5・対決
しばらくして、何かが空を切る音がする事に気付いた。
体を起こすと中庭で何人かが木刀を振っていた、それだけではなく屋敷の人間がそれぞれ木製の武器を持って集まってくる。その中にイスカの姿もある。
「おい、イスカ。何が始まるんだ?」
「ん、居たのか」
「いちゃ悪いか」
「そうは言ってないだろう」
「悪い悪い、そうムキになるなよ。で、何をするんだ?」
「今日は武術の合同練習なんだ。参加は強制ではないが、やはり大勢でやると学ぶものが多いから大抵、みんな参加する。君もやってみるか?」
「俺は……いや、いい。まともな武術は習った事が無いし、見学させてもらう」
「そうか、じゃあ時々木刀が飛んできたりするから気を付けるんだぞ」
「お、おう……」
そうこうしている内に中庭のあちこちでそれぞれ試合というか、稽古が始まった。大抵1対1だが複数人で何かしている所もある。
「イスカ、手合せ願えるか」
「エステルさんなら喜んで」
どうやらイスカとエステルで戦う様なので、二人の試合を見物することにした。どうせここにいる中では、この二人以外はよく知らない。そういえば紅夜叉は居ない様だが、どうしているのだろうか。
エステルさんが木剣を構える、普段、帯剣しているのと同じ細身の長剣だ。そこではたと気が付いた、イスカの方は丸腰だが格闘術を使うのか? その疑問はすぐに驚愕に変わった。
「――変身!」
イスカが鋭く叫ぶと彼女の体が光に包まれた、そして光が晴れるともう彼女の装いは変わっていた。
体にフィットしたインナーは前面が白、側部から背面が水色というカラーリング。二の腕まで覆うロンググローブ。
ジャケットは胸の前で留められ、腰からスカート状に大腿部守るための金属板を連ねた防具がつき、脛を含めた脚部は脛当て状の防具でしっかりガードされ、小柄なイスカの身長よりも長い槍を持っていた。槍は刃の付いた大きな穂先の物で、長いと言っても2mは無い。
「あら、皆もう始めてるわね」
唖然としていると後ろから聞きなれた声がしたので振り返ると、薬箱を持った銀華が立っていた。
「みんなー、怪我はしないようにねー」
銀華の呼びかけにあちこちから間延びした返事が返ってくる。
隣に座った銀華におずおずと尋ねた。
「あ、あの、イスカは魔術師なんですか?」
「魔術師……、まあ、そんな感じね。あの子はちょっと特殊らしいけど」
「はあ……」
「魔術師というならエステルちゃんの方が正当な魔術師ね、あの二人で対戦するなら見れると思うわよ? 私もちょっと使えるし」
「銀華さんも?」
「ええ」
銀華が握った右手をゆっくりと開いた。するとそこにはおよそ自然ではありえない美しい竜胆色の炎が燃えていた。
「私のは魔術じゃなくて道術の一種なんだけど、火を熾す手間が省けて便利よ」
術をそんな家庭的な事に使っているのか、この人は。
「魔術と道術は違うのか?」
「うーん、私はその辺の事は詳しい訳じゃないから……。エステルちゃんなら詳しく説明できると思うわ、ごめんね」
「じゃあ、そのうち聞いてみます」
ジャンと銀華が縁側に座って話し込んでいるうちに、イスカ対エステルの戦いは始まった。
◇
槍を構えるイスカ、剣を右肩のあたりで構えるエステル。両者向き合い、空気まで張りつめた様な緊張感があたりに漂う。
「やあっ!」
掛け声と共に、イスカがエステルの胸部を狙って突く。踏込の速さにジャンは一瞬イスカを見失い、消えたと思った程だ。
だがエステルは『後の先』を取り、右前方に踏み出しながら体を半身に捻り、難なくかわす。
そのままイスカの肩に向かって袈裟切りに斬り付ける。しかし剣先はイスカに届かず虚しく空を切る。
エステルはイスカが踏み込みをあえて浅くした事が解った。イスカは攻撃が回避された時点でエステル反撃を予想し、間合いを取ってエステルの間合いの外に逃れたのだ。まずは慎重な攻めである。
エステルは振り下ろした剣で槍を下から跳ね上げる。それに対しイスカは逆らわずに槍を頭上に持ち上げる事で衝撃を逃がし、弾き飛ばされる事を防ぐ。
そしてそのまま穂先をエステルに向け、上段から突き下ろす攻撃を仕掛ける。
