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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
狩人
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2

 大宴会だった。

 自分達の倍の大きさを持つ敵を一方的に下し、なおかつ船を鹵獲までしてきたのだから、この盛大な祝宴も無理は無かった。

 帰還の報を受けてシオツチを訪れた克用(なりちか)に、高星(たかあき)が鹵獲した船を土産にやろうと言った時は、流石の克用も目が飛び出さんばかりの驚き様だった。

 そんな克用の驚く顔を見て、ようやく高星は溜飲(りゅういん)を下げる事が出来たと言う顔を隠さなかった。

 ともあれ期せずして朱耶(しゅや)家は二百トン級軍船をただで手に入れた事になる。克用は大喜びで、安東(あんどう)家海軍の(ろう)(ねぎら)うために、野外で盛大な宴会を開かせた。

 日が暮れても(かがり)()が焚かれ、夜通しの大宴会となりそうである。


「おいお前ら、酒なら船でも散々飲んだろうに。程々にしろ」

「船で飲む酒は酒じゃありませんよ。殿だって大分飲んでるじゃありませんか」

「馬鹿言え、私は素面(しらふ)だ。飲んではいるが」


 確かに高星は酔った様子は見せないが、それは素面と言うのだろうか。

 ただ、船で飲む酒は酒ではないと言うのは解らなくもない。今回は短期の航海を繰り返しているので問題にはなっていないが、真水は腐りやすいのだ。

 そのため飲料水として、より日持ちする酒を使う。これを果物の汁等で割って飲み、野菜不足による疾病も同時に予防するのだ。

 だから船で飲む酒は嗜好品(しこうひん)と言う意味よりも、実用的な兵糧の一種と言う意味合いが強い。嗜好品(しこうひん)でない酒は、酒にして酒に(あら)ずという訳だ。


「お前は本当にうわばみだな。どれだけ飲めば気が済むんだ?」


 高星の飲みっぷりを、克用が半ば呆れながら隣で眺めている。


「これでも大分自制している方だ。それよりもなんで何もしていないお前が一緒になって騒いでいる?」

「そりゃ、この宴会は俺持ちだし」

「よく見るといつの間にやら、お前の家来も混じっているな。あそこで騒いでいるのは確か、正通(まさつぐ)というお前の従弟だろう」

「あーあ、調子に乗って一気飲みなんかして」

「死んでも知らんぞ」

「なに、殺しても死なないさ」

「酒を一気飲みするなど危ないし、勿体無いし、何より虚しいだけだ」

「知った様な事を言うんだな」

「知っているからな。昔、どうにもたまらなくて一気に四合ほどあおった事がある。反吐まみれになって、二つ解った事がある」

「ほう、二つか。何が解った?」

「一つはさっき言った通り。酒の一気飲みなどしても、虚しいだけだ」


 高星と克用の視線の先で正通が突然青い顔をし、周りの者が一斉に逃げ出す。


「あーあ、やらかした。それで、二つ目は?」

「私は決して酔えないという事だ。反吐まみれになって介抱を受けながら、そんな自分の有様を頭の芯が冷たく見ていて、すっかり酒が抜けた後も全てを克明(こくめい)に覚えていた。

 どうやら私は深い所までは絶対に酔えない性質(たち)らしい。酒に酔えず、夢にも酔えない。常に冷徹に現実を見てしまって、どこか冷めている。そう言えば血にも酔った覚えが無いな」

「酔えない性質(たち)か。頼もしいと思う一方で、(あわ)れに思えるな」

(あわ)れまれるのは大嫌いだが、こればっかりは自分でも虚しいと思う手前、否定できないな。

 やはり私は……私も何かが欠落しているのだろう。そうでなければ親殺しなどできるものか」

「その辺にしておけ。少なくとも俺はお前の事が好きだ。それなのにお前が自分を嫌ったら、俺が好きなお前はなんなんだという事になる」


 克用の言葉に高星は、力なく笑い返しただけだった。


     ◇


 エステルは高星から少し離れた場所に一人座っていた。

 本当は高星の隣で過ごしたかったのだが、克用が高星の隣に付いた事で断念した。宴会と言ってもこれは私的なものではなく、半公的なもの。高星には安東家の当主として、宴席を用意してくれた朱耶(しゅや)家の当主に付き合う義務がある。

