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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
三つ巴利権争奪
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1

 疲れにはよく食べてよく寝るのが一番効く。

 古今東西変わらぬ真理を、ジャンは改めて実感した。昨日はジルコン相場を暴落させた後、祝杯を挙げて大いに食べ、慣れない酒も少し飲み、宿のベッドに倒れ込むようにして寝た。

 一夜明けると、昨日の疲れが嘘の様に活力に満ちた朝を迎えた。昨日あれだけ食べたのに変わらず腹が朝食を要求するので食堂に下りると、すでに提督とエステルが居た。


「おはようございます」

「おはよう、儲けた次の朝ほど心地よいものも無いな」

「提督は軍人だと思ってましたけど、割と商人っぽいですね」

「まあ、そうだろうな。若い頃の儂らが戦う理由は、なによりも交易による利権を守るためだったからな。

 戦に勝っても利権を守れなかったり、利権を守っても赤字になっては意味が無かった。戦いながら頭の中で金銭の勘定をしていたものだ」

「それであんな手も知ってたんですか」

「そういう事だ」


 提督の指示した最後の作戦、それは『空売り』だった。

 いや、正確には『空売り』ではない。存在しない物を売りに出す空売りとは違い、実際に存在するジルコンを売りには出したのだ。

 『空売り』とは持っていない物を売ってまずその場で金を得る。このとき代金はすぐに受け取るが、品物の受け渡しは後にする。

 その後、売りによって値下がりしたものを買い、売った相手に引き渡す。これで売値と買値の差額で儲けるのである。

 昨日のジルコン暴落では、この空売りによる値下げを応用した。

 エステルが調達してきたジルコンをまとめて売る事により、相場に売り圧力を掛けると同時に、大勢の人間が一斉に売りを行った。

 最初に売りを行ったのは全員こちら側、安東(あんどう)家の人間である。一人が一つずつジルコンを持ち、エステルが売るのを合図に一斉に売りに出したのである。

 一人一つずつの売りなのだから、全体としての総量はたかが知れている。だが売りをすると宣言した時点で、自分達以外の人間はそれを知らない。

 まさか十人以上の売り手が全員、一個ずつの売りだとは夢にも思わない他のプレイヤー達の目には、エステルの売りをきっかけに売りが殺到したと言う事実のみが見える。それを目の当たりにすれば、相場が暴落を始めたと錯覚するのは無理からぬ事である。

 だがその錯覚に基づいて、少しでも損をしないうちに逃げようと皆が一斉に手持ちのジルコンを売りに出した事により、暴落は錯覚から事実へと変わった。

 存在しない品物を売りに出して値を下げる空売りと、十人が一個ずつ一斉に売りに出す事で、大量の売りが行われていると錯覚させる今回の策、存在しない物を売る事で値を下げると言う発想は同じと言える。


