4・舌戦
日の出と共に目覚めた。
いつもこうである。普段はあれほど朝は頭がはっきりせず、気をしっかり持たないとすぐまた眠りに落ちてしまうのに、重大な事がある日は朝早くから頭がはっきりしている。
ただ腹の方はそうもいかず、あまり食べ物を受け付けない。そのため朝食を二回に分ける癖がついてしまった。
しばらく庭に出て剣を振った、ただあまり汗を掻く程には振らない。今日これから汗を掻くべきは頭の中であり、あまり体を使うと頭の働きが鈍くなる。
二度目の朝食をとっているとき、シュヤ家の側から使いが来た。こちらに異存が無ければこの後十時から会談を始めたいという事、そして会談には両当主他一名を互いに伴う事が提案された。異存は無かった。
午前十時。二重の警護を通り抜けた先、奥の間で高星は会談の席に着いた。
◇
こちら側は高星の他エステルを伴った。向こうは当主ナリチカと初日のいたずらの際に謝罪に来た男、ミツツナ・ノギが出席している。やはりこの男、ナリチカの腹心の様だ。
頭の中で何度となく繰り返してきた事を確認する。この会談の目的は、一つは互いの真意を探る事、一つは同盟の条件をできるだけ有利なものにする事だ。
同盟を組む事自体は両者共に望むところである。だから大事なのはその先、同盟がどの様な形のものになるかだ。
互いの目的が同じ所に無く、ただ共通の敵を持つから組むと言うのなら、一時的な同盟でしかなくなるだろう。その場合、手の内はあまり晒したくは無い。
また対等同盟よりも自分が主、相手が従の同盟の方が都合が良い。向こうは家格・領土・兵力・名声どれをとっても上である事を主張して優位に立とうとするだろう。その程度は駆け引きの入口である。
どちらにせよ、より望ましい形で同盟を結ぶために、考えうる限りの手を打つだけだ。
有利な交渉のためにも、できるだけこちらの手の内は明かさずに、向こうの手の内を引き出したいが、交渉を持ちかけたのがこちらである以上、まず口を開くのはこちらでなくてはならないだろう。
高星は慎重に、初手として故事を引いて様子を見る事にした。
「今、シバ家とコルネリウス家が属州総督を立てて東西に同盟を結び、他の勢力もこれに同調する動きを見せています。
東西の同盟は古の合従連衡を思わせますな。大国の圧力に対して小国が縦に合わさり対抗する合従と、大国が小国と横に連なり各個撃破を狙う連衡。
合従連衡いずれも小国の側は自国の存続を求めて取った行動ですが、結果としては合従が強固な時は大国の侵略を許さず、連衡を取った結果は一国ずつ飲まれていった。
これを鑑みるに、強大な敵が存在する条件下で生き残るには、連衡よりも合従が良いという事でしょうかね。これは現在の我々も参考にすべきと思いますが、どうお考えになりますか?」
「なるほど結果を見ればその通りかもしれない。しかし合従が崩れた原因は、合従を切り崩そうとする大国の謀略以上に、小国の方が自ら自壊したと言えるのではないでしょうか?
例えば合従により六カ国連合が成立したのもつかの間、翌年には諍いが起きて同盟国に10の城を一時とは言え奪われる事件が起きている。
さらに合従を成した大物説客の死後、その説客が密偵として国家機密を探っては売りさばいていた事実が明らかになり、連合の間には不信感が広まった。連衡はそこに付け込んだ事が大きい。
これを見るに、大敵が存在する状況で自らの保身だけを目的にした小国連合程、信用できないものも無いのではないかな?」
まずは引き分けか。上手く返されたが、こちらの隙をついて徹底的に論破された訳ではない。せいぜい故事に故事をぶつけて相殺しに来たというところだろう。
ただ、単純に共通の大敵がいるから組むと言う様な同盟はする気が無い、という腹は見えた。組むとしたらそれによる積極的な利益があると判断した場合だろう。
ナリチカが高星の言を返した勢いで、持論を展開する。
「故事を引くならこんな例もある。昔二人の王が覇権をかけて争っていた時、この二人以外の多くの勢力は日和見を決め込んでいた。
しかし日和見のうちの一人が片方に付くと、その他の勢力も雪崩をうって味方をした。一人が動いた事で均衡が崩れ、有利な方に勝ち馬に乗ろうと皆が集まり、さらに強大になったのだ。
誰かと組むというのなら当然勝てる方と組むべきだ。勝った側にいれば悪くても滅ぼされる事は無いが、負けた側についていれば全てを奪われ、勝者の戦利品にされる。
今、この変州の大勢はシバ―コルネリウス同盟に傾いており、その後ろには天下の最大勢力である北朝がいる。
これになびくは当然の事。いたずらに血を流すより、強者について家の存続と世の平和を保つのが賢い選択ではないか?」
「黙れ! 貴様の発言は、義無く孝無く忠も無い者の言葉だ! 恥を知れ!
