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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
北国の秋
59/366

1

高星、縁談に困惑し

凡人、忠義を決意す

将士の軍計、三陣を貫き

隠居の遠謀、天地を覆う

 空に波が立っていた。

 秋の空である。うろこ雲とかいわし雲とか呼ばれる雲が空に浮かんでいたが、ジャンには海の(さざなみ)の様に思えた。

 帝国歴403年の第18節である。まだ残暑の厳しい日もあるが、季節は秋へと移ろいでいた。それはジャンがこの地に来てもうすぐ一年が経とうとしているという事でもある。

 目まぐるしい一年だった。自分の人生が間違いなく激変した一年だった。だがジャンの主君である安東(あんどう)高星(たかあき)と、彼の率いるこの安東家にとっては、準備の一年だった。

 変化が無かった訳ではない。むしろジャンがここに流れ着いてすぐに大きな変化があり、その変化の一端を、他ならぬジャン自身が担ったのである。

 その後も冬こそはいくらか静かだったが、春夏と事件や変化には事欠かなかった。その中でジャンは、もがく様に文武を鍛え続けてきた。

 来年からは戦に明け暮れる事になる。今年一年を元手に、来年から安東家は遥かに強大な敵を相手取って、戦に明け暮れる事になるはずである。そこにジャンも望んで身を投じる。

 田畑ではすでに収穫が始まり、収穫物が続々とトサの街に運ばれ始めている。それが単なる秋の収穫ではなく、今年一年の総決算の成果の様に思えた。


 その日、ジャンはちょっとした仕事を任されて街の外まで行く事になった。

 仕事の内容は、高星個人所有の農地からの収穫物の量を調べて帳簿を付け、提出する事である。

 高星個人所有の農地と言うのは、まだ高星と仲間達が今の下屋敷で暮らしていたとき、生活の糧を得るために皆で耕していた農地だと言う。今は人を雇って耕作させているそうだ。

 ジャンは去年の秋の収穫が終わってからこの地に来たので、見るのはこれが初めてになる。

 小さな仕事ではあるが、誰かの下で働くのではなく、自分が責任者と仕事をするのはこれが初めてなので、ジャンは勇んで仕事に取り掛かった。

 高星が、責任者としての初仕事の緊張感と、自分でもできそうだと言う思いとのバランスを考えてジャンにこの仕事を割り振り、経験と自信を付けさせようと考えた事を、ジャンは知る由も無い。


「おや、ジャン君。君もお出かけですか」

中小国(なかおくに)隊長。失礼な、これでも仕事中ですよ」


 街の東門付近で騎兵隊長の中小国と出くわした。


「中小国隊長はお休みの様ですね」


 中小国は明らかに上物の私服を着て、勤務中に乗っている軍馬ではなく、泥汚れ一つ無く洗われた白馬に乗っていた。


「今日は半休だ。仕事は午前で終わらせて、午後は人と会う約束が有るんでね。ジャン君はまた殿のお使いかな?」

「今日はお使いじゃなくて、歴とした任務です。と言っても大層なものでもないけど、棟梁の田畑の収穫を帳簿付けしに行くんです」

「殿の田畑……ああ、あそこか。それならちょうどいい、良ければ途中まで乗せていこうか?」

「いいんですか?」

「遠慮はいらない。馬には乗れるか?」

「乗ってるだけなら何とか」

「なら後ろに乗るといい。不安だったら私にしがみついても構わないよ」

「ははは、努力します」


 鐙に足を掛けて馬の背にまたがる。中小国は二十八歳と若く、顔立ちの整った男である。

 女を見れば声を掛けている様な男だと皆が口を(そろ)えて言うが、騎兵隊長としては有能で、よく部隊をまとめて教育し、忠実で高星からの信頼も厚いと言う。

 わざわざ身なりを整えているのに、約束した訳でもなくジャンを送って行こうと言う辺りからも、中小国が軽薄なエピソードとは裏腹に、誠実で信頼できる大人なのだという事がジャンにも窺えた。


