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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
晩秋の萌動
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3・千錬剣

 鉄を打つ音が、高く低く響いている。

 高星(たかあき)はエステルだけを伴って、職人街の刀鍛冶が集まる一角を訪れた。以前、領内で最高の職人に、最高の名刀を打ってもらう様に指示した。それが出来上がったと言う。

 呼びつけて持って来させる事もできた。むしろ多忙な身なのだからそうするべきだとエステルなどは主張したが、こちらから最高の品を頼んだ事に対して、それではあまりに失礼ではないかと言ったら、エステルも意外にあっさりと引き下がった。本心では同じ思いを抱いていたのかもしれない。

 向こうの望む物は全て用意してやるようにと申しつけておいたら、剣一振りとしては破格の値段になったが、安東(あんどう)家の当主の身からすれば大したものでも無かった。

 むしろそれだけの値を付けて来る自信があるという事を、楽しみにしていた。

 依頼先の刀工の工房を見つけ、中の様子を少し窺う。年老いてはいるが、頑健な体つきといかにも気難しそうな顔をした男と、息子と言うには少し若すぎる男の二人の姿があった。若い方は多分、弟子なのだろう。

 老刀工が難しい顔で拵えの無い刀身だけの刀を吟味し、その傍らで弟子らしき男が神妙な面持ちで座っていたので、少しこのまま様子を(のぞ)いてみようと言う気になった。


「駄目だな」


 刀工がしわがれ声で短く言う。


「駄目ですか」


 弟子が同じく短く言葉で答えた。


「斬れる事は斬れるだろう。だがそれだけの物だ、見ろ」


 刀工が(つち)を刀身の中ほどに勢いよく振り下ろした。高い音がして刀身が二つに折れる。


「これでは何度か硬い物を切れば折れてしまう。戦場で戦っている最中に折れる様な刀では、命を預けられん。

 この剣が折れて、そのせいで持ち主が討ち死にしたとしたら、それはお前が殺した事になるのだ。肝に銘じておけ」

「はい」


 弟子は見るからにうなだれている。だがすぐに顔を上げて、師に質問をぶつけた。


「では、命を預けられる剣とは、どの様な物なのですか?」

「ふん。そうだな、そこの剣を適当に一本持って来い」


 刀工が顎で指した方には、何本か剣が立て掛けられていた。弟子がその一本を選んで持ってくる。


「その剣に、今儂がやった様に鎚を振り下ろしてみろ」


 弟子が刀身を固定し、鎚を思いっきり振り下ろした。心なしか先程よりも低い音がした。刀身はひしゃげてはいたが、折れてはいなかった。


「これ程に曲がっても、折れなければ敵の剣を受け止める位はできる。程度が軽ければ直す事も出来る。

 斬れる剣を作るのは簡単だ。折れない剣を作れる様にならねばならん」

「どうすれば、折れない剣が作れるでしょうか?」

「鉄を知れ。鉄の声が聞こえる程に、鉄を知れ。

 鉄は不思議な金属だ。冷たくなれば物は硬くなり、折れる。だが純粋な鉄は、決して折れない。まるで(きん)の様に、どれほど打ち叩いても壊れる事が無い。

 また金属は不純物が多いほど脆くなる。鉄もそれは同じだが、混じり物が炭の場合は硬く強くなる。だから炭と共に焼くと硬くなり、炎で焼くとしなやかになる。

 そして高温の鉄を一気に冷やすと硬くなり、ゆっくり冷やすと粘りが出る。刀を打つにはここが最も重要だ」

「焼き入れと、焼き戻しですね」

「物が切れるという事は、切る刃物が切られる物よりも硬いという事だ。だからただ切れるだけならば、カンカンに焼いた鉄を一気に冷やせば、それで何でも斬れる剣ができる。

 だがそんな物は一度使えば折れてしまう。それでは駄目だ、実戦の役には立たない。だから粘りがいる」

「しかし、粘りを出すために焼き戻せば、その分柔らかくなって切れなくなります」

「切りたい物さえ切れればよいのだ。刀剣なら、鎧の鉄を切る事が出来ればいい。それ以上の切れ味は不要だ。

 だから鎧鉄よりも、紙一重で硬い刀身を作るのだ。それで敵を鎧ごと泥の様に切り、それでいて折れない名剣が生まれる。

 そしてその紙一重の加減を生み出すには、鉄の事を知り尽くさなくてはならん。同じ鉄は二つと無いし、その日によって加減は変える必要がある」

「それができる様になるのが、鉄の声を聞ける様になるという事ですか」

「そうだ。言葉で教えられるのはそれだけだ。後は精進しろ。今日はもう仕舞いにする、後片付けをしておけ」

「はい」


 弟子が短く頭を下げて、素早く片付けに取り掛かる。盗み聞きをしていた事がばれないよう、少し間をおいて高星は中へ入った。


「もし、以前注文した品が出来上がったと聞いて受け取りに来たのだが」


 刀工が鋭い目つきでこちらを(にら)みつけてくる。(にら)みつけている様だが実は違う、熟練の職人は皆こんな目つきだ。エステルが付いている事もあり、すぐにこちらの身分を察したらしく、奥の間へと案内された。

