、スカルラッティも小さく笑い返す。お互い全て承知の上でのとぼけ合いだ。しかし、嫌な気も面倒だと言う気もしない。

 客間に通されると、先客としていたタンクレーディが立ち上がって挨拶をした。スカルラッティはそれに答えながら、彼がここに居るという事はやはり例の一件がらみかと確信する。


「茶は何が良い?」

「いや、結構だ。ランチの前に茶で腹が膨れても困る。それよりも、次の委員会は明後日だ、もうあまり時間は無いのだから、さっさと本題にしようではないか?」

「ふむ……そうだな。そうするか」


 コルデロとスカルラッティが向き合って座る。タンクレーディは二人の横顔を見る位置である。


「この時期に、お前がわざわざ私を呼んだ。しかもそこの小僧っ子も居るという事は、何か進展が有ったのだろう?」


 いい歳をして小僧っ子呼ばわりされたタンクレーディが苦笑いする。だが何も言わないし、小さな笑い声も立てない。今は自分ごときが何か言うべき時では無い。


「今になって急に妙案が出るとも考えにくいが、持ち込み企画か?」

「お前には隠し事はできんな。それが時々空恐ろしくもなるよ。安東家から、代理交渉人として雇わないかと言う提案が有った。そして私はそれを受け入れようと思っている」

「コルデロ。私とお前は確かに昔からの付き合いだが、政治向きの話となれば話は別だ。

 私の考えがお前と近い事は確かだが、無条件にお前に賛同はしない。あくまで私が納得した事だけを私は肯定する」

「解っている。だからこうして、膝を突き合わせて話し合う場を設けたのだ。それに私は、お前ならば賛同してくれると思っている」

「まあいい。話してみろ、安東家の持ち込み企画とやらを」


 コルデロは、安東家の提案を細かく説明した。それだけではなく、安東家の知りえない、委員会のメンバーだけが知りうる様な情報と突き合わせて、安東家に委任した場合、交渉に成功する可能性が高いと踏んでいる事も話した。


「そう上手く行くだろうか?」

「部外者でありながらこれだけの事を調べ上げた情報収集能力、それに儂らには無かった全国規模の政治情勢に基づく計画立案能力、そして何よりも儂の元に来たあの老臣の交渉術。これらを見るに十分やってくれるだろう。

 最後に関しては実際に会って感じた事ゆえ、儂の感覚を信じてくれ、としか言えんが」

「お前の感覚に関しては、信じよう。これもまた個人的な感覚でしかないのだがな」

「論理だけで動く程、世の中は単純ではあるまいよ」

「そうだな」

「それで、お主の答えを聞かせてくれるか?」


 スカルラッティはしばし目を閉じて、考えるそぶりを見せた。その間、コルデロは待った。ただ待った。そう長い時間ではないが、ただひたすらに待った。

 やがてスカルラッティがゆっくりと目を開き、同じ様にゆっくりと口を開いた。


「あくまで非公式な、今現在の私の感想と言うのなら、お前の意見には賛同できる。だが明後日の委員会で私がどう判断するかは、保証できないぞ」

「それで十分だ。流石我が友、話せば解ってくれると信じていたよ」

「ぬけぬけとよく言う。そこの小僧っ子を同席させたのは、いざという時は二対一で私に賛同を強いる気だったのだろう?」

「まさか。ただ若い者を育てるのも、年長者の役目と思って同席させただけだよ」

「ふん。まあそういう事にしておいてやろう」

「それはありがたい。ところで折り入ってもう一つ頼みがあるのだが」

「全くお前と言う奴は……。乗りかかった船だ、この際何でも言え」

「明日の夜。少々人を集めて夕食会を開こうと思う。そこにお前も出席してはくれんか?」

「まあ、そんな事だろうと思った。私は構わんが、主賓は誰だ?」

「ナポリターノ殿を招く。丁度お風邪が治られた様だし、快癒祝いと言ったところか」

「なるほど、それが本命という訳か。いいだろう、付き合ってやる」

「恩に着る。さ、良い具合に腹も減った事だし、そろそろ食事にしよう。お前のために今日は良い葡萄酒を用意させた」


 笑顔で言ったコルデロに、スカルラッティも他意の無い笑顔を返した。


     ◇


 九人委員会開会の前日夜。市内の某高級レストランは、ごく少人数によって貸し切られていた。すでに四人が揃う店内に、最後の客が姿を現した。


「お待ちしておりましたナポリターノ殿、急なお呼びたてしてご迷惑ではありませんでしたか?」

「なに、どうせここしばらく暇しておったのだ。せっかくの招待を断る理由も無い」


 あいさつを交わしながらもナポリターノは集まった面々を見る。四人全員が委員である事はすでに承知の事。問題はその内訳だ。

 主催者のコルデロは政治的には対立する事の多い相手だ。もっともそれは委員会の中だけの事で、私的に友とするならば良い相手ではある。

 タンクレーディはコルデロの弟子の様なものなので、この場に居るのも当然だろう。もちろんコルデロと同じく自分とは相容れない政治思想の持ち主だが、若輩者ゆえ大して気に掛ける様な相手でもない。

