6・戦始末
ウトの街に帰還すると、提督と銀華が待っていた。
「ジャン、ひとっ走り行って、銀に皆の無事を伝えて来い」
「あっ、はい。……でももう目の前ですけど」
「これだけ人目がある中で、私が銀にまず皆の無事を伝える訳にもいかない。だからお前だ」
「解りました」
隊列を離れて銀華に駆け寄り、親衛隊として参加した全員の無事を伝える。銀華の喜びようは大層なもので、喜びのあまり抱き着いてくるのではないかと思ったほどだ。そうしなかったのは、やはり人目をはばかったのかもしれない。
とりあえず役目を果たしたので隊列に戻ろうとしたが、すでに高星と親衛隊の隊列の方が追いついていた。
「提督、銀華、出迎えご苦労。そして此度の働きは大層なものであった。
特に銀華、まさか本当に一人で朱耶家とイエーガー公の和議をまとめて来るとは思わなかったぞ。一体どんな手を使った?」
「簡単な事よ。朱耶家の当主・克用様と、イエーガー公、どちらも本心では戦う事を望んでいない。ならトップ会談をして、こういう理由で自分は戦いを望んでいないって事を、お互いに家来達の前で言わせればいいと思ったの。
この提案をしたら克用様は乗り気で、すぐに会談は成立したわ。イエーガー公もそういう解りやすいのが好みだったみたい」
「あいつらしい。それで、首尾良く話がまとまったと?」
「ええ。イエーガー公は昔、克用様のお父上の下で戦った事があって、それ以来ずっと尊敬してた事が解るとすぐに打ち解けてたわ。
イエーガー公の精鋭騎兵・黒騎兵も、鴉軍に倣ったものだって笑って話してたわ」
「そうか。イエーガー公はどんな人となりだった?」
「絵に描いた様な豪傑。でも女性には優しいし、克用様とは尊敬する人の息子以上に、馬が合うみたい」
「なるほどな。ともかく早期に講和が成立したおかげで、少なからず戦線に影響を与えたはずだ。こちらにとって都合の良い影響をな。
しかし……銀に外交官の才能が有るとは思わなかった。短い付き合いでもないのにな」
「一生掛けたって、相手の事を全て知り尽くせるなんて事は無いわ。きっと」
「かもな」
次いで高星は、提督の方を向く。本人は自覚が無い様だが、銀華と話しているときはいくらか緩んでいた顔の筋肉が引き締まり、引き締まった顔になったとジャンは思った。
「提督、私は提督に艦隊を動員して敵の後背に圧力を掛けろと命令したな?」
「はい、間違いありません」
「ところが圧力を掛けるどころか、僅かとは言え敵の輜重を奪うと言う、期待した以上の大戦果を挙げて見せた。流石三代に渡って仕える家老だ、これ程の働きができる者は他に居まい」
「別に儂自ら艦隊を指揮した訳ではありません。私はただこれはと思う若い者たちに任せただけの事、お褒めにあずかる様な事は何も」
「謙遜も時と場合だぞ。適材を適所に投入するのは、現場で手柄を立てるよりも評価されるべきだろう。
事実、あれが決定打になって敵はこちらの罠に踏み込む決意をしたと思う。そうでなければあと数日耐えるだけで敵の目的は果たせたのだ、勲功第一とすべきものだろう」
「年寄に今更褒美も無用なので、できれば第一の功は輜重を奪った者達に与えていただきたいと思います」
「そういう態度も含めて第一としたいのだがな。よかろう、輜重を奪った者達を第一位、それ以外の艦隊の者達を第二位、それを任用した提督を第三位とする。異存は無いな?」
「はっ」
高星は小さくうなずくと銀華を振り返って、もちろん銀の働きも大いに敵を揺さぶってくれた事だろう、と付け加えた。
◇
ウトの街に一日滞在し、翌日それぞれの駐屯地へと戻る。その間にも片づけるべき事は多くあった。
論功行賞もその一つである。今回は内乱鎮圧戦とは違い、大いに恩賞が支払われた。功績の一位から三位までは海軍が持って行ったが、不満などどこからも出ない、気前の良い恩賞だった。
ジャンにも4アウレの褒賞金が出た。ジャンが騎士を討ち取った事は多くの証人が居る事実であり、しかも首実検の結果、討ち取ったのが小隊長であった事が判明しての恩賞である。
ただジャンは恩賞が出る事になったと聞いても終始呆然としており、受け取った恩賞の明細を見ては、血みどろの手を思い出して沈んでいた。
ジャンの様子を不審に思う者は当然居たが、ある意味戦の最中より忙しい戦後処理の最中の事、誰もジャンを気に掛ける余裕も無かった。
