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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
朝を駆ける
52/366

4・高星対克用

今回ちょっと長いです

 悪くない動きだった。

 一千の歩兵と五百の騎兵に原野を駆けさせている。この程度では落伍する者はおろか遅れる者も無い。満足いく兵と言えた。

 停止の合図を出し、兵を呼び戻す。

 克用(なりちか)に調練の見学に誘われ、どうせなら模擬戦の一方の軍の指揮を執ってみないかという事になった。

 ちょうど親衛隊も全員連れてきていたので伝令役に当て、即席ながら満足のいく程度には掌握した。

 兵力は全く同じだが、向こうの丘の上に本陣を置く克用の軍勢は、朱耶(しゅや)家の精鋭を集めた軍。それに対してこちらは質に関しては並と聞いていたが、試しに走らせて見た限りでは悪くは無かった。

 原野戦である。克用、高星(たかあき)共に戦場が良く見える丘の上に陣取ってはいるが、戦場となる原野は起伏も障害物に成る様な物も無い。

 地形という条件は完全に排除された戦場だ。それだけに戦術の巧拙が勝敗を分けるだろう。

 馬上の高星は目を閉じて戦術を思い浮かべる。彼我の差は兵の質のみ、それも向こうがどれほど精鋭かは解らないが、こちらも決して弱兵ではない。

 ただ敵の情報が無くは無い。向こうの騎兵は全員漆黒の装束をしている。鴉軍(あぐん)だ。それに歩兵にもおよそ五百、黒塗りの重装鎧を着た兵がいる。おそらく歩兵の精鋭だろう。


「エステル、ジャン、お前達ならどう戦う?」


 すでに戦術はほぼ決めていた。二人に意見を言わせるのは、一応他者の意見も取り入れて判断を下すためでもあるが、この二人では大して期待はできない。むしろ二人に考えさせる事が目的だった。


「我らは質で劣っている。単純に考えて正面からぶつかり合っては勝てない。ここは守りを固めて、相手を疲れさせてから反撃に出るのがいいと思う」


 エステルの判断はごく普通の発想だった。相手の方が強いので、攻めるよりも有利な守りの態勢を敷き、しかる後に勝ちを求めようというものだ。

 だがそれでは勝てないし、負けるだろうと思った。


「俺は、攻めか守りかで言ったら、攻めるべきだと思います。こちらが不利なんだから、勝とうと思うなら開戦直後に一気に攻めきらないと勝てないと思います」


 やはりジャンの方がセンスがある。だが仮にここでジャンに指揮を執らせても、こちらの攻撃を上手くいなされて、その隙を突かれて敗走するだろう。


「まずエステルの案だが、数で劣る場合はその策でも悪くは無い。だが今回は質で劣っている。守りに入ると攻めの勢いをつけた敵精鋭部隊の圧力を支えきれずに、押し潰されるだろう。

 次にジャンの案だが、攻めるべきだと言う発想は良い。だが質で劣るこちらがただ仕掛けても返り討ちに遭うだけだろう」

「では、どうするんですか?」

「伝令を出せ、部隊を少し組み替える」


 高星が親衛隊に指示を与えて伝達させる。眼下の部隊がまるで生き物の様になめらかに動き、陣形を組み始めた。


「まず、敵がどう出るかを考える。敵は有力な騎兵と歩兵を抱えている事から、まず通常の歩兵で正面からぶつかり、次に騎兵で側背を突いてこちらの陣形を崩し、最後に重装歩兵を投入して勝負を決すると見た。

 だからこちらは敵の騎兵による側背攻撃の対策をし、相手の目論見が(つまづ)いたところで反撃をする」

 高星が戦術思想を語る間に部隊が陣形を組み上げる。最前列に四百の横陣、左右後方にそれぞれ三百ずつが傾斜陣を敷き、全体としては『八』の字の形をしている。騎兵は歩兵の後方で待機である。

「誰かこの陣形を知っているか?」

魚鱗(ぎょりん)陣ですか?」


 ジャンは高星から借りた兵書の記憶を引っ張り出した。魚鱗陣に最も近いが、兵書に載っていたそれとは少し違う。兵書の魚鱗陣は、小さな横陣を何段も重ねて∧型陣を作るものだった。