 スカルラッティは私的にはコルデロと古くからの友人で、政治思想も近いが、意見が異なった時は容赦無く対立する。まあ、ややコルデロ寄りの中立派と言ったところだろう。

 最後の一人は自分に最も近い意見の持ち主だ。それもコルデロにとってのタンクレーディと違い、経験実力ともに十分な論客だ。

 全体としてみれば、政治勢力としては均衡する様に集まっていると言ったところだろう。


「お呼びしておいてなんですが、本当にお体は大丈夫ですか、ナポリターノ殿」

「なに、ちょっと風邪をこじらせただけの事。もうすっかり治りましたので、お気遣いは無用です。

 むしろ、この程度の風邪が治ったくらいでこの様な席を設けてもらっては、かえって恐縮ですわい」

「いえいえ、我らの長老たるナポリターノ殿には、まだまだお元気で頂かなくては。特に今の様なときには、必要なお方なのですから」

「そう言ってもらえると、長生きした甲斐もありますな」

「本当ならば委員を全員集めてと行きたかったのですが、流石に急には無理でして。結局集まったのはこれだけになってしまいましたが」


 真っ赤な嘘である。コルデロは最初からこの五人しかこの場に集める気は無い。これ以上一人でも多くても不都合だし、少なくても駄目だった。さらに面子もこの五人でなければならなかった。


「まあ、何はともあれまずはナポリターノ殿のご快癒を祝して、乾杯いたしましょう」


 乾杯の音頭が取られ、ナポリターノ委員快癒祝いの席はしばらくは何事も無く、上品で小規模な宴として過ぎて行った。

 メインの料理も平らげ、まだ酒はそれほど飲んでいない頃合を見計らって、コルデロが動きを見せた。


「ときにナポリターノ殿、現在の我が街の置かれている情況に関しては――」

「無論、存じて居るとも。病床の身とは言え市政の大事に関わる情報を疎かになどしない」

「流石でございますな。なれば現状は我らにとって芳しく無い事も、ご理解されている事と思いますが」

「苦々しい事に、その様であるな」

「実は先日私めの元に、ある提案を持ち込んできた者がおりましてな」

「提案だと?」

「はい。良い機会ですのでこの場で皆様の意見を窺いたいと思うのですが……」


 コルデロは安東家からの提案を打ち明けた。スカルラッティなどはさも初めて聞いたと言う様な顔をしている。


「ならんならんならん! 余所者を外圧に抗するための先兵に使うなど、泥棒に強盗を捕まえてくれと頼む様なものではないか!」


 予想通りの回答だった。だが予想通りだからこそ、対処も予想してある。


「しかしながら、現状他に良い案もありますまい。私とて、手放しで賛成という訳ではありませんが、桃の木を守るためには李を犠牲にしなければならない、という事もありましょう」


 その後はしばらくナポリターノを含めた強硬派二人を相手にして、激論を交わしながら粘り強く説得を続けた。

 反対意見を一つ一つ丁寧に潰し、感情的な攻撃にも粘り強く対処する。ここでそれをしておけば、委員会の本会議の席で反対意見を言われる事は無くなる。一度論破された反対意見を、より大勢の前で繰り返す者は居ない。

 やがて強硬派の激しい抵抗も勢いが無くなってきた。所詮、他に妙案が有る訳では無いのである。これで少なくとも、委員会の席で猛烈な反対をされる恐れはほぼ無くなった。

 もう一押し、わざわざこの五人を集めた事で使える、切り札を使う時が来た。


「ナポリターノ殿、お互い言うべき事も言いつくした様ですし、どうでしょう? ここに居る者達で決を取って見ては?」

「儂とお主の議論を聞いた上で、ここに居る皆がどう判断するか問おうという訳か」

「はい。このまま議論を続けても、合意が得られそうにはありません。ならばここは、我ら以外の者達はどう判断するかを確かめてみるべきではないでしょうか? 必ずしも公平な人選とは言えないかもしれませんが……」