「それで、結局いくらくらい儲けたんですか?」

「ん? そうだな、純利益で37アウレ半くらいか。

 個人ならともかく、事業としてみればはした金なのは致し方ないが、濡れ手で粟の楽な儲けの上、ロウ氏にも恩を売れたので良かろう」

「いや、俺の給料の二年分くらいはありますよ。十分大金じゃないですか」

「そうか? 一年間の事業で何十万アウレと動かしていると、感覚がズレぎみでな。まあ、利益はその一割くらいのものだが」

「領国運営は桁が違いますねぇ……」

「お主もおいおい慣れる事だな。それと、ロウ氏の方も首尾よく目論見を果たしたそうだ。顛末(てんまつ)の報告も兼ねて食事に呼ばれているが、来るか?」

「じゃあ、行きます。俺達はともかく、ロウ氏がどう儲けたのかも気になるし」

「儂はもう大体予想が付いたが、予想を超えるものと言うのは幾つになっても無くならんからな。どんな話が聞けるのか楽しみじゃわい」


 そう言って提督は、呵呵大笑した。


     ◇


 ロウが招いた場所は、アドス島南部の山地の見晴らしの良い所に建つ別荘だった。

 周囲を個人所有の農園が取り囲み、農園を囲む柵で別荘自体もごく自然に外部から遮断されている。普段から密談などに使うのかもしれない。

 居並ぶ執事・メイドに案内され、美しい海の見える部屋に通された。純白のテーブルクロスが敷かれたテーブルの席で、ロウが待っていた。


「ようこそ皆様、まずは首尾よく儲けを上げられた事に、お祝いを申し上げます」

「こちらこそ、儲けさせていただいた上にこの様な素晴らしい場所での食事のお誘い、かえって恐縮です」

「ここはごく私的な別荘なので、そう硬くならずにおくつろぎください」


 ロウに促されて席に着く。硬くならずにと言われたが、絵に描いた様な優雅な席でこれから食事をするのだと思うと、ジャンは硬くならずにはいられなかった。

 一方のエステルや提督は、流石このような場に慣れているのか、ごく自然な振る舞いを見せていた。


「ロウ殿、先の一件では大いに助かりました。ロウ殿のジルコンが無ければ暴落を起こす事は出来なかったでしょう」

「いえいえ、元々宝石の商いにも手を出していましたから。原石を買って磨いて売ると利幅が大きいのですが、ああいう価値の低い物が溜まってどう始末しようかと思っていたくらいで、お役にたてたのなら何よりです」


 エステルとロウの会話は、ジャンには初耳だった。すぐにもしやと思い、提督に尋ねる。


「提督、最後にエステルさんが持って来たあのジルコンは、ロウ氏から受け取ったものだったんですか?」

「そうだ」

「提督、ひょっとしてロウ氏がジルコンを持っている事を、最初から知ってたんじゃないですか?」


 すると提督は、いたずらを企む子供の様ににやりと笑った。ジャンは、自分の予想が当たった事を確信した。


「あの大逆転劇は、最初っから準備して、予想済みだった訳ですね。だから余裕であんな事が言えた訳だ」

「劇的な奇跡の大逆転のいうものはな、事前にあらゆる事態を想定して、十分な準備をして、どういう危機が迫ってきたらどう対処するか、それどころかその危機を逆手にとれないか、考え抜いておくから起こるものだ。

 物語の中の痛快な大逆転劇も、そういう備えを怠らないから逆転できたのだろう。ただ物語の中では、そういう地味は部分は描かれないと言うだけの事だろうな」

「俺はあの時、本気で奇跡が起きたのかとちょっと思いましたよ。あー、はずかしい」

「そう言うな。奇跡の演出家になるのも、なかなか悪くは無いぞ?」

「奇跡の演出家ねぇ……。それは、軍を率いる時にも?」

「役に立つかもしれんな」


 思い通りに『奇跡』を起こす事が出来たら、それは軍勢の士気をどれほど上げるか解らない。その噂が広まれば、敵も恐れおののく事だろう。

 奇跡を起こす将。それはなかなかに魅力的だったが、その反面、化けの皮がはがれた時が怖いとも思った。安易に多用するのは危険かもしれないという予感がした。


「さて、そろそろ食事にしましょうか」


 ロウが小さなベルを鳴らす。高く澄んだ音が響くと、給仕がグラスの乗った盆を持って現れた。


「食前酒をどうぞ、本日はキールをご用意いたしました」


 赤色の酒が、グラスに少量入っている。純白のテーブルクロスを背景にすると、その美しい色合いが良く映える。

 飲みやすいが、華やかな風味のそれを飲み終えると、すぐに最初の料理が運ばれてきた。


「ミニトマトとモッツァレラチーズのサラダでございます」


 サラダがそれぞれの席に出される。その際、さも当然の様に白葡萄酒も一緒に出された。あまり酒が得意ではないジャンは少し不安になったが、手を付けないのも失礼の様な気がして、飲み干す。

