2・対陣
視界を遮る物が無ければ、意外と遠くまで見渡せるものである。戦場を見渡すには高さ10m程の櫓を台車に載せて馬で引く、櫓車でも十分に事足りる。ましてや低いとは言え、丘の上からは狭い戦場が一望できた。
「おう、敵陣の様子が手に取る様に解るわ。もっとも、向こうも櫓車を持ちだしている様だから、条件は同じか」
馬上の高星が額に手を立てて遠くを見る。五段構えの敵陣は、徒歩のジャンからもよく見えた。
コルネリウス軍の布陣は、およそ五百の大隊で敷かれる横陣を四枚重ねて、その後ろに本陣、さらにその背後に騎馬隊五百と言う布陣だった。最大幅300m足らずのこの狭い戦場では、これ以上横には広がり様が無い。
横陣ごとに兵装も違う様だ。最前列の横陣はパイクという5mを超える長大な槍を装備して、槍衾を作っている。第二第三の横陣は通常の長柄武器が主体の様で、歩兵の最後尾である第四の横陣は長柄の武器はまばらにしか見えない。おそらく刀剣を主兵装にしているのだろう。
「その上、拒馬まで備えていると来たか」
「拒馬?」
「歩兵の前に並べてあるやつだよ」
敵軍の歩兵の前には、先の尖った杭をX字に組んだ物が並べられている。
「文字通り馬の突撃を防ぐための設備だ。その場に固定した設備を広く馬防柵と言い、分解して持ち運べるものを拒馬と呼ぶ。
拒馬の亜種として、地面に埋めておき、敵が突撃してきたら縄を引いて起き上がらせる拒馬槍という罠もある。勢い余った騎馬が止まれずに突っ込んで串刺しになるんだ」
「警戒されているんですね」
「我が自慢の弓騎兵は最強の兵科と言っても差し支えないものだ。その分、警戒されて当然だ。流石にああ固められては手の打ちようが無いな。ここでは機動力も活かせないし」
「そんなに弓騎兵は強いですか?」
「短弓を持った一般的な弓騎兵ですら、機動力の劣る歩兵や重装騎兵なら一方的にあしらえる。一方向に備えてもすぐ側背を取れるため、円陣を組んで完全防御で耐えるしかない。そこに歩兵まで来られたらお仕舞だろうな。
軽騎兵ですら弓騎兵を相手にするのは厄介だ。機動力は同じでも、飛び道具で間接攻撃ができるというのは、騎兵の弱点である防御力の弱さ、攻撃手段が突撃であるため、攻撃すると自軍にも被害が出ると言う欠点を補っている分、強い。
ましてや我が軍の使う弓は、世界最大ともいわれる竹製合成弓の長弓だ」
「棟梁が騎兵に自信を持っている理由が良く解りました。でもああいう風に守られたら、手の出し様が無いんですよね?」
「お前も言う様になったな。まあ、あの程度は想定の内だ。しかし……敵もなかなかやる様だな」
コルネリウス軍の陣構えからその意図を読み取った高星は、初めて邂逅した敵将、おそらくコルネリウス家嫡男の軍事的才覚に感心した。
部隊毎に兵装を分けた陣構えから読み取れる戦術は、最前列は対騎馬特化、第二第三陣は通常の万能備え、ここまでは誰が指揮しても大差無いだろう。
第四陣が長柄の武器を持っていないのは、乱戦と追撃戦を想定している。乱戦の中では長柄の武器はその長所を活かし切れず、追撃戦の場合は疲弊しやすくなる。乱戦はどちらの軍が崩された場合も起こりうるので、これも攻防両用の備えと言えるだろう。
そして歩兵の後ろに本陣、本陣の後ろに騎兵の備え。これは地形的にぶつかり合いで騎兵の出番は無いと判断し、それ以外の役目に専念する構えだ。
一つは第二次追撃、安東軍の撃破に成功した場合、第四陣が第一次追撃を行い、さらなる追撃が可能と見たとき初めて騎兵を繰り出し、第二次追撃で徹底的に撃破しようと言う構え。
