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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
北の流刑地
2/366

1

少年、北辺に流れ着き

群星、高き星の下に集う

乱世の号砲、天地を揺るがし

雪降る夜に、凶刃煌めく

 暗闇の中で自分が大きく揺さぶられている事だけが感じられた。

 何も見えず、何も解らず、ただ翻弄されるばかり。初めのうちはもがいていた様な気もするが、今はただ身を任せる以外にどうしようとも思わなかった。

 目が覚めても夢の中とあまり変わりはしなかった、光の無い船室の中に鮨詰めにされたまま揺れに翻弄される。

 船がミシミシと鳴り、低くうなる強風と、打ち付ける雨音がかすかに聞こえる。起きていたところでどうしようも無いのだ、そう思いまた目を閉じた。

 しばらくするとまた同じ夢の中へと落ちて行った。


     ◇


 頭の右側を思いっきり殴りつけられて叩き起こされた。いや、殴られたのではなく壁に叩きつけられた様だ。

 周囲を見渡すと、皆怪訝けげんな顔をしている。

 座礁か? そういえば頭上の、おそらく甲板からなにやら怒鳴り声や叫び声が響いている。

 いや、それだけではない。金属同士がぶつかり合う音がする、足音がどんどん騒がしくなる、重い物が落ちる音が響いてくる、しまいには海に何かが落ちた音がする。

 戦いが起こっている。

 誰もが期待と不安の入り混じった顔で互いに見合っていた、しかし閉じ込められている身ではどうしようも無い。

 いっそ扉を破ろうか? いや、迂闊うかつな事をしたら却って危険かもしれない、そんな会話がいつまでも交わされる。

 そのうち騒ぎはすぐ近くまで近づいてきた、もうはっきりと剣戟の音が聞こえる。ついに一人が声を上げた。


「助けてくれ! 開けてくれ!」


 叫びながら壁を力一杯叩く、その一人に続いて次々を声が上がる。ほんの僅かの間だったはずだが、長い間があった様に感じられた。


「誰か居るのか!?」


 歓声が上がった。皆、暗闇の中で光を見つけた様な顔をしている。


「助けてくれ! 開けてくれ!」

「待ってろ、今開ける」


 その言葉をどれだけ願っただろう。尤も、一人の少年を除いては、だが。

 だがとにかくこの暗い船室の、唯一の扉が開けられた。まぶしい、だがすぐに目が慣れる。

 扉の外には胸当てや小手といった軽装鎧を着けた兵士達の姿があった。


「捕虜か?」


 隊長らしい兵士が尋ねる。


「はい、海賊どもに積み荷を奪われ捕えられました。幸い、まだ誰も殺されてはいません」

「そうか。船内はまだ戦闘が続いている、しばらくここで待っていろ。

 おい! お前達は彼らを守れ! 私は提督と若に報告に行って来る」


 そう言ってその隊長は提督とやらに報告に行った。

 残った護衛の兵士達はもう大丈夫だ、安心しろと言葉をかけ、さっきまで捕虜だった船乗り達は涙を流して喜んでいた。

 それからいくらもしないうちに海賊船は完全制圧され、捕虜達は部屋の外に出ることができた。


     ◇


 空はどこまでも青く、時々千切れ雲が浮かんでいるだけだった。見た訳では無いが少し前までの嵐が嘘のような秋晴れだった。風はまだ強く、少し寒い。

 海賊達は捕えられ、海賊船は曳航えいこうされている。

 少年は海賊を捕えた軍の軍船に移った。だが特に感慨も無く船縁に肘をついて水平線の向こうを見ていたら、隣に若い男が同じように肘をついた。

 そこらの兵士とは明らかに違う、良い生地を使った軍装を着た、やや色白のすらりとした長身の男だ。多分身長は180㎝はあるだろう、歳は二十と少しという所だ。


