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足の踏み場もなかった。
ジャンは難渋していた。そう広くない一室で高星と克用が話し込んでいる。二人は帝国全土の地図を挟んで向かい合っているが、頻繁に別の地図や資料を持ち出しては、脇に除ける。
それを何枚も二人の周囲に散らばしていて、足の踏み場もない。片付ければよさそうだが一旦除けた物をまたすぐに手に取るので片づけられないし、片づけても意味が無い。
その上さらに様々な資料の束をジャンに持って来させるものだから、それを運ぶジャンは足も踏み場にも資料の置場にも困っていた。
「棟梁、言われた物を持ってきましたが」
「おう、済まんな」
高星は見もせずにジャンの持ってきた資料を受け取る。その際に今まで持っていた資料を無造作にその辺に放り投げるものだから、散らかる一方である。それは克用も同じで、二人して散らかすものだから性質が悪い。
「ジャン、ここ五年間の米の相場を書いた資料を取ってくれ」
その資料はさっき高星が見て、その辺に放り投げたはずである。ジャンは床に散らばった資料を一つ一つ拾いながらそれを探す。
「あった。棟梁、どうぞ」
「おう。ついでにお茶持ってきてくれ」
「お、なら俺の分も」
最上級の難題がやってきたと思った。床に紙が散らばっている状態でお茶くみなど、紙を踏んで転び、お茶を貴重な資料にぶちまけるという、最悪の情況に向かって最短距離で走る様なものだ。
しかしジャンは辟易としながらも、文句も言わずにそれに従った。
高星の従者になって以来、高星が周囲が見えなくなるほど真剣な様子でいる事は、片手で数えられる程しかなかった。だから今は高星の心を乱してはいけないのだろうと思った。
「今の様なご時世に、絹の様なぜいたく品が売れるのか?」
「今だからこそだ。ぜいたく品がさらに貴重なものになれば、利幅の大きい商品になる。
それに絹の強度ならば遠矢くらいは防げるので、金のあるところならば軍装用の需要もあるだろう。
うちでは寒すぎて絹の生産はあまり見込めないから、いい仕入れ元があるのは助かる」
「他に売れそうな物は……石炭はどうだ?」
「重くてかさばる割に利幅は少ないな。運送業者が嫌がる品の一つだ。むしろそれで大規模な製鉄を起こした方が儲けが出ると思うぞ」
「鉄か……。うちの領内に有力な鉱山は無いな。この辺りだと帝国直轄領が産出する」
「北朝方の総督が相手なら、奪い取る口実はあるな」
「だが直轄領を取ると、西の中小諸勢力の真ん中に楔を打ち込む形になる。これを黙って見過ごすはずがない」
「諸勢力をほぼ平定するまでゆっくり鉱山を掘ってはいられないか」
「やはり買いの方が多くならざるをえんか」
「金銀山があるだけましだろう。うちの鉱山は銅くらいしか出ないのだ。無いよりはいいのだが」
「と言っておいて、何か隠し玉があるんじゃないのか?」
高星は小さく笑っただけで、何も答えなかった。
「まあいい。蒼州の産物をまとめてある。金になりそうなものはあるか?」
克用が紙の束を差し出す。
「拝見しよう。鉄鉱石、石炭、塩、ガラス、銅……これらは大量に動かせないと利益もそんなには出ないが、群雄割拠の蒼州の現状では、大量仕入れは難しいだろう。
馬はあまり船に乗せると足が弱って使えなくなるし、食糧に至っては慢性的に不足している様だな」
「やはり蒼州から物を買うのは難しいか? 売るだけでなく、何か買ってやりたいのだが……」
「私情は感心せんが、売りだけでなく買いもというのは同感だ。一方的に売るだけの商売が長続きする訳も無い。他に富を得る道も無いだろうから、我らで買い支えてやりたいところだが」
そう言って紙をめくる高星の手が不意に止まる。
「工業品の生産が意外に多いな。それも日用品や、精密な技術を要する物が多い」
「腕一本で生きる職人が多い土地だからな。常に需要がある日用品と、他に代えがたい高い技術が要る品は無くならないのさ」
「それだ」
「日用品を買うのか?」
