表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
リョウシュンの策謀
77/366

2

 ルキウス・コルネリウスは不機嫌だった。いつもと同じ茶が、今日は妙に渋い。

 息子が戦に負けて戻ってきた、それはいい。敗戦の報を聞いたときは思わず舌打ちをしたが、それだけの事だった。罰は不正に与えるべきものであり、敗者に与えるものではない。

 敵が忌々しい存在であるのも、当然の事だ。だから敵に対しても、いちいち腹を立てたりはしない。

 味方であるはずの存在こそが、ルキウスを苛立たせていた。


「アンドウ家とコルネリウス家の、8節間の停戦協定か……」


 シバ家の提案と仲介で、安東家と8節間の停戦協定を結ぶ事を認可した。どうせ雪深い冬の間はまともに軍を動かせず、防寒防雪を徹底して無理に冬の戦に踏み切ったところで、それが可能な兵力ではできる事はたかが知れている。だから停戦協定はただの名目だ。

 この名目のおかげで、先の敗戦もある程度言い訳ができる。たかが一度の敗北で我が軍は揺らぎはしないが、いたずらに戦を好むのは望ましい事ではない。故に無用の戦を避けて、停戦したのだ、と。

 別段この停戦協定を結ぶ際に支払う物も無く、ささやかな利益が得られるので悪い事は無かった。だがこの立ち回りをするシバ家が気に入らなかった。いや、シバ家と言うよりも――


「あの『鵺卿(ぬえきょう)』め……」


 霊帝に良く尽くした事は評価している。裏の仕事を数多く担った事もいい、それは必要な事だ。

 だがどうしても好きにはなれない人物だった。本心では何を考えているのか解らない様な不気味さがある。

 今回の戦でも、その気があればもっとできる事はあったはずではないのか。安東家の交易船を拘束したりなどは、可能であったはずだ。


「まあ、最初から味方として期待などはしていないが……」


 軍事力なども、弱小なヤリュート家との小競り合いにも勝てない様な張子の虎だ。実戦での活躍は無理だろう。

 だがそれを盾に、自らは一滴の血も流さずに勝者となるつもりか。そのためには、平然と裏切りなどもしかねないという思いがある。

 鵺卿が自身の利益のために、誰かを裏切った前例は無いはずだ。だがそれでも、鵺卿ならやりかねないと思わせる不気味さがある。

 そんな不気味な存在が、味方面をして傍にいる事が不快だった。


     ◇


 屋根に、雪が積もっていた。

 珍しく、風雅な光景だった。シバ家の本拠であるアゼリアの都市は海沿いにあるので、あまり雪は降らない。雪は主に内陸の、山に近い地域で降るものだ。

 通称をイヌワシの森と言う、名も無い深い山地を越えた先にある安東(あんどう)家領では、海沿いですら見上げる様な雪が積もると言う。

 厳しい自然の土地には精強な人間が生まれ、豊かな土地には軟弱な人間が出ると言う。後者には疑問もあるが、前者は真理だろう。過酷な環境で生き抜く人間は、強い。


「リョウシュン様、お持ちしました」


 侍女が温めた酒を持ってきた。隠居所から雪の積もった城を眺めて酒を飲むと言うのも、なかなか楽しいものだ。

 若い頃は、女も音楽も、何の飾りも無く酒など飲んでもつまらないと思っていたが、そうでは無い事を今は知った。歳を取るのも、悪い事ばかりではない。

 しばらく、一人で酒を飲んでいたが、いつの間にか二人になっていた。後ろに人の気配がする。だが振り向いても姿は無い。解っているので、そのまま声を掛けた。


「首尾よくいった様だな、雨水(うすい)


 長年使っている、忍びの頭だ。与えた役目は必ず果たして復命し、役目を果たさない限りは決して帰ってこない男だ。だから、帰ってきたと言うだけで、上手く工作が果たせたと解る。


