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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
晩秋の萌動
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4・絵解き

 居ついた野良猫の様だと思った。

 仮にも世間からは尊敬を受けている修行者なのだから、そのような想像をするのは失礼なのだろうが、一度浮かんだ想像は、頭にこびりついて離れなくなってしまった。

 草で染めた天然色の、襟の有る上下一体の服を着た、若く見えるが実年齢は知らない男。若水(じゃくすい)道人(どうじん)安東(あんどう)家の屋敷内で、堂々とくつろいでいた。

 堂々としているが、決して招き入れられた訳ではなく、勝手に上り込んでいるのである。いつもの事なのでもう、誰も気にはしない。


「道士様、またいらっしゃったのですか」

「おう少年、誰も居ないので暇していたぞ」


 最初のうちこそ敬意を払っていたが、初めて会ってからおよそ半年、こんな調子でしょっちゅう勝手に上り込んではぐうたらしているので、内心大分呆れてきた。


銀華(ぎんか)さんなら今日は居ませんよ。買い出しに出て遅くなるそうです」

「道理でお茶も出ないと思った」

「道士様はここにお茶を飲みに来てるんですか?」

「それもあるかな、彼女はお茶を淹れるのが上手い。もっとも、いつだってただ一人のために淹れられたお茶だが」


 だらしない様で、偶に鋭い事を言う。おそらく言葉に出す事以上に色々な事を、鋭く見抜いているのだろう。やはり、只者では無い。


「お茶を淹れてきますよ。あんまり上手くは無いかもしれませんが」

「いやいやありがたい。清水だけでは味気なくてな」


 修行者らしい事を言うが、口だけだ。実際は結構な酒好きである事を知っている。もっとも、その辺りが決して気が合う訳ではない高星と若水道人が、微妙な距離を置きながらも長い付き合いをしている理由なのかもしれない。

 自分の分も含めた緑茶を淹れて戻ると、若水道人はなにやら床を向いて手を動かしていた。

 近づくとどこから出したのか、紙と筆で何やら絵を描いているらしかった。


「道士様、何を描いているんですか」

「いやなに、ちょっとした落書きだ。思いついた事を取り留めも無く描いていると、考えがまとまって良い考えが浮かぶ。まあ今は本当にただの暇つぶしなのだが」

「書くと考えがまとまるのは、なんとなく解ります」


 湯呑を一つ差し出して、もう一つの方に口を付ける。まあそこそこ上手く淹れられた方だろう。


「ふーむ、不味くは無いがまだまだだな。ただ淹れただけの茶だ」


 勝手に上り込んで茶を要求したくせに、偉そうな事を言う。


「別にいいでしょう、お茶くらい。ひどい味でなければ」


 少し不機嫌になり、口をとがらせてつっぱねた。


「浅はかだな。茶を上手く淹れるのも(ことわり)というものがある。(ことわり)を理解しなければ何事も上手くはならない。それは軍事や政治も同じだ」

(ことわり)?」

「物事の深い所を流れる法則、とでも言えるか。例えば緑茶は熱い湯で淹れれば苦い茶になり、ぬるい茶で時間をかけて淹れると美味くなる。最も高い緑茶は、人肌から風呂程度の熱さの湯で入れるのが良いとされる」

「そんなぬるい茶、かえって不味くないですか」

「そこは工夫だ。茶葉の量を倍にして特別濃い茶をぬるく淹れ、後から熱い湯で割れば濃さも温度も丁度良い美味い茶になる。

 茶を淹れる事一つとっても、この様に味と温度の関係の法則をよく理解し、うま味を引き出して最高の茶が淹れられる。これが(ことわり)を知るという事だ」

「わざわざそこまで理解しなくても、淹れ方を覚えていれば十分おいしいお茶になるでしょう」

「茶ならそれでいいだろう。だが決まったやり方を知っているだけでは、それが通用しない事態に出会った時どうしようもなくなる。特に常に変化して止まない人の世の問題を相手にするなら、(ことわり)を知らなければどうしていいか解らなくなる。