槍を跳ね上げようとしたエステルは、そのまま剣を頭の右で、切っ先がやや下を向くように構えた。そして上段からの突きに対して、再び右半身をイスカの方に向ける様に半身になりつつ、槍を引き切りにして左後方に流す。
イスカの槍、エステルの剣共に交差した状態で、エステルの左後方にある状態。両者の間合いは打撃が届く距離ではなく、通常ならおよそここから攻撃に出る方法は無い。
しかしエステルは剣を握る左手を離し、イスカの方へ突き出す。するとエステルの掌から握りこぶし大の硬く締まった氷の塊が数個、イスカに向かって飛ぶ。
魔術による攻撃、効果の小さい下級魔術ではあるが、この大きさの氷弾を顔面や頭部に食らう事は十分致命傷か、そうでなくても致命的な隙を作る事になる。
「はあっ!」
イスカが鋭く叫ぶ、その瞬間、イスカの周囲に放電が走り氷弾は熱と電気分解で消失した。
その間にイスカは、槍を垂直に立てる事でエステルの剣を弾きながら手元に戻し、少し膝を曲げると、垂直方向に通常の人間の限界を遥かに超えた大跳躍をした。
空中で器用に体勢を整えたイスカは、槍と一体となって電撃をまといながら、剣先を地面に向けたままのエステルに向かって急降下攻撃で襲い掛かる。
エステルは棒立ちの様に思われた体勢から弾かれた様に踏み込み、イスカの下を潜り抜ける。
潜り抜けざまに地面を向いていた剣を、時計の五時から七時の方向へ反時計回りに、天を薙いだ。
エステルの剣はイスカの左脇腹を直撃した。空中のイスカは横に吹き飛ばされ、地面を何度も転がり、そのままうずくまった。
「大丈夫か? 少し力を入れ過ぎただろうか?」
「ん、大丈夫……です。やっぱりリヒテナウアー流剣術をきちんと学んだエステルさんには勝てない……」
「いや、君も間合いの取り方が大分上手くなった。一年でこれほど上達するなら大したものだ。瞬発力も優れているし……ただ戦いにおける駆け引きはまだまだだがな」
「魔術は構築式の切り替えに時間がかかるからチャンスだと思ったのに……」
「むしろ、大技を誘うためにあえて魔術による攻撃を仕掛けてみたのだが」
「簡単に引っかかった訳か……」
「まあそう落ち込むな、学ぶべきものはあったろう?」
「……うん」
「なら十分だ、手合せありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
◇
凄い戦いだった、特にエステルが使っていたのは実戦剣術として名高いリヒテナウアー流剣術のはずだ。素人目にも凄腕である事がなんとなく解る、その上魔術まで使うとは、この人は一体何者なのだろう?
「おう、ちょうど空いてるか?」
不意に声がした方を向くと、紅夜叉が刀を肩に乗せてこちらへ歩いてきた。その後ろには操もいるが、こちらは何か半ば諦めた様な顔をしている。
「空いてるなら丁度良い。イスカ、相手をしろ」
そう言いながら紅夜叉は刀を胸の前で横にゆっくりと抜く。
「おい、真剣ではないだろうな?」
エステルが問う、問われるという事は前科があるのだろう。
「大丈夫、この通り刃引きですよ」
そう言って紅夜叉が刃で左腕を叩いたりこすったりして見せる。確かに切れないように刃を潰してある様だ。
「で、やるのか、やらないのか」
紅夜叉がイスカに切っ先を向ける。
「……いいよ、やる。今日こそ解らせてやる」
紅夜叉が少し鼻を鳴らして口角を上げると、鞘を投げ捨てる。
音を立てて転がった鞘を操が拾い上げこちらへ退避する。どうやら、こうなる事が解っていたから、あの諦めの表情だった様だ。
◇
「やるからには本気で来い、でないと俺がつまらん」
「言われなくても……」
「殺しはしない、だが怪我をしたらそれは防ぎきれないお前が悪い。恨むなよ」
「御託はいい、今日こそその性根叩きなおしてやる!」
「そうか……なら行くぞ!」
紅夜叉が一気に踏み込む、そして右手だけの片手持ちで逆袈裟切りに切り上げる。イスカは槍を短く、かつ立て気味に構えたまま体を引いてそれをかわす。
振り抜いた刀を両手持ちし、左袈裟切りに返し切る。それも空を切ると手首を返し今度は右からの水平切り。