「それもあるが、これだけの物が作れるならばこちらから発注して必要な品を作ってもらおう。
需要を読んで作らせればかなりの利益が見込めるはずだ」
「なら必要量を算出して、それを各勢力に割り当てて作らせて買い取る、というのはどうだ?」
「上々だ。だが一ついいか?」
「なんだ?」
「流通路の安全は大丈夫なのか? 以前、蒼州を旅した事があるが、盗賊や盗賊より性質の悪い傭兵がウヨウヨ居たぞ。護衛にあまり金が掛かる様では利益が出なくなる」
「その心配は無いだろう。蒼州の物流は陸路よりも水路に依る部分が大きいからな。
こっちもこっちで海賊ならぬ江賊が出るそうだが、陸よりは大分安全の様だ。なにせ腹を空かせた傭兵がいないからな」
「ならいいか。朱耶家より先の取引で出た損失は、朱耶家に被ってもらえばいいだけだ」
「おい待て! 赤字を全部押し付ける気か!?」
「人聞きの悪い事を言うな。あくまで安東家と朱耶家の取引はそれ、朱耶家と蒼州諸侯との取引はまた別だと言うだけだ。
蒼州諸侯との取引が上手く行こうと行かなかろうと、安東家―朱耶家間の取引は取決め通り行おうと言うだけの話だ」
「自分が絶対に損をしない立場で、こっちにだけリスクを負わせる気かよ」
「失礼な、こっちはこっちで北方航路での交易で鎬を削っているのだ。
特に火薬原料である硝石の産地は帝国西方、どうしたって都を経由して買わなくてはならない。それを北朝政権が見逃すと思うか?
物流を止められて困るのは、こちらよりも向こうの方が苦しいのだから、その心配は無いだろう。だがその分あれこれと難癖を付けて、どれだけ税を掛けようとするか解ったものではない。
そういう連中を相手に明確な軍需物資である硝石を大量に仕入れようと言うのだ、その半分の苦労もしないと言うならば、値上げしてもいいという事だな?」
「解ったよ俺の負けだ、商売に関してはそっちの指示に従う。こっちも素人商売をして火傷をしたくは無い」
「解ってもらえた様で何よりだ。それにしても蒼州というのは結構魅力的な土地だな」
「そうか?」
「おう。蒼州に拠点ができれば、その先まで船を出せる。蒼州から西に陽天、炎天両属州は都に近く、経済の発達した地域だ。
東方航路を完全に抑えれば、北方航路以上の莫大な利益が見込める。そのためにも蒼州沿岸に拠点となる港が欲しい。この辺りなんか良さそうだな」
高星が蒼州南西部の一点を指す。やや遅れて克用が何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「あー、そこか……。まあ、流石に見る目はあるんだな。港としていい土地だよ、そこは」
「煮え切らないな」
「そこに何があるか知っているか?」
言いながら克用がより詳細な地図を、周囲に散らばっている紙の海から探し出す。
「そこは自治都市ハーフェンだ。知っているか?」
「ああ、交易を主要な産業とする商人の自治都市か。蒼州南方の沿岸としか知らなかった」
「商人の自治都市ねぇ……。まあ、間違ってはいない」
「さっきからなんだ」
「ハーフェン商人は性質が悪いんだよ。能力はあるんだが、我が強くて一匹狼で荒っぽくて……はっきり言うと、商人と海賊を半々でやってる様な連中だ」
「つまり、見方によってはここは海賊の巣窟か」
「そんなもんだ。まあいつも海賊って訳じゃなくて、商売をしていて都合が悪くなると剣を抜いて脅しを掛けたり、暇な時に他の商船を見つけると襲撃して積み荷を奪うくらいだが」
「立派な海賊だろうが。いや、海賊が立派と言うのも変か。ともかくそんな連中、まとめて首をはねて――」
「それがそうもいかないんだよ。連中海賊稼業だけでなく海の傭兵もやっていてな、金をもらって海軍として働いて、それが結構強いもんだから雇いたいという勢力は少なくないんだ。
実を言うと親父も雇って働いてもらった事がある」
「昌国君が?」
「なにせ海軍はまともなものを持っていなかったからな。いまでも軍船は100トン級しか無いが、とにかくそういう連中だから潰すのは反発が大きい。