「少し違うな。これは八陣と言って最も古い陣形の一つだ。前衛の横陣がまずぶつかって戦線を支え、両翼の傾斜陣が状況に応じて動くと言う陣形だ。

 今回は両翼には対騎兵の動きを指示してある」

「どう動くんですか?」

「騎兵が側背を突きに来たら、ハの字に開いた両翼が閉じて、全体として逆三角形の陣になり、さらに両翼には槍衾(やりぶすま)を作る様に指示をしてある。これでしばらくは持つだろう。

 その間に後方の騎兵を迂回させて、側背から敵の重装歩兵を崩す。余勢を駆って攻撃を掛けている歩兵を背後から襲い、挟み撃ちにして撃滅する。

 最後に残った騎兵を緩やかに囲み、ゆっくりと包囲の輪を縮めて締め上げる。それで勝ちだ」

「なるほど、守ると見せかけて攻めさせたところを逆に攻める。『必ず攻めて守らず』ですね。それなら勝てそうだ」

「馬鹿を言え、不測の事態などいくらでも起きる。予想の半分も当たればいい方だ。だが予想していればある程度方針は決まっているのだから、迷わずに決断できる」

「高星、向こうも陣を組み終えたようだ」


 向こうの丘のふもとを見れば、克用率いる軍が横陣を組んで待機している。両翼に二つに分けた騎兵、その間に歩兵の横陣と言う、一見ごく一般的な横陣に思える布陣だ。


「あれは、横陣の様で横陣ではないな、方陣を並べたものだ」


 高星が眉をひそめる。普通の横陣は薄い横陣を何枚も重ねるものだ。この場合は高星の予想なら、前衛に歩兵の横陣、後衛に重装歩兵の横陣を敷くはずである。


「陣立ての時点ですでに予想が外れる、これだから戦は油断ならん。あの陣立てを見るに、いきなり重装歩兵の投入もあるな」

「どうしましょうか?」

「いまさら陣を変える時間は無い。多少の違いはあっても、基本的には最初に決めた通りに動く。土壇場での作戦変更は混乱を招き、危険だ」


 向こうの丘からゆっくりとした間隔で太鼓を打ち鳴らす音が響いてきた。こちらはいつでも演習を始められるという合図だ。こちらも同じ太鼓を鳴らし、応える。後は指揮官の号令一下、いつでも両軍は動き出す。


     ◇


 初めに動いたのは克用軍の重装歩兵だった。黒塗りの鎧を着た部隊が、まるで布から糸を一本抜く様に、方陣から単縦陣に変わりながら突撃してくる。

 重装歩兵の割に大した機動力である。敵が近づくにつれ先頭を走る男が、剣の代わりの棒を左右にそれぞれの手に持って突っ込んでくるのが見える様になる。

 見覚えのある男だ、朱耶家の有力な武将かもしれない。先頭切って突っ込んでくるあたり、猛将型だろう。

 こちらの前衛とぶつかる。単横陣で単縦陣を受け止めたのだから、戦闘は小さな点でのみ起きている。だがその分圧力はすさまじく、押され気味である。


「伝令、交戦部隊は突破されぬ様に後退、左右の部隊は敵を挟み込め」


 横一線の単横陣をV字に組み替えて敵を挟み込む。横陣が閉じ始めた頃、敵の騎兵がついに動き出した。両翼からこちらの歩兵の背後に回り込む動きだ。


「来たな。作戦通り両翼を閉じ、騎兵は敵を迂回して側背に回れ」


 ハの字に開いていた両翼が閉じる。前衛がV字になっているので二つのV字を重ねた様な形になる。

 敵の騎兵はこちらの両翼が槍衾(やりぶすま)――と言っても槍の長さの(ぼう)(ぶすま)だが――を作って待ち構えているのを見て少しひるんだ様だが、そのまま攻撃を仕掛けてきた。

 こちらも単縦陣で突っかけてはすぐに引く、崩す事に主眼を置いた攻撃だ。(むち)で何度も打ち据えられている様なものである。

 よく見ると指揮官は宴席で曲芸を見せた、確かサイフクと言う男である。やはり両手にそれぞれ槍の長さの棒を持っている。朱耶家では武器を二本持つのが流行りなのかと、くだらない考えが頭をよぎった。

 今のところ、こちらの歩兵はよく耐えている。その間に騎兵は敵を迂回して、未だ動かない敵の方陣の側面を突きにかかった。多少の差異はあるが、おおむね想定通りに進んでいる。


 不意に、敵の方陣が割れた。左右にではない、前後にだ。割れた方陣の後ろの部隊が90度回転する。高星側から見てL字の陣形になる。

 鈎形(こうけい)(よく)だ、対包囲の防御陣形である。側面攻撃ができなくなった騎兵がやむなくさらに移動して、背後に回ろうとする。しかしL字が再び閉じ、二人の人間が背中合わせに武器を構えた様な形になる。


