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全くの別物だった。
再び面会したコルデロは、以前とは違い、得体の知れない雰囲気を醸し出していた。
それはもう人のものではなく、人の姿に化けた、齢数百歳の魔物であるかの様だった。だから、『別人』ではなく、『別物』である。
だが提督は臆する事無くコルデロに自分達の売り込みを掛けた。しかしこれも容易ではない。勝つための方法をここで明かしてしまえば、そっくりそのまま手口だけ使われてお払い箱にされる。
かと言ってまったく手口を明かさずに、勝てるから信用して雇ってくれ、と言ったところで信用される訳がない。
だからできるだけこちらの手の内には触れず、こちらの情況判断を話して聞かせ、各プレイヤーの強み弱み、そう言ったものを正確に掴んでいる事を強調し、その上で勝つ自信があるのだ、という事を主張する。
もちろん見返りとして、以前要求した安東家に対する優遇措置を求めるという事を、ほのめかしておく。
「なるほど。お話は良く解りました」
最低限の言葉以外は口にせず、聞き手に徹していたコルデロが重い口を開いた。
「あなた方の情報力・認識は優れている。それは認めずにはいられません」
安東家側の推論が、正しいか間違っているかは決して口にしない。
「あなた方が交渉を行ってくれると言うなら、私個人としては依頼しても良いと思う」
それは何も、本気で安東家にアドス市の命運を預ける気でいる訳では無く、失敗したらその時は安東家に責任を取らせて、自分は傷つかないでいる自信があるからだろう。
「しかしその申し出は、私では無くて自治会に正式に申請するべきでしょう。その上でこの街を治める人々に堂々と今の説明をし、契約を求めるべきです。
その際はもちろん、私は好意的な評価を示すでしょう」
空手形も甚だしい。しかし正論である。そして建前である。
「もちろん、我々としてもそうするべき事は重々承知です。しかしそれはできません。それは我々よりも、貴方の方がよくご存じのはずでしょう?」
コルデロの表情は、変わらない。皺だらけの顔の、皺の一筋も動かない。
だが提督に言われた事は百も承知だろう。正式な手続きを踏んでの討議によって安東家を雇う事を検討するのは、時間が掛かりすぎる。
いつ最後通牒を突き付けられるか解らない現状においては、そのような迂遠な事をしている時間は、最早無い。
それどころか、そのような事を検討しているという事が政府側に知れたら。いや、確実に知られるだろう。正式な自治会での検討事項を、いつまでも隠し通せるものではない。
そうなれば、街が決断の下す前に決着を付けてしまおうと、最後通牒を早めてしまう危険もある。
つまり、アドス市にはもう、正攻法による活路は残されていないのだ。
「しかしだからと言って、一委員に過ぎない私にどうしろと言うのだね? もちろん私の推薦で直接委員会での討議に持って行く事はできるだろうが、そこで可決される保証は無い。たとえ今以上の説得をしたとしてもだ。
委員の中には、街の人間以外の者に街の命運を預ける事に、病的なまでに拒否反応を示す者も居る。そこまで行かなくても、窮地の者に恩を押し売りに来た輩を快く思わない委員は、少なくないかもしれんぞ?」
「だからこそ、コルデロ殿のご協力が必要であり、こうしてお訪ねした次第」
「私にどうしろと?」
「簡単な事です。委員会で我らの提案を、可決させていただきたい」
「不可能だ。文字通り九人の多数決で街の方針を決める九人委員会を、私一人の力でどうこうする事はできない」
「本当に、そうでしょうか?」
「……何が言いたい」
「いえ、大した事は。しかしこの街はこのままでは政府のペルティナクス大公と、総督のユアン公爵に首を垂れるしかないのは事実。
そうなれば今後、両者から際限なく要求を突き付けられる事になるでしょうな。なにせ両者が対立している事は、もはや水面下の出来事とも言えない所まで来ているのですから。
相手より優位に立つために、先んじて取れるものは取ろうとするでしょう。そうなれば、草刈り場と化すこの街の前途を、危ぶまずにはいられません」