「構わん。許容できる程度には公平な人員であると見た。異存は無い」

「では、明快に行きましょう。安東家を我がアドス市の代理交渉人として雇う事に賛同される方、挙手を」


 コルデロ、タンクレーディが挙手する。少し遅れてゆっくりとスカルラッティも挙手した。


「……賛成三、反対二か。やむを得ないな」


 ナポリターノは顔一杯に渋面を浮かべて、いかにも苦々しげに言った。


「お二方、ご不満ではありましょうが、この場においては安東家を雇う方が街のためという意見が多数を占める様です。どうか明日の委員会でも、この事を承知の上で対処していただきたいと存じます」

「解っておるから、皆まで言うな。この街は専制君主の治める土地では無い。住民の代表による合議で動く、誇り高き自治都市である。

 その自治を担う儂らが、合議と決議を否定し、拒絶する様な真似ができるか」

「では――」

「あくまで己の意見は変わらん。だがこの街のためにそちらの方がいいと皆が考えるのなら、自分の意見は収めてそれに従う。それだけだ」

「まさしく。それでこそ我らがナポリターノ殿。公のために私心を捨てるその態度、感服いたします」


     ◇


「……上手く行ったな」


 隣を歩くスカルラッティが言う。宴からの帰り道、コルデロとスカルラッティは二人で夜の路地を並んで歩いていた。一言発するごとに、吐く息が白く立ち上る。


「これで、明日の委員会は決まったも同然だ。最過激派の二人が屈した以上、残りの連中は黙っていても賛成するだろうし、たとえ反対したとしても問題無い」

「ナポリターノ殿が、お前の思惑通り明日の委員会で反対しなければの話だぞ」

「心配は無いだろう。今更反対したとしても、議論を紛糾させて貴重な時間を無駄にするだけだという事が解らぬお人では無い。

 もし反対してくるとしたらそれは、何かしらの対案を持ちだしてきたときだろう。それならそれでいい。どちらの案が有益か、色眼鏡無く検討するだけの事だ」

「お主はやはり政治家向きだな。私は昔の様に、ただの商人をやっていた頃の方が性に合っている」

「いやいや、お前のどこまでも現実的な判断は、十分政治家向きだと思うぞ」

「私には意味の無い賛辞だな。どのみちお前の、多数決の穴を突いた戦術に利用されただけなのだし」


 コルデロの九人委員会操作戦術は、多数決のしくみを巧みに突いたものだった。

 すなわち九人の委員会の中で多数決を行い、勝利するには、五人の派閥が有ればいい。

 五人の派閥の中で多数決を行い、勝利するには、三人の派閥が有ればいい。

 三人の派閥の中で多数決を行い、勝利するには、二人に派閥が有ればいい。

 そして二人に上下関係が有れば、その二人組は上位に立つ一人の意思に支配される。

 これによって九人による多数決が、ただ一人の意思によって支配されるのである。

 今回のケースではコルデロとタンクレーディが上下関係にあり、スカルラッティは説得によって賛同したので、多数決の勝利で強制する必要は無かった。

 そしてこの三人の力で五人の派閥を支配したのだが、五人の中に組み込んだのが最も過激な反対派である事が予想された二人だった。

 これは最過激派を組み込んでしまう事で、それ以外の反対派を黙らせる効果を狙った。最も強硬な反対派が折れてなお反対する穏健派が居れば、それは穏健派ではない。

 しかもその一人は委員会の長老として、権力は無くとも権威はあるナポリターノである。彼が渋々でも賛成する事による影響は、計り知れない。


「ま、とにかくこれで約束は果たせた。後は安東家の方々の手腕を信じて待つだけという訳だ」

「気楽なものだな。我らの命運を、よそ者に託さねばならない事には変わりないというのに」

「何を言っている。商売だって交渉や取引の上手い者に指示を与えて財産を託すだろう? 託すに足る人物を見極めて運用を任せるのも、商人の腕であろう。

 それと同じ事を政治の場でやろうと言うだけの事だ」

「物は言い様だな。まあいい。明日の委員会の場で予定通りの行動をして、それで私の役目は終わりだ。

 後はお前が認めた人材のやり様を、せいぜい特等席で見物させてもらうとしよう」

「それがいい。これは勘だが、彼らならきっと上手く、そして面白くやってくれるだろうよ」


 翌日、九人委員会は終始コルデロの掌の上で進行し、安東家を雇う事を決議した。

 コルデロは、自分の手の内で進行した結果に満足し、そして自分の手から離れた事案に対して、期待の笑みを浮かべながら閉会を宣言した。

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