「しかし半休とは言え普通に休暇を満喫してていいんですか? 今は調練も詰めに入ってる頃でしょう?」

「ほう、何故そう思う」

「そりゃ棟梁のお供をして、各隊の調練の視察をしてますから。棟梁は実戦前の最後の詰めとして、ここ最近調練の質も量も増やさせて、視察回数も増やしてます」

「確かにここしばらく調練は厳しくしている。私もついこの間、三日三晩寝ずの通し演習をしたばかりだからな」

「なら休みとは言え本当に休んでいていいんですか?」

「厳しい調練をしている時だからこそ、休息が大事なのさ。

 死人が出るほど兵を苛め抜くのは、実戦で死なない様にするためだ。それを忘れて兵を苛め抜く事が目的になった将の課す調練の方が、無意味に厳しかったりする。

 実戦で死なない兵を育てようと思ったら、十日間死ぬほど鍛えたら一日充分休ませる。休みが明けて再び調練に戻ると、見違えるほど兵の動きは良くなる」

「そんなもんですかね」

「ま、何事もメリハリが大事という事さ。公私はきちんと分けて、私事を仕事に持ち込まず、仕事を休暇に持ち込まないのができる大人と言うものさ」

「自分でそれを言いますか」

「はっはっは、事実だからな。

 ……っと、送っていけるのはここまでだ。この先は一本道だから迷いはしないだろう」


 郊外の分かれ道で馬を下りた。ジャンの目的地は右の道、中小国の目的地はここから左の道だという。


「すっかりお世話になりました、中小国隊長」

「なに、君も仕事を頑張りたまえ。では人を待たせているので失礼するよ」


 そう言って中小国は背を向けて馬を歩かせていった。ジャンはそんな中小国の背中をしばらく眺めていた、立派な大人の背中とはこういうものであると言う気がした。

 少し行ったところで中小国がある民家の前で止まった。中から若い女性が出てきて、笑顔で二言三言話すと、中小国の馬の背に乗った。腕を回して抱き着いている。


「人を待たせてあるって、女遊びかよ!」


 わざわざ着飾っていたのも、白馬に乗っていたのも、全て若い女性を迎えにくる演出だったという訳だ。ジャンを乗せたのは純粋に好意からだろうが、ジャンの中で中小国の評価は大暴落したのだった。


     ◇


 秋と言うのは、一年で最も経済が回る。

 農村からの収穫物が都市に運び込まれると、一年の成果を手にした農民や、農産物の大口取引で儲けた商人達が祝杯を挙げる。

 冬に備えて保存食や薪や炭は毎日山の様に売れ、金を得た者達から金を搾り取ろうと、どの飲食店もしつこいくらいに客引き攻勢を掛ける。

 トサの街は日を追うごとに祭の様な騒ぎが大きくなる一方である。農村では収穫祭の一つもやっているのだから、これは都市の収穫祭と言えるかもしれない。

 こんな空気に毎日当てられていては、自然と財布のひもも緩みがちになる。ジャンはイスカと休みが重なった日を選んで、一緒にどこかへ出かけないかと誘った。


「私と街に? 別に構わないが、何と言うか、君にしては珍しいな?」


 イスカが怪訝(けげん)な顔をして尋ねる。


「それで、どこへ行って何をするんだ?」

「いや、そう言われても……どうしようか?」

「どうしようって、君が誘っているんだろう」

「そうなんだけどさ。今まで特に金を使わなかったからそこそこ貯まってて、せっかくだから賑やかなうちに使おうかと思ったんだけど、一人で豪華な昼飯を食べても何か盛り上がらなそうだし……」

