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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
アドスの僭主
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2・九人委員会

 九人委員会が開会した。

 委員会が開かれる会場は、僅か九人の話し合いにしては不釣り合いに広く、浅いすり鉢状に段差の付いた席が取り囲んでいる講堂の、中央に席が設けられていた。もっと多人数が集まって会議をする事もあるのだろう。

 コの字型に席が作られ、一辺に三人ずつが着席していた。コルデロ委員はコの字の中央、向かい合う二つの辺に垂直な辺に座る三人の、真ん中に座していた。

 少しでも有利に事を運ぶために、委員会の勢力図を調査して知ったのだが、コルデロ委員は議長役にあるらしい。そのため席の位置も、議長席なのだろう。しかし、権利においては他の委員と何ら変わりが無い。

 九人委員会は非公開であるそうだが、今回は提督が、安東(あんどう)家をアドス市の代理交渉人として雇う事を説くため、特別に関係者として参加する事ができる。

 提督を含めたこちらの関係者の席は、コの字の開けた側にあるので、コルデロ委員とは正対する格好になる。

 コルデロ委員が委員会の開会を宣言した。いよいよ始まった。


「さて、今回の議題は事前に通達した通り、我が街が現在置かれている危機に対して、安東家を我が街の代理交渉人として雇い、今後の交渉を任せるかという事にある。

 これは我が街の将来に大きく関わる重大事項であるため、各々熟慮の上、慎重な選択をしてもらいたい。

 ではまず、安東家の方から交渉の見通しについて語っていただこう」


 提督が立ち上がり、前に出る。悠々かつ堂々とした様子だ。そして滔々と、自分達ならばアドス市に有利な条件で交渉をまとめる自信がある、という事を語り始めた。

 提督が話す内容自体は三日前にコルデロ委員に話したものと大差無い。ただしあの時よりは具体的に詳細を語っている。


「――この様に大公と公爵では、自身が利益を得られなかった場合、次善の策となるものが大きく違うのです。そこで――」


 提督の話す口ぶりは、売り込みを掛けると言う印象がまるでなかった。どちらかと言えば、商品を提示して見せたうえで、嫌ならば別に買わなくても構わない、という態度が言葉の端々に見え隠れする。

 不快な印象はしなかった。例えば押し売りを掛けてくるような相手には、誰だって不快感を抱く。

 それに比べれば提督の態度は、ずっと受け入れやすいものだった。買い手が一言要らないと言えば、あっさり引き下がるという感じであるために、話だけでも聞こうと言う気を起こさせる。

 また流石提督は緊張の色は無く、何としても説き伏せようと言う必死さも感じさせず、余裕の表情を見せている。

 これがまた委員達に好印象を与えた。何としてもと言う余裕の無い必死さは、押し売りと同じ様な押しつけがましい印象を与える。

 しかし世間話でもするかのような余裕を見せる提督には、そんな思わず身を引く様な必死さは無い。それが好印象を与えると共に、交渉を任せる相手としては信頼できる力量の持ち主に思わせていた。

 また、信頼を勝ち取ると言う意味では、提督の歳も良い方に働いていた。

 どんなに有能な新進気鋭の論客でも、あまりに若い人間に命運を預けるのは、どうしてもためらいの感情を呼び起こす。

 逆に見るからに海千山千のベテランと見れば、それだけで信頼できる気がする。第一印象に引っ張られるのは、商人が多いこの街では誰もが使う手口ではあるが、だからと言って自分がその影響から無関係になれる訳でも無い。

 そういう事まで計算してか、提督のしゃべり口はいつもより老獪そうな、船乗りらしく無いものだった。

 自分が年寄である事を武器にする年寄りは怖い。提督の背中を見ながら、ジャンはそう実感した。


「――以上が、儂から申し上げられる事です。疑問がございましたら、なんなりとお答えいたします」


 一通りの説明が終わった後も、しばらく質疑応答が続いた。流石この街を預かる面々だけあって、かなり鋭い質問も浴びせてきたが、提督は一切の淀み無くそれに答えていた。

 やがて質問も途絶え、コルデロ委員が提督に席に戻るように促した。


「さて、皆においても十分に安東家の申し出については理解できた様なので、これから討議に移ろうと思う。異存はありませんな?」


 コルデロ委員がゆっくりと委員たちを見渡す。無言の肯定が成された。


「それではまず――ナポリターノ委員のご意見を窺いたい」


 コルデロ委員よりもさらに老いた、見るからに最年長の委員がゆっくりと立ち上がる。ナポリターノ委員と言えば、強硬で過激な独立尊重派の委員であると聞いた。おそらく猛烈な反対意見を申し立てる事だろう。


「そもそも我が街は、王侯の支配ではなく、そこに住まう者達による自治によって成り立つ、誇り高き自主独立の都市である。これを守り抜く事は何よりも尊く、優先すべき事であり、我らの独立を脅かす輩には断じて屈してはならない!