「この街の未来を守りたければ、どんな手を使ってでも外圧に抗い、自主独立を守り抜くべきだ、という事か。反論のしようも無いな」
「もちろん、お望みとあらばささやかなお礼もいたしますが」
「不要だ」
毅然とした言葉だった。
「私もこの街の統治者の一人として、独立した自治都市である、このアドス市の存在には誇りを持っている。それを、私の目の黒いうちに潰えさせてなるものか。
心付けなど不要。私とこの街の名誉にかけて、にわか政府と総督など、この街から叩き出してやる覚悟だ」
「では」
「まだ貴殿らを雇うと決めた訳では無い。最後に一つだけ聞かせて欲しい。どうやって政府と総督の連合を下すつもりなのか? 納得のいく答えを聞かない事には、よそ者にこの街の命運を預ける気にはなれん」
「しからばお答えしましょう。我らは『離間の計』を持って挑むつもりでおります」
「離間の計?」
「はい。即ち政府と総督の仲を裂き、そのうちの片方と密かに手を組んで内から崩壊させます。もちろんそのために相手に与える見返りは、街の許容できるものに止めます。
おそらくは、何も失う事無く事を成せるものと確信しております」
「両者の仲を裂く材料が有るのだな?」
「有ります」
「ならば、もう何も言うまい。貴殿らを雇う事、この私が必ず通して見せよう」
コルデロは、決然と言い放った。
◇
安東家をアドス市の代表交渉人として雇う事を決議する委員会は、3日後に開かれると言う。
つまりコルデロは、3日で根回しを完了させ、この街の最高意思決定機関を牛耳る自信があるという事だ。
「これは、実質的に委員会を、そしてこの街を支配しているのは、コルデロ殿一人という事になるな。恐ろしい御仁だ」
「コルデロ委員の公的な地位は、九人委員会の一人。他の委員と同じ一票を持つ委員で間違いないんですよね?」
「公的には、間違いなくそのはずだ」
「なのに、街の方針を自由にできるなんて事が出来るんですかね? 委員の過半数が、コルデロ委員の派閥とか?」
「いや、この街の委員は、派閥の形成を予防するために、投票とくじ引きを複合した選挙方法を取っている。
同じ人物が長期間続けて委員になる事は無いし、ましてや自派の人間と言った特定の人物を当選させるのも限度があるはずだ。
一人二人ならばともかく、過半数を派閥で占めるのは不可能なはずだ。何も不正が無ければの話だが」
「なら、どうやって委員会の決議を操作できると言うんですか。派閥も無しに多数決の決議を動かすなんて、扇動でもしなきゃ不可能でしょう?
それだって大人数ならともかく、たった九人を先導で熱狂させて思う様に動かせるとは思えないんですが」
「さてな。具体的にどうやって委員会を支配するのかは儂にも解らん。
だが不可能事では絶対に無い。古代の有名な僭主の例もある」
「なんですか、それ?」
「遥か昔の都市国家において、政治は市民全員参加の投票で決められ、役職はくじ引きで決められていた」
「夢物語みたいな事実ですね」
「一つの都市が一つの国と言う規模だったから可能だったことだろう。それはこの街も同じだな。
その古代国家において、唯一選挙で選ばれていたのが、軍事担当委員達だ。戦争ばかりはくじ引きの素人には任せられないからな」
「政治はくじ引きで選んだ素人に任せられたんですか」
「さっき話した通り、意思決定をするのは市民議会だったからな。政治家と言っても大した仕事が有る訳では無かったのだろう。
その古代国家に生きた一人の男は、世界の三大美男子の一人かつ、今に伝わるほどの演説の名手で、死ぬまで28年間も軍事委員に連続で就き続け、そのうち半分は軍事委員の長である将軍職に就いていたと言う。
そしてその支持と地位と力を背景に、国家の政策をほとんど一人で動かし、国家の最盛期をもたらしたのだ。
この時代のその国家を他国の者はこう評したと言う。『外見は多数が支配するが、内実はただ一人が支配する国家』とな。
こういう公式には君主ではないが、実質的には君主としての権力・支配力を持っている者を、僭主と呼ぶ。今話した男は、史上最も有名な僭主だろうな」
「そういう例が有るから、今この街もコルデロ委員が一人で支配しててもおかしくは無いって事か」
