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強敵だった。
目の前に現れた相手は、いままでのどの海賊船よりも強敵だという事が一目で解った。
2隻の櫂船の海賊船を仕留めた百トン級軍船・大雀は七日ぶりにシオツチの街に戻った。そこで捕虜を朱耶家に引渡し、薪水食糧の補給と乗員の休息を取った。
その間に他の三隻の軍船もそれぞれ戦果を挙げて戻ってきた。三隻合わせて六隻の海賊船を掃討していた。ただし六隻全て帆船であるので、櫂船を二隻仕留めた大雀が最も武勲を上げたと言える。
合計で八隻を沈め、三百人以上を捕虜にしたが、海賊はまだ横行している様だった。
それぞれの交戦地点の情報と、潮流や地形、陸上の勢力図などを参考に、海賊が多いと思われる海域を割り出し、次の出撃海域に定めた。
その海域に入った翌日の事である。
その日は朝靄がいつまでも残り、視界の悪い日だった。靄の向こうに影が現れたかと思うと、だんだんと大きくなり、ついには大雀を超える大きさの船が姿を現した。
見るからに古い船だった。船体は緑掛かった暗い色に変色し、波が洗う部分には貝やフジツボ類がびっしりと付いている。
帆は端が裂けてボロボロで、不気味なくらいひっそりと静まり返っていた。
「……海賊船じゃなくて、幽霊船だったりしないでしょうね」
言葉にしてから後悔した。言葉にした事でより一層不気味さを強く意識してしまった。
「そんな気にさせる事もまた作戦の内という事なのだろうな。だが二百トン級櫂船相手に百トン級で勝負するとなると、今までの様にはいかないな」
流石の高星も思案顔である。まだある程度距離はあり、この靄の中なら逃げれば逃げ切れるだろう。
だが高星に逃げると言う選択肢は毛頭無かった。海賊の掃討に来ていながら相手が強そうだから逃げると言うのは、敵を調子付かせ味方の士気を下げる。むしろ強い相手だからこそ仕留めたかった。
またそもそも高星は、鍛え上げられた安東家の海軍が海賊如きに敗れるとは思っていなかった。例え3倍の敵が居ようとも、勝てないまでも見事に逃げ切る自信があった。
なればこそ、たかが船の大きさでは二倍、乗員数では多く見積もって同数より少し上程度の敵相手に、逃げるなど論外であった。
「よし、決まった。皆を集めろ」
流石に強敵である事に変わりは無い。戦闘前に訓示の一つも垂れる必要があると考えた高星は、甲板上に乗組員を集合させた。
「あー、諸君。あれに見える大船が今度の戦の相手だ。我らより大きく、その分敵兵も多い事だろう。だがしかし、諸君は栄えある安東家の精鋭、誇り高き海の狩人達である。私はあの敵を前にして、恐れるどころか血が高ぶって仕方が無い。諸君らはどうだ?」
大きな歓声が上がる。
「よろしい。皆がその意気ならば、あれはもう敵ではなく獲物である。各々自分の役目を果たし、大物を仕留めて見せようぞ!」
再び大きな歓声が上がった。にわかに船上が騒がしくなり、急速に臨戦態勢が整えられていく。
「棟梁、それであの大きな敵相手にどうやって戦う気ですか?」
「何、簡単だ。正面から襲いかかるだけよ」
「えっ、正面からってそれはいくらなんでも無謀なんじゃ……」
「向こうもそう思っているだろうな。一方的に襲うのではなく、軍船同士の船戦だと認識していても、小さい方の船が正面から挑んでくるとは普通考えないだろう。真っ向勝負は避けるのが常の、海賊の思考なら特にな」
「そこをあえて正面から挑みかかり、最初の一撃で強力なのをお見舞いするという事ですか?」
「そうだ。我が安東家の軍船の武装を、まとめてお見舞いしてやるつもりだ」
