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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
回廊の戦い
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1

 国境の長いトンネルを抜けると、視界に光が満ちた。

 海が、陽光を反射して煌めいている。闇に慣れた目には、痛いほどだった。

 戦場である事など、頭から吹き飛んでいた。長い長い闇を抜けて、光溢れる地平に出るという事は、これ程心を打つものだったのか。

 ウトの街から海岸線沿いに10㎞程の地点である。今抜けてきたトンネルは果てしなく感じるほどに長く、時間も距離も解らなくなるが、地図上で見ると2㎞程であり、行軍でも30分で抜けられる程である。

 その前にも短いトンネルは数本あり、この道が本当に、道など通せない様な険阻な地形を抜けて通されている事が解る。

 安東(あんどう)家の領地は、まさに天険に囲まれた地であるという事を実感する。だがそれは、見方によっては鉄格子の中の牢獄にも似ていた。

 長いトンネルを抜けた先にあるこの地域は、これまでの街道沿いでは一番開けていた。それでも向かって右手、方角ならば東の山から左手の海岸線まで、平らな土地は広い所で300m程の幅だろう。

 狭い所に至っては山裾(やますそ)を切り、切った斜面を城の石垣の様に固めてようやく100m程の幅を確保している。

 他にもあちこちの山肌に、切り崩した跡らしき崖が散見され、そういう崖は皆例外なく黄色い土を(のぞ)かせている。

 軍勢の移動などできない急峻な山と聞いていたが、目の前の山々はそう高い様には思われず、ちょっと気軽に登って下りて来られる様に思える。

 冬も近いせいか、濃さの違う緑色、赤や黄の紅葉、茶色い枯葉の色などが混じった山肌は、遠目には色とりどりの毛糸玉を一杯に敷き詰めたようでもあり、手を伸ばして触ればフカフカするだろうと言う気がしてくる。

 振り返って海側を向けば、砂に強い松の並木が植えられている。その向こうが砂浜だ。足を取られて移動速度が落ちるし、砂浜と磯が交互に入り混じっているので、まともな移動は困難だ。

 そして海、沖合1㎞程の所に島が一つある。島と言うより、山が取り残されたような感じだ。その島のふもと、海の浅瀬に朱色の鳥居が立っている。島全体が聖域という事だろう。

 何も無いが、それだけに心穏やかに休息を取るには良さそうな場所だ。常に緊張が絶えない国境近くでなければ、宿の一つも建っていてもおかしくは無い。


「全隊、設営に掛かれ!」


 号令一下、兵が設営作業に取り掛かる。つい風景に見入っていたジャンも我に返り、親衛隊長のエステルの下に集合する。ここはすでに戦場なのだ、改めてそれを思い出し、気を引き締める。

 棟梁である高星(たかあき)の親衛隊であるジャンは、他の一兵卒の様に設営作業に取り掛かる必要は無い。高星以下将校の幕舎と一緒に親衛隊の分も設営してもらえる。

 その代り現在の情況と情報を整理して、指示を考える高星の補佐の任務を負い、場合によってはこちらの方がよほど忙しく駆け回らなくてはならない。

 高星はすでに、土台に板を渡しただけの即席の机の前に座り、これまで戦線を支えてきた歩兵第3大隊の大隊長を引見して、報告を受けていた。


「まずは、こちらの情況を報告してくれ」

「はっ。現在我が隊は、丘の手前から松並木まで、街道に対して垂直に防衛線を敷いております。平野部には即席の空堀と柵、街道上には土嚢を積み上げて封鎖しております。兵力の配分は平野部に四百、丘に一百」

「まあ、妥当なところだろう」


 安東家領のウトの街から、コルネリウス家領のジヘノ砦までを結ぶこの街道は、政府が整備した一級街道で、その道幅は大型の荷馬車が八台横に並んで走れる程もある。

 馬車の通行に支障が少ない様、全線敷石舗装されており、両脇には歩道まで完備している。敷石が動かぬよう、道の近くの木は全て引き抜き、街道沿いはスリ一人隠れる場所も無く開けている。

 当然、これ程整備された街道は軍の移動にも適する。特に軍の長距離行軍速度は、輜重の移動速度に左右される部分が大きいため、大型荷馬車の大部隊が高速で移動できる大街道は、大部隊を迅速に送り込むのに大変都合が良い。むしろ、それを主目的として整備されたと言っても過言ではない。


