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ここ何日か悪夢を見る。夢の内容はいつも大体同じ、あのホフマイスター博士に実験される夢だ。
安東家のお抱え学者として働く事になった以上、また顔を合わせる機会もあるのだろうが、できればもう会いたくはないと思う。
そんな事を考えながら、悪夢のせいで寝不足の身を机に突っ伏し、教育部隊の座学の授業が始まるのを待っていた。
「はあ~い、皆さんこんにちは~」
悪夢が現実の世界に出てきてしまったと思った。
間延びした声、背筋に悪寒が走り、思わず顔を上げるとそこには、あの大きな丸メガネを掛けた顔が、相も変わらずヘラヘラしていた。ただ白衣だけは明らかに新品の、まだ生地の硬い物を着ている。
「でええ!? ホフマイスター博士!?」
「おや、君は。また会いましたね~」
できれば最低でもあと半年は会いたくなかった。まさか五日もしないうちにまた会う事になるとは。
「え~、ご紹介にあずかりました、ホフマイスターです。ここの領主さんに『どうせなら教鞭をとってみないか。もちろん給与は出す』と言われまして、とりあえず臨時教員という事で、よろしくおねがいしますね~」
ありえない。これから頻繁に顔を合わせなければならないと言う事ではないか。この時ばかりは内心で頭を抱え、高星を恨んだ。
「え~、今日はですね、武器の歴史について学ぼうと思います。特に長柄の武器を中心にやるつもりです。刀剣はまた別の機会に詳しくと言う事で。
では早速ですが、この武器を知っている人は居ますか?」
ホフマイスター博士が現れた事に対する驚きで気付かなかったが、博士は長柄の武器を一本持ち込んでいた。
その武器は長柄の先に十字型に金属製の刃がついており、柄からまっすぐ伸びている刃は剣、柄と刃の接合部から左右に伸びている刃はそれぞれ短剣と、鎌という感じだ。
「戟ですね」
陶明がいち早く答えた。
「正解。この戟と言う武器が主兵装だった時代を武器の第一世代、それ以降現代までを第二世代と言ったりします。
それでまずは戟以前の武器ですが、最初期の長柄の武器は戈と矛があります。矛は柄に水平に剣を継いだ武器、戈は柄に垂直に剣を取り付けた武器、後に少し進化して鎌状のものが現れます」
「矛は解りますが、どうして柄に垂直に刃を付けた戈があるんですか?」
「良い質問ですね。それは古代の戦争のやり方が関係しています。
古代はまだ鐙という馬具がありませんでした、そのため馬に乗ると足が宙ぶらりんになってしまいます。
この状態では馬上で踏ん張る事が出来ず、武器を振り回すとバランスを崩して落馬する危険が高かったんですね。机に跨って試してみると解ると思います」
早速、陶明が机に跨り、武器は無いので腕を大きく振ってみた。そしたら確かにバランスを崩して、おわっ! という声と派手な音を立てて転げ落ちた。
「ど~せなら女の子にやって欲しかったですね~」
博士がヘラヘラしながら危ない発言をする。
「ま、そういう訳で古代においては乗馬というのは特殊技能だった訳ですね。だから戦闘用の馬車、戦車を使うのが一般的でした。
そして戦車に乗って戦う場合、突く動作の武器は反動で自分が戦車から落ちる危険があった訳です。
その点、柄に垂直に刃を付けた戈なら、すれ違いざまに敵を斬ったり刺したりひっかけて落としたりできて、何かと便利だった訳です。
そのうち武器の改良が進むと、多くの機能を持たせた武器を創ろうと考える様になりました。
これには鐙が無いなりに騎兵を活用しようと試みた事も大きいですね。なにせ最低でも2頭の馬に馬車を引かせて戦う戦車と、1頭の馬に乗る騎兵では機動力も維持費も段違いですから。
こうして多機能武器として戟が生まれました。戟はその多機能性から多くの発展を遂げ、細かく見れば膨大な種類がありますが、大雑把に分ければ2種類です」
