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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
北の流刑地
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3

 高星たかあきの自慢していた通り、トサの街は栄えていた。

 北の果ての秋は肌寒かったが、街の活気はそれを忘れさせるには十分な程で、色とりどりの秋の味覚が店先に並び、あちこちの軽食堂が客寄せのために、競って見てるだけで(よだれ)が湧いてくるようなごちそうをアピールしていた。

 高星の屋敷はそんな街の南、やや町の喧騒から外れた少し静かな区画にあった。

 屋敷はすぐにそれと分かった。長々と塀が続き、明らかに他よりも大きな屋敷が、その向こうに建っている事が解る一角があった。

 典型的な貴族様のお屋敷の造りだと思った。

 しかししばらく塀に沿って歩き、屋敷の入り口にたどり着くと、普通の貴族の屋敷ではないことも一目で解った。

 大きな正門は一面に鉄の(びょう)が打ってあり、軍事要塞の門と言った方が適切なものだった。

 その大きな門に小さな扉がついている、小さいと言ってもごく普通の家の扉の大きさだ、日常的に使うのはこっちなのだろう。

 高星の後に続き扉をくぐるとやけに薄暗かった。

 すぐにそこがトンネル状になっている事に気づき、ここは屋敷ではなく完全に砦の造りなのだと気づかされる。まだ厚い城門の中なのだ。

 そして奥から光が差している事からこの向こうは中庭なのだろう、完全に戦争用の城だ。高星の後に続きそのトンネル状の門を抜けた。


「戻ったぞ、みな息災か?」

「若! おーいみんな、若が戻ったぞ! 姉御を呼んで来い!」


 中庭にいた数人がまず駆け寄ってきた、それ続いてあちこちから人が集まり、たちまち二十人くらいの集団に囲まれた。

 子爵と同じくらいの二十代の若い男が多いが、それに交じって老若男女が入り乱れている。


「いやー、若お久しぶりです。若の居ない間暇でしたよ」

「暇ってなぁ、田畑の刈り入れは済ませただろうな?」

「それはもちろん、今年の出来は平年並みと言ったところです」

「若、また一人拾ってきたんですか? 懲りないですねぇ」

「うるさいな、お前らも似たようなものだろうが」

「俺らが捨て犬なら、若は家出した野良犬ですね」

「言えてる言えてる!」

「口の減らなさはちっとも変らんなぁ……。まあいい、それより銀は?」

「姉御なら裏に呼びに行かせましたので、じき来るかと」

「もう来たわよ」


 鈴を転がした様な澄んだ声がした。

 声の主は、砂金を流したような美しく長い金髪の、だが大和撫子を体現した様な容姿の、山吹色の小袖を着た女性だった。

 澄んだ瞳は鈴を張った様にパッチリと開き、柔和な表情が全体を優しい印象にまとめていた。

 若々しいが幼さや軽薄さは感じさせず、むしろ落ち着きを感じさせた。


「お帰りなさい、高星」

「ただいま、ぎん


 高星の態度が明らかにこの人の前でだけ違っていた。今までに見せた事の無い様子だった。どういう関係かと思ったが、あまりこういう事に首を突っ込む性質ではないので、すぐに頭の中から追いやった。


「ジャン、家の事全般を取り仕切っている銀華ぎんかだ、これから世話になるだろう」

「銀華よ、でもみんな姉御って呼ぶの。高星は銀って呼ぶけど。好きに呼んでくれていいからね」

「あ、よろしく……」


 この人の前では毒気を抜かれるというか、自然に素直に受け答えしてしまう。ごまかしをしたくない様な気になる。


「銀、風呂は沸いているか? とにかく潮を落としたい。あと解っていると思うが着替えと、今日から食事は一人分多くな」

「はーい、お風呂は丁度沸いてるわ」

「先にジャンを案内しておいてくれ、私は少ししたら行く」

「ええ、じゃあ行きましょうか。こっちよ」


 言われるままにこの女の人の後についていった。高星は庭に残って何やら話をしていた。


     ◇


 中に入ってみて解ったのだが、この屋敷は中庭をぐるりと居住スペースが取り囲んでいる造りらしい。

 外で屋敷の塀だと思っていたのは、連なった住宅の壁だった訳だ。だから風呂も共用で、浴場になっていると教えられた。

 実際その通りに、男女別の公衆浴場と同じ造りになっていた。それだけでも結構金がかかる設備のはずだが、ちょっと見た限りでは大きな柱時計なども置いてあり、随所ずいしょに金がかかっているのは、やはり貴族の屋敷と言うべきか。


