2・留守居の者達
ジャン達がトサの街を出て南へ向かった次の日、イスカはトサの街の南の外れ、ホフマイスター博士の家に一人で訪れていた。
「やあよくきましたねイスカちゃん、お茶飲みます?」
「い、いや、遠慮しておく……」
「そうですか、せっかく新しいハーブティーを開発したのになぁ~」
相変わらず冗談なのか本気なのか解らない、ヘラヘラした態度で人を煙に巻く様な事を言う。
「それより、魔力増幅器について何か解ったんだな?」
「おや、私はあなた一人で家に来る様にとご招待しただけですが?」
「わざわざ私一人を呼び出したのは、他人には話したくない事だからだろう? 私に対して秘密の話をするとなれば、他に考えられる事は無い」
「解りませんよぉ~? ただあなたと二人っきりでお茶がしたかったのかもしれません」
沈黙。一見、睨み合いの様だが、ホフマイスター博士はヘラヘラした態度を崩さない。一方イスカは睨みつけてはいるが、内心では嫌な汗をかくのを感じていた。
「……そう怖い顔しないでください。あなたの言う通り、この魔力増幅器の事でお呼びしたんですよ」
ホフマイスター博士が白衣のポケットから魔力増幅器を取り出し、机の上に置く。そして椅子に前後逆に座り、背もたれの上で腕を組み、顎をその上に乗せた。
「これから話す事は、あなたさえ良ければ他の方々に話しても構いません。でもまずはあなたにだけ話しておく事にします」
「……解った、話を聞こう」
「お茶飲みます?」
「いらないです」
即答だった。
◇
「さてこの装置、あなたが魔力増幅器と呼んでいる物ですが、はっきり言って具体的にどの様な仕組みで魔力を生み出しているのかまでは解りませんでした」
「仕組みが解らなかった……じゃあ、一体何を秘密にする必要があるんだ?」
「……あなたはこの装置を最大で、どのくらい続けて使用した事がありますか?」
「んっ……そうだな、戦っているときだから正確には解らないが数分……十分も続けて使った事は無いはずだ」
「そうですか。ではこの装置を使って何か体に異常を感じた事は?」
「異常を感じた事? いや、覚えは無い」
「でしょうね、その程度なら」
「……何が言いたい」
博士は相変わらず腕は背もたれの上だが、背筋を伸ばして座り直し、少し溜めてから次の言葉を発する。
「この装置、多用すれば死にます」
いつの間にか、その目は真剣そのものだった。
「死ぬ……? どういう事だ?」
「順を追って説明しましょう。まず私のたどり着いた結論として、この装置は『魔力増幅器』ではないと言う事です」
「魔力増幅器じゃない? でもそれを使うと確かに自分が持っている以上の魔力が生じる」
「はい、そうです。『生じる』んですよ、『増幅する』んじゃありません。これは魔力が無くても魔力を生み出す装置、ですから『魔力発動機』とでも呼ぶのが正確でしょうかね。
ちなみに私の見る所によると、明らかにこれは軍事目的で製造・開発された兵器の一種だと思われます」
「しかし、魔力を生み出すなんて聞いた事が無い」
「私もですよ。しかし実際にこの機関はそういう働きをする。そしてそれは命と引き換えになります」
「なぜそう断言できる?」
「試しましたから、自分の体で。魔力資質の無い私でも下手な魔術師よりも大きな魔力の発生を観測できたのは驚きましたね。
そして二十分この機関を連続使用した結果、異常な体温・脈拍・呼吸数・心拍数・血圧の上昇を確認しました。あと気分的に大分興奮しましたね。
条件にもよるでしょうが、おそらく私が三十分程この機関を全力で連続使用したら、全身の穴から血を噴いて死ぬんじゃないでしょうか」
「三十分で死ぬ……」
イスカは戦慄した。もし高星が多用を止めなかったら、何時そうと知らずに無茶な使い方をしていたか知れない。
「まあ、あなたの様に最初から魔力を持つ人ならばもう少し長く使えると思いますよ? それに十分な休息を取れば回復する様で、断続的に使う分には特に問題は見られませんでした。その上であなたに問います」
