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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
北国の秋
64/366

6

 炎は消える直前が最も輝く。

 そんな言葉を思い出した。高星(たかあき)の結婚に伴う3日間の祝祭の最終夜、全ての公式行事が終わった後、夜の街は最後の喧騒に包まれていた。

 明日からはまた日常が戻ってくるのだろう。だがその日常は、もう以前の日常ではない。だから戻ってくるという表現は正確でないのかもしれない。

 ジャンは安東(あんどう)家下屋敷に入り込んで、そんな事を考えながら中心街の明かりが夜空を淡く照らすのを見ていた。

 思えばこの3日間のうち、2日は完全に自由に過ごしていた。親衛隊であるにもかかわらずである。

 もっとも、親衛隊が居なくても式典の間、高星の周りには多くの兵が控えているし、そもそも自分では親衛の役にはあまりたたないだろう。だから居なくても特に問題にはならない。

 自分はまだ、その程度の存在でしかないのだ。


     ◇


 後ろの引き戸が開く音がした。振り返ると紅夜叉(べにやしゃ)(みさお)の姿があった。


「なんだ、居たのか」


 紅夜叉がぶっきらぼうに言う。


「そりゃこっちのセリフだよ。まあ、この屋敷も広いから、別々に入って別の場所に居たら気が付かないか。どこに居たんだ?」

「台所。何か食い物と言うほどでもないが、つまみになる物は無いかと思ってな」

「何かあったか?」

(ろく)なもんが無かったから、操が野菜を切って味噌を付けた。言っておくが、お前の分は無い」

「いや、別に盗らねぇよ」


 そうこう言っているうちに、紅夜叉はずかずかと部屋に入り、ジャンと少し距離を置いて座った。操の方は心なしか、胸を張っている様に思える。

 しばらくは無言の中で、野菜をかじる音だけが小さく聞こえていた。ジャンは特に気にせず、またぼんやりと街の方を眺めていた。


「祭りが終わるなぁ」


 ポツリとそんな事を漏らした。特に何か意図があった訳ではない、ただ無意識に思っている事が言葉になって出てきた。


「そうだな。そして祭りの熱が冷めれば、また地獄が始まる」

「地獄か。お前にとってこの世は地獄か?」

「誰にとってもこの世は地獄さ。ぬるいぬるい、自分がゆっくりと溶けていく様な地獄だ。それに比べれば灼熱の戦場は天国だろう」

「そんなにぬるくも無いと思うがな」

「だが地獄には変わりない。棟梁もこれからまた更に地獄を見るし、花嫁も地獄を見る」

「なんでそう言い切れる」

「結婚で幸せになどなれるものか。しかも何も知らない娘とあらばなおさらだ」

「何も知らない娘? なんでそんな事が解る」

「そんなもの、一目見れば解る。何か知っていればあんな無防備な空気は(まと)えない。そういうものだ」

「……そうか、信用しよう。だが棟梁の方も地獄とはどういう事だ。もともと茨の道を進んではいるし、これから戦に明け暮れるならなおさらな事は解るが、お前がわざわざ言うあたり、それだけの理由とは思えん」

「棟梁は、呪いを一つ背負い込んだという事さ。家族と言う呪いをな」

「家族と言う呪い?」

「長く傭兵家業をやっていたからな、お家騒動の類はずいぶん見てきた。そうすると家族と言う奴は、つくづく厄介な呪いだと思う様になる」

「……いまいちピンとこないんだが」

「そうだな、例えば棟梁に子ができて、そいつが今の棟梁くらいの歳になったとしよう。棟梁は親を殺して今の地位を手に入れた、なら棟梁の子が同じ事をしないと言う保証はあるまい?」