 頭では理解していても、どこか一抹の寂しさを覚えながら宴席の片隅に居たエステルの前に、誰かが立った。


「隣いいかしら?」

銀華(ぎんか)。どうしてここに?」

「私はお留守番だからね。皆と会えないのが寂しかったから」


 そう言う銀華の手に葡萄酒のボトルが握られている事に、エステルは奇異を感じた。


「銀華殿、葡萄酒なんか飲むのか? 飲んでも米の酒ばかりだったと思ったが」

「偶にはね。二人で飲もうと思ってこっちにしたの」


 二人で飲む。一人は銀華、もう一人は言うまでもない。エステルの好みに合わせて選んできたという事だ。その心遣いに温かい物を感じつつ、気を遣わせてしまったかとも思う。

 銀華がエステルの隣に腰かけ、葡萄酒を注ぐ。突然の宴会でしかも野外での事なので、ガラスのグラスではなく木製のカップだ。

 一口飲んでこれはいい物だと解った。突発的な宴席でこれ程の物が出ると言うのは、普段からこのレベルの酒を備えているのだろう。

 当主の性格の違いが出ているかと思う。高星は嗜好品(しこうひん)は好むが、嗜好品(しこうひん)の質にはあまりこだわらず、程々の質の物を満足いく量備えていれば良いと言う姿勢だ。

 一方の克用は普段から嗜好品の質にもこだわっているのだろう。あの若い当主には貴族らしい洒落者の傾向がある。どちらかと言えばエステルの嗜好は、克用のそれに近い。


「口に合わなかったかしら。私、葡萄酒は詳しくないから」


 不意に銀華が申し訳なさそうにする。


「いや、そんな事は無いが」

「でも今、ちょっと違うなって顔をしたわ」


 思わず空いている左手で顔を触った。触ってから、しまったと思った。


「やっぱりそうなのね。今後のために、どういうのが好みなのか教えてくれるとうれしいわ」

「いや、それは……あまり気にしないでくれないか」

「あら、何か問題?」

「問題という訳でもないが……」

「解った、あまり知られたくないんでしょう。でも私が秘密をばらした事があった?」


 そう言って、銀華がわざとらしくむくれて見せる。エステルにしてみれば、ここで話さないと銀華を信用していない様な罪悪感がある。ずるいと思った。


「……実は、私はもっと甘めの方が好みなんだ。恥ずかしいから内緒にしてくれよ?」


 少し(うつむ)き加減で告白した。


「恥ずかしがる様な事でも無いでしょうに。でも大丈夫、私お酒を飲むときれいさっぱり忘れちゃうから。でも無意識のうちに甘めの方を選ぶ様にはなるかもね」

「全く、敵わないな。私には真似できそうにも無い」

「貴方は貴方のままでいい。いいえ、貴方のままがいいのよ」


 笑顔の銀華に小さく笑い返して、前を向く。視線を遮る様に、また誰かが立っていた。


「サイフク殿? そこで何をしている?」


 立っていたのは朱耶家家臣のサイフクだった。確かさっきまで宴席の中央で、正通を(はや)し立てていたはずだ。


「いえ、ちょっと女性には見せられない惨状になっているのでね。衝立代わりです」


 サイフクの後ろから聞こえてくる騒ぎの内容から、何が起きているかだいたい把握した。確かに見ていて気持ちのいいものではない。


「あら大変。大丈夫かしら?」

「大丈夫ですよ。すぐに乃木(のぎ)さんがすっとんできて始末をつけますから」


 サイフクが心配そうに腰を浮かした銀華を手で制す。その後ろで乃木さんこと光綱(みつつな)がすっとんできて、飛び蹴りを浴びせた様に見えた。その後きびきびと指示を出し、片づけの指揮を執っている。