「着替えを探してくるから、ゆっくり入っててね」


 無言でうなずく。どうにも苦手という訳ではないが、こそばゆいような落ち着かない感覚がしてたまらない。


「……男湯と女湯を間違えた方がよかったかしら?」

「なっ……!」

「ふふ、ごゆっくりどうぞ」


 そう言ってその人は、からかうような笑顔を浮かべたまま行ってしまった。

 やっぱり何か苦手だ。まさか本当にわざと男女を間違えてないだろうなと思いつつ、服を脱いで乱暴に籠に放り込んだ。

 タオルの備え付けが積んであったので、一枚借りて風呂場に入った。


 風呂場に入れば普通暖かいものだが、ジャンは風呂場に入った瞬間、寒気を感じ思わず身をすくめた。

 物理的な寒さじゃない感覚的な寒さ、これは……殺気だ。

 そう感じた瞬間、顔面に向けて風呂桶が飛んできた。とっさにかわすとジャンと同じくらいの背格好の男が至近距離まで迫っていた。

 風呂桶が視界をさえぎっているうちに踏み込んできたらしい。そいつは目つぶしを掛けてきた、それも二本指ではなく四本の指を使ってだ。

 思わずのけぞるとそのまま転倒し、尻を思いっきり床に打ち付けた。涙目になるが痛がるより先に右に転がって逃げた。

 こいつは危険だ。人殺しの目をしていた。それに今の目つぶしも本気だった。二本指の目つぶしは簡単に外れるが、四本指での目つぶしは水平方向にはずれても、どれかの指が目に刺さる。

 こいつはおそらく、実戦経験者だ。

 相手は踵でこちらの胸のあたりを狙って踏みつけてきた、まともに食らったら肋骨が折られるであろうその攻撃を、さらに転がりまわって避ける。

 だがこれも狙いのうちだろう。あまり転がりまわれば目が回るか、そうでなくとも平衡感覚がマヒしてくる。

 しかも徐々に入口から遠ざけられ、湯船の方に追いやられている。お互いに丸裸で、しかも滑りやすい風呂場という状況を考慮して、打撃で決める気は無く、湯船に沈めて溺死させるのが狙いなのだろう。どうにか突破口を開かなくては。