 君の主人ならば、同じ戦場は二度と無いとでも言うだろう」

「うっ……なるほど」

「ま、それが簡単にできれば私も道士になんてならなかったがな。

 よしできた、我ながら上手いものだ」


 話している間も若水道人は休む事無く手を動かし、落書きとやらを一応完成させたようだ。

 よく見ると湯呑は空になっており、話しながら茶を飲み、かつ絵も描いていたらしい。それだけの事をこちらに意識させずに同時にこなしていた事に、ジャンは少なからず驚いた。


「何を描いたのですか?」

「何と言われれば落書きで、ちょっと格好つけた言い方をすれば、私が知っている者達を題材にした風刺画かな。君もよく知っている人々だ」


 そう言って若水道人が差し出した紙には、落書きと言うにはなかなか上手い、だが一見しただけでは理解できず、ちょっと頭をひねる様な絵が墨で描かれていた。


「まずこれは、棟梁ですか?」


 なんとなく特徴をとらえたシルエットの、黒く塗りつぶされた人影は高星の様だ。ただその姿は燃え盛る炎の中に描かれており、さらに塗り残しで涙を流している様だ。


「そう、安東殿だよ。我が身を燃やし、血の涙を流しながら進む男だ」


 どうやらこの絵はそれぞれの人物を比喩表現で描いているらしい。次に解りやすかったのはエステルだった。これも特徴はとらえた人の姿をしているからすぐに誰かは解った。

 ただ吸血鬼のイメージをより前面に出した姿で描かれており、高星の絵から流れる血の涙を両手で受けて飲んでいる。


「これはエステルさんで、棟梁の血を飲んでいるという事ですか」

「そうだ。安東殿の流す血を飲んで生きている、と同時に流れる血を受け止めても居る。彼女の存在は、安東殿あってこそのものだからな」


 上手いものだなと思った。エステルの吸血鬼の血を引いているという事実を踏まえながら、その生き方を端的に表現している。

 若水道人の絵の中で、人の姿をしているのはその二人だけだった。他の絵は一見しただけでは、誰の事か解らない。


「この鳥は不死鳥ですか? 灰の中から出てきている様ですけど」

「それは銀華だよ。最初は太陽で描こうかとも思ったが、彼女は一度死んでいるからな。死灰(しはい)(また)()ゆで、不死鳥が良いと思った」

「一度死んでいる?」

「まあ、廃人だった頃の彼女を知っているのは私だけなのだから、少し解りにくかったか」

「ああ、そういえばそんな事を言ってましたね。普段の銀華さんからは想像もできないせいか、忘れてました」

「あそこまで完全に立ち直った事を踏まえても、やはり不死鳥だろうな。それに不死鳥の涙は傷を癒すと言う、その辺りも掛けてみた」


 銀華という不死鳥が癒した傷は、心の傷だろう。

 再び絵に視線を落とす、絵の中には動物がもう一匹いる。虎だ、口の周りや爪に血を付けた虎。ただし猫みたいな子供の虎で、目を(つむ)っている。なぜかその背中には植物が生えて、玉になっていた。


「この虎は、紅夜叉(べにやしゃ)ですか」

「良く解ったな」

「これは割と解りやすいですね。こんな血を付けた虎の絵を見せられて誰の事だと思うと言われたら、真っ先に紅夜叉だと思います。でも紅夜叉にしては妙に可愛い子虎ですね?」