博士が肘をつき、両手を組む。
「あなたは命と引き換えにしても、この力を欲しますか?」
イスカにとってその装置はまず姉の遺品だった。その持つ力を知ったのは友の死がきっかけだった。その力を得てからは自らの決意と理想のためにそれを使おうと思った。そして今その力の真実を知った。
「私は……たとえ何と引き換えだろうとも、その力が欲しい。約束したんだ、彼女と。これはその約束の証でもある。だからどんなに重くても、抱えていくつもりだ」
迷いなど、初めからなかった。
「……そうですか。まあ立ち入った事は聞きませんよ、これがどういう物か理解して、その上でどう使うかはあなた次第ですから。という訳でお返しします」
「ありがとう……この事は、内緒にしてくれますか?」
「そうして欲しいと言うなら」
「重ねて、ありがとうございます」
イスカは魔力増幅器改め、魔力発動機とでも呼称すべき機関を、服の内側にしまう。
そこに有るべき物が戻って来た、という感じがした。
◇
「博士、一つ聞かせて欲しい事がある」
「なんでしょうか?」
「何故、自分の体でこれを試すなんて真似をしたんだ? 一歩間違ったら死んでいたかもしれないじゃないか」
「ああ……なんだ、そんな事ですか」
「そんな事って……」
「理由は至極単純明快、動物実験では起動させられなかったのと、それを実際に使うのがどんな感じがするか知りたかったからですよ。
好奇心の賜物、自分の欲求に素直に従ったらそうなったとでも言いましょうか」
「こ、好奇心って……そんな事で命の危険まで冒したのか!?」
「十分な理由でしょう? 私を突き動かしているのは常に好奇心、知識欲、知的満足感です。そしてそれに基づく私の行動原理は常に『解体する事』です」
「解体?」
「破壊ではありませんよ。解体と破壊は全く別物です。破壊は在るものを役に立たないゴミにしてしまう行為です。解体とは在るものを理解し、部品へと分解する行為です。
つまり解体する事とは、知る事です。逆に破壊は、そのものに対して理解の無い連中のする事です。
そして解体すればそこに部品と、空間の空きができます。そこに誰かが私の見た事も、想像した事も無い、新しいものを創ってくれるのがまた楽しみなのです。
だから私は解体したい、自分の理解と、新しい何かの土台のために。あなたの御主君に雇われてみるのもその一環です」
「棟梁様に?」
「あなたの御主君は今までに無い、新しい世界を創る事を考えている。
それが創られていく過程を間近で見られると言うのは、これ以上無い位面白そうな事ですから。協力を惜しまないだけの価値はあります」
「それは結局、自分の事しか考えてないと言う事じゃないか?」
「別に問題は無いでしょう。あなたの御主君だって自分の目的のために私を利用しているのであって、別に私の事を信用している訳じゃありません。
しかし友人だとは思っているはずです。対等な存在という意味においての友人です。お互いに相手を利用して自分の理想を叶えようと言う、冷徹で、誠実な関係です。
上っ面な友情なんかよりよほど美しい関係と言えるのではないですかね? なにせ互いに真摯に相手を尊重しているのですから。
まあ彼の方は立場上、私に苦言を言わなければならないときもありますが」
「はあ……」
ホフマイスター博士の言う、高星との関係。互いに利用し合うからこそ誠実だと言うそれは、イスカの理解を超えていた。話を聞いても何やら宙に浮いた様な感覚で、生返事で答えるしかできなかった。
「ま、何もかも解体してみたいと言う私の欲求を尊重した上で、私の能力を最大限自分のために活かしたいとあなたの御主君は思っている。
私も私であなたの御主君の理想を尊重した上で、その中で好き勝手出来ればいいと思っている。
そしてお互いそれでいいと思っていると、そういう事ですよ」
博士は相変わらずヘラヘラとして言ったが、その目は真剣だった。