 立ち上がってこの敵と正面から相対する。相手は唯一の出入り口を背にし、こちらは湯船を背にしている状況だ、圧倒的に不利と言えるだろう。

 どうにか隙をついて、相手の脇をすり抜け脱出したい。そう考えていると、相手が一瞬のうちに至近距離まで踏み込んできた。

 速い、7メートルはあったはずの距離が一瞬で詰められた。なんという踏込だ。

 相手は姿勢を低くして、こちらの腹部に右の拳を食らわせてきた。体を正対から半身に捻ってどうにかかわす。

 こちらも捨て身で行くしかない。そう心を決め、突き出した相手の右腕を掴んで、そのまま湯船の方に倒れこんだ。

 水面に叩きつけられる衝撃を感じた後は、もう無茶苦茶だった。

 お互いに相手を沈めようと上を取るために転がりまわったり、逆に湯船の中から足を掴んで引きずり込もうとしたり、とにかく無我夢中で暴れまわった。


 どれほどもみ合っていただろうか、それとも実はあっという間だったのかもしれない。


「うるさいわー!」


 浴室に声が反響し、手桶が二つ飛んできて直撃して我に返った。


「お前ら風呂場で何を騒いでいる! 水遊びなら海でやらんか!」


 高星が怒りと呆れが混じった様な顔で入ってきた。


「……人殺しの目をした知らない奴が入ってきたから。侵入者と判断した」


 隣で、さっきまで殺し合いをしていた男が弁明をする。酷い言われ様だと思った。


「そいつは新入りだ、いきなり殺そうとする奴があるか。

 ジャン、こいつは紅夜叉(べにやしゃ)だ。十六だからお前と同い年になる。あまり人付き合いのいい奴じゃないが、仲良く――」

「できそうにない」

「――だろうな。まあいい、誤解が解けたなら風呂は大人しく入れ。」


 何か釈然しゃくぜんとしないものが残るが、一々気にしても仕方がない。改めて体を洗うべく湯船から上がると、先に入っていたのだからもう体は洗ってあるはずの紅夜叉まで上がってきた。

 横目に視線を向けるこちらをまるで無視して、さっさと出口の方へと行く。


「もう上がるのか?」

「ああ」


 子爵の問いかけにもつっけんどんに答え、風呂場から出て行った……。

 と、思いきやまたすぐに戻ってきた。


「どうした?」

「……着替えが無い」

「着替え? ああそうか、銀がジャンの着替えを探しているから、お前の着替えもまだ持ってきてないのか。まあ、大人しく湯船につかって待っているのだな」


 紅夜叉は口元を少し歪めて、仕方ないといった面持ちでまた湯船へと戻った。

 その後、銀華が着替えを持ってくるまで三人で湯船につかっていたが、ジャンと紅夜叉は高星を挟んで両端に陣取り、一言も発せずになんとなく居心地の悪い思いをしながらの入浴になったのだった。