強者になびくのが正しいと言うならば、世に暴君が現れ一時とは言え正義が廃れ悪が栄えた時、貴様は暴君におもねり弱き者を虐げ、罪無き者を殺すのか!
そして再び正義の旗が掲げられ暴君が打ち倒される時、素知らぬ顔をしてそれまでの主君を裏切るというのか!
乱世において真の強弱は見分け難く、昨日の覇者が明日にも滅ぼされても不思議はない。そんな中でお前はその時々で強者の間を渡り歩くというのか、それこそまさに反復常無き乱臣ではないか!」
「むぅ……確かに今の発言は浅はかだった、撤回しよう」
まず一撃。これで先手を取ったと言えよう。
だが今のやり取りは、高星は内心ではやや際どいと感じた。こちらに不都合な故事、即ち歴史上の事実を挙げてきた相手に対して、こちらはどちらかと言えば剣幕で押し切った感が強い。
同じ手はもう使えないだろう。そして相手の手の内を引き出せているとは言い難い。
これが目先の勝利に終わるか、それともこのまま一気に論破するところまで押し切れるか、まだ予断は許さない。
「では、アンドウ殿はどの様な選択をする事が我らにとって真に望ましい事だと考えるか、ご意見をうかがいたい」
ここで高星は小考した。このまま滔々と説き伏せにかかってもいいが、ここで振ってきたという事は、むしろ相手はそれを待っているのではないか。
実際、相手の手の内は未だ引き出せていないのである。今までのナリチカの弁は全て故事を引いたものであり、ナリチカ自身の言葉は無い。
ここは攻めに出るよりも、一般論で様子を見る事にした。
「さて、自ら破滅を望む者は無く、誰もが勝利と存続を望んで道を選ぶもの。しかしその結果は生きて栄光を掴む者もいれば、滅ぶ者もある。
何が正しいかは結果が出るまでは断言できず、何が最も望ましい選択であるか保証は無い。
だがそれでもはっきりと言えるのは、兵の多寡は必ずしも勝敗を分けず、国の大小は必ずしも強弱と等しくは無いという事でしょう。
小さくとも一人一人が力を尽くして戦い、その力を一つにまとめる事が出来ればこれは容易ならざる力となる。
反対にいくら大きくてもまとまりを欠き、互いに妬み合い足を引っ張り合う様では、どれほど大きくともそれは恐れるに足らぬ烏合の衆というもの。
ならば一見大きく強い者に付く事が必ずしもよろしいとは限らず、むしろ大きい者に挑む道こそが望ましい事もあるでしょうな」
「なるほどごもっとも。しかし兵書にこうある、『寡兵が意固地になって戦うのは、大軍の餌食になるだけだ』と。
兵法は大軍で寡兵を相手にし、奇策など用いなくても必ず勝てる様な情況で戦う事を良しとする。
兵の多寡が必ずしも決定的な要因でないのは確かだが、大軍を抱える大国はやはり小国よりも有利であると言えるのでは?」
「まあそうでしょうな。あくまで決定的な差ではないと言うだけで、小国は不利な事は否定できません」
言いながらも高星は、よくもまあいけしゃあしゃあとそんな事が言えるものだと、内心呆れていた。
わざわざ強大な敵を増やして自国を一見不利な状況に置いているのは、他ならぬナリチカ自身なのである。
そのナリチカが、次の一手を放つ。
「正確な判断をするためにはやはり変州だけに留まらず、もっと広い視野で時勢を読む事が大事だと思う。
今、帝国全体を抑えつつあるのはやはり皇帝チャールズ一世を擁し、ペルティナクス大公・ユアン公爵という二大諸侯が支えている北朝政府と言える。
ただ最大勢力と言うだけでなく、皇帝はアウストロ出身の后に弑された皇弟の息子であり、アウストロ一門の専横を止め、父の仇を討ったという大義もある。
それに比べて南朝はただ弱小であるというのではなく、未だアウストロ一門が権力を握って諸侯から憎まれており、皇帝カルロス一世は皇族ながら本来なら皇位など到底望めなかった身。しかも味方を増やすために、事もあろうか帝位を僭称したユグノー公爵と帝位を分け合う始末。
この様な南朝に味方する事が良い結果をもたらすとは到底思えん。ならば北朝に与した方がどう見ても賢明では?」
「知らんな。その様な事は私の知った事ではない。
貴公も周知の事実であるはずだが、我が安東家は400年の長きにわたり朝敵と見なされ、政府は決して我らに心を開こうとはしなかった。
その様な政府のために力を尽くさねばならぬ道理は無く、南北朝の争いにも関与するつもりは無い。