◇
安東家下屋敷、ほんの少し前まではここで皆と暮らしていた。あれからまだ半年も経っていない。
今はかつて一緒に暮らしていたうちの二・三人が管理をしているが、言ってみれば空家である。ただ元の住人だった者達ならば自由に入れる。
イスカはホフマイスター博士の家からの帰りに、何となくここに足を向けた。少しここで静かに色々な事を考えようか、そんな事を漠然と思っていた。
そのため、門から出てきた相手に気付くのが遅れ、ぶつかる寸前で飛びのいた。
「うわっ! す、すまない。ぼうっとしていた……」
相手は、自分よりも少し背が高い様だ。誰かを確認するより早く、癇に障る物言いが飛んできた。
「見りゃ解る。どけ」
紅夜叉だった。今一番会いたくない相手に出会ってしまったが、こんな物言いをされるとイスカも反発心が湧き上がってきた。
「君か、ぶつかる寸前までいくとは、君も大概油断が過ぎるんじゃないか?」
「殺気を出してるならともかく、今の貴様の様な腑抜けた奴の気なんて察せられるか。こんな所をふらついているなんて、何かあったのか?」
「君には関係ない。君こそ今年に入ってから姿を見かけない事が多かったが、一体どこで何をしているんだ」
「どこで何をと言われれば、三日前まではウトの街だな。昨日は中小国村に寄って、今日の昼前に帰ってきた。その後ここで昼寝をして、寝飽きたところだ」
「領内を回っているのか?」
「結果的にはそうなるかな。方々の練兵場に乗り込んで、腕利きの士と言われている奴らを五・六人ばかり叩きのめして、暇をつぶしてきたところだ」
「そんな事をしていたのか、君は」
「人殺しに慣れている分、お前を相手にするよりも手ごたえがあったな」
イスカが思わず唇を強く結ぶ。
「だが、お前を相手にしている方が面白かった。心構えの違いだろうな」
「え?」
思いがけない発言に戸惑う。紅夜叉が、ある意味ではイスカを認めたとも取れる発言をしたのは、これが初めてだった。
「戯言だ、忘れろ。それよりも、棟梁は今どこだ?」
「棟梁様なら、昨日から出かけている。戻るのは三日後になる予定だそうだが」
紅夜叉が舌打ちをする。イスカは紅夜叉のこれまでに無い様子に訝しんだ。
「エステルさんや提督さんが留守を預かっているから、何かあるなら報告に行った方が良い」
「いや、いい。どうせただの勘だ。ちょっと話してみるならともかく、居ないならそれをわざわざ報告なんて大事にするものじゃない」
「勘……か……なら私に話してくれないか?」
「どうして」
「君の勘と言うのは、興味がある」
「やなこった、誰が貴様なんぞに。
……と、いつもなら言うところだが」
「教えてくれるのか?」
「貸し一つと言う事なら、教えてやる」
「……いいだろう。教えてくれ」
「ウトの街に駐屯する大隊に行った時の事だ。確か歩兵第3大隊と言ったか、妙な軍気を感じた。
戦が近い様な感じだが、それを意識して抑えている様な感じだ。伏兵のそれに近いと感じた」
「戦が近い様な感じ……? そんな話は聞いていないが」
「俺もだ、それになーんか妙なんだよなぁ……。
だがそれ以上は解らん。一応、操を置いて来たから、何かあればすぐに解るだろうが」
「へえ……意外だな、君がそこまでするなんて」
「ほっとけ、俺だってただふらふらしていた訳じゃない。飯と寝床の分は働く気でいる。もっとも、戦にならない限りは全部操にまかせっきりにする方が良いと結論を出したがな」
「そうか。ところでこの話、私が誰かに話す分には問題無い訳だな?」
「……好きにしろ、お前のやる事までいちいち気にしてられるか」
「なら好きにさせてもらう」
イスカが上屋敷の方へ駆け出す、数歩駆けたところで思い出した様に振り向く。
「紅夜叉」
「あん?」
「君も人間らしい事をする事があるんだな」
それだけ言うとまたイスカは走り去っていった。紅夜叉はまた小さく舌打ちをして、小石を蹴飛ばしたのだった。