 間違いの無い様に改めて名乗ると、刀工は席を立ち、すぐに包みを二つ持って戻ってきた。


「これを」

「拝見いたします」


 包みを解くと白木の鞘に納まった剣が一振り。唾を飛ばさぬ様に紙を咥え、鞘を払う。

 三尺秋水、抜けば玉散る氷の刃、刀の見事さを表す言い回しは多々あるが、何一つ浮かんでは来なかった。ただ美しいとだけ思った。それ以外の思考ができなくなる様な気がした。

 一度鞘に納め、息を吐いた。


「試し切りをしたいのですが」

「庭に簀巻きがある」

「拝借します」


 庭に下りて簀巻きに向かい、白木の鞘を払って縁側に静かに置く。正対して刃を簀巻きの右に当て、左足を引いて半身になり、体捌きだけで切る。簀巻きが半分ほど切れた。また正対して、今度は反対、左に当てて右足を引く。

 誰も一言も発さない、物音一つ立てないまま試し切りを終え、鞘に納めた。


「いかがですかな」


 刀工の問いかけに、高星は息を止めていたのを吐き出すように答えた。


「これ程とは、正直予想以上です。簀巻きを切った時の手ごたえが、何よりも雄弁に語っていると言うべきでしょう。よく切れて、しかも切れすぎない。神業と言う他ありません。これ程の名刀を打ってくれた事に、感謝いたします」

「お気に召したようで何よりです。こちらこそ、この老骨にいい仕事をさせてくれて、感謝いたします」


 高星が再び座敷に上がり、一旦、剣を刀工の手に返す。


「ところでそちらは?」


 高星がもう一つの包みについて尋ねる。形状からしてそちらも刀である事は窺えるが、この場に二本目の刀がある理由が解らない。刀工が包みを解くと、やはりこちらも白木の刀が一振り現れた。


影打(かげうち)です。もっとも、決して真打に劣らぬ出来栄えにはなったと思っていますが」

「影打?」

「こちらも差し上げようと思いまして。もちろん、お代は要りません」

「妙な事をおっしゃる。聞くところによると、刀工が神に捧げる御神刀を打つとき、二本を打って出来の良い方を真打として奉納し、もう片方を影打として手元に置くか人に譲ると聞く。

 なぜ影打ちが存在し、しかもそれを私に譲ると?」


 刀工は真打と影打を並べて置き、居住まいを正した。


「少し、年寄の話に付き合ってもらえますかな?」

「構いません」

「儂はまだ未熟だった頃から、もう何十本になるか、あるいは百を超えたかも知れぬ程の刀を打ってきた。儂の仕事を人殺しの道具と言う者も居るが、自分が心血を注いで作り上げた物に、自分が成した事の成果に誇りを持っていた」

「門外漢ながら、解る様な気がします」

「だがそうして多くの物を作り上げてみて、一つ解った事がある。儂は形有る物、儂の死後も残る物を多く作ったが、本当に残る物は未だ作っていないと思った」

「本当に残る物、ですか」

「形有る物をいくら作っても、それだけでは本当に残る物は作れん。例えどれほど有名な刀工として名と刀を残しても、どこかの戦場で人知れず失われていくか、ただの飾り物として残るだけだ。それは何か違うと思った。

 だから御領主様の、大きな戦の先に何かを築こうとしている、それも単なる栄耀栄華ではない何かを、まあ儂には良く解らん事だが、とにかくそういう領主様の佩刀を打つ、これは天が与えてくれた最後の機会だと思った。

 儂も歳だ、これから体力も衰える。多分、もう二度とこれ以上の物は打てないだろう。だからこれが儂の、言ってみれば遺作だ。

 そしてもしこの剣が、領主様が何かを成すのに役にたてれば。いや、剣にできる事は敵を斬り、持ち主の命を守る事だけだ。この剣があなたの命を救い、その結果貴方が大事を成せば、その時儂は本当に何かを残したと言えるのではないか、そう思ったのだ。

 ならば、儂の全身全霊をかけた全てを差し上げてこそ、それに挑むべきだろうと思った。だから納得のいくまで何本も打ち、その中で最良とそれに次ぐ物をそれぞれ真打影打とした。