「そんな! 棟梁は先代とは違う! あんな事を起こされる側になんて――」

「なりうるさ。棟梁の子が自分の方が正しいと信じればな。特に棟梁のしている事は、どちらかと言えば悪行を尽くすと言うべき事だろう。それは棟梁自身が認めている」

「それはそうだが……ちゃんと説明すれば、棟梁がどうしてそういう道を選んだか解るはずだ。そうなればきっと――」

「お前の周りに、ちゃんと説明してくれる大人が居たのか?」


 言葉に詰まった。ジャンに対して、丁寧に説明してくれる大人など一人として居なかった。高星ですら、重要な事はぼかしたり、話さなかったりする。

 高星の場合は、それ相応の理由があって話さないのだという事が今は解る。だが確かに高星も、自分の行いを人に丁寧に話して教える人物ではないのだ。


「居ないだろう? 誰も説明なんてしてくれやしないものだ。話せば解るなんて俺は信じちゃいないが、そもそも話し合おうとしないのが人間だ」

「……だとしても、20年後の話だ。それまでにどうにかできる可能性はあるはずだ」

「20年、ね。災いはもっとすぐにでも来るかもしれないぞ? 棟梁の嫁は政治に口を出す様な女ではなさそうだし、棟梁もそんな事はさせないだろうから、その方面はいいとして、跡継ぎが生まれればそれだけで災いを呼ぶ」

「どういう事だ。跡継ぎができる事は、ほとんど皆が望んでいる事じゃないのか」

「もし棟梁が戦場で倒れ、年端もいかないガキが当主になったとしよう。当然、政務なんてとれやしないから、誰かが代わりに実権を握る事になる。

 つまり実質的な当主に成れるという事だ。それが10年以上も続けば、当主が大人になっても傀儡にして、実権を握り続ける事も可能だろう」

「……歴史書を読むと、よくあるパターンだな」

「そうらしいな。で、棟梁が死ねば実権を握れるとあれば、戦場で棟梁が死ぬようにあれこれと仕組む奴が出るかもしれない。『流れ矢』一本あれば簡単に味方は殺せるからな。

 棟梁に跡継ぎが生まれれば、そういう事も考えられる訳だ。早ければ来年にも起こりうる事だな」

「そんな事を考える奴が、安東家の中に……」


 居るものか、と言えなかった。例えば騎兵第一中隊長のセイアヌス、エステルはあの男を野心が過ぎる、高星すら踏み台にしかねないと言っていた。

 軍の中枢に近い所に、すでにそういう男が居るのだ。ならば見えないところにどんな野心を隠した者がいても不思議はない。


「女と言うものは妻でいる間はいつ男に捨てられるか解らない、だが母になれば子に捨てられる事は無い。だから権力者の女なんてものは、さっさと夫が死ねばいいと思っている。そんな相手と寝食を共にするなんて、地獄以外の何物でもないだろう」

「棟梁は、結果論とは言え母親を死に追いやったぞ」

「あれは自殺だったからまだよかったものの、直接手を下したら厄介な汚点として残ったさ。ただでさえ父親殺しと陰口をたたかれているのだからな。

 それに棟梁の様な例外的な事例がいつも起こると思うのは甘すぎる」

「待った、棟梁の陰口を言う奴がいるのか!?」

「いくらでも居るさ、堂々と言わないだけの事だ。それも関係も責任も無い庶民の方がよく言っている。夜の酒場で酔った勢いでそういう事を言う奴なんて、めずらしくもない」


 高星が親殺しの汚名を背負わざるを得ない事は解っていた。だが敵から面罵されるのならともかく、高星の膝元でその様な陰口が横行している。それはやはりショックな事実だった。


「もし棟梁の子が二人になったら、棟梁とその弟の様な事も起こりうるし、それに合わせて家臣団が分裂なんて事もあり得る。長男の出来が悪くて次男が優秀だったりしたら特にだ。

 棟梁の嫁さんに取り入って何も知らない嫁さんから情報を引き出し、隙を窺おうとする刺客なんかも居るかもしれない。

 解るか? 家族と言う奴は、破滅への入口で満ちているんだよ」

「それで、家族は呪いか」

「地獄と言うものがあるなら、それは他人が存在する事だ。

 隣に誰かが居る。そいつは自分の陰口を言っているかもしれない、突然殺しに掛かってくるかもしれない、知らぬ間に盗まれているかもしれない……疑い出せばきりがない。

 その恐怖に耐え続けるのは地獄。考えない様にして、実害を受けてからそれに気付くのもまた地獄。そういう事が無い様にと、仲良くなって裏切られたらこれも地獄。地獄とは他人の事だ。