     ◇


 ようやく着替えが届いた頃にはもう十分に温まったので、三人(そろ)って風呂から上がった。

 着替えを持ってきた時の銀華の声が、心なしか楽しそうな気がしたが、ひょっとしてわざと遅れたのかもしれない。

 しかし不思議とあの人が相手なら、怒る気も不愉快な気もしない。


「あっ」

「んっ」


 そんなことを考えていると、暖簾(のれん)をくぐって廊下に出たところで、先行していた紅夜叉が不意に立ち止まった。見ると隣の女湯から出てきた少女と鉢合わせたらしい。

 紅夜叉と対峙している少女は、左右に垂らした長い髪と、宝石の様な澄んだ紅い瞳をしていた。

 その瞳は一見して、強い意志の持ち主であることを感じさせる一方で、特にきつい表情という訳でもないのに無愛想な感じを与える。

 ひょっとして紅夜叉とこの少女は似た者同士なのではないかと思った。少女の方が少し背が低いが、男女差を割り引いて見れば年の頃も近いのではないだろうか。


「男湯がやたら騒がしいと思ったら、やっぱり君か」

「お前にどうこう言われる筋合いはない」

「隣で五月蝿くされたら苦情の一つも言うものだ」

「なら壁に防音材でも張ってもらうんだな」

「君が静かにすればいいだけの話だろう!」


 少女が少しムッとした表情になる。


「お前に言われて俺が静かにして、それで俺に何の得がある?」

「得って君は……、もうちょっと周りの迷惑考えろ!」

「そんなものは知らん」

「そんな事ばっかり言ってると、いつか子爵様にも愛想尽かされるぞ!」

「だからなんだ、また元に戻るだけだろう。何も問題は無い」


 少女の表情がはっきりと険しくなる。だがどこか泣き顔の様でもあった。


「なんだ、言いたいことがあるならはっきり言え」

「もっと自分を大事にしろ! この馬鹿!」

「貴様こそ、そんな台詞はもっと強くなってから吐け」

「ここでやる気ならやってやろうじゃないか!」


 何やら雲行きが物騒になってきた、助けを求める様に高星が居た方を向くと、そこにはもう誰も居なかった。

 どうやらさっさと行ってしまったらしい、となればこの喧嘩もいつもの事なのだろう。

 かといって放置していく気にもなれず、仲裁にも入れず途方に暮れていると、後ろから板張りの廊下を走る足音が近づいてきた。

 振り向いた俺の目の前を、長いおさげ髪が通り過ぎた。


「こおぉぉの、馬鹿ぁぁぁ!」


 一瞬の出来事に何が起こったのか解らなかった。少し間を置いて、今見た映像をゆっくりと脳が理解し始めた。

 後方から走ってきたのは、紅夜叉と対峙していた少女よりさらに小柄で、年下であろう少女だった。

 彼女はジャンが振り向くのとほぼ同じくして跳躍し、紅夜叉に飛び蹴りを食らわせたのだ。紅夜叉が吹っ飛び、対峙していた方の少女の脇をすり抜けて廊下に突っ伏した。

 今の飛び蹴りは、二人が正面衝突しないように角度を計算していたのなら、見かけによらず大した技能の持ち主だろう。


「いつつっ……。(みさお)か、いきなり飛び蹴りは無いだろうに」

「五月蝿い馬鹿! またイスカさんと喧嘩して、どうしてあんたはいつもそうなのよ!」


 操と呼ばれた少女は改めてみると本当に小柄だった、後ろ髪を三つ編みにした長いおさげ髪が身長と相まって腰の近くまで届いている。

 しかしその物言いは、容姿に反してここにいる四人の中で一番年上ではないかと思わせるものがあった。


「イスカさんごめんなさい、でも私に免じて許してやってください! このとおり!」


 そう言いながら両手を合わせて軽く頭を下げる彼女に、謝られた方の彼女――イスカは解りづらいが確かに表情を緩める。


「ん、いいよ。いつもの事だから、気にしてない。操ちゃんもいつも大変だね」

「私はいいんです、もう長い付き合いで慣れてますから。

 さあ紅夜叉、いつまでもこんな事してないでさっさと行きましょ」


 そう言うと操は起き上がったばかりの紅夜叉の後ろに回り、ぐいぐいと押していく。

 押される方の紅夜叉はなにかまんざらでもないような、少なくともずっと不機嫌そうだった表情がいつの間にか緩んでいた。


「それと……」


 脇を通りがけに操がこちらを向く、改めて間近で顔を見ると青い目をしていることに気が付いた。こうして見ると、やはり見た目通りの年齢の少女らしいあどけなさが残っている。


「今日来たばかりのジャンさん……でしたっけ? 高星さんが部屋に来るように言ってました。ご案内しますね」

「ああ、ありがとう」

「実は紅夜叉とイスカさんが喧嘩してるのを教えてもらったついでなんです」


 返事をしているうちにすっと距離を詰めてきた操が耳元に一言ささやいて、くすっと少し笑った。どうやらこの三人の中の力関係の頂点は彼女らしい。


     ◇


「ここには三十人くらい住んでますけれども、みんな高星さんを個人的に慕ってきた人の集まりなんです」


 気遣いなのだろう、屋敷の廊下を歩きながら操が此処の事についての話を向けてきた。


「へぇ、あの子爵様は人望があるんだな」


 貴族の屋敷に使用人が大勢いたり、私兵を多く抱えていたりするのはごく普通の事だが、個人的に慕ってきた人間が三十人近くいるというのは初めて見聞きした。

 だから、あれで結構な人望があるのだろう。単にコネ狙いという感じではなさそうな雰囲気だ。


「いえ、今みたいに人が集まり始めたのは三年位前からで、それ以前はむしろ孤独な人だったらしいです。私達も去年ここに来たばかりだし」

「私達というと、操ちゃんとあの野郎……紅夜叉か」

「あと、イスカちゃんも私達とほぼ同時に此処に来た、というよりも高星さんに拾われたと言うべきですね」

「拾われた?」

「ま、個人的な過去は長くなるのでそのうちゆっくり。高星さんはこの先の執務室で待ってるそうです」

「そうか、ありがとう」


 他愛ない話だったが結構意外だった、ジャンにとって初めて会った時から高星はおせっかいで積極的に人に突っ込んでくる人間だったが、あれもここ三年足らずの性格という事か。

 人には過去があり歴史がある、人は変わるし過去の経験から成長する。だが自分はどうだろうと考える。

 過去の事はよく思い出せない、それはきっと毎日同じような生活の繰り返しだったからだろう。

 毎日、使い捨てても惜しくない道具として、命令されたままの事をただこなすだけの日々。

 そこから何を得ただろうか? その体験で何か成長したのだろうか?