 エステルは流石に葡萄酒にも詳しい様で、ロウとあれこれ話していたが、ジャンにはほとんど理解できなかった。そのうちに、また次の料理が運ばれてくる。

 今度は多種多様で量も多かった。スパゲッティ、リゾット、スープなどが数種類ずつ並ぶ。本格的に食事と言う感じだが、全部食べようとすると多すぎる。

 それを見越してか、ロウがはっきりとジャンに笑顔を向けて言う。


「メインがまだありますから、余裕を残して食べたいものを食べたいだけ食べればいいですよ。残った分は使用人達の(まかない)になりますから」

「あっ、解りました」


 どこかぎこちなく返事をし、努めて行儀よく食べようとする。しかし、長くは持たなかった。慣れない事は長続きしないのもあるが、料理の美味しさに意識して行儀よく、などと言う考えはどこかへ飛んで行ってしまった。


「本日のメインは、メバルとアサリのアクアパッツァです」


 魚の煮込み料理だった。全体的に赤い色をしているのは、トマトを一緒に煮込んでいるらしい。そして、また白葡萄酒が付いている。

 飲んでみて、先程の物とは違うものであるらしい事がなんとなく解った。一杯ごとの量が少なめなので、ジャンでもそれほど酔ったと言う感じはしなかった。


「普段は肉料理の方が好きなのですが、この島に滞在しているのに魚介を食べないのはもったいないですからな。お口に合いましたか?」

「それはもう」


 ジャンはもう社交的な会話は、大人に任せてしまう事にした。肉か魚かなどは関係ない、ただ料理に夢中になり、時々我に返った様に行儀を気にしては、また夢中になる事を繰り返した。

 やがてそんな食事も終わり、食器の片づけられたテーブルを囲んで歓談になる。エステルは給仕に白葡萄酒を頼んでいた。食事と共に出されたものの中に、気に入った物が有った様だ。


「ロウさん……いや、ロウ殿と呼ぶべきかな。お尋ねしたい事が有るのですが」


 歓談の流れに乗って、ジャンは話を切り出した。


「ロウさんでよろしいですよ。あくまで私は一介の商人ですから。それで、何の話でしょうか?」

「一連の、ジルコン相場の件で、ロウさんはどう儲けたんですか?」


 ロウがうれしそうな笑顔を浮かべた。


「いつその質問をされるかと思っていましたよ。聞かれなければ、話さずにおこうかとも思っていました」

「自分から話す気は無かったんですか?」

「もちろん義理として、話すべきだと思っていました。ですが、聞かれないのにこちらから話す事も無いと思いまして。なにせ私は商人ですから」

「商人だから、話さない?」

「押し売りをする商人は嫌われます。良い商人は、客の欲しがっているものを提供するものです。

 私から話しては押しつけがましいですが、聞かれた事を話すのなら、遠慮なく話ができます」

「はあ、なるほど」


 商人流の交渉術、もしくは、人付き合いのコツとでも言ったところだろう。


「それで私が得た利益ですが、ジルコンがどこまで暴落したかご存知ですか?」

「いえ、売り抜けて利益を得た後は、特に気にはしていませんでした」


 今にして思えば迂闊な気もするが、今頃それに気付いたところで後の祭りと言うものである。


「異常な値上がりが大きければ、その反動もまた大きい。あの後ジルコンは、ほとんどゴミ屑同然の値まで下がったのですよ。

 その、タダ同然まで値下がりしたジルコンを、私は買い占めました。あと売り時を逃して不良債権と化したジルコンを大量に抱える事になった者達からも、安値で買って引き取りました。

