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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
渡りの道人
25/366

1・流刑地の春

挿絵(By みてみん)


 滔々(とうとう)とした流れだった。

 歩くよりも遅いのではないかと思う様な流れは、瀬でも白い波を立てる事は無く、どこまでも静かに流れていた。

 これでも雪解け水が流れ込み、水量の多い方であると言う。流れの落ち着く季節には、それこそ流れているのかすら解らなくなる様な流れの河だと言う。

 その河を、一(そう)の小舟が(さかのぼ)っていた。

 三角帆と舵を巧みに操り、ぐんぐんと船を進ませる高星(たかあき)の姿は、貴族はおろか領主でもなく、幼少の頃からこの道を歩んできた若い船頭にしか見えない。


「良い風でよかったわね。強ければ寒いし、凪だと困るもの」


 銀華(ぎんか)が、鈴を転がした様な声で言う。誰に言った訳でも無い。それでも返事は返ってくる。


「はい。河を(さかのぼ)るのは、もっと大変だと思っていましたが、風が良かったお(かげ)か早いですね」

「風があって当然だ、河は風の通り道だからな。特にこの時期は、南の山々から風が吹き下ろす。この風も予想通りだ」


 ジャンの言葉に、高星が当然だと言わんばかりに返す。だがその言葉は、いつもよりも幾分か肩の力が抜けた様な調子があった。


「それにこの岩水(がんすい)は見た目よりも厄介な河だ。お前はこの河に何か気が付かないか?」

「気が付いた事? そうだな……流れが緩やかな事と、蛇行が多い事くらいかな」

「相変わらず良い所に目を付ける。この河は見ての通り流れが緩い、だから川底に土砂が溜まりやすい河だ。

 おかげで川底が浅くて船は座礁するし、水量が増えれば溢れ出す。蛇行が多いのも、洪水を繰り返した結果だ。河から少し離れれば、かつては河の一部だった湖があちこちにある」

「あ、前に棟梁が言ってましたね。そうやって豊かな土が積もってできたのがこの土地だって」

「良く覚えていたな。確かに土地も豊かだし、水にも困らないのだから農業にはいい土地だ。治水さえしっかりやればな。それもこの地に追いやられて以降、何代もの先祖たちの努力が成し遂げた成果だ」


 高星が目を細める。どんな北辺の地でも、どれだけ厳しい土地でも、そこに住まう人々は血の(にじ)むような、否、血を流す様な努力の末に住みよい世界を創る。それは胸を張れる事であり、誰にも(さげす)む資格など無い。


「あ、鳥」


 銀華がつぶやく。見ると七羽の鳥が∧の形に編隊を組み、山並みが青く霞んで見える方角からやって来て、反対方向へと飛び去って行った。


「雁だな、渡り鳥だ。北へ帰るのだろう」

「渡り鳥か……これから会いに行く人達も、渡りと言うんですよんね?」

「そうよ。正確には、彼らは自分達の事を何とも呼ばなくて、周りから『渡り衆』と呼ばれている一団よ。その呼名の通り、定住をせずに山々を渡り歩いて生きているわ」

「なんでわざわざそんな苦労の多そうな生活をするんだ?」

「渡り衆は元々、山に籠って修行に励む人達の集団が母体と言われているわ。現に、渡り衆の指導的立場にある人は、所謂(いわゆる)仙人か、仙人の修行をしている人が多いの」

「仙人だって……? 霞を食べるとか、不老不死だとかいう、あの?」

「その仙人よ。でも食事をしない訳でも、死なない訳でも無いけどね。道術の修行を積んで、特殊な能力を身に付けた人を仙人と言うの。

 その修行の過程で断食をしたり、修行の成果として見た目が若々しい事が多いから、そんなイメージが付いたのね。実際は魔術師の親戚みたいなものよ」

「そういうもんですか。しかし……銀華さん詳しいんですね?」


 すると銀華が指先に竜胆色の炎を灯し、いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「昔ちょっとお世話になってね、これから会いに行く人も私の知り合い。今は高星も知り合いだけど」