「そうかな。私に言わせれば彼は、未だ猛虎である己を知らず、ただ持って生まれた爪牙を振りかざすばかりの子猫だ」

「え?」


 ジャンの知る限り、紅夜叉はこの世の底辺を知りすぎる程に知り尽くし、無常と厭世の中でただ狂気に身を任せる事にのみ快楽を感じる男。

 それでいて、そんな鬼畜の所業をどこかで忌み嫌っているらしいと聞く、矛盾を抱えた男のはずだった。


「虎の本性を忌み嫌い、猫のふりをして生きたところで、虎は虎以外の何者でも無い。

 人を喰らわずにはいられない己を忌むのは、それが選んだものではないからだ。選べばきっと、彼は同じ所へ帰ってくる。なぜならそれが本性だからだ。

 そして彼が生き方を選ぶことをしないのは、選ぶ事が出来ぬくらい、未だ何も知らないからだ。その機会も無かったのだろうが、今はそうではあるまい。誰かが教えてやれば、いずれ知る事になる」

「何を知ると言うんです?」

「この世に、無い物は無いという事を、かな」


 いつだったか、紅夜叉は完全に人では無い、夜叉となり果てる事をどこかで恐れている。だから戦う事に理由を付けて人間らしくあろうとしていると、(みさお)が言っていた。

 それに対して若水道人は、紅夜叉が鬼に堕ちる自分を忌むのは、それが自分で選んだ道ではないからだと言う。しかし選べばやはり、今と同じ、修羅の血道を選ぶだろうと言う。

 本当にそんな事が有るのだろうか。人の生き死にや運命は、人の力では動かしようも無い何かに決められている。だから生きたい、死にたくない、その他何かを願う事は意味が無く、馬鹿らしい。そう紅夜叉は言っていた。

 その紅夜叉が、狂気の夜叉としての生き方しかできない自分を忌み嫌うのは、それが選んだものでは無く、何かに押しつけられたものだからだと言うのなら、それは紅夜叉の持論に反している。

 押し付けられたものは受け入れるより仕方が無い、それが紅夜叉の持論、というよりも、諦めの様なものだったはずだ。

 それとも、本当は諦めきれないでいるのだろうか。


「この絵はこれで二人分なのだが、それは解らなかったか?」


 若水道人が虎の背に描かれた植物を指す。玉になっている植物は、確かヤドリギのはずだ。そうで無くても紅夜叉を表す虎の背に生えている誰かとなると、一人しかいない。


「操ちゃんですか。でも操ちゃんはどっちかと言うと、紅夜叉の世話を焼いて、支えているイメージですが」

「行為としてはそうだろう。だが精神としては支えられているのは彼女の方だろう。特定の誰かに尽くすという事は、その人間に依存するという事だ」

「操ちゃんが紅夜叉に依存してますか?」

「どれほどしっかりしている様でも、あの子は君より年下の女の子だろう。年相応の弱さに気付いてやれ」

「と、言われましても。初めて会った時から俺の方が世話になってるからなぁ……」

「まあ、どのみち自分の心は自分でどうにかするしかないのだが、あの子の依存対象から言って、突然居なくなってしまった時が心配になる」

「まあ、紅夜叉と言えど死なない訳じゃないでしょうから。もし紅夜叉に何かあったら操ちゃん、悲しむだろうな」


 かと言って、ジャンには紅夜叉が死なない様にする事もできず、そもそも頭で理解していてもやはり紅夜叉の死は想像できず、結局どうする事も出来そうには思えなかった。


「後二つに絞れたから、大分解りやすくなってきたな。この槍は、イスカでしょう?」


 一本の槍。ただそれだけの、何の変哲も無い絵だった。強いて言うならば、槍の穂先が刃状ではなく錐状の、貫く事だけに特化した槍だ。


「真っ直ぐ、ただひたすら前に進み、貫く。それが彼女の本質だ。今時珍しいくらいに、真っ直ぐ前を向いた人間だ」

「同感です。あいつはとにかく驚くくらい一直線で、頑固で、頑張り屋です」

「ほう、やけに褒めるな。君がそんなに人を褒めるのは、初めて見た」

「そうですか? でもまあ、あいつが真っ直ぐなのは誰も否定できないと思いますよ。紅夜叉なんかはしょっちゅう考えが甘っちょろいと言ってますけど、それで一度も進む事に悩んだ事が無いですから」