博士が戟の説明を板書する。実物の様でいながら余計な部分は省いた図に、簡潔で見やすい説明書き、学者だけあってこういう物を描く事には慣れているのだろう。案外名教師かもしれないと思う。性格さえよければと言う但し書きが付くが。
「え~、凄く大雑把に分けると戟は短戟と長戟に分類されます。その名の通り柄が長いものと短いものですね。
本来、長柄の武器なので長戟の方が主流です。基本的な使い方としてはこの様に両手で構えるか、もしくは片手持ちをして左手に盾を持ちます。
もっとも、多機能故に扱いが難しく、徴兵された農民兵では戦う前に戟をぶつけて折ってしまった、なんて記録もあります。
一方、短戟は長柄の利点を捨てて多機能性を重視したもので、短い分小回りが利きます。それゆえに武術の一流派として短戟術なども生まれました。まあ、今は廃れちゃってますけどね。
文献によると、短戟2本をそれぞれ両手に持つ短戟二刀流も存在し、それなりに広まっていた様です。後はだいたい長戟と同じですね。
また短戟のさらに発展形として、投擲武器として使う小型の戟も開発されました。手戟と呼ばれますが、短戟全体も手戟と呼ぶ事があるので注意が必要です。短戟の亜種ですから、明確な区分がなされていないんですね。
さて、長く戦場の主兵装の地位を占めてきた戟ですが、やがてその地位を去る事になります。その理由が解る人は居ますか?」
少しざわつく。が、今度は答える者は居ない。
「はい時間切れで~す。答えは『鎧の重装化に対応できなくなったから』です。
西方ではそれまでの鎖帷子に替わって、一枚の金属板からなるプレートアーマーが誕生しました。
それが技術の進歩により何千何万という兵士の大部分に装備させられる様になると、従来の戟では鎧を貫通できなくなったんですね。こうして戟は主兵装の座を去りました。
もっとも、脇役の第一位くらいの座は今も保っていますから、完全に廃れた訳でもありません。また後でやりますが、後世に与えた影響も大きいんですね。
さて、戟に代わって現れたのが槍です。これはプレートアーマーに対抗するため、先端を円錐形にして貫通力に特化した物です。
ただし貫通力に特化した点は同じでも、先端部の形状はかつての矛と同じく剣を据え付けた物も多く、形状だけで区別するのは難しいですね。ぶっちゃけ技術の進歩で強化された矛が復活したとも言えます。
長柄の武器で見ると戟から槍が転換点ですが、プレートアーマーの登場とそれに対する対抗策の開発を以て第二世代と言う方が適切です。ですから他にも武器もこの頃から様変わりしました。
まずメイスやハンマーと言った鈍器の登場ですね。これらの鈍器は鋼鉄の鎧に身を固めた騎士の、中身に直接ダメージを与える手段として有効です。さらに鎧の重装化で兵の動きも鈍くなりましたから、大きくて重い鈍器による攻撃も当てやすくなりました。
また剣も同じ様に切れ味を重視した物から、半鈍器とでも言うべき長大な物が使われる様になりました。
ただ良く誤解されますが、別に切れ味鋭い剣が絶滅した訳じゃないですよ。戦場でも全員が重装備な訳じゃありませんし、暗殺や、普段身を守るために持つ剣は、使い勝手の良い細身の良く切れる剣が相変わらず使われていますから。
あと特徴的な武器は斧ですね。大型の斧は武器として有効な上、農家ならば一家に一本はあり、素人でも比較的使いやすいので、戦のたびに近隣住民を招集して兵力化するときの武装として重宝されます」
ホフマイスター博士の授業は理解できた、しかしジャンは違和感を感じていた。博士の話は身近にある軍の様子とだいぶ違うのだ。
具体的には……そう、これは帝国の西方の話ばかりだ。だからちょっとためらったが、意を決して質問をぶつけてみた。