 銀華の炎は、その渡り衆の修行者と知り合った時に身に付けたものかと納得する。銀華の話に区切りがついたのを見計らったように、今度は高星が口を開いた。


「今の渡り衆は修行者だけでなく、様々な理由で旅暮らしをしている者がいるが、大抵特殊な技能の持ち主だ。この船も渡り衆から買って、操り方も教えてもらった」

「そうなんですか。変わった船だなと思ってましたけど」

「渡り伝馬(てんま)だ、領内でこの船を操れるのは、私しか居ないかもしれん」


 改めて見るとこの船は、普通の船よりもかなり平べったい形をしていて、喫水線より下、水中に沈む部分がかなり浅い。


「足首程の深さしかない浅瀬でも進めるうえ、荷物を山と積む事もできるのだが、操船を誤るとすぐにひっくり返る難しい船だ。扱える様になるまでに大分苦労した」

「そんな特殊能力の持ち主たちだったら、棟梁の役に立つんじゃないですか?」

「……彼らには彼らの価値観がある。里の人間と交流や取引もするし、ときにどこかの貴族や領主に雇われて仕事をする事もある。だが絶対に誰の臣下にもならん。渡り衆とはそういう者達だ」


 高星の声から抑揚が消えていた。だが機嫌を損ねたのではないと感じた。ならばまた胸の内に秘めた考えがあるが、まだそれを明らかにするときではないのだろうと思った。だからそれ以上は何も言わなかった。


     ◇


 岩水流域は、地理的にも経済的にも安東(あんどう)家領の中心地に当たる地域である。半島部分に当たる下流域は広々とした土地が広がり、その多くが水田になっている様であった。

 もっとも、ほとんどの土地は土を耕したり、耕したところに水を入れたりしている状態で、まだ苗の一本も植えられてはいなかった。

 何も無い、土がむき出しの田畑のあちこちで、鳥が地面をついばんでいるのを(いぶか)しんだら、冬の間土の中で眠っていた虫が掘り起こされたのを食べに、鳥が寄って来るのだという。

 河に目を向ければ、河底の深い所を()う様にして下る船と何度となくすれ違い、浅瀬では川漁師が膝程の深さの所で網を投げている。この時期の川魚は、浅瀬で獲れる卵を抱えた魚が特に珍重されると言う。

 河に沿って南北に街道が通っている事もあって、小さな船着き場を持った五・六軒の店が並ぶ休憩所が時折見られた。

 昼頃に手近な休憩所で船を泊めて、獲ったばかりだと言う卵を抱えた20cm程の魚の姿煮で昼食にした。

 甘辛く煮られた魚は確かに卵が特に美味だった。何でも一度焼いてから煮るのがコツだと言う。いくらでも食べたいと思ったが、あまり多く食べると脚気(かっけ)(わずら)うそうだ。

 昼食後さらに河を(さかのぼ)ると、やがて左手に山が見えてきた。そう高い山ではない様だが、平野が広がる中でそこだけ盛り上がったようにポツリとある山は良く目立っていた。


「あの山が見えたらもう街が近い。今日はそこまでだな」

「結構長かったですね。流石に飽きてきましたよ」

「あら、まだ目的地まで半分も来ていないわよ?」

「それ以前に、飽きただのぬかすのがけしからん。旅をするというのはもっと命がけの事だ、それを肝に銘じておかねば死ぬぞ」

「……気を付けます」

「まあ、流石に街道を行く分にはまだ安全だがな。だが五年後も安全とは限らないだろう。山道を行けば山賊の類は当たり前と思え」

「はい」

「よろしい。ではこの先のワラガの街の事でも話して聞かせてやろうか」


 高星の声がふっと優しくなる。


「ワラガはいわゆる交通の要衝にできた街だ。地図の上では半島の付け根部分、領内の位置付けで言えば、北はトサに通じ、南は次の目的地でもあるツシの街、東には東方航路の起点であるウトの街、西は一段落ちる感じだがアジの港町から北方航路に出られる」

「なら相当大きな街になりますね」

「と思うだろう? だがワラガの街の人口は二万五・六千で、領内では四位の街だ。トサ・ツシ・ウトの三大都市に比べれば大分小さく、トサと比較すれば二割程の人口しかない」