「それで私を巻き込んだという訳か」

「まあ……そうなる」

「気持ちは良く解るが、私だって同じ様なものだ。どう使えばいいか解らずに、貯める気も無いのに金が貯まっている。使い道の相談を受けても困る」

「だよなあ……でもこのまま使わずじまいってのも、良くないんじゃないか?」

「それは……私も感じてはいるが……」

「俺達金の使い方を教えてもらう必要があるんじゃないかと思うんだが、そんなの誰に教わればいいのやら」


 ジャンとイスカが(そろ)って首をひねる。


銀華(ぎんか)さんはどうだろう?」

「あの人は確かに棟梁や俺達の個人の財布を握ってるけど、この場合の金の使い方とは違うんじゃないか? もっとこう……遊びに使う使い方を教えてくれそうな人じゃないと」

「ならエステルさんはどうだろう。結構お茶とかお酒とかにこだわりがあるようだし」

「いや、エステルさんは今休みなんてないくらい忙しいだろう。もちろん棟梁もだ。俺達だって次にいつ休みが合うか解らないのに、それは無理だろう」

「そうか、今すぐに頼める人でないと駄目か……」

「あー、こういうとき中小国隊長が都合よく休みだったら万事解決なのに! でもついこの間半休だったばかりだからしばらく無理だろうなぁ」

「他には……駄目だ、思い当たる人が居ない。やっぱり私達だけでなんとかしてみるしかないか」

「うーん、何とかって言ってもなぁ……」

「お前らそこで何うっとうしく(うな)ってやがる」


 紅夜叉(べにやしゃ)がいつもの赤系統主体の服を着崩し、ポケットに両手を突っ込み、首だけ(ひね)ってこちらを向いていた。


「紅夜叉か。お前はいいよな、決まった仕事も休みも無くて」

「彼に予定に沿って仕事をこなすなんて、できる訳が無いからな」


 ジャンは予定と言うものを持たない紅夜叉を本気で(うらや)んだが、イスカの方は冷ややかだ。だが紅夜叉は気にする様子も無い。


「何の話か知らんが、雁首(そろ)えて唸っているとは無駄な時間の使い方をしてやがるな」

「君は時間を無駄にしていないと言うのか?」

「お前らの様に頭抱えてはいないな。いつ死んでもおかしくないのが人生なら、いつ死んでも不満の無い様に好き勝手やるだけだ」

「享楽的と言う言葉は君のためにある様なものだな」

「否定はしない。実際にこれから遊びに行くのに、(みさお)に金を取りに行かせてるとこだしな」


 言っているうちにおまたせーという操の声が聞こえ、財布を握った操がパタパタとやって来た。


「おう、待ったぞ。今日はどのくらいある?」

 紅夜叉が財布の中を(のぞ)き、こんなものかとつぶやくとまた財布を操に預け行こうとする。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 ジャンがとっさに二人を呼び止めた。


「なんだ、用があるなら手短にして欲しい所だが」

「二人してこれから街に行くのか?」

「そうだ」

「金をまとめて使って、遊ぶのか?」

「そうだ」

「なら俺達も連れてってくれないか?」

「なんだと?」

「いやな、まさに今、どう金を使って遊べばいいのかと悩んでたんだ。俺もイスカもそんな経験の無いまま金を貯めちゃって。だから、一緒に連れてってくれるとありがたい」

「へえ、金をね。使い道を知らないまま貯めたと」

「あっ」


 まずいことを口走ってしまったと思ったが、もう遅い。紅夜叉がジャンの肩に腕を回してにやける。


「よし、俺がたっぷりと教えてやろうじゃないか。逃がしはしないぞ」

「あ、はははは……」


 ジャンは、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。


「で、お前はどうする? 不満そうだが、来るのか、来ないのか?」


 紅夜叉がジャンの肩に回した右手でイスカを指さす。イスカは露骨に不満そうな顔をしている。

 よりにもよって紅夜叉に遊びを教わると言うのが気に入らないのだろう。かと言って明確に拒絶する訳でもなく、何やらぶつぶつと口の中で呟いている。


「嫌ならいいさ、男二人で騒いでくるだけだ。おし、行くぞ!」


 紅夜叉がジャンを引きずる様にして連れて行く。やれやれと言う風にため息をついた操がその後を追う。


「あっ……」


 イスカは、思わず立ち上がって一歩踏み出すが、それ以上は踏み出せず、声も出せずに(うつむ)いた。(うつむ)いたイスカの右手を、小さな手が(つか)んだ。


「行きましょう、イスカさん」

「操ちゃん……」


 イスカがそれ以上何か言うよりも早く、操はぐいぐいとイスカの手を引っ張って男達の後を追う。イスカは初め少し驚いた表情でたたらを踏んで、その後はちょっと笑って走り出した。