「運が良かったな」


 不意にそんな事を言われ、反射的に聞き返した。


「何が」

「嵐にあったことだよ」


 何の事だか見当もつかなかった。嵐にあって良かったとはどういう事だ。男はこちらが理解できない事は想定済みとでも言った風に、間を置かずに言葉を続けた。


「船は嵐に遭うと沖に出る。下手に陸に近づくと浅瀬に乗り上げたり岸壁に叩きつけられたりするからな。

 しかし海賊船に長時間沖に出られるだけの水や食料は積んでいない。奴らは足の速さを第一にして余計な物は持たないからな。

 結果、嵐のせいで意図せず長時間沖に出ていたから水も残っていない。早く上陸したくて安易に陸に近づいてきた。おかげでうちの哨戒網に引っかかって御用という訳さ」

「ふーん」

「なんだ、張り合いが無いな。まあいい、雑談はこのくらいにして本題にしようか」


 次に聞かれる事は予想がついた。いや、最初から予想はしていた。


「お前、密航者だそうだな?」


 予想通りの問いに無言で返す。


「妙だとは思っていた、船乗りに交じって十代の少年が居るのだからな。で、確かめてみたら案の定だ」

「……それで?」

「とりあえずいくつか質問には答えてもらう。密航するくらいだから、どうせ陸に上がってもその先の当ては無いのだろう?

 立場として放置するという訳にもいかんからな、しばらくは面倒を見てやる。まず名前と歳は?」

「……名前は、ジャン、と呼ばれていた。歳は十六」

「ジャンか、西方風の名だな、姓は?」

「無い」

「無い?」

「……番号みたいなものだ、だから名前しかない」

「フン……お前、人を殺したことがあるだろう?」

「っ!」

「それも不本意に殺してしまった。違うか?」

「……いや、違わない。だが、なんでそんな事が解る?」

「なに、同じ様な目つきをした奴を知っているからな。日陰者とは思っていたが、一体どこに居たのだ?」

「……クィンバン」

「西方マフィアの最大手、か」

「俺の親は俺の事を……多分、世間一般で言う虐待、していた。

 6歳の時、知らない男から、助けてやると言われて、その男の言う通りにそれが何か知らずに毒を盛った。

 次の朝、冷たくなった二人を前にして言われたよ、これはお前がやったんだ、お前が殺したんだ、って」

「その手の奴らがよく使う手だな。

 誘拐や人身売買でまだ分別の不十分な子供を調達し、殺人等をさせることでもう真っ当な生き方は出来ないと強く刻み込み、組織の忠実な犬にし、用済みとなれば使い捨てる。

 よく逃げる気になったな? 他に行き場がないと最後まですがって死んでいく者が多いと聞くが」

「俺の主人……俺に毒を渡したその男が組織内の対立で殺されたんだ。そうなれば部下は全員始末されるのは知っていたからな。さすがに黙って殺されたくは無い」

「なるほどな。なに、心配しなくても使い捨ての駒を執拗しつように追ったりはしないだろう。

 それにしても……不幸な生い立ちをずいぶんペラペラとしゃべるな? 不幸自慢か? 同情してほしいか?」


 不幸自慢、そう言われて強い反発心を覚える。ジャンは、自分の過去は不幸なんてものではない、明確に違う、あれは不幸などではなく、必然だと思っていた。


「親を殺したと解ったとき」

「ん?」

「俺は……悲しくなんかなかったよ。望んでいた訳じゃない、でもいつかああなる様な気がしていたのだろう。あの家で生活を続けていたら、ああなるのは必然だったんだよ。

 解りきった事だ、だから不運とか、不幸とか、そういうのじゃない。全部同じだ、組織に拾われたのも、最初から真っ当な生き方なんて出来る訳が無かったからだ。どのみち同じ事になっていたさ。