 売り捌くルートを持たない者にとって、暴落したジルコンなど道端の石ころにも等しいものですから」

「タダ同然に値下がりしたジルコンを買占め? そうか、今はタダ同然でも、そのうちまた本来の、土産物としての値段に戻るのか!」


 元々土産物として、一個20セルス程度の値で売られていた物だ。時が経てば、また普通の土産物として売れる様になる。

 そのときタダ同然で仕入れたジルコンならば、通常の値で売ってもそれは通常以上の利益率を出す、利幅の大きいおいしい商品となる。


「理解が早くて助かりますな。だいたい1セルスで仕入れた物が、20セルスで売れるのですから、こんないい商売はありません。

 しかも多くのジルコンは私が買い占めてしまったのですから、小売商は私から買うしかありません。卸商人も捕まってしまいましたし」

「捕まった?」

「仕手戦で違法に値を吊り上げた罪により、逮捕拘禁されました。正式に有罪が確定すればおそらく、財産没収でしょう。

 没収された財産は競売に掛けられるので、そこでまた一儲けできそうですな」

「まあ、自業自得か。でも大抵は証拠不十分で捕まらないと聞いたのに、間抜けな奴だな」

「ああ、私が逃れ様の無い証拠を集めて告発したのですよ」

「なっ!?」


 ジャンが目を見開いてロウの顔を見る。ロウは相変わらず人のよさそうな笑顔を浮かべていたが、今はそれがとても恐ろしいものに思えた。


「ま、違法行為で儲けようとするのは、商人としても褒められたものではありませんから。

 金のためなら神をはめる事すら恐れないのが商人ですが、何をしてもいいという訳ではない。あの卸商人は以前から違法行為を繰り返している容疑が有って、街の自治会からも(にら)まれていましたから。いずれこうなっていたでしょう。

 何はともあれ、私もあなた達も儲かって、私は自治会にも恩を売れて、悪い奴も法の裁きを受けたのですから、めでたしめでたしでしょう」


 その言葉をどう受け止めるべきか解らず、ジャンはただただ呆然とロウを眺めていた。

 ただ一つ、この人は敵に回してはいけない男だ。それだけは確信を持って言う事ができると思った。


     ◇


 食事はすでに終わったものと思っていたが、それは間違いだった。よりどりみどりの食後のデザートがテーブルに並べられた。単に間を開けただけの事だったようだ。

 思えばジャンは甘い物を(ろく)に食べた事が無かった。昔は言わずもがな、今も甘い物にはあまり縁が無い。食べようと思えば食べられなくも無いはずだが、特に欲した事が無かった。

 だから名前も知らないケーキを一口食べて、とろける様な思いがしたのは、決して誇張ではない。

 ふと見ると、エステルも心なしか嬉しそうにしている様に思えた。以前、茶屋でイスカが甘い茶と見た目の美しい菓子を注文していた事を思い出し、やはり女性は皆こういう物を好むのだろうかと思った。

 自分に関して言えば、一連の食事を毎日続けようものなら、あっという間に駄目になってしまう様な気がした。ぜいたくは恐ろしい遅効性の毒なのかもしれない。


「ロウ殿のご協力で、今回は上手く事を運ぶ事が出来ました。今後もこの様に、良き協力関係を保ってお互いに儲けたいものですな」

「いやいや、私の様な者が安東家と協力関係などおこがましい。どれほど金を稼ごうと、私は一介の商人に過ぎませんから」


 提督はあまり甘い物には手を付けず、ロウと歓談を続けている。


「しかし、いつもこう上手く行けばいいのですがな。今抱えている案件など、難航中でどうしたものかと悩んでおりますよ」

「ほう、それは大変ですな。差支えなければお話しいただけませんか? 何かご協力できるやもしれません」

「何、大した事ではありません。安東家代表として、この街の自治会と港湾の使用料・関税その他交易に関わる各種利権の交渉をしなければならないのですが、なかなか向こうが態度を軟化させてくれませんでな」

「ははあ、それは大変だ。そういう事でしたら、コルデロ氏を訪ねてみてはいかがでしょう。私が紹介状を書きますので」

「おお、そうしてくれるとありがたい。ぜひにお願いしたい」

「では帰りにお渡ししましょう。それまでどうぞごゆっくりしていってくだされ」

「お言葉に甘えますかな」


 そう言って提督が、船乗りらしい豪快な笑い声を上げる。それを受けてロウも、商人らしい作った様な柔和な笑みで笑った。

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