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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
回廊の戦い
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4・激突

 考える時が終わった。

 戦において、考えるという事をするのは、敵とぶつかりあうまでの間だけの事だ。少なくとも高星(たかあき)はそう考えている。

 一度作戦が始まってしまってからの作戦変更は、敵が目の前に居る状態で混乱を招き、危険であるとは兵学でも言われている。

 それは知識として知っている。もう一つ、騎馬隊を率いた経験が、戦場で考える事の危険を教えた。機動的な戦いでは、一瞬考えただけの僅かな時間が生死を分ける事がある。それは剣での立合などでもそうだった。

 だからもう考えない。敵とぶつかりあう前に全てを考え抜き、ぶつかってしまったら後は判断するだけである。いや、判断するより先にまず足を動かすくらいがいい。

 恐怖や戸惑いが、判断を一瞬遅らせる、足をすくませる。騎馬の戦は足を止めたら死ぬ、それは騎馬の戦以外でも、ある程度真理だ。だから、まず足を動かして、それから判断するくらいでいい。


「突撃!」


 中小国(なかおくに)隊長の声が聞こえた。低いが良く通る声だ。三百騎が剣を抜いて丘を駆け上がっていく。弓矢はまだ背負ったままだ。

 馬と言う生き物は実は、下り坂が苦手で上り坂が得意である。さらに上り坂を一気に頂上まで登り切ろうとする習性がある。

 弱った馬に坂を上らせるときは、無理矢理休ませながら登らせないと、息絶えるまで駆け上がろうとするほどだ。

 もちろんあまり急な斜面は勢いが削がれるが、この程度の丘を駆けあがるなら、むしろ勢いが付く。容易には止められるものではない。

 敵は一見有利な高所にいる様だが、高所の利はすでに殺してある。勢いよく駆け上がる騎馬隊は、歩兵が逆落としを掛けた程度では止められない。

 さらに今、丘の上に居る敵兵の武装に飛び道具は無い。敵陣に切り込む部隊なのだから、接近戦を想定した武装をしているのは必然である。

 その上、敵を誘う際に陣営の施設も撤去したため、落とせる様な木石もそこには無い。つまり、天からの攻撃ができない。そういう情況になる様に仕向け、その通りになった。

 そこはもう、有利な高所の皮を被った死地でしかない。騎馬隊が突っ込んだ。


     ◇


 罠である事を告げる鐘が乱打された。けたたましい音が耳に突き刺さる。

 コルネリウス軍の攻撃部隊は騎馬が突撃してくると解ると、踏みとどまる事を選んだ。今から逃げても騎馬相手では追いつかれ、背中から斬られる。

 流石に志願した勇士からなる攻撃部隊である。数で勝る騎兵が相手でも、怖気づいて逃げ出す者は居なかった。だが、それだけだった。

 三倍の数の、勢いの付いた騎馬隊の突撃をまともに食らい、攻撃部隊は一撃で粉砕された。安東軍の騎馬隊は、そのまま逆落としに支援部隊に襲い掛かる。

 上から駆け下りてくる騎馬隊を串刺しにしようと、支援部隊は武器を構えようとした。だが敵より先に、敗走する味方が転がり込んでくる。陣形が乱れた。

 狙い澄ました様に、陣形が崩れたところで逆落としを喰らった。いや、安東軍はこれを狙ってあえて一呼吸置き、敗走する攻撃部隊を支援部隊に逃げ込ませた。

 支援部隊も瞬く間に打ち破られた、完全に敗走である。


「収容用意! 敵の追撃を防げ!」


 コルネリウス軍の本陣で、ティトウスが鋭く指示を飛ばす。冷静さは失ってはいなかった。攻撃は失敗したが、失敗した時の予定通り敗走する味方を収容し、拒馬と第一陣で敵の追撃を止める。それでいい。

 だが安東軍の騎馬隊はそれ以上の追撃はしてこず、丘を駆け下ったところで停止していた。だが追撃が無い訳では無かった。


「て、敵の歩兵部隊が突撃してきます!」


 頭を金槌で殴られた様な衝撃を感じた。


「馬鹿な! 敵は出入りができない程に、堅固な柵を組んでいたはずであろう!?」


     ◇


「棟梁、言って良いですか?」

「なんだ?」

「ずるいです」


 ジャンの言葉に、馬上の高星は笑って見せた。コルネリウス軍の部隊を蹴散らしたところで騎兵は止まり、出撃できないはずの歩兵第一陣を繰り出した。

 手品の種は簡単である。初めから丸太の柵の一部が、藁束(わらたば)に木の皮を被せた張りぼてだったのだ。

 呆れる位簡単な仕掛けだが、守りに徹して小競り合いの一つも仕掛けてこないコルネリウス軍には、それに気付く機会が無かった。


「私も言って良いか?」

「なんですか?」

「戦にずるいも何もあるものか」


 そう言って、高星は前を向きなおした。敗走するコルネリウス軍の歩兵と、追撃する安東軍の兵が、川が合流する様に横並びになり、交わっていく。

 並行追撃。敵の後ろを追う通常の追撃とは異なり、敵と横並びで追撃をする。広い場所では敵の逃走経路を正確に予想しない事には、簡単に引き離されてしまうので困難であるが、この狭い戦場では敵の退路は一つしかない。また、両軍入り混じる形になる。