 不意に目の前の戸が開いて頭をぶつけそうになった。自分が周りが見えなくなる程考え込んでいた事に少しばかり驚くが、すぐに思考をするべき事に戻して、中から出てきた青年に確認を取る。


「すみません、子爵の執務室はここで間違いないだろうか?」

「ああ、そうだよ。若、例の子が来たよ」


 青年が室内にそういうと中からおー、来たかと高星の声がした。

 招かれるままに室内に入ると、奥で机に着いている高星の脇に、初めて見る女性が立っていた。

 第一印象を一言で表すなら『女騎士』と言うのが最も適当だろう。

 輝く長い銀髪は白銀の糸の様、それに負けず劣らず白い肌は白絹の様、ルビーのような紅い瞳はイスカのそれよりも赤く、血の色を思わせる深さがあった。

 黒を基調とし、赤を点在させた衣服は動きやすさを重視したのか体のラインがよく出ている。

 しかし肌の露出は少なく、それどころか足元はブーツ、両手には指先部分の無い黒い手袋でほぼ完全防備だ。しかしそれがかえって首筋や指先に見える肌の白さを強調している。

 まるで闇夜に月が輝いている様だ。月から来たと言われれば思わず納得しそうな気さえする。


「ジャン、彼女はエステル・ハーカー、私の副官で護衛で秘書と言ったところかな」

「君の話は聞いている、今後色々と世話をする事になるだろう。よろしく」

「あ、こちらこそよろしく。それで世話っていうのは……?」

「お前の落ち着き先を探さなくてはならないからな。とは言え私もお前につきっきりになれる訳では無い。

 私が居ないときはこのエステルに代理として決定権を預けているから、お前の落ち着き先を探すのにエステルと相談することも多くなるだろうという事だ」

「なるほど」


 子爵の話から推測するに、子爵が海の上に居る間はこの女性がここの実務を取り仕切っていたのだろう。

 今はその間の報告を受けて、今後の方針の決定をしていたに違いない。


「さて、三人揃っているうちに決められることは決めてしまおうか。ジャン、お前は自分の身の振り方について何か希望はあるか?」

「希望、といわれても……」


 はっきり言って何も浮かばない。前情報が無いのもあるが、きっと十分に情報があっても自分がどうしたいかなんて浮かばないだろう。


「高星、今日来たばかりでは困るのも無理は無かろう。もう少し日を置いてからにするべきではないか?」

「そんなに具体的なことを求めたりはしない、職人や商人なら住み込み見習いの口はいくらでもあるし、うちの兵士か役人を目指すならそれもいい。

 お前が望むならここで私の居候――ではないな、ただで生活させている訳では無いし、食客とでもいうべきか? とにかくそうして暮らしてもいい。

 これに限れば止まり木に過ぎないが」

「はぁ……」


 そう言われてもあいまいな返事を返す事しかできない。ただなんとなく居心地が悪い思いがするだけで、何一つ浮かんでは来ないのだ。


「高星、無いものを出せと言っても無理があるだろう。そちらは置いておいて、今は有るものの把握をしたらどうだろうか」


 有るものの把握と言われたが、自分に『何か』なんてあっただろうかと思う。


「――そうだな。ではジャン、お前がこの間まで――船に乗るまでどんな事をしていたか聞かせてくれ」

「……組織の道具だった頃にしていた事、か?」

「そうだ、どんな事をどんな風にしていたか、具体的に頼む」

「……そんな大層な事はしていない。スリに、盗みに入る金持ちの家の下見や、仕事中は見張り役、使い走りに、密輸品の運び役なんかだ」

「スリは無差別にやるのか?」

「いや、できるだけ金目のものを狙う」