「そういう事なら俺もそっちの手伝いに行かなくちゃ。何をすればいいでしょうか?」
「じゃあ、海水を汲んでくれ」
「海水? ……火攻めを受けた時の消火用ですか?」
「おしいな。汲んできたらすぐに解る。行け」
「はいっ!」
すぐ解ると言うのなら、行動した方が聞くよりも早いのだろうと思い、桶を手に船縁へ急いだ。
井戸などと違い、滑車無しで水の一杯入った桶を引き上げるのはかなりの重労働だったが、なんとか引き上げて運ぶ。
「来たな。ではこれを水に浸けろ」
高星が暗褐色の塊を寄越す。見た目は魚網をまとめた物に似ているが、手に取ってみると網とは違う。
「これは……海藻ですか? 海岸に良く打ち上げられてる」
浅い海底に毛の様にびっしり生えている褐色の海藻を乾燥させた物だった。
「正解。それは海藻を編んだすだれだ。船は木造だから火攻めが大敵だ。だから防火に水を含ませた布やすだれを張る事があるのだが、海藻で編んだこのすだれは海水で戻すと非常に防火性能が高い。我が海軍の新装備だ」
「へえ、いざと言う時は食糧にもなりそうですね」
「残念ながら固くて不味くて食糧にはならんだろう。食っても栄養になるか怪しい物だ。
海藻すだれが戻ったら船縁から垂らせ、その後は木材のところに行って戦闘用意。武器の使い方は見て真似ろ」
高星は次々と指示を出し、戦闘準備が着々と整う。その間にも敵との距離は近づき、開戦は間近と思われた。
「殿」
「一等航海士、どうした?」
「このままでは反航戦になります。それでは敵に大きな打撃を与えられません」
「む……そうか。確かに同航戦に持ち込みたいな」
船戦ではまず船同士のぶつかり合いを行い、そこで敵船を沈められなければ白兵戦へ移行して敵を制圧することになる。お互いに船が複数の場合は、船同士のぶつかり合いは即ち艦隊戦となる。
船同士のぶつかり合いで決着を付けるのは、よほど上手くこちらの攻撃が決まらない限り難しい。だから大抵は白兵戦になるのだが、船同士の戦いで大きな打撃を与えておけば白兵戦でも有利に立てる。
今回は相手が自分達よりも大きい船である以上、先制してできるだけ大打撃を与えたい。しかし船同士がすれ違う反航戦では交戦時間が短く、すぐに白兵戦に突入してしまう。
できるだけ船同士の戦いを長く続け、白兵戦の前に打撃を与えるには、敵味方が並行して航行する同航戦になる事が望ましい。
今、敵海賊船は大雀の右前方をこちらに向かって直進しており、このままでは反航戦になる。しかも敵の船は大きい分甲板が高く、高所からの攻撃を受ける事になるため、このままでは不利を免れない。
「よし、逃げよう」
「逃げる……ですか?」
「双方が櫂に切り替えると同時に敵前回頭、あえて追われる形を取り追いつかせる」
「よろしいのですか?」
「よい。やれ」
「はっ」
双方の距離が詰まり、ほぼ同時に帆を下ろす。靄が出る気象条件のため風は微風で、どちらも速力が出なかった事で十分な準備時間が取れた。
「おもーかーじ! いっぱーい!」
海賊船の目の前で横腹をさらしての回頭を命じる。今、全速力で衝角攻撃を仕掛けられたら非常に危険であるが、高星にはその可能性は無いという自信があった。
敵は海賊船であり人員・練度共に不十分である事、大船は加速に時間が掛かる事、何より敵の意表を突いているであろう事から、危険性は少ないと判断した。その上敵船は旧型で、堅牢ではあるが速力に欠ける構造である事も看破していた。
海賊船の鼻先をかすめるように右回頭して背を向ける大雀。それを獲物が逃げると見たか、それとも挑発と見たか、海賊船が猛然と追いすがってきた。