「敵の様子はどうだ?」

「確認されている限りでは、敵兵力はおよそ二千五百。全て我が軍の正面に布陣して、にらみ合いを続けております。

 堅固な防衛施設を築き、こちらから攻撃しても容易には突破できないかと思われます。幾度か百から二百の部隊を繰り出して小競り合いを仕掛けてきましたが、基本的に守りを固めて防御の姿勢を崩しません」

「五百に対して本格的な攻勢を仕掛けてこないのなら、本体が到着した今となってはなおさらだろうな。やはり雪が降るまで時間稼ぎ狙いか……。

 敵将については何か解るか?」

「コルネリウス家の紋章が描かれた大旗を掲げていますが、総帥の参陣を表す帥旗(すいき)は掲げられておりません。おそらく当主以外のコルネリウス家の一族の誰かかと」

「軍勢の規模から言ってもそれが妥当なところだろうな。となると確かコルネリウス家には当主以外で軍の指揮が執れそうな人物は二人のはずだ。

 そのうち一人は南方に領地を持つ分家だと言う話だから、残る一人。コルネリウス家の跡継ぎの可能性が高いな」


 高星が(あご)に手を当てて考える。ややあって、矢継ぎ早に指示を出し始める。


「第3大隊は全隊、丘の上に布陣して守りを固めろ」

「はっ!」


 大隊長が一礼して飛ぶように駆けてゆく。


「平野部正面は最前列に第2大隊、次に第1大隊、その後ろに本陣と、兵力に劣る第4大隊と、騎兵を置く。エステル、そう指示を伝えろ」

「はっ!」

「それと工兵には防衛施設の強化工事を最優先でやらせろ、特に街道の石畳の上の防御は念入りに、弱点にならない様にだ。だが街道は破損するな」

「了解した」


 高星の指示をエステルが次々と振り分けていく。伝令の任を受けた親衛隊員が、蜘蛛の子を散らす様に八方に散っていく。ジャンもまた工兵への伝令を申し付かり、役目を果たして戻るそばから新たな命令を受けて、休む間もなく駆け回り続ける事となった。


 ヤコエ回廊の戦い、第21節4日時点での両勢力の情況は次の様になる。

 安東軍、総兵力二千三百、うち歩兵一千八百(南部国境を守る第4大隊のみ約半数の参戦)、騎兵三百、工兵一百、輜重兵一百。主将、安東家当主・安東高星。

 コルネリウス軍、兵力二千五百、うち歩兵二千、騎兵五百、輜重部隊等は後方、兵力不明。主将、コルネリウス家嫡男・ティトウス・コルネリウス。

 安東軍は丘陵を占拠して高所の利を得ている、しかしコルネリウス軍は守りに徹し、降雪による時間切れを目論んでいる。降雪まで推定、あと10日。


     ◇


 ようやく仕事が一段落し、ジャンは幕舎の一角に自分の場所を作って倒れ込んだ。厚布でできた幕舎の中でも、野晒(のざら)しに比べれば格段に快適である。

 長期の対陣になるときは上級指揮官から順に掘立小屋を築いたり、半年以上の攻城戦ともなると、一兵卒まで本格的な兵舎を築いて寝起きするそうだが、今回は長引かない事が解っているので、高星も幕舎で起居している。

 横になり、疲れて重い体を毛布を敷いただけの寝床に投げ出していると、意識が遠ざかって行った。別にこのまま寝てしまってももう構わないはずなので、身を任せる事にした。

 夕食を逃すのだけが心配だが、誰かが起こしてくれる事を祈ろう。(みさお)やイスカならば無下にはしないはずだ。

 夢現のうちに、何か熱い物を感じた。どこかで覚えがある熱さだ。自分の胸の中に石が一つ在って、それが内側から熱せられている様な感覚。

 そうだ、以前、反乱鎮圧戦に参加した時に感じた、あの感覚だ。あの時は結局なんだか解らないまま終わってしまったが、今度はこれが何であるか解るだろうかと思った。


 目が覚めると、すでに薄暗くなっていた。寒い、寒さで目が覚めたらしい。すでに冬も近く、しかも海沿いで風も吹いている中で、幕舎の中とは言え何も掛けずに寝ていたのだから冷えるのも当然だ。戦場に来て、いきなり風邪を引きましたでは冗談にもならない。