「博士、博士の話は西方の事ばかりじゃないですか? もっとこの辺……東方ではどういう武器が使われていたんですか」
そうしたら博士は、体の向きを変えずに首だけ反らしてこちらを見てきた。
「あ~君ですか、良いところに目をつけますね~。君の言う通りこれまでの話は現在の帝国中央から西方にかけての話です。
帝国成立以前、東方は別の国家と文化の世界でしたから、状況がまたちょっと違うんですよねえ~」
そう言うと博士は歯を見せて思いっきり笑みを浮かべ、ヘラヘラしながら説明を始めた。
「東方も戟の時代まではほぼ同じ歴史なので省略します、ただ東方では西方よりも長く戟が使われていました。と言うのも鎧が違うからなんですね~。
東方ではかなり早い時期から鎖帷子に替わって、小さな金属板を紐で綴り合せた鎧が使われていたんですね。現在ではラメラーアーマーと呼ばれるもので、防御力も動きやすさも鎖帷子とプレートアーマーの中間的な存在です。
東方は古くから騎兵の伝統が長く、それに合わせて歩兵も軽装で機動力重視が主流でした。ですから防御力重視、機動力は妥協したプレートアーマーは馴染まなかったんですね。
と言っても、西方での変化と全く無関係だった訳では無く、槍も導入されましたし、重装鎧の対抗策も独自に発展しました。ただ進化の方向性においてやはり東西の違いがあります。
西方では重装鎧の対抗策として重武装が発展しましたが、東方では鎧を無力化できる格闘術が開発されました。鎧の上から中の人間にダメージを与える打撃術や、相手を組み伏せて拘束し、鎧の隙間から剣を刺す格闘術です。
前者は伝聞によると、達人は鎧の上から心臓を止められるとか」
鎧の上から打撃をして心停止とはそれは人間業なのか。紅夜叉ならばできるかもしれないと思った。
「東西の違いは槍の進化にも現れています。西方でも東方でも戟の影響を受けて槍の多機能化が進みました。
西方では槍に斧を組み合わせたハルバードが開発されました。これは槍衾で騎兵の突撃を止め、接近戦になれば槍でも斧でも重装鎧に対抗できるという、まさに重装兵時代の戦争に対応した武器と言えます。
一方、東方では未だにラメラーアーマーが多用されている事から、西方よりもより直接的に戟の影響を受け、方天戟が生まれました。
これは槍の左右に月牙と呼ばれる三日月形の刃を取り付けたもので、かつての戟同様に斬る・薙ぐ・刈る・引っ掛ける等の自在な運用が可能なものです。
この槍の発展形が現在の主兵装ですが、新たな武器は以前から開発されており、今後実戦の中でそれらの実用性は確かめられていく事でしょう。
特に注目されているのが火薬兵器で――」
そこまで来たところで乾いた金属音が聞こえた、時間を知らせる半鐘の音だ。
「今日はここまでですか。じゃあ、次があるかは解りませんが、皆さん次の授業までに復習しておくんですよ~」
◇
「あー、やっと午後になった! ようやく体が動かせるぜ」
「陶明、その発言はいかにもバカっぽいぞ」
「いいじゃねぇか、座学は頭が痛くなってかなわねぇもの。体動かしてる方が良い」
「だから、それがバカっぽい……いや、いい。言っても無駄そうだ」
「今日の実技は弓術だったな」
「お前はそこそこ飛ばせるから良いよな。俺はまだヘロヘロ矢だ」
「なーに簡単だからすぐできるようになるって。こう、ガーっと引いて、ウーっと狙って、バーっとやるだけだから」
「解るか!」
「貴様ら! そこで無駄口叩いてないで早く防具を着けんか!」
「す、すいません!」
急いで防具を着る。弓術の師範である一文字三六はすっかり白髪の爺さんだが、若い頃は安東家最高の弓の名手として有名だったという。そして今では訓練部隊の鬼教官だ。
これ以上機嫌を損ねない様に大急ぎで身支度を整えて整列する。何人かが防具のつけ方が悪いと指導されて大慌てで直し、ようやく全員が揃う。