 だがよく考えると飲ませたのはサイフクであり、それがここにいるという事は自分だけうまく逃げてきたのではないかと思ったが、流石に他家の家臣に向かってそれを言うのははばかられた。

 カップの酒をあおってそのまま夜空を眺める。半分欠けの月が浮かんでいた。

 あの月は自分だなと、エステルは思った。


     ◇


 ジャンは思わず自嘲した。

 どうにも宴席になじめず、食べ物だけ取ってはそそくさと端の方に移動して食べる自分は、どう見ても店先から食べ物を盗むコソ泥の動きだった。

 こういう時に酒の勢いを借りて、無理にでも騒ぎの中に飛び込むべきなのだろうかと考えていると、イスカに声を掛けられた。


「君。やっぱり君もこういうのは苦手か」

「やっぱりってどういう事だよ」

「君は見るからに、こういう席に向いていない。現にこうして距離を置いているじゃないか」

「それはお前もだろう」

「だから『君も』と言った」


 イスカがジャンの隣に腰を下ろす。しかしだからと言って特に会話は無い。しばらく無言のまま全体をぼんやりと眺めていた。


「なんか、俺達ってこういう陽気な騒ぎが苦手な奴らばっかりだな」

「そうか? 結構皆騒いでいる様に見えるが」

「騒いでいるのはほとんど船乗りだ。親衛隊は、あちこちで小さくなってる」


 言われてみれば確かに見知った顔の多くは、騒ぎの中心から少し距離を置いてせいぜい二・三人で固まっている。


「皆、私達と同じか」

「同じなのにバラバラと言うのも、妙な話だな」

「そうかもしれないな」


 イスカの口元が、少しだけゆるんだ。


「ところで(べに)夜叉(やしゃ)の奴の姿が見えないが、どこに行った?」

「さあ、彼の事だから捜しても、『なんでお前らと一緒に飯を食わねばならん』とか言って、またどこかに行ってしまうと思うけど」


 確かにそうだろう。だがジャンはそれでも捜して、できれば一緒に過ごそうかと考えた。紅夜叉と一緒にいる事は必ずしも気分のいいものではないが、いつか(みさお)に『お願い』をされた事もある。


「ちょっと捜してみるよ。操ちゃん一人にあれの相手をさせたら可哀想だ」

「では私も行こう。万が一紅夜叉の機嫌を損ねたら、君が痛い目に遭わされる。その時は私が(かば)うから、その間に逃げろ」


 ジャンは苦笑するしかなかった。年下の少女に(かば)われると言うのはずいぶん情けないが、実際紅夜叉が手を出して来たらジャンには為す術が無く、イスカにはある程度対抗できるのだ。ありがたく護衛してもらうより他無い。