「よし、止めろ! 戦闘用意!」
全ての櫓が水面に差した状態で固定される。船にブレーキに当たる装置は無いが、こうする事により水の抵抗が増し、大きく減速する。これもまた敵の予想外の行動である事だろう。ついに海賊船が追いつき、いや、海賊船に追いつかせ、戦闘が開始される。
「構え! 放て!」
大雀の右舷後方から海賊船の左舷前方へ、一斉に矢が放たれる。船が前後にぶつかるといきなり白兵戦に入るので、それを想定して船首に集まっていた海賊がバタバタと倒れる。
すぐに事態を察した海賊は慌てて船同士の戦いに切り替えようとするが、大雀から火矢が放たれたため消火活動も並行して行わなければならず、甲板上は大混雑に陥った。
その間に船はほぼ平行に並ぶ。大雀の櫂が再び動き出した。速力を揃えできるだけ相対的に止まっている状態を作る様に動く。互いに攻撃が当たりやすいが、今のところは先制攻撃に成功したこちらが有利である。
海賊も反撃してくる。矢が唸りを上げて飛来するが、こちらの射ち込む数に比べると大分少ない。弩を使っている様だ。射程・威力ともに優れるが、滑車で弦を引かねばならず、連射が利かない。
海賊も火矢を射ち込んできた、二百トン級櫂船を所有しているだけあって、戦慣れしている様だ。大雀の船体に数本の火矢が突き刺さるが、燃え上がる事無く消えてしまう。海水をたっぷり含んだ海藻すだれの効果が出ている。
火の点いた物を手当たり次第に投げ込んでもきた。だがこれも海藻すだれを被せる事ですぐに鎮火する。水を掛けるのと違い、使いまわしが利くのでかなり大量に投げ込まれても対応できる。一方の海賊は消火に大分人手を取られているようだ。
「よーし、大型弩砲、撃て!」
鉄球が次々と撃ち出され、海賊船の船体に音を立てて穴が穿たれる。喫水線ギリギリに当てないとそれほど実害は無いが、威圧感は大きい。
「投擲!」
ジャンはようやく出番が来たことに勇躍した。投擲武器の木材を縄で振り回し、思いっきり海賊船に向かって投げつける。
ただの木材ではなく、15㎝にも及ぶ長い釘が反対側に突き抜ける様に大量に打たれた、見るからに厳めしい武器である。
死ぬことはまずないが、直撃すれば怪我による戦力低下は免れず、甲板に落ちているだけでも非常に厄介な代物である。
一応こちらが押している形だが、未だ決定打は与えられていない。
「ここらでとっておきをくれてやろう、石鹸水を浴びせろ!」
船内から今まで戦闘に参加していなかった船乗りや漕ぎ手が現れ、海賊船に向かって一斉に石鹸水を浴びせかけた。
石鹸は非常に重要な備品である。船内を清潔に保ち疫病を予防するのが第一だが、戦闘時は非常に強力な武器となる。
木材は古い物は特に、濡れると意外な程に滑る物である。そこに石鹸水を撒けば滑って立てないか、良くても踏ん張る事が出来ず、まともに武器を振るう事が出来なくなる。
その上直接目に入れば痛みで目を開けていられず、とても戦闘ができる状態ではなくなる。しかも液体なので非常に防ぎにくい。
船戦において石鹸水と言う物は、冗談の様に聞こえるがとても強力な武器なのである。
「よし、接舷しろ! 乗り込め!」
海賊の抵抗が弱まり、突入の機だと高星は判断した。海賊船に接舷し、親衛隊を中心とした戦闘員が斬り込む。
高低差があるので、ちょっとした段差を登って突入する形になる。梯子や鉤縄を掛けて登る者や、二人掛かりで一人が一人を押し上げて登る者、帆柱によじ登って飛び降りて突入する者もいる。
海賊船上で斬り合いになる。こうなると乱戦なので飛び道具は使えない。また、狭い船上では長柄の武器も不利なので、必然的に剣同士の戦いになる。