「このまま行けば……」


     ◇


「このままでは味方を収容できません! 味方と一緒に敵が突入してきます!」

「解っている! そんな事は!」


 ティトウスはぎりぎりの判断を迫られていた。このまま陣営の門を開いて味方を収容すれば敵の突入を許し、第一陣は乱戦に突入するだろう。

 おそらく敵はそれを突破口に、総攻撃をかけて全面対決に持ち込みたいと考えているはずだ。こちらにとっては最悪のシナリオである。

 それを防ぐ手段は、ある意味では簡単だ。陣営の門を固く閉ざし、一人も入れなければいい。だがそれは、四百の味方を見殺しにする事になる。


「若様、このまま味方を収容してよろしいのですか!?」


 幕僚達が煩い。こちらに不利な全面対決か、兵四百を見殺しにして他を生かすか、もう考えている時間は無い。


「――全軍戦闘用意!」


 自分の立案し、裁可した作戦の失敗で兵を見殺しになどできなかった。ましてやここで見殺しにすれば、四百の兵は味方の目の前で虐殺される事になるだろう。

 非情にも門を閉ざした味方の陣営の柵にすがって、泣きながら、懇願しながら、恨みながら、殺されるだろう。

 そんな有様を目の前で見せつけられて、兵がその後も戦える精神状態でいる訳が無かった。


     ◇


「まあ、そうするしかないよな。それを甘いとは言わない」


 門を閉ざさない敵陣を眺めながら、高星は独り言ちた。


「だが我らはかつてそれをした事があるぞ。そうしなければ、絶滅するしかなかった。何代経とうとそれは忘れられない記憶だ」


 一度、目を閉じる。再び開けた目は、修羅の目をしていた。


「地獄を味わった事があるか、それが貴様らとの違いだ」


 なだれ込んだ。五百の兵が、敵陣へと突っ込んだ。乱戦になる。その間に、第一陣の後ろに付いていた工兵隊が、防衛施設の撤去にかかる。

 大して時間はかからないはずだ、何も完全に破壊する必要は無い。横一線の設備が点線の様になればもう、ほとんど意味をなさない。もともと移動可能な拒馬などは、土台の固定を外して90度回転させてしまえばいい。

 騎兵の速さならば、普通に追撃を掛けても十分追いつき、なだれ込めただろう。だが乱戦になれば機動力の発揮できない騎兵より、歩兵の方が強い。それに騎兵にはまだ仕事が残っている。だからあえて歩兵を出した。


「高星、拒馬の撤去は大体済んだ様だ」


 エステルが馬を寄せて報告する。情況の確認は全てエステルがやってくれるので、高星が自ら戦線の情況を知ろうと動く必要は無い。高星はただ判断するだけである。

 雑多な情報を排除し、本当に必要な情報を選り分ける能力に関しては、エステルは信頼がおけた。


「第二陣、突撃!」


 第二陣の五百を突撃させる。コルネリウス軍がしっかりと陣形を組んでいたときは、例え一千で攻撃しても線での衝突になり、一千のうち後方に居る兵は遊んでしまう。

 だが乱戦に突入した今なら、二枚の紙を重ねる様に面での戦いになる。遊びは出ない。

 そして第二陣の突撃により、戦力にならない敗走兵四百と、攻撃部隊を抜いた分の減少で推定四百のコルネリウス軍に対し、安東軍一千で攻撃する事になる。圧倒的に有利な情況になるだろう。

 無論、コルネリウス軍がそれを手をこまねいて見ている訳は無い。


     ◇


「敵、第二陣が突撃してきます!」

「――やむを得まい! こちらも第二陣を繰り出して対抗せよ!」

「はっ!」


 これで安東軍一千に対しこちらの投入戦力は八百、しばらく持ちこたえられるだろう。その間に敗走した兵が立ち直れば、まだ数の上では有利である。

 だがこれ以上の乱戦の拡大は避けなければならなかった。総兵力はほぼ同じなのだ、乱戦になれば勝ち負けのはっきりしないまま、兵の消耗だけが増える拙い戦いになる。そうまでして戦う理由は、無い。

