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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
北国の秋
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3・政略結婚

 盛大な祝祭が始まった。

 花嫁となる某子爵の娘――実際はシバ侯爵家の娘――が数人の侍女を伴って、特別に飾り立てた御座船から降りると同時に、安東(あんどう)高星(たかあき)の結婚を祝う祝祭は幕を上げた。

 花嫁を出迎えた一行が、港から上屋敷までの短い距離をゆっくりと行進する。その間、高星は屋敷で正装した親衛隊に囲まれて花嫁の到着を待っている。


「持参金だけは侯爵家の令嬢として恥ずかしくない額を持って来た辺り、流石に娘が可愛い様だな」


 待つ間、高星がそんな事を言った。

 貴族の結婚ともなれば、花嫁の実家から持参金としていくらか金品が贈られる。これがときに貧乏貴族にとっては痛い出費となって頭を悩ませたり、政治的な問題が絡むとどこかの領地が持参金として割譲されたりする。

 今回の花嫁が持ってきた持参金は500アウレという金額で、子爵家の娘としては高額だが、侯爵家の娘と考えれば大人しいものだった。

 やがて花嫁の一行が到着する。ここで初めてジャンは花嫁の姿を見た。

 初めは花嫁衣装の華麗さに一瞬目を奪われたが、落ち着いて花嫁本人をよく観察する。

 確か花嫁は十八歳で、ジャンより一つ歳上である。絶世の美人という訳ではないが、貴族の令嬢らしい上品そうな黒髪の娘で、少々失礼だがジャンには世間知らずのお嬢様そうに見えた。

 それ以上は推し測ってはいられなかった。急いで敷かれた()毛氈(もうせん)の脇に整列し、儀仗を構える。高星と花嫁がその間を並んで歩き、立会人の神官の前に進み出て契りを結ぶ。立会人は日頃の縁で、シオツチ神社の神官を招聘した。

 整列して儀仗を構えている状態であまりきょろきょろする訳にはいかない。ジャンはギリギリ横目で高星の後姿を捉えていた。背中からは、高星がどんな思いでいるのかは解らない。

 誓い合う声が聞こえた。帝国歴403年秋、安東高星の独身生活は終わりを告げたのだった。


     ◇


 少々豪勢ではあるが、一般的な結婚式が安東家の屋敷内で執り行われ、それが全て済むといよいよ街を挙げてのお祝いが本格的に始まる。

 祝祭の最初の出し物は、高星自身も参加する騎兵部隊の流鏑馬(やぶさめ)大会だった。ただし、軍事訓練としてのそれとは違い、参加者全員がきらびやかな衣装をも競っての大会である。

 観客席が満員どころか、通路での立ち見客でひしめき合う会場に現れた高星も、安東家の紋である星を追う鷲の刺繍の入った、土埃を付けるのが惜しい様な煌めく白絹のマントを翻して登場した。

 試合は大盛況の末、高星の優勝で幕を下ろした。これはもちろん高星の力量もあるが、そもそも初めから花婿である高星が優勝するのは決まっていた事である。だが、知らぬ者はともかく、知っている者でもそれを気にする者は誰も居なかった。

 なお、この興業だけで1,000アウレの金が投じられた。


 その日の夕食は盛大な晩餐会となった。この一回のためだけに食材として15頭の牛と200羽の鶏が(さば)かれた。それ以外の食材に至っては、とてもではないが正確には調べられない。

 この様な豪勢な宴は話でしか聞いた事の無かったジャンやイスカや操は、ただただ呆然としていた。人間の想像力は意外と貧困なもので、見聞きした物の一段かよくて二段上のものを想像するのが限度と言って良い。

 貴族が本気で贅を尽くすとどうなるかをまざまざと見せつけるこの宴は、ジャン達の想像をはるかに超えるものだった。


「すげぇ……なんつーか、もう……すげぇ以外の言葉が思いつかねーや」


 ジャンの呟きに誰の反応も無い。無視する事は無いだろうと少しムッとした表情でイスカの方を見ると、完全に放心状態だった。

 試しに目の前で手を振ってみても何の反応も無い。流石にこれはまずいと思い、両肩を掴んでゆさぶりをかける。


「――っ!?」


 我に返ったイスカが目を見開いて声にならない声を上げる。


「戻ってきたか?」

「あ、ああ、すまない。どうかしていた」

「いや、気持ちは解る。これが貴族なんだなぁ……。棟梁って、貴族らしくないからすっかり忘れてた」

「確かに、どちらかと言うとエステルさんの方がそれらしいな」

「そう言えばエステルさんは貴族の養女だっけか。まあ、棟梁が貴族らしくないのはうちの特殊性を考えれば当然なのかもしれないけど」

「ジャンさんイスカさん、今一応警備中ですよ」


 (みさお)が声を潜めて注意する。操に注意されてとたんに二人は気恥ずかしくなって口をつぐんだ。

 操もさっきまでは確かに一緒になって呆然としていたはずだが、いち早く立ち直ったようだ。なおかつ任務を忘れずに他人を注意する余裕まであるとは、本当にしっかりしている。

