5・戦場
怖いが、胸がわくわくする。
始まった。始まったのだ。これが戦争なのだ。ジャンの心は、飛び出しそうなほどに高鳴っていた。それが何によるものかなど、考えていられなかった。
部隊がぶつかり合った時、大きな物同士がぶつかる様な音が聞こえた気がした。
誰一人として、恐怖の表情を浮かべている者は居なかった。むしろ、敵も味方もその顔には活気がみなぎっていた。
戦場の様子などまるで解らなかった。ただ目の前の事で精一杯だった。
今日は天気がいい。雲一つ無い秋晴れの空に、午前の太陽が明るい光を放ち、剣が、槍が、鎧が、陽の光を反射して輝いていた。晴れやかな程に、美しかった。
頭を振って我に返る。今はただ、目の前に集中するべき時だ。なにせ命が懸かっている。そう気を引き締め直した瞬間、敵兵が気合と共に斬りかかってきた。
振り下ろされた一太刀目を避け、水平気味に振り上げる二の太刀もかわす。三太刀目は正面から受け止めた、剣同士がこすれ、音を立てる。
敵兵の後ろから黒衣の兵が袈裟切りに斬りつけた。うめき声をあげて敵が倒れる。
「大丈夫か?」
戦いになったら、できるだけ組んで行動する様にしようと話し合った親衛隊仲間だった。
「全然行ける。次は俺に手柄を寄越せよ」
戦う前に色々考えた事は、無駄では無かった様だ。軽口をたたく余裕もある。
敵を求めて走る必要など無かった。どこもかしこも敵味方が入り乱れている。ただやはり味方がやや押し気味の様だ。
高星と、それを護衛するエステルを中心とした騎馬の一団を目印に、味方から離れすぎない様にして戦った。戦っているうちに、自然と近くの味方と連携して戦っていた。
何人目か解らない敵兵が倒れた。ジャンが声を上げて、それに気を取られた隙に後ろから斬られて、ジャンの足元にうつぶせに倒れた。
「誰か手を貸せ!」
声のする方を向くと、重装鎧を着た敵兵相手に、三人掛かりで手こずっている様だった。真っ直ぐそちらに駆けながら、刀を腰の高さに構える。
敵はこちらに背を向けている。隙有り、そう思ってすれ違い様に剣を振り抜いた。弾かれる様な手ごたえがして、刃が鎧の表面を滑った。
何も考えず、足を止めずにそのまま駆け抜けた。振り返りざまに振るわれた敵の剣が、空を切る。立ち止まったら死んでいたかもしれない、幸い剣も落とさなかった。
「くそっ……」
自分の技量では鎧ごと斬るのはまず無理だろう。取り囲んだまま何とか隙を窺おうとするが、あまり時間をかけていると自分の後ろに敵が来るかもしれない。
敵が気合と共に突っ込んでいった。ジャンとは別の方向だ。やはり囲まれていると言う焦りがあるのだろう、何とか包囲を突破しようとしている。
今ならまた背中から斬りつけられるだろうが、深手を負わせる事は難しいだろう。致命傷を与えるには突くしかないとジャンは考えた。だがこのまま突いても、鎧を貫いて致命傷を与えられるだろうか。
考えと言うより、その場の思い付きを迷わずに実行に移した。敵の背に向かって走り、低く飛び蹴りを繰り出して、膝の後ろを蹴った。
仰向けに倒れて来るところに、渾身の力で剣を突き上げた。金属がこすれる嫌な音と、強い摩擦抵抗を感じた。
大の大人がのしかかってくる重さに押し潰れそうになるのを、必死に支えた。生温かい液体が流れ落ちて来るのを感じた。
不意に、のしかかっていた重さが無くなった。握っていた剣がもぎ取られる。敵の体が脇に避けられたのだ。ようやくジャンは、自分の剣が敵の胸を貫いているのを確認した。
「やった……のか……」
のろのろと立ち上がって剣を引き抜こうとする。抜けない、金属同士の摩擦でびくともしない。足を掛け、体重を掛けて引っ張り、ようやく引き抜いた勢いで尻餅をついた。
「よくやったぞ新兵。こいつは小隊長格だ、手柄を上げたな」
「手柄……ははは、やった、やったのか」
清々しい感じがした。念願の戦果、武勲を上げた。胸の灼熱が、余計な物を全て、灰も残らず焼き尽くしたかの様な気がした。
「よし、行くぞ」
味方が次の戦いへ向かって駆け出す。ジャンもそれを追おうと、また立ち上がった。その時、自分の手を見た。
何かが急に冷たくなった。自分の手は、袖まで血に濡れていた。
「あっ……」
なんだ、これは。なんだ、それは。つまり、自分の性根と言うものは、どうしようもないものだった訳だ。