「囮か!」


 思わず叫んだ。なぜ今まで動かなかったのか、なぜ鈎形翼を取れたのか。事前の備え無しに騎兵の攻撃に応じて鈎形翼など、間に合う訳がない。対包囲防御陣である鈎形翼の備えをしていたのなら、攻撃的な機動はできなくなる。

 つまりは最初から囮だったのだ、克用は最初から一千の精鋭だけで戦う気でいた。だから五百は囮に使い、まんまとこちらの騎兵は引き付けられた。

 高星の眼前でこちらの歩兵の前衛部隊が、敵の重装歩兵の猛攻を支えきれずに突破された。敵重装歩兵部隊はそのまま直進し、両翼に背後から襲いかかる。

 背後からの攻撃に混乱した両翼に、素早く一つにまとまった敵騎兵が突撃する。瞬く間にこちらの歩兵は、十文字に四分割された。もはや抵抗は望めそうにない。


「ここまでだな。白旗を上げて、退却の合図を出せ」


 演習とは言え、負けたにしては高星は冷静そうな様子だった。それがジャンを却って狼狽(うろた)えさせた。

 ジャンにとっては高星が敗北したなど信じられなかった。無論、高星とて無敵にして不敗な訳ではないという事は、解っているつもりだった。

 だがこうして現実に高星が戦で負けるところを見ると、それが演習とは言え信じられなかった。どこかで高星は絶対に負けない様に思い込んでいた。

 それが、負けたのだ。しかもそれに高星が動揺した様子も、少なくとも表面上は見えない。それが却ってこの負けを信じられなくした。自分の信じていた何かが、崩れたような気がした。