「そういう事だな。だが儂らには都合が良かろう。五人を説得しなければならないのに比べて、一人を納得させる事ができれば済むのだから、ずっと交渉がやりやすい。
交渉相手にするならば、責任者が明確に一人であるほうがずっと交渉しやすいものだ」
「それは、与し易いって意味ですか?」
「それはうがち過ぎだ。単に目の前の相手と交渉をまとめたと思ったら、別の所からそれは駄目だと言われて、白紙撤回される様な面倒が無いと言うだけの事だ。
与し易いと言うならば、多数の相手を分裂させて、各個撃破する様に説き伏せた方が与し易い場合もある。
お主の物事の表に現れない、裏の部分を予想し、読み取る頭の巡りは評価できる。しかし多少ひねくれすぎだな。要らぬ裏を読んで、自ら幻影に縛られる節がある」
「……もう少し、素直に物事を受け取れと?」
「それが出来たら苦労はせんだろうから、自覚だけ持っておればよい」
「心しておきます。ところで一つ聞いてもいいですか?」
「何かな?」
「さっきの古代国家の話。その僭主の死後はどうなったのかなって」
「優れた指導者を失ったその国は、己の利益しか考えない派閥同士の対立が激化し、迷走に迷走を重ね衰退していった。
その有様は後世に、『衆愚政治』と言う言葉を残す事となった。王が支配して当たり前の時代に、市民の自治を行った先進的な国家の末路がこれと言うのも、皮肉が過ぎるものよ」
「誰かが責任を背負わない事には、碌な結末にならないって事か」
「そうだな。だからこそ責任を負う立場にあるものは、その事を誇りにするのだろう。コルデロ殿の様にな」
あえて提督はコルデロ委員の名を出したが、その例で言うならば真っ先に思い浮かぶのは、他ならぬ自分達の主君・高星に他ならなかった。
◇
エステルは、大量の書類に次々と目を通していた。
アドス市から優遇措置を引き出した後、安東家が得られる利益の見積もりである。
獲らぬ狸の皮算用とも取れるが、契約をまとめてから見積もりを始めたのでは、帰ってすぐに今後予想される利益を報告できない。それは、その後の様々な計画の策定を遅らせる事になる。
可能ならば自分達が帰るよりも早く、報告書だけでも届けたかった。もっとも、季節柄どんなに急いでも、自分達よりもそれほど早くなるとは思えないが、それでも可能な限り早い方がいい。
予想される優遇の度合いに応じて、どれほどの交易船を動かせば、年にどれほど利益が上がるかが並べて記された見積書の数字を、次々に頭に叩き込んでいく。
扱う品物の種類や、社会情勢に伴う交易量の変動。それによる利益の差。大まかな見積もりでも、予想されるパターンは二桁に上る。
それぞれのパターンが上げる利益額に応じて分類し、この利益ならばどの程度の事が出来るだけの資金になるだろうという、自分なりの見通しも書き加えていく。
ただ事実としての数字を羅列するだけならば、報告書としての意味は無い。
「エステル様、見積もり計算などは私どもがいたしますので、少しお休みになられては」
「ああ、そうだな。そうしよう」
事務処理担当の者達に言われて書類を置き、伸びをする。
彼らの言う通り、本当に自分がしなければならない事は、報告書としてまとめる最後の作業位だ。なにも細かい計算までする必要は無い。
解ってはいるが、じっとしては居られなかった。交渉・駆け引きとなれば自分は提督には及ばない。当然、高星にも及ばないし、先の戦の際に見せた働きからして銀華にも負けるかもしれない。
ならば別のところで、自分にできる事をしなければなるまい。そう思っていた。義務感と言うより、ほとんど強迫観念だった。
何かしらの働きをして、成果を上げていない事には不安なのだ。そうしなければ、自分の存在価値が無い様な気がして。
今ならば馬鹿げた考えだとは自分でも思うが、体に染みついた習慣はどうしても抜けきらない。それでつい細かい仕事まで全部自分でやろうとする。
高星にも何度か指摘された事だ。我ながら情けないと言うか、どうしようもないなと自嘲する。
窓から光が差しこんできた。雲が晴れて、冬の太陽が顔を出したらしい。
弱い光だったせいか、暖かくは無い。だが自分には十分なくらいだろう。エステルは目を細めて、光の筋を見つめていた。