     ◇


 紅夜叉が上機嫌で街路を行く。明らかにジャンとイスカの貯金にたかる気である。ジャンがそれに続き、さらにその後ろではイスカが操と声を潜めて話し合っていた。


「それで、彼のお金の使い方はどうなんだ? あまり度が過ぎる様だと、私はまだしもジャンは無一文にされてしまう」

「うーん……紅夜叉はお金は有れば有るだけ使い切っちゃうタイプですね」

「それはまずいな……。でもその割に、財布は操ちゃんに預けている様だけど?」

「紅夜叉はお金の勘定はしないんです。払う時は適当に出してお釣りも受け取らないような払い方で、実はときどき区別がついてないんじゃないかと思うときがあります」

「それ大丈夫なのか? お金が足りなかったりしたらまずいだろうに」

「だから私が財布を持ってるんですよ」

「ああ、なるほど」

「ジャンさんがスッカラカンにならない様に気を付けておきますから、とりあえずは大丈夫だと思います」

「済まない。頼むよ、操ちゃん」


 そうこうしているうちに一行はとある大衆酒場の前まで来た。紅夜叉が迷う事無くこの店を選んだので、馴染(なじ)みの店なのかもしれない。


「おや?」


 紅夜叉が扉を半分開けて中を(のぞ)いたところで動きを止めた。


「どうした?」

「ちっ……今日は貸し切りだとよ」


 ジャンも店内を(のぞ)くと、なるほどすでに団体客で満席になっていた。店の奥で若い男が乾杯の音頭を取っている。


「ありゃほぼ全員兵士だな。格好がバラバラなところを見ると私的な集まりの様だが」

「どうするんだ?」

「なに、当ては他にもある。そっちに行くだけだ」


 紅夜叉が半開きの戸から手を放す。古い戸がきしむ音を立てて揺れた。


「あれ? あれって確か……」

「どうした、操?」

「ううん、なんでもない。ちょっと知ってる人が居たから」

「知り合いか?」

「そういうんじゃなくて、単に顔と名前と役職を知ってるだけ。気にしないで行きましょ」

「そうか、なら行くぞ」


 ちょっとした(つまづ)きはあったが、その後は紅夜叉の意外な遊び上手ぶりが発揮され、街中を楽しく歩き回った。

 紅夜叉の頭の中には遊び歩くための地図が出来上がっている様で、小腹がすいたと思えば屋台が現れ、(のど)が渇いたと思えば茶屋に行きつくと言う具合に、万事図った様なタイミングで目的地に到着した。

 それだけでなく、安くて美味くて腹を満たすなら焼き鳥を食うのが一番いいだとか、早く酔いたければ林檎蒸留酒(アップルブランデー)の右に出る物は無いだとか、実に慣れた様子であった。

 日が傾く頃に街歩きで疲れた体を公衆浴場の湯船に沈め、一番星が出る頃にさっぱりした心身で酒場に入り、上機嫌でごちそうの山を注文して四人で大騒ぎをした。

 普段は飲まない酒などもちょっと口にして、真っ赤になってふらふらしているイスカをジャンが支えて店を出た時には、もうすっかり暗くなっていた。


「あー楽しかった。こんなのは初めてだ」

「なんだ、まだまだこれから。夜になってからが一番楽しいと言うのに」

「いや、俺もイスカも休みは今日だけで、明日からまた仕事があるし」

「まあ、そうだろうな。ならここでお別れだ、俺は後一晩楽しませてもらう。どうせその潰れた奴を連れていたら遊べないしな」

「ははは、今日はお前の……いや、皆の意外な顔が見えた気がするよ」

「ふん、くだらん事を抜かしてないでさっさと行ってしまえ」

「じゃあな、程々にしろよ。操ちゃんにあんま苦労させるなよ」


 腕を組んだまま鼻を鳴らした紅夜叉と、手を振る操の見送りを受けて、ジャンは帰路に就いた。

 帰ってから全ての支払いをジャンとイスカがしていた事に気が付いた。


     ◇


 翌朝、イスカは多少辛そうにしていたが、ジャンは特に不調は無く、身支度を整えて安東家上屋敷内の居住区を出た。出たところで朝帰りの紅夜叉と出くわした。


「おう、お帰り。本当にあれからずっと遊んでたのか」

「まあな。夜通し遊んで、朝は料亭で食ってから朝風呂に入って、豆腐屋で湯豆腐を突きながら朝酒を喰らって帰ってきたところだ。これで持ち合わせスッカラカン、ちょっとこのまま寝かせてもらうとしよう」

「……なんというか、凄い奴だよ、お前は」


 ある意味で人生を満喫している。ひどく不健康な印象もあるが、その刹那主義的な生き方にジャンは少し(うらや)ましい物を感じた。

 慌てて頭を振って、ああいうのを見習うのはまずいと気を引き締めた。

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