海賊もやられてばかりではなく、こちらに乗り込んでくる者もいる。一人の海賊が雄叫びを上げて高星に突っ込んできた。
遮ろうとしたエステルを手で制して、振りかぶった海賊の胸に手刀を一撃入れる。一瞬息が詰まり、動きを止めた海賊の顎を左の拳で打ち上げた。海賊は失神し仰向けに倒れ、そのまま海に落下した。
「高星、頼むから自分から戦闘に参加するのは止めてくれないか。何のための護衛なんだ」
エステルに苦言を言われて、高星が苦笑いする。
「すまんすまん、ついじっとしていられなくてな。自重する様にしよう」
「全く、だっ!」
エステルがナイフを投擲する。ナイフは大雀に乗り移ろうとする海賊の胸に刺さり、海賊はそのまま海へ落ちて行った。
「しぶといな。思ったよりも抵抗の意思を失っていない」
「だが十分押してはいるだろう?」
「それはそうなのだが、できれば双方に被害無く制圧したい。それには降伏させるのが一番いいのだが」
高星が敵味方の船を何度か見比べる。不意にひらめきが訪れ、目を見開いた。
「あれだ! 射手! バリスタ射手!」
高星が叫ぶ。喧騒にまぎれて聞こえないと見ると、手近な大型弩砲の傍まで船上を駆けた。
「射手! あれだ! あれを撃て!」
「あれってどれですか!」
「あれだあれ!」
高星が海賊船を指さす。指の先にある物を見た射手は、思わずにやついた。
「なるほど、あれですか」
「そうだ。いけるか?」
「お任せください」
射手が滑車で弦を引き、鉄球を装填して狙いをつける。至近距離とは言え、揺れる船の上で大きいとは言えない的を狙うのは、集中力を要する。
よく狙いをつけて、放った。唸りを上げて飛ぶ鉄球が、海賊船の帆柱をえぐった。大きな帆柱が嫌な音を立てて根元近くから倒れる。
帆柱が倒れて行く先に居た者は、敵も味方も悲鳴を上げて逃げる。それ以外の者はやはり敵も味方も呆然と帆柱が倒れる様子を見ていた。
帆柱が船体を掠める様に海に落ちた。味方の歓声が上がる一方、海賊は意気消沈している様子がはっきりと感じられた。
いまさら帆柱が無くなったところで何か大きな違いが有る訳ではないが、目の前で大きな帆柱がへし折られ、倒れる様子を見せられる事は、精神的に大きな打撃だった。
高星はそこに止めを刺しに掛かる。
「我々の勝利だ! 武器を捨てて投降せよ! 特別の温情を持って命を助ける事を約束しよう!」
海賊を殺さない事は特別の温情でもなんでもなく、最初からそうする予定だったが、海賊達はそんな事は知らない。
武器を捨てて投降する者が現れ、そんな様子を見て観念したのか、投降するでもなければ抵抗する訳でもなく、その場に座り込む者も現れた。
僅かに残った最後まで抵抗する者達も、程無く囲まれて取り押さえられた。
◇
「高星、海賊を確保した。総勢で百七人にもなった。そのうち十人は、捕虜として強制労働をさせられていた様だ」
「こちらに被害は?」
「死者も重傷者も無しだ。むしろ暴れ足りないと紅夜叉やジャンがぼやいていた」
「威勢がいいのは結構だ。それよりも思わぬ収穫も得た」
「思わぬ収穫? ……ああ、あの船か。確かに修理すれば十分使えそうだな」
「少々古い型だが、堅牢な二百トン級軍船だ。克用の奴にいい土産になるだろう」
「ただでくれてやる気か? 気前がいいな」
「恩を売ると言うのさ。数年後に十倍にして返してもらうさ」
「そうか。まあ、なんにせよ大戦果を挙げた事は間違いない。皆を労ってやらねばな」
「ああ、凱旋したら盛大に祝勝会をしよう。もちろん朱耶家持ちでな」
激しい戦いをし、気持ちのいい勝利を得た。高星の顔にも、素直な喜びが浮かんでいた。