「交通の要衝にできた街なら大都市になってもおかしくないでしょう。どうしてその程度の街に留まってるんですか?」

「色々と中途半端だからな。ワラガより北の土地で作った産物は直接トサに運ぶ方が早いし、南の土地はより近いツシに運んでから河を下る方が手っ取り早い。

 東西に行けば海に出られるが、距離的にトサ―ラワガ間と大差がない。特徴が何も無い街なんだ。それでも領内の中心として、移動する際の宿場町にはなるからそこそこの都市にはなっているという訳だ」

「なんだか聞いてるだけでもパッとしないですねぇ」

「そうだな。一応、山のふもとに大きな(まき)もあるが、それだって中小国(なかおくに)村には及ばないし、なんでも(そろ)った街ではあるんだが」


 陽が傾く頃にワラガの街に入る事が出来た。今夜の宿はどうするのかとジャンは思ったが、高星は迷う事無く進み、官営の宿舎に入った。少し大きな街ならばどこにでも官営の施設があるらしい。

 少し時間が空いたので宿舎周りを高星とジャンの二人で回った。街中を見て回る限りにおいては、特に欠けたところの無い、暮らすには便利そうな街だと思ったが、後から思い返してみると特に印象は残っていなかった。


「本当になんでもあるけど中途半端な街なんですね」

「そうだな。この街の限らず、何でもそろっているよりも、欠点だらけでも特化した物がある方が強い事が多い。それは人や軍も同じだ」

「軍もですか? 欠点が無い方が良いと思いますが」

「大軍ならば全体としてはその方が良いだろう。だが小さな軍ならば一つに特化した方が良いし、大軍もその中に何かに特化した隊を持つ方が強い。

 例えば先陣切って敵に突撃するのは、とてつもない恐怖と戦わなくてはならない。だから先陣を担える、勇気と無謀を混同したくらいの一隊が居ないと、数で優勢な上正面からぶつかり合ったのに押される事もある。

 兵学ではこういう部隊を『爪牙(そうが)』、猛獣の爪や牙に相当するものと呼ぶ」

「欠点の無い堂々とした主力部隊に、一つの事に特化した部隊を剣や盾の様に持たせた軍が強いと言う事か」

「理解が早いな。お前には将としての才能があるのかもしれんな」

「本当ですか!?」

「あと二十年したら一個大隊をまかせてやる」

「に、二十年って……」

「思い上がりなど百年早い。明日も船旅だ、今日はもう休むぞ」


 船に揺られているのは、自分で思う以上に体に疲れがたまる事は一応理解していたので、その日は陽が沈むのに合わせて眠りについた。

 夢の中でまで船に揺られてしまったが、流石に夢では疲れる事は無かった。


     ◇


 ラワガの街を出て、今日の目的地であるツシの街までの景色は、昨日までとはまるで違う物だった。

 延々と平地が続き、広大な田畑が広がっていたトサ―ワラガ間に対して、ワラガ―ツシ間はなだらかな丘陵地帯が続き、水はけと日当たりの良い斜面を利用した果樹園が多く見られた。

 また、街を出てからずっと右前方にそびえる山は、そこだけ周囲の丘よりも遥かに高く、周囲を圧倒し睥睨(へいげい)しているかの様であった。高星によると標高1600mを超え、領内でも最高峰だと言う。


「今日は、昨日よりも風が強いわね」


 銀華が顔にかかった髪を片手で除ける。昨日と同じ南風を受けて、長い金髪がサラサラと風になびき、揺れる。

 春の日差しを乱反射させる水面を背景にすると、まるで髪自体が輝きを放っているかのような錯覚を覚える。それも強い光ではなく、春の陽光の様な優しくて、暖かな光だ。

 美しいものを挙げろと言われたら、真っ先に今のこの人を挙げるだろうと思った。


「山に近づいているからな、吹き下ろしが強くなっているのだろう」


 高星が真剣な表情で帆を操っている。昨日よりも強い向かい風だが、この程度ではむしろ都合が良いらしく、しばらく帆を細かく調整していたがやがて風を(つか)み、快速ぶりを発揮し始めた。