直感的に理解したそれが、頭の中で言葉に変換される前に、本能が警報を鳴らした。戦場の真ん中で呆然としていた愚かな自分の目の前に、剣を振り上げた敵が居た。
間一髪のところで受け止めた。だが振り下ろされる剣の勢いまでは受けきれず、また尻餅をついた。
圧倒的に不利な体勢になった、このままでは押し切られる。押し返そうにも押し返せないし、逃げるにも、動いた瞬間やられると思った。
心の底から助けを求めた。目だけを動かし必死に助けてくれる誰かを探した。ここで見覚えの有る、特徴的な青い衣装の少女を見つけた。
「イスカーー!!」
叫んだ。すでに目には涙さえ浮かんでいた。この声が届かなかったら自分は死ぬのだと思った。
声は届いた。すぐにこちらに気付いたイスカが、槍を構えて、放たれた矢の様な速度で、微かな放電を引きながら真っ直ぐに突っ込んできた。
敵兵は、振り向く間も無くイスカの槍に貫かれた。噴き出した血がジャンの顔にも飛び散る。
死体を貫いたままの槍を脇に避け、引き抜く。左手を差し出した。
「立てるか?」
その手を取って、立ち上がる事が出来た。
「無理をするな。私が守るから、そばから離れるな」
「……大丈夫だ。少し、時間をくれ」
考え込むのは、戦場でする事ではない。今はただ、生き残る事だった。そのために、いち早く、応急処置で良いから、立ち直るべきだった。
それを解る程度にはまだ、気をしっかり持てていた。
◇
駆けた、ただひたすらに駆け回った。
紅夜叉は親衛隊のうち、徒歩の者の中では最も早く敵中に飛び込んだ。短距離だったとは言え、騎馬も数騎追い越している。
ほとんど一年ぶりの感覚だった。血管の中で血が沸騰し、頭が清水の泉の様に冷たく澄み渡り、心臓が血液を送るためではなく、歓喜に震えて鼓動している。
最初の一人は一撃で首を刎ね飛ばした、その後は解らない。人波の中を駆け回りながら剣を振るうだけだ。
死んだ者も居れば生きている者もいるだろう。どちらでもいい事だ。獲物として狙いを付けた人間を確実に仕留めるときは、確実に止めを刺した事を確認する。
だが戦場では、とにかく駆け回り、片端から斬っていく。敵味方を間違える様なへまは、無い。
とにかく蹴散らす事が肝心であって、何人殺したかに意味は無い。むしろ死んでいない者の方が多いだろう。明日まで生きていられる保証は無いが。
戦場でも目立つ深紅の衣で疾走する紅夜叉の動きを、まともに捉えられる者は居なかった。
立って走れば紅の風が吹き抜けた様であり、姿勢を低くして駆ければ赤い毛の獣が走り回っている様だった。どちらも一瞬通り抜けた後に、血飛沫が舞う事は共通している。
操が辛うじて後ろに付いて来ている事は解った。時々周囲で煙幕弾や爆竹が炸裂する。明らかに操の仕業だ。サポートしているつもりなのだろう。
余計な事をと思うが、生じた空隙には迷わず飛び込み、また数人を切り倒して駆け抜ける。だがそれもだんだんと少なくなり、やがて途絶えた。
付いて来れなくなったのだろう。あるいは死んだかとも思うが、それは無いだろう。操もあれで、乱戦の中で死ぬような小娘でもない。
「そこのガキィ!」
おそらく自分の事だろうが、興味も無いので横目でちらりと声のする方を見るに止めた。騎乗した髭面の中年騎士だ、鎧も装飾が施されており、おそらく将校だろう。
「先程からまるで無人の野を行くが如くこの場を駆ける貴様は何者だ!」
何者かとは、自分には一番意味の無い問いかけだろう。無視してもいいが、答えてやった。
「名前など無い。強いて言うなら、ただの悪鬼だろうよ」
この瞬間、目の間の騎士を『獲物』として認定した。
「貴様……その赤い装束、先程からの大立ち回り、蛮族の頭が飼ったと言う、悪名高い紅夜叉か!?」
「そういう名もあるな」
「よかろう! 人の世に彷徨い出た鬼め、このホーレイの槍の錆になるがいい!」
言うや否や、ホーレイと名乗った騎士は猛然と馬を駆けて突撃してきた。手にした武器はイスカのそれと同じ、穂先の大きな型の槍だ。
すれ違い様に槍が振るわれる。突くのではなく、大きな穂先の刃を使っての斬撃。低く重い唸りを上げて槍が振りぬかれた。
だが手ごたえが無い、紅夜叉の姿も無い。ホーレイは手綱を引いて勢いの付いた馬を止めながら、辺りを見回す。