「はい、これでしばらくは外の争いが、この変州(へんしゅう)に持ち込まれる事は無いでしょう」

「4年か5年か、余計な邪魔が入らないうちに州内の争いに決着を付けねば、中央の動きに取り残される。

 そうなれば中央をまとめた勢力に、一地方として征服されると言う、何度となく繰り返した歴史を、また繰り返すだけだ。それでは儂の野望も果たせん」


 自分がシバ家を率いて変州を統一する事は難しかった。だがコルネリウス、朱耶(しゅや)、安東、そのどれかに変州を統一させる事は、容易い。

 だがそれでは意味が無い。自分が勝たせてやった勝者では、その先の争いに勝てないだろう。

 だから逆に試練を与える。各勢力の力を測りながら、試練と援助を与えて争わせ、自身の力で勝ち抜ける者に、本当の支援を与える。


「お主にもまだまだ働いてもらわねばならんな、雨水。変州を治めるに足る者に力を貸し、その功で第二位の地位を得る。

 そして中央との戦いに乗り出す際に、裏の仕事は全て儂らが引き受けねばならん。年寄の野望に付き合わせるのだ、裏仕事くらいは全て引き受けてやらねばのう」

「裏仕事は全て我らが引き受ける、ですか。それは、真の支配者は我ら、という事ではありませんか?」

「それは、受け取り方次第だろう」

「過ぎた事を申しました」

「よい」


 今はコルネリウス家と組んでいる。それだけで安東―朱耶同盟には大きな壁だろう。だから適当に動く姿勢だけ見せて、実際は傍観する。これくらいで丁度いいだろう。

 ヤコエ回廊の戦いでは安東家が勝った、だから軍事力をちらつかせて足を引っ張ってやった。この程度は振り切らねば話にならない。

 だがやはりコルネリウス側が強大だった、だからどこかでバランスを取ろうと考えていたところで、朱耶(しゅや)克用(なりちか)蒼州(そうしゅう)のジギスムント・イエーガーの間で戦の気配が漂い始めた。

 今、他の州の争いが持ち込まれるのは避けたいと思い、手を考えていたが、安東家が仲介に立ち、講和をまとめたのは正直意外だった。

 だがそれはそれとして、好都合なので利用する事にした。安東家が手を引いた後に息子を動かして、両者の間にしっかりとした相互不可侵条約を結ばせた。

 それもシバ家が保証人となり、条約を破った方の敵として軍事行動を起こすと条約に盛り込ませた。

 朱耶家は南朝方、シバ家は北朝方なので、イエーガー公にとってこの条約を破る事は即ち、変州諸勢力が立場を超えて、外からの侵攻に対抗するという事になりかねない。これで数年は変―蒼州境は安定するだろう。

 その一方で雨水を使って、この緊張の発端となったものを取り除かせた。朱耶家に亡命した元蒼州諸侯に引き抜き工作を掛けたのだ。ただし、わざと失敗するように。

 元々昌国君(しょうこくくん)に助けられ、その息子なら同じ様に助けてくれるだろうと、泣きついた連中である。彼らに朱耶家の苦境をまことしやかにささやいて、こちら側に付く様に吹き込んだ。

 シバ家への鞍替えは、そもそもこちらから失敗する様に工作したので全員が蹴った。そして朱耶家の苦境を知った亡命者は援助を求める態度から一転、恩を返すのは今だと自ら朱耶家の家臣になる事を望んだ。

 それも荒野を開拓して自給するので、禄も要らぬとまで言い出す忠勤ぶりだと言う。朱耶克用は突然の変わり様に面食らった事だろう。

 とにもかくにも、こうして朱耶家とイエーガー公共通の悩みの種は消失し、朱耶家は500の将兵も新たに手に入れた。屯田兵としてさっそく荒野の開拓に取り掛かったと言う。


「少し朱耶に甘いか。まあよかろう、その分安東を痛めつけて調節すればよいか」


 片方を痛めつけ、その代償に片方を肥え太らせる。太る側が目先の利益に目がくらみ、同盟者が痩せ衰えるのを放置し、滅亡に至らしめればそれまでだ。いくら大きくなったところで、孤立無援と化せば未来は無い。