今、南朝か北朝かを選ぶのは、ひとえに当家にとって最善の道を選ぶための方便であり、大義の有無は問題ではないのだ」
「だから優勢で大義もある北朝方に付く事が良いとは言い切れぬと?」
「左様。恩無き者に尽くす忠は無く、大義を捨てても臣民の命を守る義務がある」
「くっ……」
ナリチカが苦しそうな表情をする。一見すれば舌鋒を上手く挫かれた形になるのだから苦しくもなるだろう。
しかし、ことさらに苦しそうな表情を見せた事に、高星は嫌なものを感じた。表情に出さないが、苦しいのは高星も同じである。
ここまで勝ってはいる、だがそれは勝たされているのではないかと言う不安がぬぐいきれない。
現に理よりも剣幕で押し切る、ことさらに相手の主張を無視してみせると言った、二度は使えない手をすでに二種類も使ってしまっている。
このまま真っ向からの舌戦になった時、すでにこの手札を使ってしまったこちらに対して、向こうはまだその手が残っている。その差が出るのではないか。そのために今は勝たされているのではないか。
このまま押し切る事が出来ればそれも封じられる。畳み掛ける様に急所をえぐり続ける事が出来れば、多少弁論術で切り返されたとしても、結局は押し切れるはずだ。
相手が切り札を出す前に勝負を決める。高星はここで畳み掛ける事を決めた。
「時節を論ずるならば今は紛う事なく乱世が到来している。古より乱世に飛翔して天下に覇を唱え、新たな秩序を打ち立てた英傑は議論するよりまず行動し、他者に頼らず己の力で道を開いた。
ならば今の乱世に生きる事になった我らも、不明な主君を廃して旧弊を打破し、己の力で乱世に覇を唱え新たな秩序を構築する事を望んで何が悪い。
むしろこの乱世を平定する事は、それが可能な力を持った者にはほとんど義務とすら言えるものではないのか。
だというのに力を持ちながら意気地も無く旧体制の残滓にすがりつき、自ら道を開く事を怠る事は、それこそこの乱世においては亡国の道ではないのか」
高星は言葉にいくらかの熱を込めて、言を左右して戦う道を選ぶ事を明言しないナリチカを痛烈に弾劾した。
ナリチカも本心から動かぬ訳ではなく、動くべき時機を待つというのが真意であるはずだ。
それを自分が動かす。立つ時を待っているナリチカを自分が立たせてしまう。それで両者の関係は、はっきりと高星が主導権を握るものになるはずだ。
高星がナリチカの目を見る。目の奥に火が灯った様に見えた。
ただしそれは、不敵な光だった。
「これは異な事。あなたは先程私が強者に付く事の何が悪いと言った時、それは義無く孝無く忠無き乱臣賊子である、恥を知れと申した。
そうでありながら今度は、不義・不孝・不忠を働く事の何が悪いと言う。明らかに発言が矛盾していますな。
あなたがそうする事は別に止めはしません。だがもしその様な人の道に背く事を行うというならば、私自ら軍を率いてその様な世を乱す輩を征伐しましょう」
「ぐっ……それは……」
焦りすぎたか、先の自分の言葉をそのまま返されては返す言葉が無い。
理屈よりも剣幕で押し切った時の言葉が自分の首を絞めに来た、こういう事があるから正々堂々の弁論ではない、真っ向からの議論を避ける手は不用意に使ってはならないのだ。だがあの時は他に良い手も浮かばなかった。
だがまだ一撃返されただけだ。初めから容易い相手とは思っていない。この程度の反撃は当然だろう。むしろこの機に言いたいだけ言わせておいて、論理の隙を狙うのはどうだろう。
そこまで考えたとき、不意に低い鐘の音が響き渡った。
「昼の鐘ですな、一旦休憩にしましょう。お食事は何かご要望はありますかな?」
「あ、いや。お気遣い無く」
「では控えの間に従者方の分もまとめて運ばせますので、ごゆっくりご賞味ください。再開は1時でどうでしょう?」
「よろしいでしょう」
「では、また」
ナリチカとノギが先に退出する。二人が退出してから高星はしてやられたかもしれないと思った。
このタイミングで昼時になったのは偶然だろうが、こちらが押していたはずが一手返されたところでの中断、直近の空気としては勝ち逃げされた様な感じである。
そして再開した時の空気はやはり、実際は押されていたはずの向こうが有利な雰囲気で始まるだろう。
まだ勝負はついていない、むしろこちらが押している、そのはずなのに高星は背中に冷や汗が流れるのを止める事が出来なかった。