 また、自らの住まう場所は自らの手で守り抜いてこそ価値が有るのであり、たとえ無償の善意であろうとも他者の力を借りて我が身を守ろうなどとは言語道断! 末代までの恥である!」


 予想通りの強硬な反対意見に、ジャンは思わず身を固くした。


「――が、それはあくまで理念であって、この街の未来を預かる身としては、現実的な対応をせねばなるまい。

 それを踏まえて考えるに、安東家の提案は確かに我らには思いもよらなかったものであり、手放しで賛成はできないまでも、他に良い案も無い現状においては一考の価値はあると愚考するものである」


 開口一番の激烈な口調と内容とは打って変わって、静かな語り口での穏便な結論だった。

 これに驚いたのはジャンだけではない。居並ぶ委員の多くも意外そうな表情を浮かべている。


「いや、流石我らが長老ナポリターノ殿。その熱いお気持ちと冷静なご意見、このタンクレーディ、誠に感服いたしました。

 私は若輩者なれど、この街を思う気持ちは劣るつもりはありませぬ。その上でやはり、ここは安東家の申し出を受けるのがよろしいと考えます」


 タンクレーディと名乗った委員は、委員の中では最も若い。若いと言っても四十を過ぎているだろうが、政治家ならば十分少壮の範疇だろう。

 そして彼は、コルデロ委員の弟子のような存在だと言う。最年少委員なのだから、年長の委員の誰かと上下関係が有るのは不思議ではない。

 だがここで彼が発言した事で、一つの流れができたと感じた。それは傍聴席から見ていれば誰でも多少は感じるし、当事者達も感じている者もいるだろう。


「年長者と年少者の意見が出たので、中間の者の意見を聞こう。スカルラッティ委員はどう思われる?」

「ふむ、我が街の危機を我が街の独力で解決すべきだと言うのは、異論の挟みようも無い。他者の力を借りれば、今度は力を借りた相手に弱みを握られる事になりかねない。

 だが現状、政府と総督の連合に対して、我が街は独力で有効な手を打てないでいる。このままでは遠からず屈服する他無くなるだろう。

 その場合、貪欲な今の政府と総督に一度でも頭を垂れたが最後、何もかも奪いつくされるのは最悪にして、かなり現実味のある展開と言える。

 それを避けるためには、命に関わる前に腐った足を切り落とす覚悟が必要だろう。

 幸いな事に安東家の求める対価は、交易における優遇措置である。優遇措置ならば、年貢金の様に、一方的に失うだけにはならない可能性は、十分にある。

 安東家側の主張通り、これによって交易が活性化すれば、増収すら見込める。これは通常の状態ならば、十分検討するに値する投資と言える。

 見方によっては、何の対価も無しに雇う事が出来るとも言える。元々他に打つ手も尽きていたのだ、交渉に失敗したところで、雇わなかったときと同じ結末になると言うだけの事。

 ここは腹をくくるべき時ではないかと思う。以上だ」

「貴重なご意見感謝いたします。他に、意見の有る者は?」


 コルデロ委員がさらなる意見を促す。しかし、もう誰も何も発言しようとはしなかった。賛成派は言いたい事は全て言われてしまったし、反対派は何を言ってもこの情況を覆す自信が無いのだろう。


「意見が無い様なので、採決に移る。安東家を我が街の代理交渉人として雇う事に賛成の方は、起立してその意を示す事。ではこれより、採決をとる」


 真っ先に起立したのはコルデロ・タンクレーディ・スカルラッティの三委員だった。積極賛成派と言える。

 一瞬遅れてナポリターノ委員ともう一人が起立した。

 さらに遅れて、残りの四人も起立した。この四人は多分、迷っていたか日和見を決め込んでいて、賛成多数と見て起立したのだろう。


「全会一致で可決。以後、我が街は安東家を代理交渉人に任じ、政府及び総督との金供出量の交渉に臨むものとする。これにて閉会」


     ◇


「ここまでは予定通りですね。提督」

「うむ、コルデロ殿は約束を果たした。ならばこちらも応えねばなるまい」

「最初の方は割と冷や冷やしましたけどね。いきなり過激な反対意見が出て来たもんだから。

と言うか、コルデロ委員もいきなりあんな過激派で、しかも長老扱いされている相手に意見を求めるなんて、何を考えていたんですかね。あやうく反対一色になる所だったでしょう」

「そうかな? その後の展開を見る限り、最初から全部コルデロ殿の予定にそって進んでいたのではないかな? まあ本当の所は、本人に聞いてみない事には確かな事は言えんが」

「……どういう事です?」

「確かな事は言えんと言ったばかりだろう。だがああいう会議の場で自分の意見を通したいと思えば、一番確実なのは反対派を抱き込んでしまう事だ。それも最も強硬で過激な相手をな。

 もっとも過激な反対派が渋々でも黙ってしまえば、それ以外の反対派も強い事は言えなくなるし、中立派は完全にこちら側に引き込む事が出来るだろう?」

「……確かに」

「話し合いの必勝法は、反対派を抱き込んでしまうか、反対派が賛成と言わざるを得なくしてしまう事だ。多分、コルデロ殿がやったのはそういう事だろう」

「ますます気になりますね」

「だが、これから忙しくなるだろう。残念だがお主も遊ばせておく暇は無いぞ」

「遊んでいる気なんて、毛頭ありませんよ。そんな事が棟梁にばれたら、きっとまた海に叩き込まれます」


 ジャンの返答に提督は、容易に想像できると言わんばかりに、大きく笑ったのだった。

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