 場合によっては敗戦の汚名を甘んじて受けてでも、無用な損耗を避けて撤退するべきだろう。それは解っている。


「だがせめて一矢報いる事が出来ぬものか……」


 まだ第三第四陣はしっかりと横陣を組んでいる。負傷して退いてきた兵の収容も行い、それを追ってくる敵を近づけさせてはいない。

 本陣の後ろには騎馬隊も居る。この狭い戦場ではそれほど自由な動きはできないだろうが、構えていない敵相手なら正面突撃はそれなりに有効な戦術だ。

 第一第二陣を撤退させ、第三第四陣で敵を食い止め、あわよくば攻めきれずに退く敵を騎馬で追撃。それが無理でも仕切り直しには持ち込める。そこまで考えたところで、伝令が駆け込んできた。


「第三陣が突破されました! 敵騎兵部隊です!」

「なんだと!?」


 全ての策が瓦解した事を悟った。


     ◇


 安東軍の残りの全部隊、騎兵三百と歩兵七百五十が整列している。前が騎兵、後ろに歩兵である。その前を高星がゆっくりと歩く。号令一下、いつでも総攻撃に移る事ができる。

 高星が馬を止め、兵と向き合う。一度右から左にゆっくりと部隊を見渡し、鼻から軽く息を吸うと、腹から声を張り上げた。


「我が同胞(はらから)達よ! 戦いのときは来た、我らの戦いが始まったのだ! これからどれ程の戦いが待っているだろう、何のために戦い、何故生きるのかすら解らなくなる程に戦いは続くだろう。

 だが例え一筋の星明りすら無い闇の中であろうとも、前に進め! 苦難の山を越え、悲しみの海を突っ切って生きるのだ!

 お前達が生きる事、戦う事を続ける限り、例え刃に倒れようともお前達の棟梁は、いつまでもお前達と共にある。決して一人ではないぞ!

 今こそ運命を鎖を断ち切り、自らの手で生死を決めよ! 今ここに命令する、敵を討て!」


 天地を揺るがさんばかりの大音声が戦場に轟いた。晩秋の寒気を一瞬で吹き飛ばすかのような熱気が立ち上がった。

 高星が騎兵と歩兵の間に本陣に戻る。親衛隊の面々が整列して待っていた。


「高星、いつでも行けるぞ」

「そうか。エステル、春の事を悔いているなら、ここで取り返して見せろ」

「……気付いていたのか」

「まあな」


 今年の春、反乱鎮圧戦の折に、エステルは任務で高星のそばを離れていた。そのため高星に迫る凶刃から、守る事が出来なかった。

 結局イスカがそれを防ぎ、エステルは凶刃の主を捕らえて十分な働きをしたのだが、エステル自身は心に小さなとげが刺さった様な思いを抱えていた。

 それを誰かに知られる様なそぶりを見せたつもりは無かったのだが、高星は気付いていたのだ。


「解った。今度は寝ていても構わぬほどに、守って見せよう」

「期待させて。いや、信頼させてもらおう」


 高星がゆっくりと千錬剣・影打を抜いて、天に掲げた。朝日を受けて切っ先が輝く。光が、空気を切り裂いた。


「全軍突撃!」


 鯨波(とき)の声を上げて全軍が走り出す。前を行く騎馬隊が駆けながら二列縦隊を組み、乱戦の中に飛び込んだ。中小国(なかおくに)隊長が先頭に立っている。

 文字通り蹴散らして直進する。襲い掛かってこない限り応戦せず、(ひづめ)に掛けるだけである。後ろの兵は剣すらも抜いていない。

 抜けた。乱戦の人波の中を抜け、不意に視界が開けた。敵の横陣は一見堅固な壁の様だが、目の前に現れたのが何であるか、一瞬戸惑っているのを感じた。

 乱戦の人混みと、それが起こす土煙で、この距離に迫るまで騎馬隊の姿が見えず、突然現れた様に感じたのだろう。

 馬速を落とさずそのまま突っ込んだ。あっけないほどに敵が崩れる。剣も振らず、敵も倒さず、ただ脇に避け損なった敵兵を(ひづめ)に掛けて敵陣を疾駆する。

 敵陣を貫いた、すかさず手で合図をする。二列縦隊の騎馬隊が左右に分かれ、今貫いた敵陣の後ろを駆け抜ける。

 駆けながら初めて弓矢を(つが)え、射る。振り向きかけた敵兵が、こちらの姿を視認する事無く倒れた。

 背後に回られての騎射により、コルネリウス軍第三陣は瞬く間に、ほとんど抵抗らしい抵抗も出来ずに崩壊した。


「良し、あと一枚!」


 歩兵の先頭に立って馬を駆ける高星は、旗の乱れから第三陣を打ち砕いた事を確信した。あと一枚、あと一枚敵陣を抜けば、敵将の首に剣が届く。


「押せ! ひた押しに押せ! このまま津波の様に敵軍を押し流せ!」


 高星が乱戦の中に突っ込んだ。続いてエステルが、紅夜叉(べにやしゃ)が、(みさお)が、イスカが、そしてジャンも、突っ込んだ。

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