もう一つは、後方で変事が起こった場合、機動力に優れる騎兵が急行して事態が大きくなる前に鎮圧できる構えである。安東軍による海からの攻撃や、山を越えての攻撃も想定して備えているという事だ。
防御に徹する構えを取りながら、勝てる時は徹底的に相手を叩いて勝ちを得るし、同時に後方を攪乱される事への備えも忘れない。隙が無く偏りも無い、見事な用兵だ。
本陣に戻った高星は、二・三の細かい指示を出した後は、顎に手を立てて一人考え込んでいた。言うまでも無く戦術を練っているのだろうが、戦に限らず高星は誰かと相談して物事を決定するという事が無い。
相談できるだけの相手が居ないとも言えるが、トサの政庁に居る時も、相談相手として不足は無いはずの提督と話し合って物事を決めるという事は無いので、そういう性格なのだろう。
◇
まだ対陣初日である。敵にも味方にも動きは無い以上、最低限割り当てられた仕事と、警戒を怠らないと言う点だけしっかりと守っていれば、後は比較的自由にできる。
特に、高星直轄の親衛隊は、高星が動かない以上、交代で警護をする以外は大きな仕事は無い。
ジャンも武器装備の手入れもしてしまったし、武器を振るって鍛錬をするのも、実戦前に疲労しない様に抑え気味にするように言われているので、手の空いている者達と集まって話し込んでいた。
「じゃあ、できるだけ一緒に行動して、敵と戦う時も一人を数人で囲んで戦うという事で」
「おう、手柄は立てたいが、死にたくは無いからな。まあ、実戦でどれだけその通り行くかは解らんが」
「それは言わないでくれよ。それと、正面から戦う事になったら防御に徹して、誰かが後ろに回るまで耐えると言うのはどうだろう?」
「なるほど、そりゃいいな。ジャン、お前色々考えてんだな」
「そりゃあ、紅夜叉の様には成れないからな。その分色々考えないと、あっという間に死にかねない」
「春の戦のときにも思ったが、紅夜叉が敵でなくて良かったと心底思うぜ」
「あー、それは俺も心底同意する。あとホフマイスター博士の手当ても受けたくないな、どさくさに紛れて足の指を左右で入れ替えたりされそうで」
「地味に嫌だな、あの博士が変人なのは聞いた事があるが、本当にそんな事するのか?」
「やりかねない。愉快犯だから、おもしろがって何の意味も無い事をやってもおかしくない。真面目な話でも人をからかう様な話し方にするし」
「知り合いになりたく無いな。ご愁傷様」
「お前ら他人事だと思って……」
「他人事だろ」
「ひでぇ!」
無邪気な笑いが陣中に響き渡る、やがて交代の時間が来たと一人抜け、それをきっかけに一人、また一人と抜け、自然解散になった。後にはジャンだけが残される。
「ふぅ……」
軽い疲れを乗せて息を吐く。膠着しているとは言え、いつ戦いが始まってもおかしくないこの戦場で、恐怖は無かった。
さまざまな事を考えた、死なないためにはどうするべきか、個人的な武術の腕前は新兵相応の実力しか持たない自分が、手柄を立てるにはどうすればいいか。
考えようと思わなくても、次々と考えが浮かんできて止まらなかった。それは多分、悪い事ではない。
乱戦の最中で考え込んだりしたら、すぐに殺されるだろう。始まってしまったらもう、何も考えずに動き回るしかない。だから、その前に考えられるだけ考えておくのは、悪い事ではないと思った。
だが考えても解らない事が、一つだけ残っている。胸が、熱いのだ。高星の供をして、丘の上から敵軍を眺めて以来、胸が燃える様に熱くてたまらない。