 その操の向こうでは紅夜叉(べにやしゃ)がつまらなそうにしていた。より正確に言うと、一応表向きは真面目に警備をする気はある様だが、実際はただ立っているだけの仕事に、内心の退屈が漏れていると言った感じだ。

 紅夜叉が金銭や、金銭的に価値の高い物に対してほとんど興味を示さないのは解っていた事だ。だがそれでも、この情況で圧倒される様子が無い紅夜叉の態度は、ジャンにとっては驚嘆に値した。

 だがここまで来ると、やはり感覚がどこか壊れていると言う方が適切だろう。


     ◇


 宴の性質上、高星と花嫁はほとんど離れる事無く並んでいる。それが高星には思いのほか面倒な事だった。なにせ相手はシバ家の娘である、まだ気を許していい相手かも解らない。

 花嫁が騎兵の若い将校達に声を掛けられて高星から離れた隙を縫って、中小国(なかおくに)が高星に接触を図ってきた。


「殿、それに提督もご一緒とは都合がいい」

「中小国か。やはり、将校をけしかけたのはお前の差し金か」

「まあそうなりますが、雑談をしている暇はありません。単刀直入に言いますが、あの娘やその付き人がシバ家の密命を受けているかは探れましたか?」

「いや、なかなかこういう式典続きでは探りを入れる事もままならなくてな」

「ならその役目、私がやりましょう」

「お前が?」

「はい、できれば提督にもご協力いただきたいのですが」

「ふむ、どういう手を使う気だ?」

「それはですね――」


 中小国が高星と提督に策を耳打ちすると、提督は大声を上げて笑い出し、高星は呆れかえった。


「はっはっはっは! なるほどお主らしい手だ。よかろう、後始末は上手く付けるゆえ、やってみるといい」

「ありがたい事ですな。殿のためとは言え、女性に嫌われる様な事をするのは気が引けるので。ましてやそれが殿の奥方として今後長く付き合う方となれば、嫌われて良い事はありませんから」