 そしていつか用済みになれば、日陰で野垂れ死ぬのは当然だ。海賊に捕まった時も、案外早かったなくらいのもんだったよ。

 結局、もう少し先延ばしになったみたいだけど」

「つまりお前は過去にこんな事があった、だからこういう結末になった。

 その結末が原因になってまたこういう結末になった、ずっとその繰り返しでここまで来た。全て運命で決められた通りに、と言いたい訳だ」

「まあ、そうなるかな。この船と同じさ、風の吹く方にしか進みようがない。それが必然だろ?」

「気に入らんな」

「気に入らなくったってしょうが無い、きっとこの世の全てはどこかにある運命で決められてるのさ。

 自分で何かを選んだ気になっても、それも始めから決まっているし、何も選ばなくても決められた通りに進んでいくんだ」

「否定は出来ないな。だが絶対に認められん」

「好きにすればいいだろ」

「……お前、この船がどこに向かってるか解るか?」

「まだ昼前だよな? なら右手側に太陽が見えるから北に向かってるはずだ」

「そう、この船は北に向かっている。だがこの時期に南風は吹かない。この海では今の時期は主に北西の風が吹く、今もな」

「つまり……向かい風に向かって船を走らせている?」

「そうだ、見てみろ」


 男が振り向いた方を見る、頭上で三角形の帆が風を一杯に孕んでいた。


「三角帆を使うと向かい風に対して斜めに進む事ができる。この船は軍船だからかいもついている。

 風がどう吹こうがごうが、思いのままに進むことができる。お前も同じだ、選んだからここに居る。何も選ばないという選択も選択肢のうちだ」


 納得はできなかった、日の当たるところを歩いてきた人間の楽観主義だと思った。ただ、初めて見る人間だとは思った。


「何を世迷言を、って顔してるな。まあいいさ、お前の問題に口を挟んだところで何か出来る訳じゃない」


 それだけ言うと、その男は背を向けて歩き出した。そこではたと気づいて声を上げた。


「待てよ、まだ名前も聞いてない。あんたは誰だ?」

「ん……そうか、名乗ってなかったか。子爵・安東高星(あんどうたかあき)、いや、共通語風に言えばタカアキ・アンドウか」

「貴族だったのか」

「まあ、一応な」


 世間知らずの貴族のボンボンならさっきの甘い考えも頷ける。


「お前、私のことを世間知らずな貴族のボンボンだと軽蔑したろう?」

「……あんた読心術でも使えるのか」

「お前の様な奴が貴族に対して抱く思いなんて大体予想がつく。ま、人の心を読めない事もないがな」


 まさか、と思ったが。あながち嘘でもない様な気がした。そう思わせる様な得体の知れなさが、この男にはある。


「世間知らずと言うなら、お前の方こそ世間知らずだろう」

「そんな事は無い、俺だって色々知っている。あんたみたいな貴族様の知らない様な事を、色々と」

「それでものを知ったつもりか、お前が知っているのはいわゆる裏社会の事だろう?」

「そうだが、それがなんだ」

「裏はしょせん裏でしかない、表に現れる主流にはなりえない。裏は表に付随するものだ、表の事を知らずに裏だけ知っているのは基本が出来ていない、つまり何も知らないってことだ」


 不幸自慢呼ばわりに続いて今度は何も知らないときた、この男はどれだけ人を不愉快にさせるのだろう、これ以上この男と口を利きたくはない。それに……。


「もうあんたと話す事は無い」


 この男と話していたら、何もかも見透かされそうな気がする。実際はそんな事はありえないだろうが、それでも見透かされている様な嫌な気がする。


「いや、じきにお前の方から話しかけてくる。予言しよう」


 この男、今度は未来を予言するとでも言うのか。


「まあ、船旅はまだ長い。せいぜいよろしくやろう」


 何も答えずに足早にその場を離れた、狭い船内ではすぐにまた顔を合わせる事になるだろうが、そうなっても絶対に口を利くものか。そうジャンは心に誓った。


「ふん、『下郎とは偽る者』。自分の嘘に自覚を持てるといいのだがな」


 足早に去るジャンの背中を見つめながら、高星はそう独り言ちた。


     ◇


 ジャンとって船に乗って海を行くのは初めての経験だった、だからこんなにも退屈な思いをする事になるとは夢にも思わなかった。


「いやいや、三日も持ったら大したもんさ、私の時は二日目で音を上げた」


 結局ジャンはこの男、安東子爵の予言したとおり自分から話しかける羽目になった。初めのうちは意地を張って他の船員や兵士達に話しかけていたが、どうにもぎこちなくて会話にならなかった。

