2・春
高星の執務室に人が集められていた。今回の戦の論功行賞で、功績が上位の者――と言っても全体的に低めなのだが――に高星自ら恩賞の目録を読み上げている。
ジャンもその中に居た。自分が功績上位と言うのは違和感を禁じ得なかったが、高星いわく、ジャンの見つけた証拠はぎりぎりで功績上位に列せられるだけの価値はあると言う。
「次、ジャン」
「はいっ!」
名を呼ばれ、気を引き締めて強く返事をする。硬い動きで高星の前に直立するジャンに対して、高星は微苦笑を浮かべて目録を読み上げる。
「反乱軍が資金援助を受けていた証拠を発見した功により、5デナリを下賜する」
「ありがとうございます」
ジャンは今、高星の従卒として一節あたり18デナリの給料をもらっている。およそ四日分の給料に当たる賞与はささやかだが、ありがたい臨時収入であった。
ちなみに衣食住は給料とは別に支給されている。
「次、イスカ」
「はい」
ジャンと入れ違いに、イスカが前に出る。
「戦場で私の命を救ってくれた功績は、まさに親衛隊の本分を果たしたものであり、我が盾と呼ぶにふさわしい。よってここに10デナリを下賜する」
ジャンの倍の恩賞である。まあ当然だろうとジャンは思った。やはり戦場ではっきりとした活躍をしたイスカと、そうでないジャンの差は大きい。
高星が論功行賞を行う事自体に乗り気でない今回でなければ、二人の差はもっと大きなものになっていた事だろう。
「次、操」
「はいっ」
「いち早く危険を察知し、事態を迅速に収拾する事に関してその功績は絶大である。また戦場でもよく地形を探り、敵情を調べ、勝利の道を創るのにその働きは大いに役立った。まさに我が目と評するにふさわしい。
よってここにその功績を讃え、1アウレを下賜するものである」
おおっ、とどよめきが上がった。並み居る諸将を差し置いて、大台にして最高額の1アウレ、金貨での褒賞である。
「以上で論功行賞を終わる。此度の戦いは勝って喜ぶに足りぬ凶事であり、それゆえに恩賞も少ない。
その点をよく理解し、賞の少なきを憂えず、賞有る事に驕らず、私以下全員でこの苦い勝利を噛みしめて欲しいと思う。解散」
◇
経理で自分の恩賞を受け取り、5枚の銀貨を弄びながら門を出た。都合の良い事に今日はもう仕事が無い。
5デナリは大金でもないが、一度にこれだけの金を使った事も無い額である。ジャンは使い道を考えて、相変わらず金の使い道が何も浮かばない自分に苦笑した。
「にやついてんな。戦で金を稼いだのがよほどうれしいと見える」
嫌味たらしい言い方にももう慣れた。紅夜叉の姿を捜して一回り見回し、姿が見えない事に首をかしげる。
「ここだここだ」
上から声がすると思ったら、猫の様に門の上で昼寝をしていた。門の屋根は色が黒いので暖かいのだろう。
「またとんでもない所で寝てるな」
「葉の生い茂った木の上で毛虫と寝るよりは快適だ」
「自分の事で手一杯で気付かなかったが、お前今回の戦で何もしなかったのか」
「剣も抜かなかったな」
「どうして?」
「つまらんからだ。あんな腰砕けの連中、斬る気にもならん。それにその方が良かっただろう。剣は抜かなかったが、何もしてない訳でも無い。俺にしかできない仕事はしたつもりだ」
「まあ確かに、剣も抜かずに敵を追い散らすなんて、お前にしかできないだろうな」
「誰かがその事を棟梁に話したらしい。俺にも恩賞の話が有ったが断った。金のために働いた事は無いし、働くつもりも無い。つまらん恩賞など俺には無用だ」
「俺への当てこすりか?」
「良く解ったな」
「嘘を吐け。そんな気は毛頭無いくせに。ただ俺をつつく遊びがしたいだけだろう」
「貴様もつまらん男になったな。イスカ位いちいちムキになれば面白味もあるのだが」
「女の子をからかって遊ぶなんて、子供っぽいと思うぞ」
「言ってろ」
「それともあれか? お前イスカの事が――」