下手をするとハーフェンを守るために諸侯が参集しかねない。街自体も天然の要害だしな」
「厄介な連中がいたもんだ。そんなのにうろつかれたんじゃ、おちおち商売にならんぞ」
「まあ、連中の縄張りは南西の海だ。当面俺達はそっちの方まで足を延ばす必要は無いから、しばらく衝突する事は無いだろう」
「だといいがな」
◇
「それにしても、交易ってのはずいぶん利益が出るもんなんだな」
「利益だけではない。航路を抑えているという事は、力を持っているという事だ。
陸の上で生きる人間には、土地が富と力の源泉になるという事は解り、領土を巡って争う。しかし海が力になるという事はなかなか理解できない様だな。陸と違って支配できないからだろうか」
「海は支配できないか?」
「海は、自由であるべきだ。土地の様に誰かの所有物ではない。航路を抑えているというのも、その海域を安全に航行できるというだけであって、税などは取れない」
「港に入るときは入出港料や、積み荷の税を掛けられるだろう」
「闇の荷と言う手段がある。海の上で船同士で取引をしたり、小舟で少しずつ陸に揚げたりすれば逃れられる。
もちろんそれだけの事をする手間と、取締りの目を逃れる工夫を考えれば、真っ当な水準の税である限り払った方がいい」
「それだけの事ができる海の力は、陸でも力になるのか?」
「なる。神出鬼没に沿岸の村を襲う海賊を見れば解るだろう、海は陸の力を何倍にもする事ができる」
「陸の力だけを比べると大きな差がある相手と戦うのに、お前は海の力を使おうと言うのだな」
「少し違うな。陸の力が足りないから海の力で埋めるのではなく、海は海で戦うだけだ。それが陸を支援する事になっても、それは結果であって目的ではない。
海と陸は本質的に違う。陸の力の差を埋めるのは、海の力ではなく、戦略だと思っている」
「そうか。海と陸は、違うものか」
「何が違うかと言われれば困るが、その在り方において違う、と言うべきかな」
「在り方が違う、か。陸の上でだけ生きる人間と、海に出る人間の考え方と言うか、物の見方の違いもそこから来るのかな」
「それは私とお前の事か?」
「少なくとも俺には、下から支える国と言う発想は出てこなかった。上ばかり見てたからな」
「船に乗っていれば嫌でもそう思わずにはいられない。漕ぎ手の一人一人まで協力し合わないと、いくら船長が優秀でも嵐は乗り切れないからな」
「俺もたまに兵と一緒になって騒いだりはするが、それでもどこか従わせるという感覚で、支えられているという思いはした事が無かった。
同じ様なものを見てもこうも捉え方が違う。不思議なものだな」
「だから、どうしても相容れない者同士という者も出てくる。それを無理に一つにするというのは、どちらかがどちらかを服従させるしかない。それだったら別々のまま生きた方が、お互いに幸せではないかと思うのだ」
「俺は世界が一つの国でまとまれば、戦も無くなって良い世の中になるかと思っていたがな」
「理想なんてものは、大抵影の部分を見落としたものだ。この世に良い面と悪い面の両面を持たないものなど無いのだろう。
それを忘れて良い面だけを声高に叫ぶ理想など、迷惑極まりない」
「お前の始める戦いを、本来必要の無い戦火を巻き起こし血を流させる、忌むべき野心の産物、なんて言う奴が一人や二人は居るだろうな。
だがお前に言わせれば平和の影で四百年間苦しんだ歴史を、ここで終わらせる事がそんなに悪いか。という訳だ」
「いや、私の戦いは確かに私の野心に基づいた、不必要な流血を強いるものだ。それは否定しない。
その上で私は、『それの何が悪い』と言おう」
「なに?」
「善悪など馬鹿げていると思わないか? 力を持つ者はまるで皆暴君の予備軍でもあるかのように監視を付け、自ら力を放棄する者は清廉な者と讃えられる。
だが力が無ければ一人も救えないだろう、力を望まぬ事は自分では何もしないという事だ。自分も助けず他人も救わない事だ。それは無責任と言うのではないか?