それを立てた槍で受け止めたイスカは、上から押し付ける様にして刀を下へ落とす。そして向かって左の空間に突き出る格好となった槍を、右へ薙いで紅夜叉の右上腕を打ちにかかる。
右水平方向からの攻撃。紅夜叉はそれを、刀の柄尻が天を向く様に立てながら持ち上げて受け止める。何の事は無い、たった今こちらが繰り出し、イスカが止めたやり取りの攻守が変わっただけだ。
だがイスカの攻撃は手ごたえが軽い、攻撃を押し通そうとする粘りがまるで無い。その感触が手に伝わった原因は目の前にあった。
攻撃を防がれた反動を利用して、イスカは槍を自分の背中に回して反対方向からの攻撃に切り替える。それも同時に腰を落とし姿勢を低くしての攻撃。足払い。
イスカが右から紅夜叉の足を払う、それをバックステップで縄跳びの縄をくぐるように回避する紅夜叉。
しかしイスカは前進しながらすかさず、左から再び足払いを掛ける。それに対し紅夜叉は――跳んだ。
一回目の足払いをバックステップでかわした紅夜叉は、着地の時の反動を使って大きく前に跳んだ。空中で前転をしながらイスカの上を飛び越えていく。飛び越えざまにイスカの背中に向けて縦一文字に斬撃を繰り出す。
一瞬、イスカに戦慄が走る。だがそれに動きを止められる事無く、槍の石突を突き出してかろうじて斬撃を受け止める。
だが大きく体勢を崩し、本日二度目の地面を横転する羽目になった。
「かっ……はっ……」
打ち付けられた衝撃に一瞬、息が止まる。この隙に追撃を受けなかったのは、紅夜叉が空中を反対方向に移動していて、それができなかったからにすぎない。
いや、それだけではない、立ち上がるイスカを紅夜叉は構えもせずに待っていた。
「どうした、本気で来いと言ったはずだぞ」
かすかに奥歯を噛みしめたイスカは、右手を自分の左胸に当てる。
「――解ってる、ここからは本当に本気で行く」
イスカが改めて構え、穂先を紅夜叉の胸部をピタリと狙う。
「『スペル・アンプリファイアー』起動!」
耳をつんざく音と目を眩ませる閃光が走り、イスカの体がエステルとの戦いの時以上の電光に包まれる。その姿に紅夜叉は右の犬歯が見える程大きく口角を上げる。
「そうこなくっちゃ! そうでなくては! さあ、来いよ! 殺してやるから殺してみろよ!」
笑っている、その眼には明らかにまともなものでは無い光が輝いている。それに対してイスカの目にはより強い意志の光が灯る。両者が再びぶつかった。
残像が見えるほどのスピードでイスカが猛然と連撃を繰り出す。本来は大技を使うときのみに使う魔力による身体強化を、魔力増幅器と呼ばれる道具で強制的に引き出した魔力で常時行っているのだ。
さらに槍を短く持ち、石突きによる攻撃も積極的に使用する事で絶え間ない連撃を繰り出している。
だが紅夜叉の方もその動きについてきている、イスカの攻撃を全て防ぎ切り、あまつさえ反撃すら繰り出してくる。
イスカも反撃に対してさらにカウンターを繰り出すなど負けじと応戦しているが、それでも紅夜叉の髪や衣服を掠める事さえできない。
紅夜叉の動きは異様としか言い様がなかった。両手持ちが基本の刀をときに応じて片手で扱い、刀を持つ手を左右に切り替え、さらに綿の入った厚着すら斬れなくなるので、真っ当な剣術では絶対に使われない逆手持ちすら使う。
だが紅夜叉にとってそんな事は関係無い、攻撃に無益ならば防御に使えばいい。逆手持ちの刀を腕と平行になる様に持ち、腕で攻撃を受け止める。片手で持てばその分、柄が空くので柄ですら受け止める。攻撃ならば柄頭による打撃がある。もう一方の手でも、足でも、頭突きもある。砂も蹴り上げるし目を狙って唾も吐く。
しかし無傷なのはイスカも同じだった。紅夜叉の攻撃はそれがなんであれ、イスカにわずかに届かず空を切る。紙一重で届かない間合いを維持しながら戦っているのだ。
互いに届かない攻撃の、壮絶な応酬が続いていく。
◇
互角の勝負の様だが追い詰められていたのはイスカの方だった。この一年、何度か手合わせをして紅夜叉の戦い方は解っていた。
一撃必殺、それが紅夜叉の戦い方の根本だ。だからこそ無理に攻めては来ない、必殺の一撃が入れられる機会が無ければ無理には押してこない。