以前はもっと、漠然とした言葉にできぬ感覚を抱えた事があった。春の初陣の事だ。あのときは結局、それなりに役には立てた様だが、実戦と言えるほどの経験はしなかった。ただ勢いで突っ込んだだけだ。
今回は、あの時とは違う。向こう側に陣を敷いているのは、明確に敵だ。殺し、殺されの戦いになる。夏に海賊を掃討した時もそうだったが、船戦ともまた違う。
不思議な事に、この胸の熱さは、春の言葉にできない感覚と同じものだと解った。感覚が理解したと言う他無い。自分の擁く感情なのだから、それは当然かもしれない。
つまり、あの頃の言葉にできない漠然とした感覚は、くすぶっていたのだ。参戦しながらも、大した働きができない事が解っていて、それでも何か成し遂げたくて、くすぶっていたのだ。
今は違う。どんな働きができるかは解らないが、何もできないほど弱くは無い。だから、活躍して、手柄を立てられる可能性を感じて、くすぶっていた思いに空気が送られた。炎が燃え上がった。
自分は今、逸っている。そういう事になるのだろう。早く戦場に飛び込みたくて、華々しい手柄を立ててみたくてたまらない。そういう事なのだろう。
「なんだ、答えが出たじゃないか」
嗤った。自分自身を嗤って呟いた。考えても解らないと思っていた事が、考えているうちに解っている。
そういうものなのだろう。いつだって、気付けば自分の意図しないところに自分は居る。
この土地に流れ着いた時も、高星の家臣になった時もそうだった。今も、いつの間にか、意図せずに、武勲を上げる事を望む身になっている。そんなものだ。
「ジャン、お前に仕事ができた。すぐに掛かれ」
エステルの呼び出しを受けた。ジャンはすぐにエステルの前まで駆け、直立する。
「なんでしょうか?」
「高星がお前を呼んでいる。すぐに行け」
「棟梁が俺に?」
「高星の指示はお前を呼べと言うだけだ、行けば解るだろう。命令を受けたらさっさと行け」
「はっ!」
一礼して、高星の天幕へと駆けだした。
◇
「棟梁、お呼びでしょうか?」
「来たか、早いな。何も無いが、まあ適当に座れ」
「はぁ、では失礼します」
手近な腰掛に座る。机の上に戦場の地図が広げられ、その上に白黒の駒がいくつか置かれているのが目に入った。図上演習の駒だ。
「戦術を考えていたのですか?」
「いや、もう考えはまとまった。あとは一晩ほど寝かせてから改めて検討するのと、その間に小競り合いの一つでも仕掛けて、相手の出方を窺うつもりだ。
お前を呼んだのは、単に休憩の雑談相手だよ」
「俺は雑談役ですか」
思わず苦笑した。
「まあ、雑談と言えども完全に戦術の事を頭から追い出す訳では無い。要は、ある程度違った刺激が欲しいのだ。お前なら戦術の話は聞きたいだろうと思ってな」
「それはぜひ聞きたいですね。俺達の軍はどう動くんですか?」
「それにはまず、相手がどう動くかを予測する事だ。この戦場ではお互いに側背に回る事は困難なので、戦うならば必然的に正面からのぶつかり合いになる。
そうなると、考えられる情況は四つだ。ただし、四つだが二つだな」
「……どういう事ですか?」
「簡単な話さ。正面からの戦いとなれば、取りうる戦術はどこに兵力を集中するかに集約される。この戦場ならば、海手側に兵力を集中させるか、それとも山手側に兵力を集中させるかだ。
それが敵味方双方に生じるので、どちらも海手側に集中する、どちらも山手側に集中する、我が軍は海手側、敵軍は山手側に集中する、逆に我が軍は山手側、敵軍は海手側に集中するの四通りだ。
そしてこの四つは、お互いに集中した兵力同士がぶつかるか、それともすれ違う様に相手の手薄な側を集中攻撃するかの二通りになる」