 そしてとうとう三日目にして降参した。なんだかんだ言ってこの船の中では、ジャンに次いで二番目に若いらしいこの子爵が一番話しやすかった。


「苦虫を噛み潰した様な顔をして、もっと淡々とした奴かと思っていたぞ」

「そりゃ、どうも」


 実際口の中が苦いような気がしてたまらない。この言葉、ただの比喩でもなかったのかと思う。


「無理もありませんな、船乗りでも四六時中仕事がある訳ではありませんから」


 二人の会話に混ざってきたのは、ベテランの船乗りのイメージをそのまま形にしたような男だった。

 四角い顔と体つきがよく日に焼け、真っ白な髪とひげは短く切りそろえられている。たしか提督と呼ばれていた男だ。

 子爵と並ぶと身長は同じくらいだが、いや、身長が同じくらいだからこそ対比で二人の違いが際立つ。この提督の方が子爵の二倍の横幅がある様な気がした。


「船の上じゃ体もあまり動かせないしな。

 船乗りはまだいいが、純粋な戦闘員として乗ってる奴等は本当に何もする事が無くて愚痴ぐちばかりこぼしてるぞ」

「まあ、いつもの事ですから」

「そうだな。だから」


 子爵がジャンの方を向く。


「普段、一緒にいる仲間以外の奴がいるのは実にいい暇つぶしになる。さて、何の話が聞きたい?」

「別に、俺は話す事なんてないし、適当に二人で話しているのを聞かせてもらえれば」

「そういうのが一番困るのだがな、もう我々の間では大抵の事は話しつくしたし」


 そう言いながらも子爵は顎に手を当てて思案顔をしている。しばしの間の後、提督の方を見やって口を開いた。


「そういえば……最近海賊が増えていないか?」

「確かに、ここ数年になってとみに増えていますな。まあ、我らの航路で好き勝手はさせませぬが」


 多分、ジャンが海賊に捕まっていた事から出てきた疑問なのだろう。少し興味を持ったので傍観者ではなく、会話に参加してみる事にした。


「そうなのか?」

「うむ、長年海に出ているが、所謂いわゆる世間一般でイメージされる様な海賊は、昔はほとんど見なかった。海上でも秩序と安全が守られていましたからな。

 昔の海賊は敵対勢力の正規軍が、ゲリラ戦としての海賊行為を行うのが主流でした。もう四十年近く昔の事になります」


 そういいながらも提督の顔には笑みが浮かんでいた、若い頃の数々の華々しい戦いを思い出しているのだろう。


「じゃあどうして最近は本当に、山賊や盗賊と同じような海賊が増えているんだ?」

「現象としては最近の事だが、原因は最近の事でもないだろう」


 子爵が仮説と質問を半々に混ぜたとでもいう様に、少しだけ語尾を上げて言う。提督の顔から笑みが消え、硬い表情になる。


「中央政府の統治能力の低下が、ついに目に見える形で現れる様になってきた。という事でしょうな。十年前の不安が、今となって現実のものとなってきた様です」

「十年前、か。私は十三だったな、ようやく世間の事がなんとなく解ってきた頃だ。

 霊帝が崩御して世の中が騒然としていた事は覚えている」

「あの年以来、政府の力が急速に失われているのは、都の貴族達と商売をしていれば嫌でも感じずにはおられません」

「提督、政府が瓦解しつつある事など、都まで行かなくてもとっくに解りきったことではないか。

 ユウキ合戦の影響はすでに帝国の東半分に及んでいる。それを見ればもう政府など有って無いものだというのは明らかではないか。耄碌(もうろく)したか?」


 子爵がからかうように笑いかける、しかしジャンはそれどころではなかった。


「待ってくれ、話についていけない。もう少し説明してくれないか?」

「ん……そうか、十六ではここ十年の情勢を前提にした話は無理だったか。

 そうだな、十年前が大変な年だった事くらいは知っているな?」

「先代皇帝が死んで、大地震と反乱がほぼ同時に起きた大変な年だったという事は知っている」

「うむ、蒼州(そうしゅう)……蒼天(そうてん)属州最大の勢力を持つユウキ公爵が首謀者だった事から、今ではユウキ合戦と呼ばれる反乱だが、乱自体は1年で鎮圧された、主に昌国君(しょうこくくん)の力でな」

「昌国君?」

「我が領地も属する変州(へんしゅう)の伯爵だ。霊帝の信頼厚く‘国を昌(盛ん)にする者’という意味で昌国君の称号を賜った人物さ。

 とにかく戦に強い上に、部下の信頼も厚い名将だった人物だ。亡くなられてもう2年になるか?」

「そうですな、ちょうどおととしの今頃亡くなられました。ご子息は当時十六でしたはずなので今でも十八歳ですな。若より五つも若い」

「その若さを舐めて中央の連中は……おっといかん、話が脱線したな。どこまで話したっけ?」

「ユウキ合戦が昌国君の力で一年で鎮圧されたところまで」

「そうそう、それでだ。乱自体は鎮圧したが戦後処理がまずかった。

 ユウキ合戦は蒼州全土まで拡大した戦乱だ、そこに秩序を取り戻すには属州全土に軍を駐留させて監視を強化しつつ、反乱の原因を根本的に解決する必要がある。

 だが、当時の政府はそれをしなかった」

「それともできなかった?」

「どうだろうな、少なくとも当時はまだ今ほど政府も弱体化してなかったのではないかと思うが。

 もし‘やらない’のではなく‘できない’のだったら、その時からすでに政府の中身は朽ち果てていたことになるだろう」

「そこまで解る人物はもう私と同年代かそれ以上ですから、あまり残ってはいないでしょう。その件に関しては今となっては知り様が無いですな」

「そうだな。ま、とにかく当時の政府は戦後処理を誤った。一つの属州に軍を駐留させて常時監視するなんて一伯爵の手に負えるものじゃない。

 結果、ユウキ合戦は終わっても、蒼州は終わりの見えない戦乱の渦に巻き込まれることになった。

 あそこではどこよりも先駆けて、乱世が始まっている」


 乱世、それは異様な響きだった。昔の武将たちが華々しく乱世を駆ける物語は知っていても、自分の生きる時代、生きる国にすでに乱世が来ている。想像もしていなかった事実を突き付けられた。

