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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
北国の秋
63/366

5

 木々が色付いていた。

 街外れに、公孫樹(いちょう)の並木道になっている通りがある。今はまさに公孫樹(いちょう)黄葉(もみじ)の盛りで、木々の葉と落ち葉で一面が黄金色に色付いていた。

 今、この通りを歩いているのは、ジャンとイスカの二人だけである。中心街の方は相変わらず祝祭でにぎやかだが、この辺りはうって変わった静けさに包まれている。風が吹く度に、木々の葉がこすれる音がするだけだ。

 昼下がりの並木道を二人して歩いているのは、次の様な理由である。ジャンもイスカも、初めのうちは祝祭の熱気に当てられてそれなりにはしゃいでいた。徹夜をして遊び回り、明け方には力尽きて、一旦眠りに落ちた。

 その後昼前に起きたのだが、どうにも疲れが取れた気がしない。はっきり言って二人とも、慣れない騒ぎに食傷気味になったのである。

 それでどこか静かな場所は無いかと思っていると、銀華(ぎんか)にこの通りが静かで、しかも公孫樹が今、見頃であると言う話を聞き、二人してやって来た次第である。


「ほんと、これは凄いな。辺り一面真っ黄色……いや、黄金色だ」

「ああ、それに嘘みたいに静かだ。それも街の南の静けさとは違う、何と言うか……落ち着く」

「確かにいくら静かでも、あの辺は落ち着かないな。なんせ墓地と処刑場のそばだもの。その上ホフマイスター博士も居る……ううっ、思い出したらなんか寒気が」


 ジャンが両手で自分を抱きかかえて身震いする。


「あそこは博士一人で不気味さの半分くらいを担っている気がするな」

「俺まだ時々博士に実験される悪夢見るよ……」


 不意に、ジャンは靴の裏に違和感を覚えた。小石でも踏んだような感覚だが、もっと角の取れた丸い物を踏んだ感じだ。足を上げてみると、踏みつぶされた小さな実があった。


「何の実だ、これ? どこから来たんだ」

「ん? ああ、それは銀杏(ぎんなん)だ。知らないのか?」

「銀杏?」

「ここらに植わっている公孫樹の実だ、公孫樹の木には雄と雌があって、雌の木はこうして実を付けるんだ」

「へえ、詳しいな」


 感心するジャンに、イスカは少し照れくさそうに顔を赤らめる。


「いや、実は去年、銀華さんに教えてもらったんだ。銀杏は食べられて、料理に使うからって拾い集める手伝いをさせられた」

「なるほど。今年は拾わないのか?」

「去年とは色々と変わって、銀華さんも前みたいに一緒に過ごしてばかりもいられない様だからな」

「そうか……俺はその頃の暮らしは、ほとんど知らないからな。どんなもんだった?」

「一言で言うのは難しい。いや、言葉で説明すること自体難しいかもしれない。でもこれだけは言える、楽しかった」

「そうか、楽しかったのか」

「……だが今の暮らしも十分充実している。あの頃はまだ君も居なかったしな」

「よせやい、俺なんかが居たところで――」

「君!」


 イスカの鋭く、短い言葉がジャンの言葉を遮った。イスカがその赤く美しい瞳に、あらんかぎりの力を込めてジャンを見据えている。


「……悪かった。俺なんか、なんて事は言うべきじゃない。そうだろう?」

「解ればいい」

「やれやれ、居場所が変われば人は変わるものだな。それこそ昔は、俺なんか使い捨ての駒に過ぎないのが当然だったのに」

「君がここと言う居場所を得てそういう風に変わったのなら、棟梁様の夢もやっぱり間違ってないものなんだろうな」

「変わった、か……」


 ジャンは安東家上屋敷のある方を眺めた。公孫樹並木の向こうに、僅かに屋根が見える。


「棟梁も、これでまた変わるんだろうな。そうやってどんどん変わっていく。結婚したんだから、そのうち子供ができたりするんだろうな」


 言葉にしてみても、それはどこか宙に浮いた様で実感が湧かなかった。ましてや自分がいつか結婚して、子供ができるなどは想像もつかなかった。


「なあ、イスカ」

「なんだ?」

「ちょっと嫌な事を聞くかもしれない」

「……解った、言ってくれ」

「イスカの両親って、どんな人だったんだ?」


 あらかじめ断りはしたが、それでも少し嫌な顔をするかもしれないと思っていた。だがイスカが浮かべたのは、どちらかと言えば戸惑いの表情だった。


「私は……実は両親と言うものに覚えが無いんだ。覚えている限りずっと姉様と二人で暮らしていた。その姉様も、今だから言えるが、血が繋がっていたのかは解らない。あんまり私と似てはいなかったと思う」