 紅夜叉は港に居た。荷箱の上に刀を抱く様に片膝立てて座り、暗い海を眺めながら酒に口をつけていた。


「ここにいたのか。海を見ても何も見えそうにないが?」


 紅夜叉が横目でジャンとイスカを一瞥(いちべつ)する。


「別に、何かを見ちゃいない。むしろ、余計な物が見えないからいい」

「余計な物が見えないなら、何が見えるんだ?」

「強いて言うなら、自分か。まあ、どうでもいい。俺は見たくないものは見ない、それに文句は言わせん」

「別に文句は付けてないが」

「言葉ではな。ところで何しに来た、邪魔をするなら場所を変えなきゃならん」

「いやまあ、用は別に無いけど、ここに居ちゃ駄目か?」

「駄目と言ったら?」

「……困る」

「なんだそれは」


 紅夜叉が呆れた様に言う。そう言ったきり、特に何か言うでもなく、移動するでもなく、また酒に口を付けた辺り、居てもいいという事らしい。


「ところで、操ちゃんが居ないようだが?」


 今度はイスカが疑問を口にする。確かに先程から操の姿は無い。いつも一緒にいる事を考えると、珍しいと言える。


「さっき適当に取ってくると言って、宴席の方に行った」

「じゃあ入れ違いか」


 紅夜叉が移動しないのは二人を受け入れたのではなく、単に操が戻ってくるからなのかもしれない。だが追い払いもしないので、やはり受け入れたのかもしれない。

 単純に、面倒臭がっているだけと言う可能性はぬぐえないが。


「あれ? ジャンさんにイスカさん」


 操が戻ってきた。戻ってくる操は、料理を山盛りに乗せた皿や、飲み物のボトルなどを器用にいくつも持って、一見危なっかしそうだが平然と歩いて戻ってきた。


「二人もご一緒するんですか? じゃあもうちょっと持ってこようかな」

「ん、いいよ、気にしないで。私達はもういくらか食べたし」

「そうですか。じゃあ飲み物の方をどうぞ、お酒以外も持ってきましたから」


 ジャンはふと、あまりよろしくない想像をして、イスカの耳元でささやいた。


「なんかこうしてみると、操ちゃんって男に貢ぐ女みたいで、心配になってきた」

「操ちゃんはしっかりしてるから多分大丈夫……のはず。むしろ銀華さんみたいな、世話を焼く女の人じゃないかな」

「聞こえてるぞ。お前ら俺をあくどい奴かろくでなしみたいに言いやがって」


 紅夜叉の鋭く冷たい言葉が飛び、ジャンとイスカは思わず身を固くした。大分声を落としていたはずだが、紅夜叉はかなり鋭敏な聴力の持ち主らしい。


「まあまあ、なんだか解りませんがせっかくですから4人で楽しくやりましょう。ね?」


 操が紅夜叉に同意を求めると、紅夜叉は鼻を鳴らして答えた。拒否はしないという事の様だ。

 それからしばらくは、特に会話が有る訳ではないがなんとなく居心地良く、静かな波の音を聞きながら4人で過ごした。


     ◇


「さて、悪いがそろそろお開きにしてくれ」


 宴席の会場で、高星が盃を置いて立ち上がった。


「もう終わりか? まだ宵の口だぞ?」


 克用が意外そうな顔をする。高星に比べたら大分酒に弱い克用も、まだ顔に少々紅が差した程度だ。


「明日の朝は無理でも、昼過ぎにはまた海に出る。飲んで騒ぐのもこの辺りで済ませたい」

「明日中に出るだと? それこそもっと休ませてやってもいいんじゃないのか?」

「いや、ここは押すべき時なのだ。海賊は横の繋がりが有る訳じゃないから、これだけやってもまだ我らの掃討作戦が知れ渡ってはいない。

 だがそれももう時間の問題だ。今が無防備な海賊共を一方的に狩る最後の機会だ。これを逃すと奴らは鳴りを潜めてしばらく出てこなくなるだろう。

 だから叩けるうちに叩けるだけ叩く」

「そのためにも明日出る、か」

「本当はもっと海に出ずっぱりでいたかったのだが、思わぬ大物を仕留めたために帰らざるを得なくなった。

 あの一隻を捕らえた代償に、三隻を逃したかもしれん」

「それを思えば祝ってばかりもいられない、か。

 なんだか済まないな。こちらが頼み込んだ仕事だと言うのに」

「なに、こちらにとってもこれは先行投資だ。

 私は利益にならない事はしない。私に損をさせたかったら、それだけの価値を示してみる事だ」

「つまり利害を度外視した、信義に基づいた行動をお前にさせたかったら、俺が信義を貫くに値する人物だと証明して見せろという事か。おもしろい」

「なに、お前なら私にそれだけの行動をさせられるだろう。本当の祝勝会は、その時まで取っておくとしようじゃないか」

「いいだろう。本当の祝勝会は、俺とお前の信義が変州(へんしゅう)を統一した時、という事にしよう」


 克用も立ち上がる。墨を垂らした様に暗い海の向こうに、二人の勝利の日がある様な気がした。


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