6・同盟
しばらくナリチカは目を閉じて、何かを考えている風だった。自分の言葉がこの若者の何かに届いたのか、そうでないのか、気にはならなかった。ただ胸の内を語ってみたいという気になり、それができただけで満足だった。
「ミツツナ、今聞いた事、タカアキ殿が話した事は忘れろ。いいな」
「はっ」
「タカアキ殿、あなたの語った事に対する私の答えは、今は言えん。時をかけて考えさせてくれ」
「構いません。私も、答えを求めている訳ではなく、ただ語ってみたいと思っただけですので」
「そうか。では取引の話に戻るが、当家からそちらにとっては非常に魅力的な条件を提示しよう」
「ほう、それは?」
高星はすでに、取引の内容を巡って鎬を削る交渉人に戻っている。さっきまでの熱っぽく語っていたのが、まるでなんでもない世間話であるかの様に、その態度は怜悧だった。
「我がシュヤ家は亡き先代の威光で、蒼州の諸侯の多くと親しい関係にある。今、蒼州の諸侯は戦乱に明け暮れ、物資の不足に悩んでいる。既存の商業ルートはすでに破綻し、個人レベルの行商人に流通を頼っている状態だ。
蒼州は物を欲しがる客で溢れている、そしてそこに売りに行く者は居ない。我がシュヤ家なら、誰が何をどれだけ欲しがっているか正確に調べられる。そして我が家の紹介ならば大抵の諸侯は信用する。
つまり、私が提示するのは蒼州という巨大な市場、それも他に競争相手の居ない、独占できる市場への販路だ。交易を主たる産業としている安東家にとっては、垂涎ものではないか?」
「いくつか確認させてくれ。まず蒼州の諸侯は、商品を買うだけの金を持っているか?」
「蒼州は元々商工業の発達した地域だ、戦火の影響を受けているとは言え、土地が無ければどうしようもない農業よりは影響は少ない。
小領主が乱立している状態だから一領主当たりの取引量は少なく、手間も多いだろうが、全体としては潜在力は大きいと見ている」
「それなら何故自分で蒼州諸侯相手に取引をしない」
「取引をしたいのは山々だがな、うちで出る産物は売り物になる様な物が無い」
「例えば?」
「金、銀、絹なんかだ。むしろ蒼州の軍馬を買っている様な状態だ。こっちから売れるのはせいぜい米と石炭くらいか」
「なるほどそれでは大した利益は上げられまい」
「それで、そっちが仕入れをやってこっちが売る、そして利益を山分けしようという訳さ」
「……こんな話を知っているか? ある豚の上で二匹のシラミが揉めていた。通りがかったもう一匹のシラミが何を争っているのかと聞くと、良い場所の取り合いをしているという。
通りがかりのシラミは言った『そんな事で争っている場合か。年末の祭りになったら人間がこの豚を丸焼きにするのだぞ、そっちの心配をしないで何を争っている』と。
そこでシラミ3匹力を合わせて豚の血を吸い上げたので、豚はやせ衰えて年末の祭りになっても丸焼きにされなかった」
「利益の取り分を巡って争えば共倒れになる、か。心配しなくても、分け前は七三くらいのつもりでいる」
「こちらが七で、そっちが三? ずいぶん殊勝な事だな?」
「こちらも考えがあっての事だ、気にする事は無い。
それで、こちらはすでに鉄砲技術と蒼州への販路の二つを同盟の利益として提示したぞ、それに対してそちらは一体何を提示できる?」
高星とナリチカが目を合わせる、そのまましばらく眼光をぶつけ合っていたが、不意に高星が軽くうつむいて小さく笑い出した。
「何がおかしい?」
「なに、これまで散々してやられてきたが、やはり若いなと思ってな」
「なに?」
「あまり図に乗るなよ若造が、お前の提示した条件で優位に立ったつもりか? そこに致命的な欠陥がある事に気付かないとでも思ったか」
ナリチカは反論せず、黙って次の言葉を待つ。