「目端が利くようだな。何をするにも役立つ」

「そういうもんか」

「それと……殺しをした事があるそうだな?」

「……悪いか」

「いや、むしろお前が手に掛けた程度の事は大した事では無い」

「――!!」


 言われて初めて気が付いた。いや、とっくに気づいていなければならないはずなのに、自分はそれを考えない様に、目を向けない様にしていた事に気が付いた。

 領地を持ち、私兵を抱え、自ら軍船に乗って航海する貴族の跡取りなら、当然その手は多くの血に染まっているという事を。

 高星は戦場経験者だという事を。当然気づくべきその事実を、気に入らない相手を軽蔑したい一心で見落としていた。

 軽蔑なんてとてもできない、目の前の男は本当にあらゆる事で、あらゆる面で自分の上を行っているという事実。それを叩きつけられたらもう、全面降伏するしかない。


「自分自身に吐いていた嘘に少しは気が付いたか?」


 まるでそんな心の内を見透かしたかのような一言。いや、きっと誰が見ても解るくらい動揺しているだろう。


「お前は何も自分の望み、自分の思いが無い様な気になっているだろうが、それは嘘だ。

 本当は何かあったのだが『自分に望みなどない』と自分に嘘をつき続けているうちに忘れてしまったのだ。

 だからまず、自分に嘘を吐かない事から始めるのだな」

「自分に嘘を吐かない……」

「もちろんそれには相応の代償があるだろうが、その程度の代償も拒むなら、ずっと人形でいるしかない。どちらでも好きな方を選ぶのだな」


 その後は今後の参考にという事で、このあたりにあるいろいろな職業について一通り説明を受けた。

 他所にもある職業でもその土地独自の要素が含まれるという事、その『どこにでもあるもの』と『そこにしかないもの』の組み合わせから新しいものが生まれるのだ、という事などを高星は話していた。


     ◇


 気づけばもうすっかり日が傾いていた。そろそろ食事の時間だから用が無いなら広間で待つようにと言われた。

 ここでは食事は今居る一番大きな建物――そっけなく母屋と呼んでいるらしい――の一番大きな広間で、ほぼ全員が集まってしているらしい。

 執務室を出るときに、きちんと手を洗っておけと子供の様な事を言われた。

 広間に行ってみると、既に半分くらい席が埋まっていた。席と言っても板張りの床に個人用の敷物を並べただけのものだが、壁に沿って輪をつくるように、いや長方形に並んでいる。

 おそらく一番奥に高星が座るのだろう。ジャンはどこに座ったものかと少しまごついていたら、操がやってきて引っ張って行かれ、イスカ、操、紅夜叉と並んで座っている所のイスカの隣の席を勧められた。

 紅夜叉の隣ではないのは風呂場での一件を知って気を使ってくれたのだろう。


 それからあまり長くは待たずに人が集まり、夕食が運ばれてきた。運んできたのは銀華と数人だが、男女入り混じっていたのと服装から察するに、食事を作るのに男女の別は無いらしい。男所帯で女性の割合が少ないこともあるのだろう。

 案の定、一番奥の席に高星が座り、その両脇に銀華とエステルが着き、全員がそろった。

 それぞれの席の前に一人分の夕食が置かれ、中央に御代わり用の大皿や鍋などがいくつか並んでいる。

 食器は箸がついていた、帝国東方では広く使われているが、西方出身の身には箸にはあまりなじみがない。

 幸いスプーンやフォークも置いてあったのでそれをもらったが、米の盛られた器とはやはり釣り合わない感じがする。米自体は食べたことがあるが炊いただけの白い米を食べるのはやはり東方風の食事だ。