「昨日も思いましたけど、棟梁って船の動かし方と言うか、風の(つか)み方が凄く上手いですね」

「昔から一人でトサの湖に小舟を出すのが好きだったのでな。

 風の吹き方はどうしようも無い、暑い事寒い事、晴れる事雨が降る事、どうしようも無い事を挙げれば数えきれない。

 大事なのは、どうしようも無い事に対してどう対応するかだ。そしてどういう対応策を身に付けているかだ」

「棟梁は、どうしようも無い事に対する対応策を持っているんですか?」

「私だけではなく、この土地の者なら多かれ少なかれ持っているし、他所の土地でも同じだろう。

 それは生きる術とも言うべきものだ。お前だって、お前なりの生きる術を、身に付けて生きてきただろう?」

「生きる術……無くは無いと思いますが、そんな大層なものだとも思えません」

「それはお前自身、自分の価値をまだ解っていないのだ。私にはお前の持つ生きる術は、大きな力になり得るものに思えるぞ」

「そうでしょうか? 少なくとも、自分の価値が解っていないうちは、力も発揮しようが無いと思います」

「お前は物は知らないが、愚かではない。むしろ(さと)い奴だ。時さえ得れば自分の力を知るだろう」

「時、ですか……」


 それ以上は、高星は何も言わなかった。ジャンは、高星に意外な程に評価されている事に、喜びよりも戸惑いを感じるばかりだった。


     ◇


 三十人程の一団だった。遠目には一人一人は良く見えないが、掲げている旗はこの距離でも見る事が出来た。旗には五枚花弁の花が描かれている。


「棟梁、あれは何の集団でしょうか?」

「ああ、ツシの街に駐屯させている第二大隊だよ。新兵の訓練も兼ねて、付近を見回って賊の類を取り締まっているのだ」

「じゃあ、俺もそのうち同じ様な事をしますかね?」

「どうかな、お前の配属に関しては考えがある。帰ったらそろそろそれにも手を着けようと思っている所だ」


 自分の配属に関してはあまり興味は無かった。高星の考えに沿っての事ならば、なんであれどこであれ励むつもりでいた。

 ジャンはそれを今の自分が高星のために働くのに最善の方法だと思っていたが、そこに自分の進むべき道を自分で決める事の無い、流され性とでも言うべきものから未だ抜けきっていないと言う事には無自覚だった。


「そう言えば、この土地にはあまり盗賊とか居ませんね?」

「うん? まあ、治安の維持は統治者として最低限の責務だからな」

「いえ、そうじゃなくて。ここって流刑地なのにあまり犯罪者や盗賊の類が多いと言う気がしないなと思いまして」

「ああ、そういう事か。それはな、ここに流刑になるものは、本当は罪など無い者が多いからだよ」

「どういう事ですか?」

「ただの凶悪犯罪者ならば流刑どころか死刑にする。それが一番手っ取り早いからな。

 流刑になる者と言うのは、例えば政争で敗れ、無実の罪で失脚させられた者達だ。こういう者達は本来罪など無いのだから、よほどの事が無い限り死刑にするのは無理がある。反発が大きすぎるのだ。

 だから流刑にする、命は助ける事でいつか返り咲く望みを残しておく事で、不満を抑えるやり方だ」

「ここに流刑になって、戻った人がいるんですか?」

「聞いた事は無い。残酷な希望を残されたまま皆死んでいった」

「残酷な希望、ですか……」

「もしくは、自主亡命すれば他の関係者は罪に問わないと内々に告げられ、家族と永遠の別れを告げてやってきた亡命者もいる」

「それはきっと、辛いのでしょうね。俺には良く分からないけど」

「そうだな。私にも良く分からんよ」


 ジャンも高星も、横目で銀華を見た。直視などはできなかった。銀華は、光る水面を眩しそうに目を細めて見ているだけだった。

 昨日と同じ様に、陽が傾く頃にツシの街に入った。街に入ってからも、昨日と同じ様に過ごし、昨日よりは少し遅く眠りについた。


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