 だが、子爵はそんなことはとっくに承知だという風に話を続ける。


「すでに(おびただ)しい数の難民が帝国東方を彷徨さまよう事態になりつつある。ぎん紅夜叉べにやしゃみさおもその口だしな」

「……知り合いか?」

「まあ、家来の様な仲間の様な奴らだ、陸に着いたら会う事になるだろう」

「そうか。それで、今の政府はそんなに酷いのか?」

「親殺しをさせる犯罪組織を取り締まれない程度にはな」


 そう言われてもどう答えていいか解らずに黙り込んだ、途端に子爵がばつの悪そうな顔をする。


「すまん……失言だった」

「いや、いいんだ。別に気にしているわけじゃない。むしろ気にした事が無くて困ったんだ」

「あー、それでだな」


 子爵が後頭部を掻きながら、様子を(うかが)うように話を続ける。


「とにかく、今の政府は脆弱そのものなんだ。最大の原因はやっぱり皇帝と外戚のアウストロ一門だろう」

「皇帝の噂なら知ってる、馬鹿殿だとか暗君だとかいう悪口を聞いたことがある。よく堂々とそんな事が言えると思ってたんだが、裏だけじゃなくて表でも言われてるのか」

「まあ、な。流石に多少言葉には遠慮があるが大体そんなもんだ」

「噂が独り歩きしていますが、陛下もお可哀想な方ですよ。

 生まれるときにへその緒が首に巻きついてしまい、生まれたときは息をしていなかったのを御典医ごてんい達がどうにか蘇生させたのですが、明らかに脳に障害が残りましてな」

「いくら世襲とはいえよく皇帝になれたな?」

「先帝陛下が愛した皇太后陛下の唯一のお子でしたから、嫡子ちゃくしで長男である事を盾にごり押しして帝位に就けたのです。

 おかげで庶子の弟君二人との確執が尾を引く事になりましたが、まさかあの様な……」

「何かあったのか?」

「皇帝の弟が二人とも、今年に入って相次いで不審死を遂げた。

 外戚のアウストロ一門の仕業だともっぱらの噂だが、証拠は無い。それに私は少し違うと思う」

「どう違うんだ?」

「アウストロ一門というより、皇后の独断じゃないかと思っている。かなり気の強い女で有名な上、子にも恵まれないまま十年が経ち、自分の立場に不安を感じての行動だろう。

 元々まともに政務を執れない皇帝を操り人形にして、堂々と好き勝手やってる事で悪名高かったからな。将来の不安は強かったに違いない。自業自得というものだが」

「それで、今は邪魔者を消したそのアウストロ一門の天下なのか?」

「そうでもない。証拠は無くてもやり方が露骨すぎて、かなり反発が強まっているらしい。

 この件に関しては戻ってから詳しい情報を集めたいところだが、おそらく……」

「おそらく?」

「……いや、なんでもない。忘れてくれ」


 そう言われて気にするなという方が無理なものだが、高星のはっきりした口調と硬い表情が、この件は絶対に話さないと語っていた。

 ついこの間まで、組織のために密偵の様な事もして、情報を聞き出したりしていたときに身に付けた感覚で分かった。まさか役に立つとは思わなかったが。

 ともかくこれで話が途切れて、その日はこれで自然解散になった。考えたい事がたくさん出来たので、丁度良かったのかもしれない。

 その夜、ジャンはいつまでも寝ずに昼間の話題を考えていた。

 乱世・無力な政府・ここ十年の事件・皇帝の周囲の争い……無関係な様な気もしたし、そうでもない様な気もした。

 提督は多分、本気でこの国と皇帝の事を心配しているのだろう、高星はどこか関係無いという風でもあり、何か他人とは違う考えがある風でもあった。

 そんな事をいつまでも考えていたらいつの間にか眠りに落ちて行った。


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