 食事前の感謝をして一斉に食べ始めた、この辺では「いただきます」と唱えるらしい。

 都では長ったらしい祈りの言葉か、それを省略したものを食事前に唱えていたが、ジャンはもちろんそんなことは(ろく)にしたことが無かった。

 だからといって特に感慨も感じないが、その後皆が楽しげに食事をし会話をする様子はおそらく初めて体験するものだった。

 よく解らないが、良い雰囲気だという事だけは何となく感じられた。


「若、例の一件について若は俺たちより詳しい事を御存じなのでは?」


 誰かがそんな質問を高星に向けた。するとさっきまでの雑多な騒ぎが急に収まり、皆が高星の方に注意を向けた。


「例の一件と言うと、皇弟二人の相次ぐ不審死の事か?」


 高星の確認に無言の肯定がなされる。どうやら今、誰もが気にしている話題らしい。船の上で聞かされた時に、高星が口をつぐんだ先は気になっていたので、食事の手を止めて高星の顔を見る。

 しばしの沈黙の後、高星がおもむろに語りだした。


「――皇弟二人の相次ぐ不審死は、証拠は無いものの外戚アウストロ一門の仕業だともっぱらの噂だ、だが私は皇后の独断ではないかと思う。

 アウストロ一門には今すぐ犯行を行う動機が無いからだ、あの一族の権勢をもってすれば時間をかけてアリバイ工作をし、絶対に自分たちに火の粉が降りかからない確信を得てから行動に移すことはできたはずだ。

 それをせずに噂が立つような安易な方法で始末したのは、誰かの独断・暴走の結果ではないかと思う。

 そうだとした場合、首謀者として最有力なのは皇后だ。気が強いが、知識ではなく知恵や計画性という意味で頭の悪い女だともっぱらの噂だからな。ここまではいいか?」


 ある者は頷き、ある者は微動だにせず高星を注視している。ここまではほぼ前に聞かされたことの確認だ。


「最新情報はエステルに話してもらおうか。私も今日報告を受けたばかりだからな」


 高星が横目にエステルの方を見て言う。それを受けてエステルが話を引き継いで語り始めた。


「帝都ではかなり緊張が高まっていらしい。最近になって急に皇帝の叔父たるペルティナクス大公が帝都入りをしている。

 表向きの理由は皇帝へのご機嫌伺いだとか色々言っている様だが、元々アウストロ一門の勢力伸長を苦々しく思っていた事で有名な人物だ、何かしらのたくらみはあるだろう。

 それと不審死を遂げた皇弟だが、兄の方には幼い息子がいた。それが行方不明になっているらしい」

「行方不明ですか?」


 満座の中から疑問の声が上がる。


「そう、『行方不明』だ。遺体は見つかっておらず、そもそも争った形跡も無くいつの間にか消えていたらしい」

「これはおそらくアウストロ一門の仕業ではあるまい」


 ここで高星が言葉を挟んできた。


「むしろ反対勢力が皇弟の遺児を(かくま)った可能性が高いだろう。そうだとすればその反対勢力は虎視眈々と逆転の機会を狙っているはずだ」

「もしやペルティナクス大公がその遺児を?」

「かもしれんが……都合がよすぎる気もするな。しかし別々の行動だとしても、いずれ共闘する可能性は高いだろう」

「そうだな、アウストロ一門側もそれは危惧しているらしく、近衛部隊の長官以下幹部を一族の若手で固める人事異動を打ち出している。何かあれば武力鎮圧も辞さないということだろう。

 さてこれが最新情報だが、これをうけて高星はどう思う?」

「む……そうだな……」


 皆が固唾を飲んで見守る。ここにいる誰もが高星の見解に注目している様だ。


「当事者同士がどこまでやる気なのか、どこで妥協する気なのかは解らないが、一度火がつけばそれは容易には止まらないだろう。行くところまで行けば……」


 そこまで言って高星は少し俯き、目を伏せた。


「ま、何があってもいいように心構えだけはしておくことだな」


 この話はこれで打ち切り。そういう有無を言わせない雰囲気と言うか、気迫の様なものを発したところで子爵の話は終わり、また元の雑談のざわめく夕食に戻った。

 どうやらこの人は、なにかしらの考えがあるがそれを人に言えないとき、こんな空気にする癖があるらしい。

 その日はそれ以上は特別な事は無く、割り当てられた部屋で先住者達と並んで敷かれた布団に潜り込んで一日を終えたのだった。


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