「おせぇ。どこぞの甘ちゃんより、全然おせぇ」
紅夜叉は後ろで姿勢を低くして構えていた。振りぬかれる槍を、騎馬を丸々飛び越える跳躍をして回避していた。
馬上から地上の紅夜叉を狙っていたホーレイは、その時に上下の動きに視界が付いていけず見失っていた。
声で紅夜叉に後ろを取られたと気付いたホーレイが、振り向く事は無かった。振り向こうと身をよじった瞬間、高々と首が宙に舞いあがった。
噴水の様に吹き上がる血の勢いに、吹き飛ばされたかの様に宙を舞った首が、赤い軌跡を描いて地面に落ちた。重い物が落ちる鈍い音がした。
紅夜叉が地に転がった首から兜を外し、無造作に髪を掴んで左手で持ち上げた。
「敵将、討ち取った!」
それだけ言うと、ごみでも捨てる様に首を放り投げた。視界の端で誰かが首を慌てて拾っていたが、それが敵か味方かも気に留めなかった。
周囲の敵は完全に意気阻喪した様だった。我先にと紅夜叉から逃げていく。もっとも、この乱戦の中では将校一人討ち取った事が、どれほど効果があるかは解らない。
逃げる敵を追って、また片端から一太刀くれてやるかと小さく笑った。
◇
「悪鬼紅夜叉、覚悟しろォォ!!」
一人の若い兵が、猛然と斬り込んできた。身を半回転させながら、軽くいなしてやった。大した腕ではない。
若い兵は数歩たたらを踏んだが、体勢を立て直すとまた猛然と、獣の叫びの様な絶叫を上げて斬りかかってきた。
気迫こそ凄まじいが、紅夜叉にしてみれば子供の相手をしている様なものだ。早く死ぬ人種だと思いながらも、殺さずに先程より痛烈に打ち据えてやった。兜が外れて宙を舞う。
頭部を強打された兵は、ふらつきながらも顔を上げて、紅夜叉を憎悪に満ちた視線で睨みつけてきた。
「女か」
髪を短く切り、男と変わらぬ武装をしているが、顔を見れば間違いなく女だった。
コルネリウス軍には女の兵士も居るのかと思ったが、よく見ると鎧などは複数の鎧から使える部分を寄せ集めた物で、正規兵の物ではない。傭兵だろう。
「女の傭兵……どこぞで恨みを買ったか。思い当たる節は多すぎて解らんが」
「ああ、そうだろうな。直接会ったのは初めてだし、会っていたとしても貴様の様な奴は、私の事など覚えないだろう。
だが私は、貴様を殺す日だけを願って生きてきた! そのためだけに今日まで生きてきたんだ!」
「……なら一応、お前の恨みとやらを聞いてやろうか」
女傭兵は一度、音が聞こえそうなほどに奥歯をかみしめ、それから血を吐く様な声音で語り始めた。
「私の父は蒼州の小領主だった。戦の絶えない蒼州では、父の領地も攻め込まれる事も珍しくなかったが、あの日までは城が落ちる事も無く、戦と言っても年中行事の様なものだった」
「城はいつか落ちる物だ。俺を恨むくらいなら、そこに居合わせた不運を呪え」
激昂するかとも思ったが、女傭兵はまるで聞こえていないかのように話し続ける。
「いつもと変わらない戦だった。敵軍が攻めてきて、父の軍が城に立てこもって、何日かけても攻めきれず、攻めあぐねた敵軍が引き揚げる。
数えきれないほど繰り返した、そういう戦がまたその時も起きただけだと思っていた。だがその時の敵軍には、お前が居た。
そろそろ敵軍も引き揚げるだろうと言う頃のある夜、お前は一人で城壁をよじ登り、城の中に斬り込んできた。一人で何人も殺し、とうとう城門を開けて、敵軍をなだれ込ませた」
そういえばそんな戦もあったなと思う。単身忍び込むのは、どちらかと言えば操の得意とする領分で、そちらの例は数多くあるが、自身で忍び込んだのはそう多くは無い。
「炎上する城の中で私は、父が一人の敵兵の手に掛かって殺されるのを、物陰で震えながら見た。そいつは赤い装束を返り血で更に赤黒く染め、父の血が垂れる刀を手に笑みを浮かべていた。悪魔だと思った。
私を連れて脱出した僅かな伴も、敵の追撃を受けてだんだんと減り、ついに私はどこだか解らない所で一人になった。そして最初に出合ったのが、手柄を上げ損ねた、飢えた傭兵団だ。この続きまだ聞きたいか!」
「いや、大体予想できる。ありがちな話だ、同じ様な境遇に落ちた女が何十人、何百人居るかしれない。
それで、父を殺してお前をそんな目に遭わせた仇が、紅夜叉とも呼ばれる悪名高い傭兵だと知り。仇を追うために自分自身傭兵になって、こんな地の果てまで追ってきたという訳か」
