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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
北国の秋
62/366

4

 廊下で途方に暮れていた。

 式典の最中とは言っても、日常の政務が無くなる訳ではない。かと言って式典の主役である高星(たかあき)が、いつも通りの量をこなすのも無理があり、必然的に政務が溜まる事になる。

 緊急性・重要性の高い物を優先して処理しているので、3日間処理速度が落ちた程度ではどうという事は無いが、書類の山を後回しにしている事には変わりない。

 少しでも後回しを減らそうと、エステルは休みを自主的に返上して執務室で自分の裁量で処理できる書類に取り掛かっていた。

 だが長くは続かなかった。始めていくらもしないうちに銀華(ぎんか)がやって来て、書類を取り上げてしまったのだ。


「もう、こんな事じゃないかと思った。エステルちゃん今日は仕事禁止です。執務室にも立ち入り禁止!」

「そんな無茶な」

「無茶はどっちですか。世の中には仕事中も休みの事しか頭に無い様な人もいるのに、自主的にお休み返上なんて何を考えているの」

「考えならちゃんとしている。どう考えても仕事を後に残すより、今できるだけやってしまった方がいいだろう?」

「自分の体の事を全く考えていないじゃないの! 全く……とにかく今日はお休みです。言っておきますが、高星の護衛も駄目ですからね。予定に無いエステルちゃんが行っても、かえって迷惑でしょう?」

 図星を突かれたが、銀華の言う事はもっともなので返事に窮した。その間に背中を押されて執務室から追い出され、戸に鍵が掛けられる。

「はい、お仕事終了。じゃあゆっくり休むのよ。街もにぎやかだし、少し遊んでくるといいわ」


 そう言って去る銀華の背中を、見えなくなるまでただ眺めて立ち尽くしていたエステルは、一人になると戸惑いの表情を浮かべて頭を掻くしかなかった。


     ◇


「あれ? エステルさん、何そんな所に突っ立ってるんですか?」

「ジャンか。執務室なら閉まっているぞ、たった今銀華殿が鍵を掛けて行った」

「いえ、大丈夫です。別の部屋に忘れ物をして、取ってきたところですから。それで、エステルさんは何を?」

「ああ、私は……実は執務室で少しでも書類を始末しておこうとしたら、締め出されてな」

「……エステルさん、今日は休みだったと思ってましたが?」

「ああ、休みだ。だから自主的に仕事をしようとしたのだが……」

「なるほど。大体予想が付きました」

「手間が省けて助かる」

「それで、休みの使い方が解らずに途方に暮れていた訳ですか」

「そういう事になるかな」


 本気で困った顔をするエステルに、ジャンは似た者主従だなという感想を抱き、その身を案じて休みを取らせようとする銀華の気苦労に思いをはせて苦笑いした。


「じゃあ、これから俺と遊びに行きますか? ちょうど一人なんで」

「……そうだな。ではそうしようか」


 ジャンの申し出に、エステルは少し考えて、答えた。


     ◇


「遊びに行きましょうと誘ったけど、俺もあんまり遊び方とかは解らないんですよね」


 ジャンが力無く笑う。勢いだけで走って失敗したと、自分でも思った。

 ジャンにとって本当に遊びを経験したのは、少し前に紅夜叉の遊びぶりを目の当たりにした時が最初で、今のところ最後である。それも最後までつきあった訳ではない。


「私が仕事しか頭に無い様に思われるのは心外だ。ヨハンナの世話はこまめにしているし、休憩時の紅茶や、仕事が早く終わった日に(たしな)む酒を選びに行ったり、音楽なども鑑賞する」