では守りに徹していればいいかと思うが、それは紅夜叉に限っては通用しない事をイスカは知っている。なぜなら紅夜叉の戦い方にはもう一つ大きな要素がある。――特攻という要素が。
紅夜叉の戦い方にはおよそ保身というものが無いのである。ただ相手を斬る事だけを見ている。防御するのは相手を殺す前にこちらが死んでは殺せないからにすぎない。
ゆえに差し違えるという手段を平然と、どころか積極的に使ってくるのである。
実際、以前に手合せした時に、イスカは紅夜叉の鋭い必殺の一撃を警戒して守りに徹して隙を窺っていたところ、差し違え狙いの特攻を仕掛けてきた。
その異常行動に思わずためらった結果負けた、実戦ならば自分だけが死んでいた。おそらくこの男はずっとそうして生き延びてきたのだろう。
それが許せなかった。イスカにとってそんな戦い方は断固として認められないものだった。だから勝って止めたい、勝たねばならないのだ、両者死亡の引き分けでは紅夜叉にとっては勝ちだが自分にとっては負けなのだ。
この一年、紅夜叉に勝つことだけを目標にずっと研鑽を積んできた。それは自分の決意を現実のものとするためでもある。
今、繰り出している絶え間無い連撃も守っても押し切られる、攻めても隙を突かれる、それを乗り越えるために開発した攻撃による防御術である。
だが、まだ届かない。
◇
紅夜叉が大きく後ろに跳躍し間合いを開いた、イスカの警戒心が何か来るという事を告げる。
刀と槍ではリーチが違う、刀は懐に入り込めば無防備の相手を一方的に攻撃できるし、槍は近づかせなければ一方的に攻撃ができる。
ただ一対一の戦いならばクロスレンジに隙がある槍の方が不利を免れない。本来、集団戦用の武器なのだ、リーチの差が有利に働くのは素人同士の戦いだけだ。
それなのにあえて間合いを広く取り、不利な態勢に自分を置いた。それがイスカに確信に近い直感を与える。来る、と。
紅夜叉がその型破りな戦い方から言ってまず使わない剣術の基本形、正眼に刀を構えた。対するイスカは槍を短く持ったまま油断無く構える。ここで槍を長く持とうものなら、それこそ紅夜叉の思うつぼだろう。
正眼に構えたまま紅夜叉が思いっきり踏み込んできた、数メートルの距離が一瞬で詰まる。だが紅夜叉は刀を微動だにさせない。
動きを見てから対応し、後の先を取るつもりでいたイスカは完全に出遅れた。槍を立てて、押し付ける様な剣撃をかろうじて受け止める。
紅夜叉は肘を曲げず腕を完全に伸ばすという、最も力がかけられる方法で刃を押し付けてきた。
刀と槍を挟んで両者が押し合う。そこに技は無く、単純な力の押し付け合いだった。その最中イスカは見た、紅夜叉の顔を。笑っている、それも目を見開き歯をむき出しにした狂気の笑いだ。
イスカは心の底から負けたくないという思いが吹き上がるのを抑えきれなかった。全身の血が沸騰する様に熱く、それ以上に心が熱く燃えていた。
イスカが渾身の力で押し返す、その瞬間手ごたえが無くなった。紅夜叉の姿も消えている。何が起こったのか解らず一瞬戸惑い、次にしまったと思った。だがもう遅かった。
イスカが渾身の力で押し返してくるのに合わせて紅夜叉は右後方に一歩下がり、同時に腰を落とし、刀を時計回りに半回転させる。その際、右手を一度離して逆手に持ちかえた。
抵抗が無くなったイスカの体が前につんのめる、身体強化したイスカにとってそれは瞬時に立て直せる程度のものだったが、紅夜叉が隙を突くには十分すぎた。
紅夜叉が踏み込む、同時に右腕を思い切り突出した。二重の加速を乗せた柄頭による打撃がイスカの左脇腹を殴打する。
イスカが苦悶の表情で吹き飛ぶ、その軌跡を追う様に紅夜叉も跳ぶ。仰向けで地面を滑った末に止まったイスカの体に、紅夜叉が覆いかぶさる。逆手に握られた刀の切っ先はイスカの胸にピタリと当てられていた。
ほんの僅かな、だがイスカにとっては長い長い時間、そのままの体勢で静止した後、紅夜叉は去り、イスカは体を起こした。
操が持ってきた鞘に刀を収めた紅夜叉は、来た時と同じ様にそれを肩に担ぐと、無言で行ってしまった。
イスカはその背中を、上体を起こしたままの姿勢で見送る事しかできなかった。