     ◇


 兵を整列させた間で、高星と克用は落ち合った。克用の後ろには、あの騎兵指揮官と重装歩兵指揮官もいる。


「良い兵に、良い将を持っている。そちらのお二方、騎兵の方はサイフク殿と言ったか、どちらも素晴らしい働きだった」

「鴉軍を任せた方が自称・双槍将のサイフク。以前、一度紹介したが、掘り出し物の人材だ。

 こっちは従弟の正通(まさつぐ)、割と馬鹿だが武勇は1、2を争う猛将だ」

「ちょっとちょっと克用様、馬鹿は無いでしょう」

「なんならお前のやらかした笑える話を、いくらでもここで披露してもいいんだが?」

「すみません、私は馬鹿です。大馬鹿ですからそれだけは勘弁してください」


 一体どんな話なのか、却って気になるところである。克用ならばいずれ話してしまうのだろうが。


「克用様、兵はこの後どうさせましょうか?」


 朱耶家の乃木(のぎ)光綱(みつつな)が兵の点検から戻ってきて、尋ねた。


「今日の調練は終わりだ、兵はこのまま帰らせる。だが私は先生の所へ顔を出そうと思う、高星殿達も連れてな」

「では、兵は私が率いましょう。その後私も向います」

「苦労を掛けるな、光綱」

「いまさらですよ。では」

「高星殿、差支えなければ共に私の先生の所へ行かぬか? ここからそう遠くは無い」

「ではご一緒しよう。だがこの人数で行っても迷惑だな。エステル、それにジャン、伴をしろ。他の者は帰ったら自由にしてよし」

「では行こうか」


 克用の側近たる光綱が、三千の兵を率いて城の方へと進む。残る克用は、正通、サイフク両将を伴い、反対方向へ馬を歩かせた。高星の一行が後に続く。


「克用殿の先生と言うのは?」

「俺がまだ幼い頃、父が都の方から学問の師として呼んだ僧侶だ。光綱や正通も共に学んだ。もっとも、熱心に学んでいた光綱と違って、正通はろくに聞いてもいなかったがな。

 ここから近い場所に建つ小さな寺院に居る。昔は泊り込みで学ばされたものだ」

「そうか。ところで先程の演習だが、初めから歩騎一千のみで戦う気でいたのだろう?」

「まあな。苦境に立った時、最後まで残るのが一千の両精鋭部隊だろうから、その一千だけで勝てる様な戦をする事を考えている。

 そうすればどれだけ追いつめられても、全滅しない限り勝ち目があると思ってな」

「まあ、精鋭を活かすために他の部隊を使うのは、常道と言って良いだろう」

「だが正直驚いた。鴉軍を(から)め手に回した時点で勝ったと思ったのだが、両翼が閉じて鴉軍を止めた時は、思わず声を上げたぞ」

「その程度の動きは初めから読んでいた。騎兵が我が旗下の三百騎で、私自ら率いていればまだ勝ち目はあったさ」

「へえ、どうやってあそこから勝つんだ?」

「我が旗下の精鋭ならば、あの程度の備えの歩兵は早々に崩せる。その後は鴉軍との駆け合いになるだろう。

 あの黒塗りの重装歩兵は予想以上の機動力だったが、長くは走れまい。必然的に騎兵同士のぶつかり合いになる。

 そうなれば数では劣っても弓騎である優位性を考えれば互角。私自ら率いれば六:四で勝てる。もし勝てれば後は疲弊した重装歩兵を蹂躙(じゅうりん)するだけだ」

「言ってくれる。だが正通の百足(むかで)衆はそう甘くは無いぞ」

「あれは百足衆というのか」

「元々正通が、自分の隊の防御を重装鎧に丸投げして敵に突撃を掛けていた。だがあまりにも考え無しだったもんで、見かねた光綱がいろいろ面倒を見てやったんだ」


 克用が正通の方を向きながら口元をほころばせている。


「例えばどんな?」

「仮想敵を同じ重装歩兵として、太短い直剣を武器にする事や、飛び道具対策に単縦陣で突撃する事だな。そしたら正通の奴、直剣を両手に持ちやがった。

 しかもあれで部下に慕われているんだが、その部下が皆それを真似てな。二刀流の重装歩兵が一列に並んで突撃するのを俺がムカデみたいだと言ったら、鎧を黒く塗って百足衆と名乗りやがったのさ」

「なるほど、両手に剣を持った重装歩兵が一列に並んで走るのは、確かに百足に見えなくもない。

いいんじゃないか、百足は後ろに退かぬと言うし。まあ、後ろに下がれる生き物が思い当たらんが」

「今じゃ鴉軍に次ぐ精鋭だ。そう簡単には敗れまい」

「それはどうだろうな」

「口だけなら何とでも言える」


 だが本当に打ち破られるかもしれない、と克用は思っていた。

 先の演習での高星の対騎兵戦術は、克用の予想を超えていた。通常ならば槍衾(やりぶすま)程度の対騎兵戦術は、鴉軍なら容易く翻弄し、破れる。

 だが高星の取った戦術は、知っている限りどんな兵書にも載ってはいないし、それでいて鴉軍がしばらく止められたのだ。

 さらに高星方の騎兵の動きも予想以上に早かった、と言うよりも無駄が無かった。今にして思えば、あらかじめ鴉軍の進路を予想し、それを紙一重で避ける最短ルートでこちらへ迫ってきた。そんな事は鴉軍でもできるかどうか解らない。