 エステルが殺処分寸前の馬を買い取り、ヨハンナと名付けて可愛がっている事はすでに有名な話となっている。


「でも特に予定無く、長い時間を過ごす方法は解らないと」


 エステルがちょっとそっぽを向いた。言葉に困った時などは意外に子供っぽい所がある。


「ま、俺も人の事言えないんですけど。とりあえず、昼間っから飲んでみますか?」

「君はあまり飲めないだろう」

「……すいません。下戸に付き合って酒を飲んでも楽しくないですよね」

「いや、そこまで卑屈になる事は無いのだが」


 ジャンが肩を落として(うつむ)く。すぐに人にぶつかりそうになり、慌てて飛び退く。人出の多い今、前を見ずに歩くのは危ない。


「……エステルさんは、棟梁の結婚をどう思ってるんですか?」


 今の街の混雑は、言うまでも無く高星の結婚祝いにかこつけたものである。ではその大元である高星の結婚を、エステルはどう感じているのだろうかと思った。


「皆は時々私を気遣ったりしている様だが、私と高星の間には初めから男女の仲なんてものは無いよ。

 だから高星が結婚した事に対して、特に思うところは無い。貴族の政略結婚なんてものは、私も見慣れているしな」

「じゃあ……自分の結婚とかは考えた事はありますか?」


 慎重に、エステルの顔を横目で(うかが)いながら尋ねる。表情に特に変化は見られなかった。


「私が結婚か、考えた事も無かったな。今も昔も、自分の仕事、自分の役目を果たす事ばかり考えているものだから、この先も縁がなさそうだ。

 まあ私の夫になりたいなどと言うもの好きも、なかなか居ないだろうが。なにせ伯爵家の当主の座が付いてくるとなっても、名乗り出る者は居なかったのだから」

「そんな! いくらエステルさんが――」

「個人的に好意を持っている事と、体を重ねてもいいと言うのはまた別だ。

 いくら私と言う人格は好んでいても、人ならざる者の血が色濃く流れる体に触れるのは躊躇(ちゅうちょ)する者がほとんだだろう」

「……そうかもしれないけど……いや、やっぱり納得できません」


 エステルは、ジャンを少し驚いた様な、珍しい物を見る様な表情でしばし眺め、何か思い出した様に口元をほころばせた。


「ああ、君は長く非合法組織に飼われて居たんだったな」

「それが何か?」

「つまり、社会から隔絶されていたという事だ。社会の一般的な常識や、偏見や、差別の意識から隔離されてきたという事だ。だからそういう事が言えるのさ。

 下屋敷で共に暮らした仲間達でさえ、私と体を重ねられるかと問えば躊躇(ちゅうちょ)する者は少なくは無いのが現実だ。

 それが全く無いのは、同じく差別の対象側に居たイスカや、そもそもまともな社会自体を経験した事の無い紅夜叉や操くらいだろう。後は銀華殿だが、あの人は特別か」

「それと棟梁」

「もちろんだ」

「でもやっぱりそれは……。だからエステルさんは、棟梁の理想に協力しようと?」

「それもあったかもしれないな。あの時はただ、言葉にできない何かを感じた様に思ったが、今振り返ると、こういう思いがいくつも束になって、そう感じたのだろうな」


     ◇


「そろそろ昼時だな。出店も多い事だし、一見困らなそうに思えるが……」

「どこも大分混んでますね、どうしましょうか?」

「空いてる所を探すしかないだろう。幸いどこも街路にまで席を拡張しているから、全く空きが無いという事は無いだろう。しかし大分通行の邪魔になっているな、少し規制が必要か……」

「仕事は頭から追いやって、どこでもいいから早く席を取りましょう。でないといつになったら昼飯にありつけるか解りません」

「そうだな。考えるのは食事をしながらでもできる」


 ジャンとエステルは、昼食を取れる店を探して、知っている店を回る様に街を回る。どの店も書入れ時とばかりに、店の前にイスとテーブルを出して、野外席をいくつも増やして客に対応している。だがそれでもどこもかしこも満席である。


「参ったな、ここまで混んでいるとは」

「あー、この店も駄目そうですね。団体客が騒いで……と言うより、演説してる?」


 とある居酒屋の、野外席を埋めている客達の前に、一人の男が椅子の上に立ち、何やら演説らしき事をして拍手を受けている。


「なんか、見覚えがある様な……。そうだあの演説男、前にも別の酒場で同じ事してたっけ」


 演説をしてるのは、ジャンの記憶が確かならば、紅夜叉と遊んだ時に酒場で演説をぶっていた若い男である。


「なんだ、誰かと思えばあれはセイアヌスか」

「エステルさん、知り合いですか?」

「君こそ知らないのか? あの演説男は騎兵第一中隊長セイアヌス、中小国(なかおくに)の部下だ。

 中小国より一つ年上で、騎兵の若いエースの一人と目されている。実際、実力は確かだ。しかも騎兵指揮だけでなく、事務処理などにも長けている、稀有な人材だよ」


 エステルの言葉は彼を誉めていた、だがその声音はどこか冷ややかだった。


「お嫌いなんですか?」

「いや、そういう訳ではない。ただよくああして仲間を集めては演説をぶっていたり、他所の部署に顔を出して仕事を手伝ったりしているのが、あまりよろしく無いと思ってな」

「仕事を手伝ってくれるなら、良い人じゃないですか」

「それは安易な発想だぞ。勝手に他所の部署の仕事を手伝えば責任の所在があいまいになるし、そもそも私恩を売っているとも取れる」

「あー、そういう見方もできるか。確かに腹の内までは解らないよな」

「正直、あの男は好かん。有能ではあるが、それ以上に野心が過ぎるように感じてならない。それも高星にとって危険な……自分が成り上がるためなら、高星すら踏み台にしかねない様な野心だ。

 現にああして暇さえあれば私党の輩を増やす事に精を出して、各所に根を張りつつある」

「でもその程度の男を扱えなくちゃ、これから戦い抜いていけないでしょう?」

「まあ、そうかもしれん。いや、そうなんだろうな。だが奴が高星を害しかねない毒である事は変わりない。いくら薬として使えようと、取り扱いに注意が必要な事に変わりは無い。

 だから私はあの男を信用しない。決して」


 エステルがその真紅の双眸を細め、鋭い視線でセイアヌスを見据えた。


「まあ、いいですけど。早く他の店に行きましょう。この様子じゃ空いてる所を探すのにまだまだ苦労しそうだなぁ」

「そうだった。空腹が耐え難くなる前に、空いている店を見つけたいものだな」


 ジャンとエステルは、次の店を探してその場を立ち去った。ただジャンはどんな演説をしているのか気になって、少しだけその場に残って耳を傾けた。

 我々の正義がどうとか、どんなに苦しくても力を合わせれば最後の勝利は得られるとか、そんなどちらかと言えば、理屈より熱く語る事で聴衆を熱狂させる様な内容だった。

 実際その演説を最初から聞いていたのであろう人々は喝采を送っていたが、途中から断片的に聞いたジャンには、胸焼けを起こす様なかっこいい言葉のオンパレードに思えた。

 かっこいいだけの事だった。

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