 身震いしながら幕舎の外に出ると、おあつらえ向きに夕食時だった。どうやら食べ損ねずに済んだかとほっとしていると、イスカが小走りで駆け寄ってきた。


「良かった、食事時なのに姿が見えないから捜しに行こうと思ってたんだ」

「情けない事に、危うく寝過ごすところだったよ。ついでに風邪も引くところだった」

「気を抜かない方がいい。見えるものばかりが敵じゃない」


 それはこの場では、寒さや油断と言ったものも敵であるという忠告だろう。

 しかしその言葉が出てきた背景にあるのは、敵はそこに居る人間だけではなく、人間の悪意の様なものも敵だと言う意識なのだろう。

 だから、自分が言うのも空々しいが、一言言ってやる事にした。


「そうだな。でも見えない味方だっているだろう」


 少なくとも目の前の少女の善意は、たとえ彼女がここに居なくても味方である事は間違いないだろう。


「なっ……!」


 イスカがひどく驚いた表情をして、顔をそむけた。


「イスカ?」


 何かまずい事を言っただろうかと思うが、特に一連の会話に問題発言がある様には思えない。首をかしげていると、イスカが振り返った。満面の笑みを浮かべている。


「さあ、行こう。早くいかないと無くなってしまう」

「お、おう」


 何が何だか解らなかったが、温かい食事を食べ損なわずに済んだ。それでいいだろうと思った。


     ◇


 規律の厳格な軍の中でも、自由と言うものはある。親衛隊であるジャンの駐屯しているのは、最前線からは最も離れた本陣であるので、比較的自由に行動できる。

 棟梁である高星を守らねばならないのだから、もっと警戒は厳しくしてくれとエステルなどは気を揉んでいるが、当の高星はここに奇襲も無いだろうと知らん顔だ。

 それに対してエステルが、ありえない場所に攻撃を掛けるから奇襲なのだろうと苦言を(てい)しているのが、多くの者によって目撃されている。

 ともかく比較的行動の自由があり、しかも本陣は歩兵第4大隊と、騎兵と、工兵隊輜重隊に隣接しているので、食事時ともなると他部隊の友人と一緒に食事をしにやってくる者も少なくなく、その副作用で思わぬ人物と会ったりする事もある。

 ジャンもまた、思わぬ、そして会いたくない人物と久方ぶりに再会した。


「いやぁ~おひさしぶりですね~。最後に会ったのが夏に安東殿が朱耶(しゅや)家に行く前だから……おお、もう10節ぶりですか、時が経つのは早いですね~」


 相変わらず間延びしたもの言い、へらへらした不真面目を絵に描いた様な態度、戦場に似つかわしくない白衣を着た、そばに居るだけで体の奥が危険信号を発する男。

 ホフマイスター博士とうれしくない再会を果たしてしまった。


「なんで博士が居るんですか」

「ん~、なんでと言われると、肩書としては工兵隊所属の技術者兼軍医ですね」

「軍医……」


 軍医と聞いても全く治療するイメージが湧かず、人体実験をするイメージしか浮かばなかった。多分、それは自分だけではないだろうと思う。


「ま、人体の研究はしてましたが、本職の医者じゃないのであんまり重傷になると手に負えませんから、そのときは別のちゃんとした軍医さんのお世話になってください。

 あと死んだ人は治せません」

「言わなくても解るわ!」

「そうですか? あなたが知らないだけ、今は方法が見つかっていないだけで、死んだ人間を生き返らせる方法が無いという証拠はありませんよ。

 もっと命の根本についての原理が解明できれば、死人を生き返らせることも、死体をつなぎ合わせて新たな人間を創る事も……いやいや、完全にゼロから人間を創りだす事も可能かもしれませんね~」