そこまでだった。紅夜叉が鋭い視線をこちらに向けて来て、それ以上声が出せなくなった。迂闊にも少し冗談が過ぎたようだ。辛うじて、いやなんでもないとつぶやく。
「口は災いの元と言う。貴様もう少し言葉には慎重だったはずだが、近ごろ油断が過ぎるぞ」
「……気を付ける事にするよ」
話をそれで打ち切って、そそくさとその場を離れようとした。後ろからおいと呼ぶ声がして振り向くが、門の上に紅夜叉の姿が無い。振り向いたジャンの至近に踏み込んでいた紅夜叉が、刀の柄頭でジャンの鳩尾を一撃した。
「かっ……!」
声にならない声を上げ、胸を押さえてうずくまる。
「舞い上がっている奴には丁度良いだろう。そこでもう少し地べたを転げまわっていろ」
抗議しようにも息もできない。立ち去る紅夜叉の後姿を涙目で見ているしかなかった。
◇
「あら? 大丈夫?」
「うっ……銀華さん。大丈夫です、はい。もう大丈夫」
「何があったかは詳しくは聞かないでおくわ」
そう言いながら銀華がジャンの土埃を払う。子供扱いだと思いつつも、半ばやせ我慢のジャンには抵抗する余力は無い。
「よし、こんなものね」
「ありがとうございます。銀華さんはこれからどちらへ?」
「お散歩。皆が居ない間する事が無くて、毎日お散歩してたの。一緒に来る?」
断る理由も無かったので、一緒に歩く事にした。思えば銀華と二人きりと言うのは、初めてかもしれない。
「まだ少し肌寒いですね」
「海沿いの街は風があるから。風の入らない日向に居るともう大分暖かいのだけど」
「そうですか? 俺は北国ってのはやっぱり、いつまで経っても春が来ないもんだなぁと思ってましたけど」
「そう言えばあなたは、まだこの土地の冬しか見てないのね」
「そうですね。一応秋の終わりは見ましたけど、ほとんど冬みたいなものでしたし。冬は冬で背丈より高く雪が積もって、真っ白だった事くらいしか覚えてません。あの頃は忙しかったし」
「今は忙しくないの?」
「今はもっと忙しいですけど、上手くやる方法を覚えてきて余裕はできました」
「そう。春を見て、夏を見て、秋を見て、それからまた冬を見れば、ここの冬も悪くない事に気付くと思うわ」
「そんなもんですかね」
「そういうものよ」
他愛の無い会話が心地良い事は最近知ったが、銀華との会話はイスカや操、それに高星やエステルと話すのともまた違い、春の日差しの様な温かみを感じた。
紅夜叉との会話は論外である。どちらかというと切り結ぶ感覚がする。
そのうちに湖に注ぐ河沿いに来た。護岸の土手の上に木が植えられて並木通りになっており、散歩をするには悪くない通りである。
「知ってる? 土手に木を植えるのは、根っこが土を抱え込んで土手を崩れない様にするからなのよ」
「へえ、ちゃんと理由があるもんだな」
「だから大地震の時は、大木の根元に避難すると地割れの心配が無いのよ」
「詳しいですね」
「一家を守るのは女の役目ですから」
デリケートな話題を全く気にする様子も無く明るい表情で言う。高星や紅夜叉とは全く違うが、改めて強いと思う。強いと言うただ一言にも無数の種類があるのだ、と言う事を実感させる。
土手道を歩く。周囲には建物も無く、木々もまだ葉を付けてはいない。日差しを遮る物は何も無い。その上水面の照り返しもあり、眩しい程に光があふれている。
ふと銀華が立ち止まり、首を反らして木々の枝を見る。
「どうしました?」
「ん、大分つぼみが膨らんできたなって」
言われてジャンも枝に付いているつぼみを見る。薄紅色を帯びた小さなつぼみがぷっくりと膨らんでいた。
「もうすぐ咲くわね、あと7日もすれば満開になるかしら。そしたら皆でお花見ができるといいわね」
「お花見ですか……」
「あら、あまりうれしそうじゃないわね?」
「あまり、そういう事に実感が湧かなくって」
「……そう」
「銀華さん?」
銀華の声が、一瞬憂いを含んだと感じた。
「なら、なおさらお花見をしなくちゃね。お弁当もいっぱい作って、紅夜叉も引っ張って来るのよ? そうしないとあの子は特に縁が無いままで居そうだもの」
