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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
三つ巴利権争奪
89/366

5

 提督は、これまではエステルの旗下や留守居役に就いている事が多かった者達を招集した。

 人数も多く、声が大きいなども相まって目立っていた船乗り達とは対照的に、これまでどちらかと言えば、少人数で地味な事務仕事に専念していた、目立たない者達である。

 しかし彼らこそが、提督が行っていた交渉に先立ち、事前協議を繰り返して激しく相手方と利害をぶつけ、激論を戦わせてきた猛者達である。

 提督は彼らに対して、新たな『商売』を行うので、すぐにそちらに取り掛かって欲しいと切り出した。


「今回の商売の内容は、アドス市に儂らと言う商品を売る事だ。諸君らにはまず、顧客の需要を調査してもらう。

 すでに聞き及んでいる事と思うが、政府と総督が手を組んで動き始めた。アドス市がこれに降伏する前に、契約を取り付けなくてはならん。

 時間は無いぞ、商機を逃すな!」


 提督の発破に、集まった者達はそれまでの地味な印象からは想像もできない程威勢よく応えた。

 ジャンはその意外な様子に面喰ったが、すぐに気を取り直してエステルに疑問をぶつけた。

 本来ならば提督に問うべきだろうが、明からこれから多忙になるであろうときに、時間を取らせるのは流石に気が引けた。


「エステルさん、提督の言う、『商売』ってどういう事ですかね?」

「ここまで来ると私も詳しい事は解らないが、提督殿は商品は私達だと言っていただろう。それはつまり、アドス市の代わりに私達が金を巡る交渉を行うという契約を結び、代金を得るという事だろう。

 一種の傭兵の様なものだな。する事が戦争では無く、交渉だと言う違いはあるが、まあこれもある意味戦争と言えなくも無いだろう」

「という事は、提督はアドス市の代わりに交渉して、勝つ自信がある訳だ」

「政府と総督を相手取って、どう勝つつもりでいるのかは私にも解らんがな。

 当然アドス市の側にも、我々に任せれば勝てると思えなければ、代理人として雇いはしない」

「だから売り込みを掛けて、街に俺達に任せれば勝てると思わせなきゃいけない訳か」

「それが一つだな」

「一つ? もう一つが有るんですか?」

「今、提督殿が言っていただろう。『顧客の需要を調査してもらう』と。

 顧客。この場合はアドス市の需要。つまり何を求めているのかを調べなくては、我々を売り込めない。

 商売の基本は、最も欲しがっている者に欲しがっている物を売る事、だそうだからな。アドス市が何を望んでいて、何を避けたいと思っているかによって、売り込み方も違うだろう」

「別に調べるまでも無く、金を渡したくないのがこの街の意思でしょう?」

「甘いな。確かにこの街は金を渡したくないと思っている。それは間違いのない事実だ。では何故金を渡したくない?」

「何故? 何故……?」


 金を渡したくない。それはそういうものだと思い込んでいた。誰だって自分の土地から出る金を、いくら相手が政府とは言え、持って行かれたくは無い。

 だから、何故アドス市は金を持って行かれたくないのかと問われて、考え込んだ。しかし、答えはすでにどこかにあった様な気がして、必死で記憶を手繰る。

 どれくらい考え込んでいただろう。やがて一つの答えにたどり着いた。


「アドス市にとって金は権力の源泉で、金が有るからこの街は独立した自治都市として存在できる。金を吸い取られる事は、権力を吸い取られる事だ。だから、この街は必死になって金を守ろうとする。

 つまりこの街にとって本当に守りたいものは、金じゃなくて、自治と独立か!」


 思考の海から現実に戻ると、エステルが喜んでいる様な、呆れている様な表情をしていた。


「全く大した奴だよ、お前は。高星(たかあき)が気に入るのも良く解る。私は君と会うより昔に、高星に教えられてやっとその事に気付いたと言うのに」

「いえそんな、偶々ですよ」

「ならば、それが偶然では無く、当然になる様に励む事だな。

 全く、高星はお前の様な出来のいい弟子を持って良いだろうが、お前の様な底知れない奴を部下に持つ私は、たまったものでは無いな」


 苦笑いして言うエステルに対し、ジャンもまた苦笑いで抗議する。


「エステルさんの部下と言うなら、俺よりよっぽど面倒で扱いづらい奴が居るでしょう。俺は言う事はちゃんと聞いてますし、真面目な方だと思いますけど」

「自分で言う事では無かろう。まあ、言いたい事は良く解るが、あれは諦めがつく分気が楽だ。

 君の方は、今に追い抜かれそうな気がして怖くなる時がある。いつか一番高星の力に成れるのは、お前かもしれないな」

「棟梁の力に成ると言うなら、俺は銀華(ぎんか)さんやエステルさんには絶対に追いつけません。戦場での武勲でも、紅夜叉(べにやしゃ)やイスカには勝てないでしょう。

 (みさお)ちゃんの様に一芸を活かしてなら何かできるかもしれませんが、まだ自分の特技の様なものはありませんし、軍の指揮はあと二十年したら大隊を任せてやると棟梁に言われました。