「願わくば彼女の行く先に、多くの幸運が有って欲しいものだが、世の中正直で真面目な人間が報われる訳でも無いからな」


 若水道人が少し遠い目をした。それが何を見ているのか、何を思っているのか。それは本人にしか解らない事だった。


「で、最後のこの石ころは誰ですか?」

「解らないか?」

「はい。もう思い当たる人が居ませんね……」


 ジャンが石の絵を見て思案顔をしている。下を向いているため、若水道人がにやついている事に気が付いていない。


「それは君だ」

「俺!? 俺石ころですか!?」

「ふさわしいと思うが?」

「ひでぇ! でも言い返せねぇ!」

「ま、一応言っておくと、ただの石では無くて原石だがな」

「原石って事は、中に宝石が入ってるって事ですよね?」

「ああ、磨いてみないと解らないが、確かに才能と言う名の宝石は何かしら入っている。それは間違いないと見ているし、私以上に安東殿がそう見ているだろう」

「信じていいんですね?」

「私の言葉を信じるも信じないも自由だが、君の(あるじ)は君に才能を見て、期待している。それに応えるか応えないかと言われたら、君はどちらを選ぶ気だね?」

「もちろん応えます。応えたいです」

「ならばそれで十分であろう。ただ口だけはさんでくる人間の保証なんて求めても、仕方あるまい?」

「道士様……」

「ま、磨いてみたら宝石として価値の無い、砂粒みたいなものだったと言う可能性は否定できないのだが」

「うぐっ……手厳しいですね」

「まあ、宝石にならない砂粒でも、宝石を磨く研磨剤にはなる。全くの無駄にはなるまいよ。むしろ……」

「むしろ?」

「いや、忘れてくれ。聞かない方が君のためだし、私も誤った時の責任など取れないからな」

「……そうおっしゃるなら、忘れる事にします」

「それがいい」


 若水道人は、言おうとして飲み込んだ言葉を頭の中で反復する。ジャンの才能はむしろ、自ら光を放つものではなく、他人を輝かせる事にあるのではないか。

 だが原石は、割ってみて初めて見える宝石が入っている事もある。この場の推測で未来を決め、まだ見ぬ可能性を潰しかねない事は言うべきではないだろう。

 なにより、自分はどんな責任もとれはしない身なのだ。何かを決める権利を持たず、それに伴う義務も無く、言葉は挟んでも責任は取れない、取りようが無い。

 責任を全て投げ捨てて、何一つ背負う事を止めて身軽に宙に浮く。そういう存在になる道を選んで自分に、いまさら指針など示せない。今の自分にできるのは、ただ警句と助言を提示するだけだ。前者と後者には大きな隔たりがある。


     ◇


 不意に、半鐘を打つ音が辺りに鳴り響いた。鐘の音の間隔が開いているので、奇妙に間延びした印象を与える。

 だがそれを聞いた者は皆一様に身を固くした。ジャンと若水道人も例外ではない。


「凶だな」


 若水道人はその独特の感覚で何かを捉えたらしく、不吉を感じ取って身構えた。


「第二種緊急警鐘!?」


 ジャンは知識としてそれが急を告げる物だと知っていて、弾かれた様に立ち上がった。

 この半鐘の音は緊急事態が起きた時に打ち鳴らされるもので、間断無く打たれれば重大な事態が起こった事を示す第一種緊急警鐘、今の様に間隔が開いている場合は、緊急ではあるがまだ余裕のある事態を示す第二種緊急警鐘だ。


「道士様、緊急事態の様なので失礼します!」


 ジャンはあわただしく頭を下げると、政庁の執務室へと走り出した。ともかく事態を把握しない事には始まらない。

 残された若水道人も、邪魔をしてはならず、自分の相手をしてくれる余裕の有る者も無いだろうと立ち去る事を決め、静かに立ち上がり、庭に下りた。警鐘はまだ鳴り響いている。


「音色に凶の気が強いな。これだけ大きな凶となると……武器か。これは戦かな」


 それこそ、道士の身で加担するべきものでは無かった。

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