 騎兵と対騎兵、どちらの戦術も騎兵と騎馬戦を知り尽くした上でのものとしか思えなかった。

 驍将(ぎょうしょう)一際(ひときわ)優れた騎馬の将。安東高星はまさに騎兵の戦においては、自分を超える驍将ではないか。そう克用は思わずにはいられなかった。


     ◇


 タガの街を取り巻く丘の片隅に、その小さな寺院はあった。

 寺院はどこも独特の空気を放っているものだが、(いおり)と言った方が近い様なこの小さな寺院も、俗世から隔絶された様な静寂と、清浄な雰囲気に包まれていた。


「コサイ先生、いらっしゃいますか」


 克用がそれほど声を張り上げずに言う。この程度の声で聞こえる程の広さしかないのだろう。

 すぐに小さな足音が聞こえ、一人の老僧が顔を出した。


「おう、誰かと思えば小僧共か。そちらはお客さんか」

「安東……いや、タカアキ・アンドウと申します。こちらは伴のエステルとジャン」

「コサイというしがない僧侶です。一応そこの小僧共の師になりますな」

「先生、客の前で小僧扱いは勘弁してくれませんか」

「何を言う。人は常に己の未熟さを忘れてはならん。それをこうして一々自覚させてやっている師匠の思いやりが解らんか」

「後生(おそ)るべしと言って、若者を甘く見ているとあっという間に大人を追い抜くから、若者を小僧扱いしていては追い抜かれますよ」

「ふふふ、相変わらず口は達者の様だな。上がるが良い、お茶は5人分でいいか」

「後から光綱も来るはずだから、六人分のつもりで頼みたい」

「解った、六人分な。さ、お上がりなされ」

「茶は、できれば薄茶で頼みたいものだ」


 途端にコサイは声を上げて笑った。


「その様子ではこのいたずら小僧のいたずらをすでに喰らったな。なるほどそれでいて友人としての交わりをするあたり、貴殿もなかなかの人物と見る」

「恐れ入ります」


 コサイの先導に従って庭に面した一室に案内される。障子の前まで案内するとコサイは茶を淹れに行った。どうやらこの寺院はコサイ一人しか居ないらしい。

 障子を開けて克用と正通がまず入り、その後に高星らが続くと先客が居た。草染めの衣を着た見覚えのある先客に、ジャンは思わず声を上げた。


若水(じゃくすい)道人(どうじん)!? どうしてここに!?」

「やあ、そろそろ来ると思っていたよ」

「来ると思っていたって……」

「寺院は法王庁を頂点とした上下の繋がりを持つが、それとは別に寺社や旅に生きる集団には独自の横の繋がりがあるのだよ。私がここに居るのはその縁だ」

「なんだ? この道士様はお前らの知り合いか? ついでに先生とも知り合いなのか?」

「私は安東殿や少年とは確かに知り合いだ。コサイ殿とは初対面だが最近知り合ったと言うのも正確ではない。師匠とコサイ殿が知り合いでな」

「へぇ、世の中狭い物だな」

「世の中が狭いのではなく、私達の住んでいる世界が狭いのですよ。そして大抵の事はその狭い世界で済んでしまう」


 お茶を持って戻ってきたコサイが言う。


「さ、積もる話もあるでしょうが、まずは心静かに茶を飲まれよ。話は二杯目を飲みながらにしましょう」


     ◇


 静寂の中の微かな音に耳を傾けながら茶を飲み、二杯目のお茶を淹れる頃には光綱もやって来た。八人が座ると少し狭い。


「コサイ先生にはここに居る三人(そろ)って教えを受けたが、最初の教えが『へそ曲がりになれ』だったな」

「へそ曲がり?」

「暑い時に寒いと言い、寒い時に暑いと言えと教えられた。暑いからと言って鎧を脱ぎ、寒いからと言って火の傍から離れない様な将に、兵は付いて来ないとな。

 今にして思えば、あの教えが無かったら今の俺は無かっただろう」

「なるほど、それでこんなのになった訳か」

「どういう意味だ」

「言葉通りの意味だよ」

「はっはっは、小僧はまた良き友を一人得たようだな」

「確かに克用殿は良い友だと思っている。だが気の置けない友ではないな、油断すると何をされるか解らん」

「褒め言葉と受け取っておこう」

「ぬけぬけとよう言うわ」


 高星と克用のやり取りをコサイが微笑ましそうに眺めている。実際、師として弟子の成長を見るのがうれしいのだろう。

 その一方でジャンは庭を眺めながら茶を(すす)っている若水道人が、何故ここに居るのか気になって仕方が無かった。


「道士様、わざわざここまで来て俺達と会うなんて偶然とは思えません。何か理由があって会いに来たんなら早く言ってくれませんか」

「確かに偶然ではないな。おしなべてこの世に偶然など有りはしない。

 だが私がここに居るのは、君達が居ないところに居ても為す事が無いから追いかけてきて、遠くから君達を眺めていただけの事だ。

 だがまあ、土産話が無くは無い」

「それですよ、その土産話をお願いします」

「そうか、そんなに楽しみにしてもらえるとは嬉しいものだ。では少々時間をもらって皆に聞いてもらってもいいかな?」


 若水道人が湯呑を傍らに置く。この場の7人が皆若水道人を注視し、次の言葉を待った。


「安東殿や朱耶の御当主はもう耳にしているかもしれないが、キャバレロ枢機卿がその地位を返上し還俗(げんぞく)したと言う。

 その後すぐにユグノー公爵……今は皇帝ロベール一世か、その娘と結婚し領地と公爵位を得たそうだ」

「キャバレロ枢機卿? ……ああ、法王の息子か。親父のコネで5年前に18歳で枢機卿になったという」


 高星は記憶の隅から法王の存在を引っ張り出した。以前、突然南北朝の仲裁をしたりして、不可解に思っていた相手だ。


「今のご時世、形の上だけ寺院に入ったり、簡単に還俗したりは珍しくないが、枢機卿は次期法王候補でもある重職だろ? そう簡単に捨てられるものか?」


 克用の方は、法王庁のシステムはともかく、法王やその息子個人についての情報はあまり持っていない様だ。


「23の枢機卿じゃ法王の座は望めないだろうが、莫大な年給が得られる立場でもある。下手な領地持ちよりよっぽど聖職者の方が金持ちだ。それを捨ててまで得る領地……どこか特殊な土地か?」