「全く何と言うか、お前の脳味噌はどうなっているのだ。うちの家臣の中で他にそんな事を考える奴は居ないだろう」

「お褒めに預かり光栄ですな」

「呆れとるのだ。まあいい、それで向こうの手の内が解るならな。どうせどうなっても私には関係の無い事だ」

「ははは、では怪しまれる前に私はこの辺で」

「待て、せっかくだから私が一杯注いでやる。呆れる様な策の褒美だ」

「ははは。それでは、遠慮無く」


     ◇


 初日の公式行事が全て終了し、花嫁が一旦高星と別れて、今日から彼女の部屋となる部屋へと向かう。

 貴族ともなれば夫婦別の部屋、王侯クラスともなればそれぞれ屋敷を持っての別居が普通である。

 妾を持てば特定の女性とだけ同じ部屋で寝る訳にはいかないし、そうでなくとも貴族の夫の寝室には色々と政治的な問題も持ち込まれてくる。

 そういう事に妻や妾を関わらせないためにも、普段は夫婦でも別室で寝るのが一般的である。

 その別室に向かう花嫁とその侍女三人とすれ違うように、廊下の向こうから中小国と提督が何気ない様子で歩いてくる。

 偶然ではない、この廊下を通る事は解っていたので角で待ち伏せて、さも偶然であるかの様にすれ違う。

 中小国と提督が軽く会釈をし、花嫁の一行もそれに応える。それだけですれ違うはずだった。花嫁達にとっては、だが。


「きゃあ!?」


 突然花嫁が尻を押さえて振り向き、後ずさろうとして尻餅をつく。


「お嬢様!? いかがなされました!?」

「お尻を……! この人今、私のお尻を……!」


 花嫁が涙目で中小国を指さす。


「お、おのれお主、お嬢様に何をするか! 無礼にも程があるぞ!」


 侍女が花嫁を庇う様に囲み、非難の声を上げる。


「いやぁ、失礼。殿の奥方があまりに美しかったものでつい。奥方は悲鳴もまた美しいのですな」


 全く悪びれる様子の無い中小国に、侍女達がさらに非難の言葉をぶつけようと声を出しかけたが、それよりも早く提督の厳しい叱責の言葉が飛んだ。


「中小国! 貴様と言う奴はまたそれか! 殿の奥方に手を出すとは、度が過ぎるぞ!」

「そんな怒らなくってもいいじゃないですか。奥方の初々しいお姿も拝めたことだし」

「貴様少し飲み過ぎだ。もういい、行け! 井戸で水でも汲んで、頭からかぶっておれ!」

「へいへい。それじゃあ失礼しますよ」


 最後まで悪びれる様子を見せない中小国の姿が、廊下の角を曲がって見えなくなると、提督は膝をついて詫びを入れた。


「奥方様、申し訳ございませぬ。あ奴はいつもあの様な事をしておりまして、殿も呆れかえっておる奴なのです。

 冗談が過ぎると言うだけで決して悪い奴ではなく、仕事には真面目で本気で女性を辱める様な事もいたしませんので、どうかご容赦いただきたい。

 この事は殿に報告して、二度と無い様に殿の口から厳しく注意させますので、この老体に免じてどうか一つ。今日は酒も過ぎていた様ですし」


 廊下に額をついて謝る老臣に女達も怒りを収めた様子で、もうこういう事が無い様にという厳しい言葉と、酒も入っていた様だし若い部下の行き過ぎを抑えなければいけない老臣も大変でしょうと言う優しい言葉を織り交ぜて、花嫁一行は廊下を去っていった。

 花嫁一行の姿が見えなくなると提督は廊下の反対側の角を曲がる、そこで中小国が壁にもたれていた。


「で、どうだったのだ?」


 提督の問いかけは至って真面目である。


「いい女だな。それに扱いやすそうだから、面倒も起こらない」

「おい、真面目に答えぬか」


 流石に声に呆れが少し混じる。中小国は少し笑うと、打って変って真面目に表情になる。


「問題は無いだろう。あれは完全に素人だ。花嫁も、そのお付もな」

「ふむ。一応、その根拠を聞こうか?」

「暗殺者にしろ密偵にしろ、なにかしらの密命を帯びて潜入してくるような女なら、最低限の護身ができるだけの武術を身に付けているものだ。

 そういう女……いや人間は、不意に触ればまず身構えるものだ。その後で声を出す。

 だがあの娘のその従者も、その素振りは無く完全に素人の動きだった。あれは演技でできるものではない。つまり全く何も知らず、本気で殿の嫁に来ていると見ていいだろう」

「つまりは我が安東家と実家のシバ家の関係次第では、簡単に切り捨てられるという事か。思えば不憫なものだが、貴族の家に生まれれば政争の駒として使われるのも仕方の無い事か。ましてや今の様に乱世の始まろうとしている世ではな」

「やけに同情しますな」

「歳を取ると何も知らぬ若い者が、大きな思惑に振り回されているのを見るのが辛くてな。そうして訳の解らぬうちに心身をすり減らして潰れていく者も多く見た。あれは見ていて心が痛くなるものだ」

「ま、とにかくこの件は心配要らないと、殿にお伝えください。私は酔いが覚めて、今日の無礼を詫びに行くときの手土産を考えなくてはいけないので」

「そうやってちゃっかり奥方との繋がりを作って、奥方の侍女辺りと良い仲になって遊びに誘おうという魂胆だろう」

「いやこれは参った。ご家老には全てお見通しか」

「お前の考え位読めんで家老が務まるものか。とにかく、後は儂から殿にご報告しておく。ご苦労であった」

「なに、これもひとえに殿の御ため」


     ◇


 日が落ちてから大分経ったが、街の方では明かりが点き、微かにだが賑やかな笑い声も聞こえてくる。

 今日の分の式典はすでに終わっているが、祝い事にかこつけて夜通し飲み明かす者も少なくない事だろう。

 ジャンもまた、式典に参加した事による、どちらかと言えば精神的な疲れを感じて今日はもう寝るつもりでいたが、なんとなく遠くの喧騒を聞いていると寝つく事が出来ずにいた。

 屋敷が移っても寝室は相変わらず相部屋なので、起きていても迷惑をかけると思い、行くあても無く部屋を出た。

 部屋を出てすぐに、中庭に面した廊下に腰かける紅夜叉の姿を認めた。薄暗くてすぐには気付かなかったが、酒を飲んでいる様だ。


「一人か?」


 紅夜叉との距離感を測るように、一歩距離を置いた位置から声を掛ける。


「操はもう寝たんでな。なんだかんだ言ってもまだ子供だという事だ」


 機嫌は悪くないらしい。もう一歩踏み込んで紅夜叉の傍に立つ。


「確かに操ちゃんは俺なんかより、よっぽどしっかりしてるからな。子供と言うなら俺の方が、いい歳してまだまだ子供だと思う事が多い」

「そうでもない。操のあの頑固さは大人よりむしろ子供のものだろう。案外大人の方が諦めが早い」


 紅夜叉の言う『そうでもない』は、操がしっかりしているという部分に掛かっている。つまりジャンが子供だと言う部分は否定しない。それに苦笑いしつつ、紅夜叉の隣に腰を下ろした。