 要は、俺が何か棟梁の力に成れたとしても、それはきっと一番では無いでしょう。二番か三番くらいは目指せるかもしれませんが」

「まあ、確かに君は突出した何かを持っていると言う気はしないな」

「……そこはちょっとくらい、そんな事は無いぞと言ってくれるところじゃないですか?」

「なんだ、慰めが欲しかったのか?」

「……要りません。そんなそぶりを見せたら、棟梁になんて言われるか」


 言いながら、実際何と言われるだろうかと思った。怒るだろうか。それとも、ただ軽蔑の眼差しを向けて来るだろうか。


     ◇


 順調に事が進んでいると言ってよかった。

 案の定、アドス市は現在の自治と独立を今後も恒久的に保てる見込みさえあれば、多少の金や利権を引き渡す事もやむを得ないという意見が大半を占めつつあると言う。

 ずいぶんあっさりと自治会の内部情報が解ったものだとジャンは思ったが、政府と総督が共同して要求を突き付けて来るに至り、対応に手一杯で手の内を隠している余裕が無くなっている様だ。

 だが政府と総督の側も、決して余裕が有る訳ではない。むしろ追いつめられている。だからこそ一時休戦して共同しているのだが、追い詰められる立場のアドス市にはそこまで察する余裕も無い様だ。

 政府、総督、アドス市。それぞれが追い詰められている。そして追いつめられたからこそ、今まさに追い詰められているという事が、第三者である安東家の面々からも察する事が出来る様な行動として現れた。

 それはまるで、この先の展開を知っている演劇を見ている様でもある。登場人物それぞれの抱える秘密、これから訪れる事件、全て知った上で、知らずに行動する登場人物達を見ている様である。

 しかしこれは演劇ではない。決定的な違いは、ここに自分達が登場人物の一人として割り込んで、今後の展開を動かす事が出来るという事である。

 それとも、初めからそういうシナリオの演劇なのだろうか?


「政府と総督の抱えている弱みも、大筋では間違ってはいない様だな。ここが(つまづ)いたら少々面倒な事になる所だった」

「やっぱり焦ってましたか? 提督」

「特に公爵臣下のグオは焦りを隠さない様子だそうで、しきりに財務卿をけしかけているらしい。

 ただどうも財務卿の態度が妙だ。何か思惑が有るのか、せっかく共同でアドス市を追い詰めているのに、ここ一番で徹底せず、逃げ道を与えて交渉を引き延ばしているとも思える」

「そりゃ、確かに妙な話ですね。手を組む事は異存が無かったから、今も組んでいるんでしょう? それなのに組んだ後で煮え切らない態度を取るなんて、何がしたいんだか」

「財務に関しては百戦錬磨の財務卿が、無意味な事をするとは思えんが、何が狙いだ?」


 ここにきて大きな謎にぶつかったと言う感じである。ジャンもあれこれと仮説を立ててみたが、やはりどうしても財務卿がここで手を抜く理由が解らない。

 半ばあきらめて提督の方を見たが、提督もまた難しい顔をしている。もうあまり思い悩んでいる時間も無いはずだが、無視して進むには大きすぎる不確定要素だった。

 ただ、財務卿が何故か交渉を長引かせる様な動きをしているおかげで、まだ幾ばくかの猶予はあるだろう。


「どうした? 揃って難しい顔をしているなんて、珍しいな」

「あ、エステルさん。いや実はですね、財務卿の思惑が読めなくて」

「財務卿の思惑か……財務卿は、どういう動きを見せている?」


 ジャンは、手を組んでおきながら、アドス市を徹底的に追い詰められる情況に在りながら、それをせず、微妙に手を抜いて交渉を長引かせる財務卿の動きの不可解さを順を追って説明した。