「よーし、弓矢の選び方は全員解っておるな? では各自鍛錬に入れ!」
一斉に四種類ある弓の中から自分にあったものを選んで取り出す。
弓は全長が221㎝の並寸、227㎝の二寸伸び、233㎝の四寸伸び、212㎝の三寸詰めから選ぶ。
それぞれ矢の長さが85㎝、90㎝、95㎝、80㎝に対応していて、体の中心から指先までの長さプラス指二・三本分とほぼ同じ長さの矢を使う。これは弓を引いたとき、右手から左手までの距離とほぼ等しい。そう座学で学んだ。
それに基づくとジャンの使う弓は並寸でいいはずだ。これまでの鍛錬では全員、弓矢は最初に選んでもらっていたから、自分で選ぶのは今回が初めてだ。間違ったら大目玉をくらうだろう。
弓矢を手に取り空いている的の前に立つ。初心者用だから距離はそうない、15m程だ。一つ一つの動作をよく確認しながら弓を引く。そして放つ。
まるで届いていない、以前の鍛錬の時とまるで変わらぬヘロヘロ矢だ。
「狙いをつけるときに長く息を止めるな! 長く息を止めると手ぶれが大きくなる。一度息を整えて、改めて狙いを付け直せ!」
「はいっ!」
少し離れた場所で陶明が指導を受けている。こちらに来たときは何を言われるかと緊張したが、少しの間見ていただけで何も言わずに行ってしまった。指導以前の問題と言う事かもしれない。
「おう、皆励んでいるようだな」
不意に高星が現れた。思わず手を止めてそちらを見たが、教官にギロリと睨まれて慌てて鍛錬を続ける。
「これは若。一体何の御用事で?」
「なに、用事と言う程のものでもない。新兵達の具合を見るついでに声を掛けてやろうと思ってな。
それにしても一文字の爺さんも私の事を若と呼ぶか。提督と言い、爺さんと言い、うちの年寄りは皆私の事を未だに若扱いだな」
「それだけ期待しているのですよ。若い当主が、何代にも渡って受け継がれてきた我らの悲願を、成し遂げてくれるのではないかと、期待しておるのです」
「それは良いが、あまり私の事を軽んずる様な空気ができるのは困るぞ」
「心しておりますとも」
その後もなにやかにやと二人で話しているのを背中越しに聞いていたが、内容まではよく聞き取れなかった。
しばらく後ろの事は意識せずに、的に集中した。相変わらず碌に届かないまま十本程の矢を射ったとき、集合を掛けられた。
弓矢を置いて集合すると、高星が矢を射つので見学する様にとの事だった。
「やれやれ、そんなに期待されても困るのだがな。四寸伸びを寄越してくれ」
高星は背が高い、180㎝はある。だから弓矢も大きな物が合うのだろう。しかし四寸伸びは矢の長さが95㎝、1mに近い程もある。もはや矢と言うよりも、ちょっとした槍に思える大きさだ。
その弓矢を持って高星は弓道場の一番奥に立った。的までの距離が一番遠い所で、120mもあり、もはや的が豆粒に見える。
高星が弓を引く、満月のように引き絞られた弦が音を立てている。一拍、静止した後に矢を放った。空気を裂く音が聞こえ、矢を放ってから二拍程して的に当たった音がした。
見学していた新兵達が一斉に湧いた、だが高星は不満そうだった。
「やはりこの距離となると、中心を外れるな。爺さん、お手本をお願いしたい」
「では年寄りの冷や水ながら」
高星に替わって教官が弓を構える。教官の手本は何度か見たことがあるが、この距離では初めて見る。年寄りと言いながら弓を引く教官の気迫とも言うべき何かは、高星のそれを上回っている。
放った。高星の時と同じく、二拍程後に乾いた音がする。的に当たったのは間違いないが、的の何処に当たったかは目を凝らさないと解らない。だが高星と教官には見えている様だった。
「ど真ん中。流石、全く老いを感じさせない腕前ですな。この腕前ならば現役でもいけるでしょうに」