「いや、都の南方の炎州(えんしゅう)にあるユグノー公爵家の飛び地だそうだ。これと言ったものがあるとは、少なくとも私は聞かない。むしろあの辺は、貴族同士の利権が複雑に絡み合って面倒な土地だな」

「炎州か。法王庁にも都にも近いのと、割と豊かな土地ではあるが、確かにその分面倒な()め事の多い土地だな。枢機卿の年収を捨てる価値があるとは思えん。理解しがたい動きだな」


 高星が首をかしげる一方で、克用は何か思うところがあるという顔をする。


「……若水道人様と言ったか、この件が起こったのはいつの事だ?」

「ん? 伝聞ゆえ正確な日時は解らんが、第11節に入ってすぐに盛大な式を挙げたそうだ」

「第11節に入ってすぐ……」

「克用、何か解ったのか?」

「思うに、この件で大事なのは内容ではなく、時期だと思う」

「時期?」

「皇帝を僭称(せんしょう)して総スカンを食っていたユグノー公爵が南朝亡命政府と統合したのは、ちょうどその頃だった。誰かが両者の間を取り持ってやって、その見返りを得たんじゃないのか?」

「法王庁! いや、キャバレロ枢機卿の父、法王サビアヌス三世か。

 なるほどキャバレロ枢機卿が公爵位と領地を得たのは、ユグノー公爵を助けてやった見返りか」

「南朝も戦力を大幅に増強できた礼を何か渡していても不思議はないし、あれで南北朝の戦力差が大分詰まった。間で上手く泳ぐにはいい情況になったんじゃないか?」

「法王は南北朝の対立状態を長引かせて、その間で自分の存在感と権力を増すつもりか。そうなると息子を領地持ちの公爵にしたのも、将来の第三勢力にする事を狙っているのか?」

「とんだ三つ巴だな、ちょっと首を突っ込んで渡り合ってみたくはある」

「お前はそう思うか、私は儲ける機会が増えそうだと見るな」


 高星と克用はすっかり周りが見えなくなっている様だ。そんな二人を若水道人が目を細めて見ている。


「やれやれ、流石新進気鋭の若手領主二人だ。私には聞いた事以上の事は思い至らなかったと言うのに。主君があの様子では臣下の皆さんも大変だろう」


 まあ、大変と言えば大変かとジャンは思う。そんなジャンの漠たる思いをもっと具体的に言葉にして発した者がいた。光綱である。


「確かに克用様にお仕えしていると、いつも色々と大変な思いをさせられます。しかしそれが良いのです。

 苦労はしますが嫌な気はしませんし、むしろ充実していると思えます。そして克用様があの様に夢中になっておられると、自分も頑張ってお仕えしなくてはと思います。

 僭越(せんえつ)ながら、安東様の臣下の方々も同じ様な思いを抱いているとお見うけます」

「……確かに、今の高星のあの顔を見ると、高星のためにより多くの事をしたいと思う」


 そうエステルが答えた。


「はっはっは、あの二人は良い友を持ち良い臣下に恵まれ、実に果報者の様じゃの」


 コサイが良い物が見れたと言わんばかりに笑顔を浮かべている。


「そうですな、あの二人の今は見ていて心地よい」


 若水道人はあいかわらず静かに目を細めるだけである。


「さて、用事も済んだ事だし、私はここらでお(いとま)いたそう」

「道士様、もうお帰りですか」

「帰ると言うのは正しくないな。私に帰る場所は無く、行く場所も無い。ただ風と心の赴くままに、流れゆくのみだ」

「はあ、そういうものですか」

「そういう者だ。道士と言う人種はな。では――」


 若水道人は立ち上がり、一歩踏み出して足を止めた。


「おっと、一つ忘れていた。潮の匂いがするな」

「潮の匂いですか? 俺は特には感じませんけど……まあ、海から遠くないからですかね」

「そうだな。海は遠くないな。それだけだ、じゃあな」


 若水道人は庭に下り、そのままほとんど草の音を立てずに茂みの向こうに消えてしまった。

 それが切っ掛けとなったのか、しばらくして一行はコサイの寺院を後にして帰路に就いたのだった。


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