 説明しながらも、やはりどうしても何が狙いなのかが見えないと思った。

 だがエステルは、意外にも考え込むどころか、ふっと笑みを浮かべた。


「なんだ、そんな事か」

「そんな事って……」

「ジャン、それに提督殿、その答えは簡単だ。財務卿は、いや政府は、ユアン公爵が利益を得る位なら、道連れにして共倒れになる方がいいと思っているのさ」

「共倒れの方がいい? そんな馬鹿な。ユアン公爵が一人勝ちしたとしても、損さえしなければ問題は無いはずでしょう。それなのにどうしてわざわざ損をするんですか?」

「政府を牛耳っているペルティナクス大公とユアン公爵は、表向きは北朝の二大支柱と言う協力関係だが、水面下では激しく対立していると言う。

 今までは大公派が政府の要職をほぼ独占していたが、この度ユアン公爵が玄州(げんしゅう)の属州総督の地位を得た。これは大公派にとっては面白くないだろう。

 この上公爵がアドス島の金まで得れば、政権内のパワーバランスが崩れて、自分達の立場が危うくなる。

 財務卿は派閥とは無関係な中立派だが、政府のまずアドス市を下し、すかさず公爵も出し抜いて政府の一人勝ちに持って行くと言う方針は、望むところだろう。

 つまり、公爵を出し抜く機を窺っているから、出し抜ける確信が得られるまでアドス市を生かして置く気なのだろう」

「表向きは協力関係だけど、本心ではお互いに相手を出し抜こうと思っている。今の北朝政権内の情況と同じか」

「なるほど。急ぐ必要があるのは政府も同じ。その情況であえて腰を据えて待ち、相手が焦って自滅するのを待つと言ったところか。流石中央政界の大物、度胸が違うわい」

「それと、憎い相手が得をするくらいなら、自分がしなくてもいい損をしてでも、相手を突き落としたいと思うものだ。特に都の貴族達は腹黒くて、嫉妬深くて、妙に感情的だからな」


 そのエステルの言葉は、吐き捨てる様な嫌悪感と、諦めた様な力無い呟きが、複雑に混じり合っていた。


「しかしそうと解れば手の打ち様がある。政府、いや大公は、公爵の下風に甘んじさえしなければ、後は面目が立つ形での妥協には応じる。

 それならば大公をこちらに引き込む事が出来れば、一人残った公爵はどうとでもなる」

「そんな事が出来るんですか? 提督」

「任せい。これだけの手札が揃えば十分じゃ。後はこの街に儂らを雇わせるだけだが、まともに売り込んでいたら間に合わないかもしれんな……。

 誰か、コルデロ委員の所へ行って、できるだけ早く面会の約束を取り付けてきてくれ。可能ならば、密談の方がいいじゃろう」

「九人委員会のメンバーであるコルデロ氏に直接働きかけて、委員会決議で私達を雇う事を承認させるのか。

 だが、コルデロ氏一人に働きかけたくらいで、委員会を動かせるだろうか?」

「そこは、ロウ殿の紹介した人物と言う点を見込むとしよう。ロウ殿がわざわざ紹介した人物が、大した影響力も無い平委員とは思えんからな。納得させる事さえできれば、後は上手くやってくれるのではないか」

「それで、上手くいかなかったら?」

「損をするのは街であって、儂らではない。僅かな好機を棒に振るならもう、儂らの知った事ではないよ。

 まあ、余波を喰らって予定している交易の拡大に影響が出るかもしれんが、そのときは別の手を考えて、殿に具申すればよかろう。例えば密貿易の手口とか、な」


 提督が悪い笑みを浮かべる。エステルとジャンは顔を見合わせ、二人してこらえきれずに笑った。


「まあなんにせよ、お主ら二人のおかげでここまで漕ぎ着ける事が出来た。今回は儂だけでは上手く(さば)けていたか解らん」


 ふと、高星は最初からこれを狙ってこのメンバーを送り出したのではないかとジャンは思った。

 取引や交渉に関しては安東家随一の大ベテランの提督。

 事務処理能力に長け、貴族の心理や思惑に通じ、貴族の交友関係にもパイプを持ち、高星の意思を正確に読み取って行動する、元貴族の養女エステル。

 素人であるが故に、提督とエステルのどちらとも違う視点を持てるジャン。加えて、素人であるジャンに説明する事で、考えを見直す事にもなる。

 そこまで考えて、高星は送り出す人員を厳選したのではないか。まさか今の事態を予想していた訳ではないだろうが、足りない所を補える組み合わせと考えて、選んだのではないか。

 流石にそれは考え過ぎだろうかと思った。

 だがその逆かもしれない。つまり、こうなる事は全て高星の想定済みかもしれない。

 なぜならば、ジャン達を送り出す事を決めた時、すでに高星はユアン公爵の玄州総督就任は知っていた。あるいは、もっと詳細な情報を機密として知っていてもおかしくない。

 政府のペルティナクス大公と、総督に就いたユアン公爵が動き出す事を読んで、ジャン達を送り出した。漁夫の利をせしめる為に……。

 頭を振った。それこそ考え過ぎだろう。帰ってから本当の所はどうなのか尋ねたところで、はぐらかされる事だろう。

 むしろ、偶然だったとしても全て計画通りだったと言う振りをするかもしれない。

 どちらにしろ、想像の域を出る事は無いのだろう。ただ一つ言える事は、自分達は、高星の期待に応えつつあるという事だ。

 いや、そう思うのはまだ早い、それは油断だ。ジャンは、再び頭を振って気を引き締めた。

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