「いやいや、弓矢はまだ誰にも負ける気はありませんが、流石に体力は衰えてますからな。戦場を駆けるのにはついていけません。年寄りはここでこうして若造共をを鍛えている方が良い」
「まあ、こちらとしても一人の名人よりも、十人の熟練者の方がありがたいのは確かです」
「そうでしょうとも。という訳で貴様ら! 一日も早く棟梁のお役にたてるように、容赦なく鍛えてやるから根性を見せるのだぞ!」
内心辟易とした。一日も早く高星の役に立ちたいのは確かだが、鍛錬はもう少し手加減して欲しいと思ったが、口に出せる訳も無かった。
◇
日が暮れる。
綺麗な夕焼けだ。こんなに綺麗な夕焼けを見るのはいつ以来だろうと思って、ひょっとしたら初めてかもしれないと気づいた。
ここに流れ着く前は、夕焼けなんか気にする事も無い日々を生きてきた。ここ10節は長い長い北国の冬で、今の時間帯はもう真っ暗になっていた。
気付かないうちに日が長くなり、春が訪れた。もっとも、まだ日陰には雪が残り冷ややかな空気を放っている。名前も知らない春の花もまだ見当たらない。北国の春は、やはり遅い。
さんざん弓矢の練習をした甲斐が少しはあって、今日は的の置かれている距離まで飛ばす事が出来た。もっとも、まだ文字通りの的外れだが。
そんな考えているのか、ぼうっとしているのか判然としないまま、練兵所の通りを歩いていると、木製の棒を打ち合う様な乾いた音が途切れ途切れに聞こえてきた。
まだ誰かが鍛錬に励んでいるのか、精が出る事だなと思いながら、何となく足が音のする方に向かった。
角を曲がって学舎の裏を覗くと、鍛錬をしていたのはイスカだった。身長よりも長い棒を持って、吊り下げられた三本の棒切れを打っている。
棒を打つたびに左右の髪が揺れ、大粒の汗の雫が飛ぶ。顔も上気して夕焼けよりも赤く、大分寒さが緩んだのに吐く息が白い。
「イスカだったのか、ずいぶん頑張るな」
「あ、君か。こんな所で何を?」
「新兵の鍛錬が終わった帰り。お前こそいつから続けてるんだよ?」
「お昼を食べてから、ずっと。途中までは棒槍術指南の先生に相手をしてもらって、遅くなってきたから一人で」
「どれだけやってんだよ!? 体壊すぞ」
「……体を壊すだけやっても、まだ足りない」
「紅夜叉か、お前も大分頑固だよな。俺なんかは最初っから追いつこうとも思わないよ」
「追いつかない方が良いのかもしれない。でも……それでも、追いついて、追い越さないと、あいつには何も届かない。そう思うと、居ても立ってもいられないんだ」
「まあ、解らなくはないかな。俺なんかはカスみたいなものだから、逆立ちしたって勝てない棟梁の言葉を、結局は聞き入れる結果になったけど。もし俺よりも無力な奴に、お前は間違ってるって言われても、聞かなかったと思うし」
「そう、あいつは本気で命のやり取りをしたら、きっと誰も敵わない。だから、誰の言葉も聞かない……」
「棟梁の言葉は聞いたぞ?」
「そうだった。でも私には同じ事はできない。だから、一度あいつに勝って、それで言ってやらないといけない」
そこまで言って、不意にイスカの表情が曇った。
「どうした?」
「なんて言えばいいんだろう? 言いたい事はあるのに、どういう言葉にすればいいのか解らない。駄目だな、私は。まだ何もできていない。未熟すぎる」
何もできないという思いを抱えているのは、自分だけではないのかと思う。だが思いだけではどうにもならない、圧倒的に力が足りない。その力を手に入れる事自体、はるかに遠い。
高星や紅夜叉ならきっと、こんな悩みは無いのだろうが、イスカにして未熟なら、自分など本当にカスではないかと自己嫌悪する。
「せっかくだから、見学してもいいか?」
思考が悪い方向へ向かいかけていたので、頭を振って話題を変える。ウジウジ悩んでいる所を高星に見られたら、そんな暇が有ったら鍛錬でもしろと言われて、蹴っ飛ばされるかもしれない。