「提示されたもののうち、まず販路。これは我が安東家の経済力を持って仕入れと流通をしない限り、何の利益も生む事が無い物だ。それは今お前が身に染みて解っている、今そう言ったばかりだ。
一方我が家は独自に販路を一から作る事も出来る、この時点でどっちが鍵を握っているかは明白だろう」
「確かに販路に関してはその通りだ。だが鉄砲技術はどうだ? 今、帝国中を探しても他に技術をそうたやすく供与してくれるところは無いと思うが?」
「それに関しては、シュヤ家の財力から話す必要があるな」
「うちの財力だと?」
ナリチカの声が微かに狼狽える。
「シュヤ家の領地の中で最大の港はシオツチだ、そこで行われる取引の規模を見ればシュヤ家の領内全体の経済力は大体予想できる。神社を経由してシオツチの経済の半分を握っている我らにそれを探る事はたやすい。
さらにタガ城下の様子と城内の様子を加えて補正を掛け、税率からシュヤ家の年収を概算する。これはシオツチの街で払っているのだから調べるまでも無い。
そこから換算して、シュヤ家の年収はおよそ40万アウレと見た。これは我が安東家の……安東家にやや劣る収入になる」
安東家の収入は年50万アウレなので、二倍近い領土と金銀山を持つシュヤ家はその八割になるが、それは伏せた。
「さらにシュヤ家は先代・昌国君の時代は、ユウキ合戦以来八年に渡って連年遠征軍を出してきた。この戦費の負担は相当なものになるはずだ。
ナリチカ殿が三年様子を見る事にしたのは財政再建のためでもあるのでは?」
ナリチカは沈黙を続けている。図星を突かれている以上、下手な事を言うのは墓穴を掘りかねない。
「かと言って軍には維持費もかかるし、いずれ立つつもりでいるならその備えにも金が掛かる。はっきり言って今かなり財源に困っていると見た。
蒼州交易の利益を三割でいいと言ったのも、自分はびた一文出さずに利益だけ受け取るには、その程度が妥当な線だと読んだからではないか?
当然、鉄砲技術の研究を続けるにも、鉄砲の数を揃えて実戦配備するにも、現状では予算が足りない。全てが安東家の経済力に依存するという前提の上に立っている。違うか!」
ナリチカは渋面を繕えなかった。高星が言った事は、全くその通りなのだ。今のままでは少しずつ軍を増強するのが精一杯で、技術開発は細々と工面していくしかない。
予算の3割を民のために還元しているので、それを止めてしまえばどうにかなるが、そうする気は無かった。亡き父が最後まで戦に明け暮れ、民のために何もできなかった事を悔いていたのだ。
「……解った、鉄砲技術と販路の紹介は、うちが安東家の経済力の支援を受けて利益を上げる事の対価として提供しよう。
ただし軍事に関してはお互い対等とする。これは譲る訳にはいかない」
「それでいいだろう。陸ならばそちらがうちの二倍程で有利だが、うちには海軍力がある。そこを勘案して、総合力で見れば対等と言うのが妥当なところだろうからな」
「礼は言わん。あくまで対等な取引だ」
「当然だ、本当のところを言えば我々には初めから、対等同盟を結ぶという選択肢しかなかったのだ。
同じ敵を持つのに共闘もせずに孤軍奮闘するのは敵を利するだけだし、お互い相手の風下に立つなど認められる訳がなかったのだからな。
それを私を論破するためだけにあれこれ言葉を飾って事実を歪め、言わなくてもいい事まで言った。私としては本当に戦う気があるのかと問わざるを得ないところだ。
それとも今から本当に北朝方の狗に成り下がるか?」
「無礼な! 昌国君の子である私に、戦わずに尻尾を振れと言うか! 私は戦う。誰が相手であろうと無条件で頭を垂れ、尻尾を振るような事はせぬ!
論戦はあくまで論戦、そこで詭弁を弄ぶのは戦に奇策を用いるのと同じ事。それを指して信義を疑うと言うならば、いかなる名将も信義に欠けるではないか!