本人もその方がありがたいと思って、誰に何かを話す事も無く、この後数日はその調子で居た。
なお大隊長を討ち取った紅夜叉は、100アウレの恩賞を得た。紅夜叉が放り捨てた首は安東軍の手によって回収されており、高星が敵将の首を捨てる奴が有るか、と苦言を呈したが、紅夜叉にまるで意に介する様子は見られなかった。
その日の内に紅夜叉が、ウト市内で豪遊する姿を多くの者が確認している。
やがて秋の陽が沈み、夜の帳が下りた。陽が沈むともう、身を切るような寒さで、いつ雪が降っても不思議では無い。
灯火を灯した官舎の一室で、高星がエステルと提督だけを部屋に入れ、戦後の動きを確認していた。
密談と言うほどのものではないが、それなりに内密の話となると、無意識に日が暮れてから行いがちになる。
「案の定、シバ家が牽制を掛けてきたな。まあ、今は形だけだろうが」
表向きはコルネリウス家と同盟を結んでいるシバ家は、やはり安東家領との境界近くに軍を集結させていた。
特に秘匿する様子も無く、堂々と軍勢を揃えた上で、安東家に対して兵を退いてはどうかと言う、提案の皮を被った脅迫状を送ってきた。
「しかしこれは大層な文章だな。言葉使いは丁寧だが、強硬な手段も辞さないと言う意思が良く伝わってくる文章だ。
長年中央政界に身を置き、表沙汰にできない様な事も多くこなしていると、こんな文章を書ける様になるのか」
高星はシバ家からの勧告文を何度も読み返し、感嘆していた。差出人はシバ家としか書かれていないが、間違いなく草稿はシバ家の隠居、鵺卿リョウシュンの手になる物だろう。
「送ってきた時期も絶妙だったな。今頃我らの手に渡れば、どういう形で決着が付いてもこの文章の効果だと主張できる。
元よりこの文章がどれほど効いたかなど証明できはしないが、それだけに何と主張してもそうかもしれないと思われる」
手紙をひらひらと振りながら、どこか楽しんでいるような口調で高星が言う。
「現に早くもシバ家は、殿が追撃を掛けなかったのは、シバ家が国境に兵を集めていると知ったところにこの文章が届いたからだ、と言いだしている様です」
「忌々しい。シバ家は国境の巡回と手紙一つで名声を手に入れた訳だ」
エステルが苦い顔をする。
「そう渋い顔をするな。わざわざ孫娘を私に押し付けてきたあたり、しばらくはコルネリウス家への義理を果たすための、形だけの行為に終始するだろう。
その見返りだと思えば、名声くらい安いものだ。くれてやれ」
「それはそうだが、我らもコルネリウス家も血を流して争っている脇で、シバ家だけがほとんどただ同然で利益を得ていると思うと、腹立たしくてしょうがない」
「お前はやはり策略とか、駆け引きと言うものに疎いな。指揮官は経験だが、策士はある程度天性のものだ。そう私は思っているが、その言いようではお前に策士の才能は無さそうだな。
お前の家は中央でもそれなりの名門貴族だったはずだろう? 十八まで居たのなら、その手の駆け引きの片鱗くらいは感じ取る機会はあったと思うが?」
「まあ、無くは無いが、可能な限り見ないようにしていた。嫌いなのだ、どうしても」
「何故だ?」
「そういう策略や駆け引きで、労せずして利益を得る裏で、道理と言うか、正しい事が通らない。明らかに正しくないものが、様々な思惑や都合でまかり通っている。
それはそういうものなのかもしれないが、だからと言って正論が通用しないせいで不利益を受けるのは、明らかに不当だろう。そして納得できるものでは無い」
エステルの口調には、どこか悔しさの様なものが滲んでいた。高星は何も言わず、腕を組んで目を伏せていた。
「まあ、年寄りの相手は年寄りがするのが良かろう。エステル殿はこれからも、これまで通りに殿のお側に仕えていれば良い。そうでしょう? 殿」
「そうだな。裏の仕事は提督に任せよう、エステルには日の当たるところで仕事をしてもらいたい。思えば皮肉なものだな」
高星がにやりと笑う。
「そうだな」
エステルも小さく笑った。
「一つだけ言っておこう。エステル、お前の気持ちは良く解るつもりだ。だが私にはそんな事を言っている余裕は無いのだ。
正論・正道が通るならそれに越した事は無いが、それでは勝てないならば容赦無く詭弁・詭道で相手を陥れる。それで誰が泣こうと、意に介してはいられない」