「見学か、なんだか気恥ずかしいな。君は槍術はもう学んだのか?」
「いや、てんで。まず剣術が出来ないから、槍は座学でしか知らない」
「なら、一つずつ説明しながら見せよう。偉そうな事を言って、私もちゃんとした槍術を学び始めたのは紅夜叉に勝てなかったからで、それ以前は勘だけで戦っていたからまだ説明できるかは解らないが」
「気遣いだけで十分、頼むよ」
「そうか、では――」
イスカが槍に見立てた棒を長く持つ。
「長柄の武器である槍は、何と言っても長く持つのが一番強い。遠距離から一方的に攻撃できるだけでなく、振り回して勢いをつける事で威力が格段に上がる。手足を一撃で切り落とす事もあるらしい」
槍が振るわれるときに鳴り響く、風を切る音がその威力を窺わせる。剣とは比べ物にならない威圧感のある音だ。
「でも接近戦に弱いという弱点がもろに出るし、実際よりも重く感じて疲れやすい。だから私の様に個人で槍を使うときは、こんな風に柄の中程を持つ」
イスカは槍を持ちかえると、先程と比べるとはるかに軽快に、かつ自在に槍を振り回す。
「これなら小回りも利くし、石突きのある槍ならばそっちも積極的に使いやすい。長く持ったり短く持ったりに切り替えるのも容易だし、どんな状況にも対応しやすい。
ただ複雑な動きは慣れてないと難しいし、どうとでも動ける分、とっさの判断に迷う事がある。実力が一番はっきりと出るとされているんだ」
「つまり紅夜叉と決着をつけるには、一番実力の差が出る戦い方で勝たなくちゃいけない。小細工はできないと言う事か」
「そういう事になる。槍は間合いを取って戦うものだが、懐に入られた時の対処法もちゃんとある」
イスカがまた槍を持ちかえる。前よりも後ろの方に長く伸びた持ち方で、本物だったら穂先の近くを握る格好だ。
「こうして槍を短く持つ方法がある。こうすると槍と言うよりナイフに近くなるけど、後ろに長い柄が出ているからあまり自由は利かない。あくまで応急の戦い方だ。
もしくはこの持ち方だと正面の相手からは柄の長さが解りにくくなるから、槍の長さを見せずに奇襲をかける方法もある」
「どちらにしても正当な戦い方じゃないってことか」
「そうだな。接近戦対策には格闘術と組み合わせるのが良いとアドバイスを受けた事がある。でも誰にどういう格闘術を学べばいいのか……。
そうだ、接近戦ではこういう変わり種もあった」
イスカが短く持っていた槍をひっくり返す。
「……ただ長く持っただけに見えるが?」
「これだとただの棒だから解りにくいか、穂先を後ろにして持つんだ。こうすると前に棍棒、後ろにナイフという形になる。ただ、相手に柄を掴まれる恐れがあるから、これも不意打ち専用だな。
やっぱり中距離での立ち回りと槍捌きを極めなきゃ。下手な小細工は却って駄目だろうな」
「イスカは具体的な目標があるんだな。俺は何か、漠然としすぎていて、今やっている事で本当にいいのかも自信が無いや」
「私だって、昔は何のために生きているのか解らなかった。考える事すらなく、ただ生きる事だけが目的だったよ」
「自分が何のために生きているのか、棟梁が教えてくれた?」
「いや、姉様と友達が教えてくれた。ただ生きるんじゃない、楽しくて幸せに生きる事を。だから棟梁様に会えた。そう思ってる」
「楽しくて幸せに生きる……」
「そうだ、そのためなら私は、どんな辛い道でも進める。でもとりあえず今は……帰って銀華さんの御飯を食べよう」
気が付けば辺りはもう、薄暗くなっていた。腹も減って切なく感じる。確かに、今一番の幸せは銀華のご飯を食べる事だろう。
「そうだな、俺も腹が減った。でもお前は先に風呂に入った方が良いと思うぞ」
からかう様に笑いながら言ってやった。ちょっと怒るかもしれないと思ったが、気にする様子は無かった。
むしろ満面の笑みで笑いかえすイスカの顔が、とてもかわいいと思えた。