「酒でも飲めれば少しは大人かね。あんまり飲めやしないんだけど」

「大人も子供も無い。酒は飲みたいときに飲みたいだけ飲めばいい。飲みたくも無い酒を飲んで何になる」


 そう言って紅夜叉は、酒の入った瓶と空の盃を二人の間に置いた。飲みたければ飲んでもいいという事だろう。

 酒瓶を手に取って、半分以上残っている事に気付いた。そう大きな瓶ではない。そこではたと気づいた、紅夜叉は何かあれば飲んでいるイメージが有ったが、酔っているのは見た事が無い。

 紅夜叉にとって、酒は酔うために飲む物ではないらしい。だから十分味わえば、それで飲むのを止める。酔うと味も良く解らなくなるから、酔うほどは飲まない。そういう事だろう。


「酒の飲み方も人さまざまなんだな」


 ポツリと、そんな言葉が漏れた。


「何を解った様な事を」


 紅夜叉が嘲笑う様に、だが何故か不快さは感じない笑みを浮かべて言った。


 静寂の廊下に、不意に低い音が響いた。廊下をばたばたと走る音だ。

 何か異変かと思ったが、足音は一人分で、足音の主はすぐにジャンと紅夜叉の前に姿を現した。高星である。


「た、助けてくれ!」


 高星が転がるように、何かから逃げる様に駆け寄ってきた。


「棟梁、一体何事ですか!?」

「いやな、嫁と寝床を共にして、その……ちゃんと婚姻を結んだという事実を作れと言われていたのだが、どうにもいたたまれなくて逃げてきた」

「……女と寝る度胸が無くて、逃げてきたんですか」

「意外になさけねぇな」

「おい、そこまでいう事ないだろう。そもそもお前ら解っているのか?」

「そりゃあね、裏で使いっぱしりをやってたら、女を売った買ったの話は珍しくなかったし」

「行く先々で体を売って、結構稼いでた流民の女は偶に居たな」

「……この際なんでもいい。とにかく助けてくれ」

「いや、助けてくれと言われても、相手を間違っているでしょう。どうしろと言うんですか」

「そこをどうにか!」


 押し問答をしているところに、低いどすの効いた声が聞こえてきた。


「たーかーあーきー?」

「げぇ! 銀華(ぎんか)!?」


 再び逃げ出そうとする高星よりも早く、銀華は高星の襟首を掴む。


「一世一代の覚悟を決めた女の子相手に逃げるなんて、酷いんじゃないかしら?」


 銀華の表情は、いつになく無表情である。それが直感的に、逆らってはいけないと言う思いを抱かせる。


「そもそも政略結婚の相手に、指一本も触れませんでしたじゃ、そっちの方が問題になるわよね? それに今後いつ死ぬか解らない戦いに身を投じるなら、万一に備えるのは当主の義務でしょう?」

「いや、まあ、おっしゃる通りですが。女の扱い方なんて知らないし、また次の機会に……」

「今日の今日までその手の話から逃げ続けたのはどこの誰だったかしら?」


 あからさまに高星が目を泳がせる。


「この際、私が二人揃って手取り足取り教えるから、さっさと覚悟を決めなさい」

「待て! ずっと傍に居る気か!?」

「あら、都の方の高官の政略結婚では、結婚の証拠に夫婦の営みに立会人が付く事があるそうよ?」

「確かにそういう話は聞いた事があるが、それとこれとは……」

「問答無用」


 銀華の空いている左手に竜胆色の炎が灯り、顔の下から光が当たる。僅かに笑みすら浮かべている事が、より一層背筋を冷たくする表情にしている。

 高星は無言のまま抵抗を断念した。そのまま引きずられるように連れられていく。


「夜中に騒がしくてごめんね。ジャンも紅夜叉もあんまり夜更かししちゃだめよ。あと流石に可哀想だから、(のぞ)きに来ちゃ駄目よ」


 面を取り換えたのかと思うほどに、銀華はいつもの優しげな表情に戻っていた。


 翌朝、ジャンは少しばかり昨夜の顛末(てんまつ)が気になったので、高星の姿を見つけると少し躊躇(ためら)ったが、昨夜(ゆうべ)はいかがでしたかとちょっと意地悪く聞いてみた。

 少しやつれた様にも見える高星の返答はこうだった。


「戦に出る方がよっぽど気が楽だ」


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