 ましてや自分の近い所にいつも居て、自分の事をよく知っている家族なんてものは、逃れ様も無く最悪の地獄だろう」

「……確かに、家族が敵になれば、それこそ逃げ様の無い地獄だ。逃げたとしても、それもまた地獄だ」


 ジャンはもう、自分の親の顔も声も思い出せなかった。だが親の元で暮らしていた日々が地獄である事は忘れられないし、疑い様も無かった。

 そこから逃れるために親を殺した事もまた地獄。自分の居場所を自分で壊して失い、拾われて行った新たな居場所もまた、人殺しにふさわしい地獄の底だった。


「全くくだらねぇよな。望んだ訳でも無いのに何でこんな地獄で生きなきゃならねぇのか。だがどうあれ生きているなら、せいぜいこの地獄を謳歌してやらなきゃ損だ。

 それには一番熱い、灼熱地獄に自分から飛び込んだ方がおもしろい。俺はせいぜいこの地獄を、満喫してから死んでやるさ。

 お前はどうだ? 生きていたところで良い事なんか何も無いこのくそったれな世の中で、お前はどう生きて、死ぬ?」

「俺は……」


 ジャンは空を見上げた。秋の夜空は澄み切っていて、星が良く見える。街の明かりもそろそろ落ち着いてきて、星明りがさっきよりもよく見えるようだった。


「生きていても良い事なんか無いとは思わないな。少なくとも、棟梁と会えた事は絶対に良かったと思う」

「出会った以上、いつかは別れるしかないぞ」

「それは仕方が無いが、それでも会えてよかったと思う。いつか別れるのが惜しいと思う相手ができたのは、初めてだ。

 それにイスカの奴が居るから、どんな形にしろ棟梁を別れるときも、後悔なんかしなくて済む様にしてくれるだろう」

「他人の、それもあんな甘い理想を当てにしてるのか」

「俺は何もできないからな。何かできたとしても、何もかも上手く行く様になんてできやしない。それ位は解ってる。

 だから、こうしたい、絶対にこうしてみせる、そういう風に思っている奴がいるなら、そこはそいつに任せて、それを信じてみようと思う。

 もちろん駄目な事の方が多いんだろうが、それを言ったら俺が全部自分で何とかしようとする方がもっと駄目だろうからな」

「それで、結局お前はどうするんだ?」

「うーん……。まだ解んねぇや。でもそうだな、棟梁にしろイスカにしろ、何かを目指している奴が居たら、半信半疑でも応援したいと思っている。

 それで自分が少しでも力に成れて、その目指しているものが叶った時に、一緒に喜べたらいいかなって思ってる」

「ふん、結局お前は、自分で何かをどうにかしようと言う気が無い訳だ」

「あー、そういう事にもなるか」

「なるな。お前の様な奴は、ずるずると死んでいくのがオチだ。……だがお前の様な奴が、死ななきゃならない道理も無いが」

「えっ?」


 紅夜叉の最後の言葉は、いつにも増して厭世的で力が無かった。


「あー、なんか湿気(しけ)たな。どっかで酒でも飲んでくるか。操、金持って来い」


 はいはいという返事をして操が席を立つ。ずっとそこに居たのだが、今までまるで意識しなかった。もしくはできなかったと言うべきか。

 紅夜叉も空になった小皿を握って立ち上がり、ジャンに背を向ける。


「明日からまたいつも通りなんだから、あんま夜遊びすんなよ」


 紅夜叉に言ったところで意味の無い言葉ではあるが、紅夜叉は後ろ手に空いた方の手をひらひらと振って応えた。

 地獄とは他人が存在する事だと紅夜叉は言うが、ジャンにとって紅夜叉の存在は必ずしも地獄とは思えなかった。

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