 博士がまたあの背筋にいやな寒さを感じる悪い笑みを浮かべている。


「……そんな無茶な事、できたとしても遠い未来の話だと思いますよ」

「そうですかね? 明日にも見つかるかもしれませんよ? 人間は一年もかけずに新たな人間を生み出せるんですから、実験室の中でそれができない事は無いと思いますがね」


 もうそれ以上は何も言わなかったし、言えなかった。こんなんでも相手は能力だけは折り紙つきの学者なのだから、まともに議論して敵う相手ではない。

 それにこれ以上話していると、どんどん自信が無くなって、漠然とした不安にとらわれてしまう。現に、すでに少し不安になってきている。

 だから止めた。逃げている様だが。と言うより明らかに逃げているが、逃げた方がいいものと言うものは、絶対にある。例えば自分一人で百人の敵兵と遭遇したら、迷わずに逃げ隠れしないと死ぬに決まっている。


「だんまりですか。まあ、食事中は楽しい話題をした方がいいですよね、私は楽しいですが」


 博士だけ楽しいの間違いだろうと思う。


「では楽しい話題に変更して、この食事の内容は私の提案を基に作られているんですよ~」


 噴き出した。おかしなものを入れた食事を、軍の食事として高星が認める訳は無いと解ってはいたが、反射的にそうなるのを止めようがなかった。


「何が入ってるんですか」


 努めて平静を装って尋ねる。


「玄米を食べさせる様に提案して、採用されました」

「玄米?」

「戦いの前は消化に良くて力が出る白米が好まれますし、もっと消化をよくするために湯漬けにしたりお粥にしたりしますけど、戦闘の直前でもない限り玄米を食べた方がいいですね」

「なんでまた」

脚気(かっけ)の予防になります。どうも(ぬか)が良いみたいですね。長期戦になると疫病の予防は重要ですが、脚気は明らかに食事が原因ですね。

 肉を食べられれば白米や小麦だけでもいいですが、戦場でいつも肉が食べられるのは期待しない方がいいので玄米です。精米しない分面倒がないですしね。

 その分消化に悪いので、よく噛んで食べるんですよ~」

「はぁ……」


 実感が湧かないのと、意外なくらいにまともで拍子抜けだったのが重なって、生返事しかできなかった。


     ◇


 嫌な再会があれば喜ばしい再会もある。ジャンに声を掛けてきた、戦場だと言うのに寸鉄も帯びていない青年の事を、ジャンはすぐには思い出せず戸惑った。


「まあ無理も無いか、なにせ一年ぶりだからね。特に話をした訳でも無かったし……でもあの雪の日の事は、今でもよく覚えている」


 雪の日と言われて、ジャンの脳裏に浮かぶのはただ一日しかなかった。高星が安東家当主の座を奪うためのクーデターを起こした、あの雪の日である。

 そしてその日の記憶に、確かに目の前の青年の姿はあった。


「ああ! あの時の!」


 あのクーデターのとき、ジャンや銀華(ぎんか)と一緒の組に居た冴えない青年だ。


「思い出してくれた様で何よりだ。正直なところ、完全に忘れ去られてもしょうがないと思ってた」

「まあ……ちょっと話しただけでしたから。それで、えーっと――」

瀬川(せがわ)だ。名乗るのも確か初めてだったね。君は、ジャン……で間違いないかい?」

「はい。それで瀬川さんは今何を?」

「あれ以来ずっと下っ端の行政官をやっていたんだが、この戦から軍付きの会計官として、事務全般の責任者になった」

「凄いじゃないですか、出世しましたね」

「いやいや、事務の責任者と言っても輜重は輜重部隊の管轄だし、最終的な決裁は殿にしてもらわなくちゃいけないから、私に権限なんてほとんど無いんだ。

 ただ事務処理担当役のまとめ役と言うだけの事さ」

「それでもまあ、また会えてうれしいです。知り合いが少ないですから」

「殿の周りには歳が近くて個性的な子達がいる様だけど?」

「個性的過ぎて疲れます。瀬川さんみたいな、普通の人が知り合いでいてくれるとほっとしますよ。あ、普通って言うのは褒めてますからね」

「解ってるよ。私は結局戦場での働きはからきしだが、それでも少しは役に立てている様で満足しているよ。君は、戦場で武勲を上げるのが目標かい?」

「一応、そうなりますね。周りが凄すぎて追いつくどころの話じゃない様な状態ですけど」

「まあ、頑張れ。死んじゃ駄目だよ。知り合いが死ぬのは嫌だからね」

「努力はします」


 笑って言う事が出来た。戦場で自分の身を案じてくれる人が居る。逆説的だが、おかげでより恐怖無く、敵に向かえる様な心持ちがした。

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