「ああ、一年ほど前に、お前が蒼州を離れ北へ行ったらしいと知った時は、逃がすものかと思った。
戦のあるところに必ずお前は現れると思っていたが、北に来て最初の戦場でお前に出会えるなんて思ってもみなかったぞ」
「……これで少しは心が痛めば俺は人間なんだろうが、あいにく筋金入りの鬼らしい」
「貴様が心を入れ替えて聖人になったとしても許すものか! 鬼ならばなお都合が良い! 世のため人のためにも、ここで殺してやる!」
三度、人のものとは思えない様な恨みに満ちた叫びと共に斬り込んできた。
「何の気の迷いかな。お前の様な奴の話を、最後まで聞いてやるなんて。……この一年で少し甘くなったか」
すれ違い様に薙いだ。
「殺されたところで未練など無いが、彼我の実力の差も解らない様な奴に、黙って殺されてやるほど、お人好しでも無い」
女傭兵の脇腹が、鎧ごと斬られて血を吹く。鎧の上からの斬撃だったためか、まだ致命傷ではない。
女傭兵は剣を取り落し、傷口を押さえて膝をつき、うずくまったが、不屈と言える精神力で上体を起こした。目の前に紅夜叉が立っていた。
不意に、雷に打たれた様な感覚がして、傷口の痛みも忘れた。次いで、自分の胸を刃が貫いている事を認識した。
「あっ……そん、な……私は……なん、の、ために……い……き……」
剣を引き抜く。目に涙を浮かべた亡骸が、うつぶせに倒れた。
「何のために生きているのかだと? そんなもの、誰にも解るものか」
剣の血を振り落とし、背を向けた。何の感傷も無かった。
「おい、紅夜叉」
聞き覚えのある声がした。見れば、ジャンがこちらへ駆け寄ってくる。
「どうした、酷い顔をしてるぞ」
「お前こそひどい格好だ。……そこの女は?」
ジャンが紅夜叉の後ろの死体が女である事に気付く。紅夜叉は少し考えてから、どうでもいい事だとでもいう風な、投げやりな口調で答えた。
「過去が、追いかけてきた。だから切って捨てた。それだけだ」
「……そうか」
そうだ。ただそれだけの事にすぎないのだ。
◇
鐘の音が鳴り響いた。初めは一つ、すぐにもう一つ違う音色。コルネリウス軍と安東軍、それぞれの退却の合図だ。
初めコルネリウス軍が引き始め、それを見て高星も退却の鐘を鳴らさせた。
「追撃するべきではないのか?」
高星のそばを一時も離れなかったエステルが進言する。だが高星は首を横に振った。
「見ろ、敵の第四陣が隊列を保ったまま、整然と退却している。あれに追撃を駆けたところで、そう容易くは打ち破れないだろう。
しかも敵本陣の後方にいたはずの騎兵が、いつの間にか姿を消している。おそらく後方のどこかで伏兵となっているだろう。迂闊に追撃を掛ければ勝敗をひっくり返されかねない」
「だが全く追撃をしないと言うのは……」
「欲を捨てきれずに見切り時を誤る方が危ない。2㎞だけの追撃のつもりが、調子がいいといつの間にか深追いし、敵の罠に掛かるという事になる。
その点、敵は見事だな。逆転か、悪くても仕切り直しに持ち込む事を狙って、歯を食い縛って耐えたが、もう駄目だと見ると、迷わずどう退却するかに切り替えた」
「だが戦果は悪くないだろう。どうやら紅夜叉が将校クラスを討ち取った様だし」
「そうだな。だから、ここで満足するべきだろう。大勝利と辛勝を分けるのは、敵にどれだけ損害を与えたかではなく、味方の損害がどれだけ少ないかだ」
話しているうちに敵味方は完全に分かれ、味方が隊列を組んで集まり始めた。敵も追撃が無いと見て、警戒しながらも退却の足を速め、去っていく。まずは勝利と言えるだろう。
「我らの勝利だ! 勝鬨を上げよ! えい、えい」
「おー!」
二千三百の軍勢の勝鬨が、山々に反射して海へと吸い込まれていった。
◇
ヤコエ回廊の戦いは、第21節11日に決着した。
安東軍の投入戦力二千三百のうち、戦死その他戦闘不能者一百、損耗率は5%。コルネリウス軍を撃退し、退却させる。紛う事無く勝利と言えた。
コルネリウス軍の投入戦力二千五百のうち、戦死及び捕虜合計二百四十、損耗率は9,6%。
損害のほとんどは歩兵第一第二第三陣の損害。第四陣及び騎兵はほぼ無傷で退却。雪が降るより早く打撃を受け退却、作戦目標達成失敗。敗北である。