 そしてこれは神に奉納する物ではないので、真打影打共に差し上げようと思った次第なのです」


 高星は目を閉じ、腕を組んで聞いていた。刀工が語りを終えた後も、しばらくそのまま微動だにしなかった。

 やがてゆっくりと目を開いた高星は、畳に手をついて頭を下げた。


「感謝します。私のために、それほどの思いで剣を打ってくれるとは」

「礼など言わんでくれ。儂はただ、自分のために最後の仕事をしたのだ」

「だとしても、確かにこの剣は私にとって命を預けるに足る物です。自分のために刀を打ったと言うのはその通りでしょう。しかしその結果が、私の未来を守るかもしれないのもまた事実です。いくら感謝しても、し足りません」

「もうよしましょう。儂は儂の全てを懸けて自分の仕事をした、貴方は貴方で自分の成すべき事のために手を尽くしている。その中に偶々(たまたま )儂の剣があった、それだけです」

「では、そういう事に致しましょう」


 高星が席を立とうと片膝を立てる。


「お待ちを、実はこの剣には銘を刻んでおらぬのです」

「銘が無い? 普通は刀工の名を銘として刻むものでしょう。訳有って無銘にする事もあるが、何故この名刀に銘が無いのです?」


 高星が座り直して尋ねる。


「もちろんせっかくの名刀が無銘では寂しい。しかしこの剣に他の刀と同じ様に、儂の名を刻む気にはなれなかった。

 この剣は最初から儂が打った物とは言えない。最初から儂の手を離れた、領主様の依頼と、それが訪れると言う天の与えた巡り合わせが打たせた刀だと思っている。

 だから銘は、領主様が付けられてはどうだろうか?」

「と、言われましても、急に良い銘は思いつきませんな。せめてこの剣が、どの様にして打たれたかをお聞かせいただければ」

「どの様にと言われても、特別な事をした訳でも無い。強いて言うならば、徹底的に鉄を鍛え上げたと言うくらいだろうか。それこそ普通の剣では数百回の鍛錬をするが、この剣はその数倍、千にも届くかと言うほどに鉄を打った。もちろん数えた訳ではないが」

「千にも届くほどの鍛錬……。古代の王朝において、軍人に支給する官製の剣は鍛錬の回数が規格として決まっていて、将軍に賜る最上品を百錬剣(ひゃくれんけん)としたと言う。

 この剣は千回の鍛錬の末に打ち上げられた名刀なので、千錬剣(せんれんけん)と名付けよう」

「千錬剣か、風雅の欠片も無いが、強さを感じる銘だ。大望に向かう者の佩刀にはふさわしかろう。(こしら)えが出来次第、届けさせましょう」

「ありがとうございました」


     ◇


「エステル、あの刀工の言葉、どう思った?」


 帰り道、高星がそんな質問をエステルにぶつけた。何かを考えている様な、どこか遠くを見ているような眼をしていると、エステルは感じた。


「どの言葉だ?」

「全部だが、特に『本当に残る物』のくだりかな」

「あれか、そうだな……、例えば私が高星を守り通して、それで高星が目指すものを成し遂げた時は、私の成した事は本当に残る物になったと言えるのではないかな。

 逆に、たとえどんなに大きな功績を遺したとしても、それが誰のためにもならず、誰の心にも残らず、ただ記録としてだけ残ったらそれは、本当に残ったとは言えないのかもしれないな」

「難しいものだな。だとしたら誰も名前も知らず、その功績の恩恵を受けている事も知らなかったとしても、何かを残せたという事になる。

 例えそれが失敗で、無残な結末に終わったとしても、100年後の誰かがそれに勇気づけられれば、それは無駄ではないという事か」

「一つ言える事は、高星の為そうとしている事は、成し遂げれば必ず、遠い未来の誰かに希望や誇りを残せるものだという事だ」

「そんな自分の死後の事なんて、誰が保証できるものか」

「確かに保証はできないな。だが信じる事は十分にできる。信じているから、私は高星に全てを賭けて、捧げる事ができる。それをする事で、私も何かを残す事ができるのだろう」

「たとえ失敗しても、何かは残るだろうか?」

「愚問だな。その答えは誰よりも高星自身が知っているはずではないのか?」

「……そうだったな。遠い昔の、敗れ、滅び去った先祖から、私は命を受け継いだ。ただ生きていると言うだけではなく、重く、苦しいが、それ以上に力をくれるものを、与えられたのだ。

 だからそれを伝え、残さねばならない。残すために生きなければならない。生きるために、戦わねばならない」

「そして戦うために、生きねばならないのだろう?」

「そうだ。本当に残る何かとは、『生き様』と言うやつなのかもしれないな」


 数日後、見事な(こしら)えの施された千錬剣が二振り、送り届けられた。ほぼ同じ拵えだが、真打の方がわずかに色鮮やかで、装飾も凝っていた。

 高星はしばらく二振りの千錬剣を眺めていたが、最終的に真打を神棚に奉じ、影打を佩く事にした。

 影打が失われた時こそ、真打が必要になるだろうと、予言めいた事を呟いていた。

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