力は絶大である方がいい。より大きな力はより大きな悲劇を止められる。確かに力は使い方次第では悲劇をもたらす側になるが、無力よりはいいだろう。
無力は他人を救えないどころか、自分が救われる事で他人に負担を強いる。自分を守ってくれた誰かを犠牲にする。
無力、その罪深きを知るべきだ」
「妙に熱がこもっているな。もっといつでも冷静な奴かと思っていた。正直意外だな」
「先祖代々の無力のせいで、かつての臣民達に辛い宿命を背負わせているとなれば、無力を憎みもする。
私が一番許せない事を挙げるとすればそれは、自分が何もできない事だろう」
「……いい事が聞けた。お前の事が少し解って良かったよ」
「よせ、こんな話は忘れてくれ。
それよりもうちが受け取った鉄砲技術に関しては、うちの好きな様に処分してもいいんだよな?」
高星があからさまに話題を変える。
「好きなように処分って……おいまさか売る気か!?」
「当然、利益になるなら技術だって売る」
「それは本気で勘弁してくれないか、せっかく開発した軍事技術がすぐに流出したらたまったもんじゃない」
「流石に最新技術をすぐに流すようなまねはしないさ。だが鉄砲が各地の戦場を席巻する様になれば、鉄砲関連の需要は激増する。
そうなれば蒼州交易で一足先に鉄砲関連物資を扱ううちにとって、ライバルの数歩先を行ける巨大市場ができる訳だ。そこから上がる利益は計り知れない」
「呆れたもんだ。買い手を増やすために自ら技術を流す気か」
「需要は、自ら作り出すものだ」
「まあ、お前のところの商売が上手く行くのはこっちにとっても損は無い。……戦場で研究費を回収できる程度の成果を上げたら流してもいいだろう」
「まあ、流さなくてもいずれどこかが開発する可能性は高いがな。ユアン公爵なんかは金にものを言わせて、学者やら技術者やら魔術師やら錬金術師をかき集めてるって話だ。
そういうところで新技術が開発されたら、対抗勢力としては大金を出してでも技術は買いたいだろうな」
「そういう連中に、技術を金で売る訳か」
「いや、もっと良い手がある。相手も何かしら価値のある技術を持っていたら、技術を交換するんだ。その際にお互いに相手から受け取った技術を他所に教えない協定を結ぶ。
これだけなら技術の等価交換だが、これを十の勢力と同じ内容の取引をすると、一つの技術を元手に十の技術が手元に集まると言う寸法だ。なにせ技術は交換しても無くならないからな」
「そこまでやるか。商人という者はつくづく恐ろしい物だな」
「だから金儲けは楽しくてやめられないのだよ。いくらでも夢が膨らむだろう」
高星が露骨な作り笑いを浮かべる。きっと商談の時はいつもこの笑顔を浮かべているのだろう。そう思うと克用は笑いが込み上げてきた。
はばかる事は何もない、克用が声をあげて笑う。高星も作り笑いを捨て、愉快そうに笑い出した。
「あのー、棟梁」
「ん? ジャン、居たのか」
「さっきからずっと声を掛けてたんですけどね、二人とも夢中で気づいてくれませんでした。
お茶がもう冷めちゃったので、代わりをもらってきますね」
高星と克用が顔を見合わせる。
「そんなに話し込んでいたか。それは済まない事をした」
「棟梁に頼まれてわざわざ持ってきたんだから、今度はちゃんと飲んでくださいよ」
「善処しよう」
その日、結局暗くなるまで高星と克用は話し込み、世界経済を支配する計画まで話は大きくなった。