高星は説明しながら卓上の駒を動かして、四通りの情況を作ってみせる。
「どこにも戦力を集中させずに、均等に配分すると言うのもあるんじゃないですか?」
「その時は、こちらの集中した戦力からみれば寡兵、こちらの手薄な方から見れば大軍なので、すれ違いの形と同じ事になる。
互いに均等に兵力を配分すれば、互角同士なので同じ個所に兵力を集中するのと同じだな」
「なるほど。じゃあこの四つ、いや二つのうち、敵がどっちを取るかはどうやって読むんですか?」
「それはな、利得と言う考え方を使うと大体予想できる」
「利得?」
「全体で十の利得を取り合うと考えて、自分の利得が最大になる戦術を取ると考えるのだ。
まず今回の戦では、同等な兵力でお互いに打って出て戦えば、我が軍の方が多分強いだろう。しかし真っ向からの戦いは被害も大きくなりやすいので、対等な兵力で戦えば我が軍の利得が三、敵軍の利得が二くらいか、それが海手側と山手側で二つと考える」
「合計すると俺達が六で敵が四になるから、敵が不利という訳ですね。実際、全線で敗走する事になる訳だし」
「そうだ。そしてお互いに相手の手薄なところに戦力を集中して突破するのは、おそらくほとんど被害を出さずに突破できるだろうから、突破した方が五、された方が零とする」
「それがすれ違う様に二つだから、五対五で引き分けか」
「どちらかと言えば、痛み分けと言う表現が正しいだろうな」
「あれ、でも真っ向勝負だと利得の取り合いで負けて、すれ違う様に突破だと痛み分けだから、敵軍はどう戦っても不利じゃないですか?」
「そうだ。だから戦うと言う戦術の外、戦わないと言う選択肢を取る。お互いに戦わずにいると、やがて雪が降ってそこで戦が終わる。その場合の敵の利得は、まあ八くらいと見積もる。残りの二は兵力を損なわないと言う点で我が軍の利得だ」
「敵の利得は真っ向勝負で四、すれ違い突破で五、不戦勝で八。つまり敵は、不戦勝狙いをするに違いない、と?」
「そうだ。状況証拠から言っても、間違いないだろう」
「でもそれこそ俺達には不戦敗じゃないですか、何とかして戦いに持ち込まないと。こっちから仕掛けるのは駄目なんですか?」
「駄目だな。あの様にしっかりと守りを固めている敵を、正面突破する事は不可能だろう」
「大軍で一気に攻め込んでも駄目ですか?」
「敵は固く横陣を組んでいる、どれほど大軍で攻撃しても、ぶつかり合うのは線でのみになる。線に接しない大軍の後ろは、戦いに参加できずにうろうろするしかない。
そしてぶつかり合っているところだけを見れば、兵力は大差が無い。それならば備えのある守備側が有利だ、突破は難しいだろう」
「……じゃあ、どうすればいいんですか?」
高星の口角がニヤリと上がる。
「お前はその答えに繋がる糸の先は、もう掴んでいるぞ」
「え?」
「お前、今言っただろう、何とかして戦いに持ち込まないと、と。それが答えだ、敵を戦いに引きずり出せば良い」
「引きずり出すったって、どうやって?」
「だから利得だよ。敵軍は戦わない事で八の利得が得られると考えている。ならば、戦えばそれ以上の利得が得られると思わせれば良い。必ず乗ってくるはずだ」
「戦えば八以上、九や十の利得が得られると思わせる?」
「そう思わせる方法のヒントは、今までの会話の中にすでにあるぞ。答えが解ったら私のところへ持って来い。この罠で私は、上手く行けば十の利得を丸々得るつもりでいる」
高星が犬歯が見えるほどに口角を上げた。その表情はまさに、獲物を前に牙を覗かせた、猛獣のそれだった。