「ははは……紅夜叉を連れてくるのは大変そうだ。いや、操ちゃんが連れてくるだろうから意外と簡単かもな」
「イスカちゃんはおにぎりをたくさん用意すれば言わなくても来るだろうから、エステルちゃんをどうやって呼ぶかね。お仕事が残っているうちは遊ぶ訳にはいかないって言って、結局仕事詰めになりそうだもの」
「真面目ですからねぇ」
「あら、そんな事が言えるなんて、大分不真面目になったんじゃない?」
「うっ……さっき紅夜叉に舞い上がっていると言われました」
「それで良いじゃない。少なくとも前は余裕の無い必死だったのが、今は余裕のある必死さに変わったのは良い事だと思うわよ」
「エステルさんには余裕がありませんか?」
「まだちょっと、一人で全部抱え込もうとする癖が抜けてないわね。そういうところは高星と似てるんだから」
「だから気が合うんでしょうか?」
「お互いに一人で抱え込みあったら衝突しそうなものだけど、あの二人の場合はそうかもね。同じ思いをしていると思えるのかしら?」
「同じ思い、ですか……」
「まあ高星をお花見に呼ぶのは簡単だから、そこは高星にどうにかさせちゃいましょう。お花見の時くらいは、好きなだけお酒も飲ませてあげようかしら?」
「あはは……それは喜ぶと思います。棟梁いつも銀華さんが酒を飲ませてくれないって愚痴ってましたから」
「当然です。お酒は程々に」
この人には敵わないと思った。それもジャン一人では無く、高星もエステルも紅夜叉も操もイスカも、誰もこの人には敵わないだろうと思った。
いつの間にか対岸に渡り、先程までとは反対方向に向かっていた。いつどこで橋を渡ったのかさえ気づかなかった。
「あっ、咲いてる」
不意に銀華が声を上げた。見ると確かに、枝に一つだけ淡い色の一重の花が咲いている。
「ねえ……やっぱり舞い上がってていいと思うの。だって……春が来たのだもの」
「春だから、舞い上がってもいい?」
「そう、いつまで経っても春が来ないなんて事は無いの。今まさに春が来ている、この北国にも、高星にも、私達にも、そしてあなたにも」
「俺に、春が来ている?」
「みんな若いからね。勢いで突っ走って、舞い上がって、失敗もして……でもそうだからこそきっと、どんな困難にも全力でぶつかっていけるのね」
「そんな考え無しの勢いで良いんでしょうか? だって戦争ですよ、命と滅亡を懸けて戦わなきゃいけなんですよ?」
「戦争の事は私には解らないわ。でも勢いが、動かせないと思える事を動かす事はある。その勢いは今まさに動き始めたし、今しか持てないものだと思うの。だからそれを失ったら、後悔すると思うわ」
「勢いがあれば、本当に動かせないはずのものを動かせますか?」
「きっとね。高星がたまに兵書を音読していたけど、確かこんな事を言っていたわ」
「どんな?」
「『激流の疾さが岩を押し流すのは、勢いの力である』だったと思うわ」
「あ、それ棟梁に貸してもらった兵書にありました。確か『猛禽が獲物を一撃で打ち砕くのは、力を一瞬に集中しているからである。だからよく戦う者は、その勢いは天険の様に急で、その力を発揮するのはただ一瞬である。勢いは弓を引くが如く、集中は矢を放つが如し』と続いてたはず」
「なあんだ、良く解ってるじゃないの」
銀華がクツクツと笑っている。
「舞い上がって、風に乗って、勢いをつけて、そうすればあの空の果てまでも行ける。皆になら、それができるって信じているわ」
「空の果て……か……」
薄紅色の花の向こう、冬より少し色が薄くなった様な気がする空に、何があるのだろうか?
きっとそこには星がある。今はまだ見えないけれども、高星が追い求める星がきっと、そこにある。
一陣の風が吹いた。山から吹き下ろす冷たい風では無く、暖かくて強い春の風だった。この風の勢いに乗って、星まで舞い上がっていけるのだろうか。
風が吹き去ると銀華が静かに、だが明るくつぶやいた。
「我が世の春が、来たみたいね」