「甘い汁を吸わせるのも、節度と信義を試す一つの試練よ」


 どんな毒より恐ろしい毒は、それ自体は毒でも何でも無い甘味である。それもまた、三十年以上政界を泳いで知った事だ。


     ◇


 政庁に、自分の居場所など無かった。

 その方がいい、隠居があまりでしゃばるのは良くないし、目立つと身動きがとりづらくなる。

 自分がここに居て、何かをしている事を解っているのは、古い家臣の中でも共に帝都に居た者達だけだ。それ以外の者達、特に若い者は隠居が茶を飲みに来ているくらいに思っているだろう。

 目に見える行為としてはその通りだ、だが実際はしっかりと周囲の会話に耳を傾けている。誰も先代当主の前で政務を隠したりはしないので、それで大体の事は察せられる。

 さりげなく置かれている資料を手に取って見たりする。決して邪魔になる様な事はしない、隙間をすり抜ける様に手に取って読み、また戻す。


「おーい、お茶もらえんか?」

「はいはいリョウシュン様、今お持ちします」


 手の空いている者を見つけては、茶を淹れてもらったりする。


「はい、熱いのでお気をつけて」

「済まんのう。最近どうじゃ、嫌な事とかは無いか?」


 こうして何でもない問いかけをすると、いろんな話が聞ける。ご隠居様が愚痴を聞いてくれると好評だが、そこから色々な情報が見えたりする。若い頃ではできなかった芸当だ。

 最近は北朝政府内での人事の噂がささやかれている。ユアン公爵が玄州(げんしゅう)の属州総督に納まるという噂だ。

 噂に上る以前からそういう人事が内定しているという情報は掴んでいる。噂になり始めたという事は、就任も近いのだろう。


「玄州か……」


 変州の南東と接する州だが、長城が隔てているので関わり合いは薄いだろう。だが肥沃で広大な州だ、そこをユアン公爵が得れば、北朝政府内での争いは激化するかもしれない。

 いや、ユアン公爵による玄州制圧の戦が起きるのが先か、と思う。ユアン公爵は玄州を確固たる自分の土台とする事を考えるだろうが、それに大人しく(こうべ)を垂れる様な者ばかりではない。様々な形で力を持っている者は、少なくない。

 そういう事は考えるだけで、決して口には出さない。

 もっと西に目を向ければ、ぼちぼち南朝も動き出しそうな気配がある。まだ何を考えているかまでは解らないが、選択肢は多くないはずだ。

 大方、北朝の影響力が及んでいない、帝国西方に勢力を拡大する事などを考えているのだろう。

 仮に南朝が征西したとして、どの様な影響があるだろうかと考える。この場合、勢力図の変化はあまりこちらには影響は無い。

 影響があるとすれば、それは物流だろう。帝国西方が南朝の手に落ちれば、間違いなく北朝への西からの物流を止めに掛かる。特に、穀物などは真っ先に止めるだろう。

 それで北朝が飢える事は無いだろうが、確実に穀物の値は上がる。それはこちらにも影響を及ぼすだろう。安い穀物が有れば買い手が殺到し、同じ程度まで値上がりするものだ。

 そうで無くても戦乱となれば、穀物の不足や買い占めが起こる。いつ何のきっかけで高騰したとしても不思議は無い。


「秋の内に冬の蓄えをしておくか」


 考えた末に、自分では無く当主の領分でするべき事が出来れば、会いに行って言う。一言、穀物を買いためておけと言うだけでいい。

 息子は当主としては可も無く不可も無し、と言うところだった。自分が何か言えば、疑う事無くその通りにする。それはそれで悪くない、大過無く家を治める事はできる。

 だがやはり、乱世に身を投じる型の人間ではない。先の先、裏の裏まで読むという事が無い。それなりに教えはしたが、決定的に身に付かないのはやはり、才能と言うものなのだろう。

 だからシバ家を、乱世の最も燃え盛る炎の中に放り込ませる訳にはいかなかった。できるだけ外縁で、保身と存続を第一に考えるべきだ。これもまた、生き残りをかけた厳しい戦いだろう。

 窓の外は、また新しい雪が積もっていた。まっさらな雪原に新たな足跡を付けて歩んでいくのも生き方ならば、厚着をして風邪をひかない様に冬を越すのも生き方だろう。

 老人には、そういう生き方の方が合っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