「解っている。私も解っているつもりだ。高星の、私達の目指すものが、きれいな手のまま掴み取れるものでは無い事くらい。
ただこの思いをはっきりさせておきたかった、それだけの事だ」
「そうか」
思いをいつまでも胸の内に秘め続けている事は、苦しい。だから、適宜それを吐き出す事ができると言うのは、いい事なのだろう。
それぞれが胸の思いを、棟梁たる自分に向かって吐き出す事ができる。それは高星にとって望ましい限りだった。
だが、その逆はあってはならない。それが、頂点に立つ、あるいは先頭を行く者の責務なのだろう。
「コルネリウス家はこの後どう出てくるだろうか。どこかで今回の敗戦を、取り返そうとするだろうな」
「損耗率が一割近い、誤魔化し様の無い敗北だからな。このまま終わりはしないだろう。
だが打つ手は所詮限られている。雪が降れば戦はできないし、戦の失敗をすぐに別の戦で取り返そうとするのは、下手をすれば傷口を広げかねない。
敗北の分を取り返すと言っても、何かを大きく失った訳では無い。兵力はすぐに補充できるだろうし、領土を失った訳でも無い。ただ次の戦までに、士気を回復させればいい」
「私達が警戒する必要も無いが、かと言って妨害も難しい事になりそうだな」
「まあ、どうやって士気を回復するか、お手並み拝見と行こうじゃないか。人は送り込んでいるのだろう? 提督」
「と言うより、行商人や各地に支店を持つ大商人に金を払えば、ある程度の情報は買えます」
「そういう発想も、他所にはなかなか無い様だな。それとも情報を買うと、自分の情報が流出するのを嫌っているか」
「情報が流出するのなら、無意味な偽情報を流したり、都合の良い噂を流せばいいのですがな」
「そんな事をしていたのか」
エステルが驚いた様に言う。
「普段から無意味な偽情報を流していれば、策略を秘めた偽情報を流した時に疑われませんのでな。人は見慣れたものは疑わないものです」
「提督、そういうのを兵学では『天を瞞いて海を渡る』と言うのだぞ」
「ほう、天を瞞くですか。不遜極まりないですな」
「全くだ!」
高星がはっはっはと笑う、提督も一緒になって笑っている。一人エステルだけが、どうしたものかと立ち尽くしていたが、思い出した様に咳払いを一つする。
「情報で思い出したが、コルネリウス家の捕虜はどうする? 尋問して、大して期待できない情報を引き出してはいるが」
「ああ、特に重要な情報を知っていそうな者は居ないんだな?」
「将校クラスの捕虜は居ないから、大した情報は期待できないだろう」
「なら適当なところで切り上げて、身代金を取って返してやれ。移住を望む者は認めるが、現時点でそれはまだ期待できないだろうしな」
「了解した」
「コルネリウス家にしたら、口には出せないがいっそ捕虜を殺してくれた方が、仲間の仇を討てと士気を上げられていいだろうに。
かと言って返すと言う捕虜を要らぬという訳にもいかず、身代金を払わされるというのはどれほど屈辱だろうな」
高星がにやついているのを見て、エステルの直感が何かを察した。
「……高星、また何か考えているな? 何か、企んでいると言うべきか」
「前々から考えていた戦略の一部を始めようと言うだけさ。コルネリウス家に徹底的に屈辱を味わわせ、誇りを傷つけてやるのだ。
そしてこちらが望む大会戦を、向こうから仕掛けてくるように仕向ける。こちらはそれを待ち構えて、決着を付けようと言う訳だ」
「情け容赦の無い事だ。もっとも、それでこそ高星なのだが」
「……私もな、本当は他人の誇りを踏みにじる様な真似は好かぬ。と言うより、はっきり嫌いなのだがな」
高星の言葉は、どこか疲れた様な、何か諦めた様な力の無いものだった。
部屋の柱時計が低い音を響かせた。文字盤を見れば大分夜も更けていた。
「そろそろ休もうか、でないと明日の行軍に差し障る。凱旋するのに半分寝ていては締まらないからな」
「同感だ。特に高星はその心配が必要だろう。戦も片付いて気が抜ける頃だ、そろそろまた朝寝坊がぶり返す頃だろう」
「ひどい言われ様だな。軍の前でそんな醜態は晒すものか」
「そうあって欲しいものだ」
翌日、高星はいつまで経っても起きないところを銀華に引きずり出され、行軍中の馬の背でも舟を漕ぎ、危うく落馬しかけたところをエステルに支えられる始末となった。