「そうか」

「今さらだが、姉様にもっといろんな事を聞いておきたかった。もう何も聞けなくなってから、聞きたい事がいっぱい出来てしまった」

「そうか……まあ、その、なんだ。過去の事は解らなくても、たとえどんな秘密があったとしても、今のお前は変わらないんじゃないかと思う。

 例え何があっても、それを知った事でお前が豹変するのは想像できないからな」


 イスカが立ち止り、キョトンとした表情でジャンを見る。ジャンがなんだよ、と言葉を返すと、イスカは弾かれた様に笑い出した。


「一体なんだってんだ、見つめたり笑ったり」

「君は私に気を使っているのか、馬鹿にしているのか。いや、悪気が無い事は解っているが」

「どういう事だよ」

「君の発言は、過去なんか関係ないと励ましているのか、お前は変わりそうも無いと馬鹿にしているのか解らないという事だ。

 要は、君の言う事は無茶苦茶だ。それが無自覚に言っていると解るからおかしいんだ」

「あー、そうなるのか?」

「そうなるな。全く君は相変わらず、どこかずれているな。頭が良いのか悪いのか、物を知っているのか知らないのか、いろんな所がちぐはぐだ」

「ぐ……それをお前に言われたくは無いぞ。お前こそ知り合い以外には人見知りなくせに妙に熱血だったり、聞き分けが良さそうで頑固だったり」

「それは絶対に譲れない芯があると言うんだ。軸がぶれ気味な君とは違う」

「うっ……俺はやっぱり軸がぶれていると思うか?」

「ああぶれているな。大まかに進む道はあるが、具体的な決意の様なものが無くてふらついている」

「くそっ、否定できない……」


 ジャンは歯噛みした。高星の目指すものが成就するところを見たいと思い、そのために自分ができる事があればしたいとは思っている。

 だが具体的にどうするのか、自分が高星の下でどういう存在になりたいのか、明確な目標が無いのは常々自分でも感じていた。それはイスカの目から見ても解るものだった。

 ともあれ、このままここで引き下がるのは、ジャンのつまらない自尊心が許さなかった。だから、最近小耳にはさんだとっておきを使う事にした。


「……これはこの前小耳にはさんで、誰にも言わずにおくつもりでいたんだが……」

「なら、言わなければいいだろう」

「いーや、言ってやる。イスカ、お前……」


 イスカが小首をかしげる。自分の名前を出されても何の事かまるで見当もつかずにいる。


「ときどき銀華さんと一緒に寝てるそうだな? いい歳して」


 イスカの顔が一瞬で耳まで真っ赤になり、酸欠の魚の様に口をパクパクさせる。声にならない空気の音が、口から漏れ出ている。


「だっ、だっ、だっ、誰に聞いたー!!」


 しばらく経ってようやくイスカが大絶叫を上げた。ジャンは会心の笑みを浮かべている。


「ん? 紅夜叉(べにやしゃ)

「あいつかー! いや、それ以前に一番知られたくない奴に知られたー!?」


 イスカが顔を押さえてうずくまる。ジャンとしてはしてやったりである。だが予想以上の反応に、流石にこれ以上は可哀想だと思ったので、この辺りで落としどころにしようとイスカの背中に声を掛けようと口を開いた。

 ジャンの目の前で、イスカの服装が変わる。水色のインナーにジャケット、そして肘まで覆われた黒い手袋の右手に掴む槍。

 ヤバイ、そう思った時にはもう遅かった。地面に仰向けに組み伏せられて首筋に槍の穂先が当てられる。ジャンに覆いかぶさるような体勢のイスカは、獣の様な荒い息をしている。


「こ、この事を、他の誰かに言ったら――」

「い、言ったら……?」

「八つ裂きにしてから消し炭にしてやる。いいな!」

「は、はい! 言いません、絶対言いません。あー、ただですね……」

「まさかもう誰かに話したのか!」

「まあ、話したと言えば話した。うわっ! 待った! その槍下ろして! 最後まで聞いて! お願い!」

「誰に喋った!」

「棟梁に、確認を取るつもりで聞きました。ただ棟梁は最初から知ってたみたいで、だから俺がばらした事にはならないから許して」

「……それならいい。でも棟梁様にも知られたのか」


 イスカがさっきまでの怒りはどこへやら、肩を落としてうなだれる。


「あー、気休めにもならないかもしれないが、棟梁が知ってるのは銀華さんが話したからじゃないかな。棟梁が個人的な事を詮索するとは思えないし。

 だからその……銀華さんがわざわざ話すのなら、それほど悪い事でも無いと思うぞ」

「でも君にばらしたのは紅夜叉だし」

「いや、そう……だよな」

「そうだ、紅夜叉の奴の口を封じるのが先だ。あいつはどこだ!?」

「いや、知らないし。そもそも口を封じるったって、どうやって?」

「そんな物知るか! 最悪、(みさお)ちゃんに頼み込んでなんとかしてもらう。今なら街で遊んでるかもしれない、捜してくる!」


 そう言ってイスカは、公孫樹の落ち葉を派手に舞い上げながら駆け抜けていった。ジャンはその後姿を眺めながら、結局自分達に静かな時間と言うものは似つかわしくないのかもしれないと思った。

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