謝罪せよ! 貴様の今の弁こそ、男の誇りを疑うものだ! その事を詫びぬと言うならば、戦場で相手をしよう!」
「わ……解った、今のは言い過ぎた。貴殿の誇りを傷つける様な事を言ったのは間違いだった。
決して本気で疑ってなどいない、信用するに足る男だと見たからこうして交渉に来ている」
「本心だろうな?」
「本心だとも」
しくじった。そう高星は思った。安東家の経済力と言う切り札を持ってシュヤ家のカードを潰した時点で勝った気になっていた、そこをまんまと突かれた。
理屈よりも剣幕で押し切る。自分が最初の方に使った手、それをこの土壇場で使われた、そしてそれに屈してしまった。油断が無ければこの程度うまく切り返していたであろうに、わずかな隙を突かれて最後の最後に反撃を喰らってしまった。
「なら、もう良い。我々は今ここで対等な軍事同盟を締結する。
内容の大枠は共に南朝を支持することを宣言し、共同して敵に当たる事。
シュヤ家の交友関係と安東家の経済力を持って蒼州に交易を起こし、利益を分け合う事。
交易の利益はシュヤ家が鉄砲技術を供与する代わりに――」
「鉄砲技術供与の対価を含めて三割だ。そちらが三割でいいと言いだしたのだから文句は無いな?」
「ちっ……三割プラス鉄砲技術の対価で五分五分に持ち込もうと思ったのだがな」
「そういう事を堂々と言ってのけるか、どこまでも人を食った男だ。全く油断ならん」
「まあお互い望ましい形で話がまとまったのだ、これからは仲良くやろう」
そう言ってナリチカが立ち上がり、右手を差し出す。高星も立ち上がって、微かに強くその手を握った。
「細かい実務はこれから詰める事になるが、我らの話す事ではないな」
「うちはそういうのはミツツナに窓口を任せてある、今後の交渉はそっちでやってくれ」
「こちらからは、当面はシオツチの駐在役人に兼任させる。要望があればそこに話を通してくれ、望みの品を仕入れて見せよう」
「活用させてもらおう。
……タカアキ殿、あなたとのやり取りは楽しかった。正直言って、これほど心が震えた駆け引きは初めてだった」
「これから戦場に出て、何度も死線をくぐれば嫌でも心はふるえますよ」
「そうか、やはり私はまだ若い様だ。タカアキ殿、これからよろしく」
「こちらこそ、ナリチカ殿」
友好的な言葉を交わしながら、高星はこの勝負に負けたと思った。交渉の結果は決して悪くない、想像以上に有力な味方と対等同盟を結び、大きな利益の道筋も見えた。
だが一人の男として勝負に臨んだ舌戦は負けだと思った。交渉術の様な技術もそうだが、機を見る事、機を捉える事、そしてここぞという時に全てを賭ける思いきり、そういうもので負けたと思った。
居そうも無い男が居るものだ。そう実感した。
◇
城内の控えの間には、一応護衛に付いて来た親衛隊が待っている。
出迎えた操が、交渉が上手くまとまったようで何よりですと労いの言葉を掛けてきたので、どうして解ったのかと聞くと、いい顔をしているからと言われた。
「まあ確かに交渉が満足いく程度にまとまったのは事実だ。今日よりシュヤ家は同盟国だ、皆もこれからはもう少し気楽に構えてくれていいからな」
高星が親衛隊の面々を見回す。一人足りない事に気付いた。いつもなら紅夜叉がどこかへふらふらとで歩いているところだが、今回は紅夜叉は操の傍にいた。
足りない一人は部屋の隅で、柱にもたれかかり舟を漕いでいた。
「起きろ! 馬鹿者が」
高星が不心得者にゲンコツを喰らわせる。ゲンコツを喰らったジャンは、跳ね起きて頭を押さえる。
「いくら有名無実とは言え、護衛が居眠りするとはいい度胸をしているな。陣中ならば歩哨が夜間の見張り中に居眠りなぞすれば、死罪だぞ」
「いや、俺も昔は見張り中に居眠りどころか、眠気を感じた事も無かったんですがね」
「寝ているじゃないか」
「だから自分でも初めての事で、睡魔にどう抗えば解らなかったもので」
「まあ、今回はこのくらいで勘弁してやる。帰るぞ、まず屋敷に、そして我らの領地に。荷造りができたら今日は自由にしていいから、せいぜい励めよ」
「はい」
親衛隊を伴い、高星は宿舎への帰路に就いた。その短い道中で、ジャンは高星にナリチカ・シュヤはどんな人物であったかを尋ねた。
「そうだな、潜竜、と言ったところか」
「潜竜?」
「力に満ちた竜だが、未だ水面下に潜って身を隠している。だが一度世に現れれば、誰もがその存在を知る事になるだろう。
飛躍すれば誰も行く手を遮れないだろうし、天に昇って君臨できる資質の持ち主だろう」
「棟梁がそんなに褒めるなんて、めずらしいですね」
「ジャン」
「はい?」
「世の中は広いな。いつかお前に何も知らないと言ったが、私もまだまだ井の中の蛙だったよ。我が行く道は果てしなく、英雄は遥かに遠いな」
「それでも俺にとっては、棟梁は英雄になりえる人に見えます」
「滅多な事を口にするな。つまらぬ人間に英雄は決して解らない。なぜならつまらぬ人間の想像できる偉大さとは、やはりつまらない物でしかないからだ。
偉大さを理解するには自分もまた偉大でなくてはならない。だから我らが理解できるような大人物は、歴史の小物でしかないのだろうな」
高星は空を仰いだ。空は広い。海も広い。それは解っている。だがどれほど広いかは解らない。
英雄と言うのも、そんな物だろうと思った。




