4・エイジス沖海戦Ⅱ
船の間に渡された板の上を陶明が駆ける。
そうはさせじと敵艦から、一斉に矢が放たれた。渡し板の上では横移動ができないので、矢の的になりやすい。陶明も横に避ける事は不可能だった。
跳んだ。渡し板を思い切り踏み切り、たわむ板の反動を使って、高々と跳び上がって矢をかわした。
跳びながら、背中の剣を抜く。陸の兵は剣を腰に差すが、海兵は背負う。背負うととっさに抜くことができず、狭い場所では引っ掛かって邪魔になる。だが泳ぐときに邪魔にならない。
空中で剣を抜いた陶明は、そのまま落ちる勢いに任せて剣を振り下ろし、敵兵を唐竹割にしながら甲板に着地した。
船に乗り込んだ陶明を、敵が囲む。船体のちょうど中頃に乗り込んだので、半円形に囲まれる形だ。もちろん背後は海。
剣を左手に持ち替えて、右手には短戟を構えながらざっと周囲を見回した。船の規模は『連雀』と大体同じ。人員も大差は無い様だ。
ならば戦闘員が二十人。漕ぎ手、水夫と言った準戦闘員が百人。合計百二十人といったところだろう。
周囲では乗り込もうとする味方と、それを阻止しようとする敵の戦いが起きている。しかし陶明の周りでは、まだ対峙したまま動きは無い。
包囲の輪の最前列は七人。一度に襲い掛かれるのはせいぜい三人。とりあえず後続の味方が来るまで、踏みとどまる。
敵が一斉に斬り込んできた。やはり三人同時だ。それ以上は押しかかっても、狭すぎる。
左からの攻撃を剣で受け止める。右手の戟を突きだし、正面の敵の胸を突く。そのまま右に振りぬいた。刺さった敵の体を引きずりながら、戟の枝が右の敵の首に突き刺さる。
戟を振りぬいた勢いで体を右に捻り、左の敵を受け流す。つんのめる様に前に出て、無防備に晒した敵の横腹を、剣で薙いだ。
右から二人。こちらからも距離を詰めた。剣を戟で受け止めて、弾く。もう一人は戟の柄で鳩尾を突いて、動きを止める。
その間に懐に飛び込んで、剣で相手を斬り捨てる。返す刀で二人目も斬った。
背後から二人。甲板を踏む音でそれを見ずに悟った陶明は、戟を低く振り回しながら、反時計回りに半回転した。
手応え。だが浅い。しかし十分だった。不意に脛を斬られた敵は、足をもつれさせて倒れていた。一人に剣を突き立てる。甲板まで貫通して、剣が突き立った。
「ぬおおおおおおおぉ!」
もう一人は、襟と腰を掴んで、気合と共に頭上に持ち上げた。周囲の敵がたじろぐ。
「おらぁ!」
力任せに投げ飛ばした敵の体は、船の外へと投げ出された。悲鳴と、水に落ちる音が響く。
陶明は剣を回収しながら投げ飛ばした敵を追った。投げ飛ばされた敵を避けた兵に、飛び蹴りを食わらせた。そいつも仰向けに海へ落ちた。
気合と共に敵が斬り込んでくる。が、一人だ。一対一で大抵の相手に後れを取るつもりは無い。剣を戟で受け、絡め取り、弾き飛ばして胸を突いた。
右手から一人。戟を振るって相手の腹を刺す。そのまま振りぬいて、海に叩き落とした。
初めのうちは連携して、一斉に襲ってきた敵も、崩されてバラバラに斬りかかってくる。こうなってしまえば、何人居ようと陶明の相手では無かった。
そうこうしているうちに、連雀戦闘隊がほぼ全員、敵船に乗り込む事に成功した。引き続き武器を手にした水兵達も突入の用意をしているし、他の船も接舷を始めた。
「隊長、仲間外れは良くないな。俺達にもやらせてくれないと」
「お前らが遅いのが悪い」
軽口の応酬をするくらいに余裕はある。連雀戦闘隊はこの十八歳の戦闘隊長に、畏敬の念こそはまるで無いものの、隊長としての信頼は厚かった。
戦闘隊の隊長は二十人から四十人の純戦闘員を統率する。陸で言えば小隊長並の格がある。航海士長や甲板長、漕ぎ手統括担当など、各役割の長が同格で、船長は陸軍で言う中隊長相当とされている。軍船では無い船の船長は小隊長並とされている。
船を束ねる水師が大隊長並で、水師を束ねる提督が、陸で言う高星の役割を果たしている。
「雑魚は任せた」
陶明は剣を納め、戟を咥えるとマストを登り始めた。檣楼まで登る必要もない。甲板上を一望できればよかった。
後部甲板に、声をからして叫んでいる男が居る。あれがこの船の船長だろう。もはや敗北は避けられず、逃げる事も叶わなくなった現状を、それでもどうにかしろと足掻き、喚き散らしている。
陶明は手近なロープを手繰り寄せると、マストを蹴った。頃合いを図って手を離すと、狙い通り船長のすぐそばに着地した。
二人の敵が船長を庇う様に剣を構え、進み出てくる。咥えていた戟を離し、構えた。それなりに手練れだ。しかし、敵ではない。
敵は二人掛かりで、なかなか息の合った攻撃をしてきた。それでも二分後、陶明の戟の前に打ち倒されていた。
敵の亡骸の手から剣を取る。単に背中の剣を抜くより手っ取り早いからだ。船長の腕前は、問題にならない。一刀で首を飛ばした。首の無い胴を甲板に放り投げ、首は戟に突き刺して高々と掲げる。
とうに船長が居ても何の意味もないほどに混乱し、追い詰められてはいたが、こうして船長の首が打たれ、晒されるのを見ると、敵は完全に戦意を失い、我先にと海へ飛び込んで行った。
陶明は首を打ち捨てて『連雀』へ戻った。船戦では、誰を討ち取ったかなど価値が無い。
無人になった船など、ただ流されるだけの巨大ないかだに過ぎない。わざわざ火を掛けたり、沈めたりする必要もなかった。
内部にある物資を奪い取る事もあるが、それは余裕のあるときの話だ。今はまだ、戦闘中である。やるべき事は一つ。残る敵に襲い掛かる事だ。
◇
『犬鷲』が敵の大船と接舷する。まず矢合戦をして、などと言うまどろっこしい戦法は取らなかった。いきなりの移乗攻撃である。
味方の援護を受けながら、犬鷲戦闘隊が突入していく。敵がそれを阻止しようとし、その頭上で矢や釘だらけの角材が飛び交う。
それを提督は、後部甲板の艦橋上から見ていた。その位置からならば、物陰以外は全てが見通せる。他より一段高い艦橋の上に、他人より背の高い提督が立っている様は、そびえ立つ塔を思わせる。
戦況は、ほぼ互角の押し合いだった。ほぼ同じ規模の船が正面からぶつかり、移乗攻撃とその阻止に動けば、そうなるのは当然だった。狭い通路を横幅一杯に広がって、押し合う様なものだ。
しかしそれは、提督の気にするべき事ではない。操船は船長の職分であり、戦闘指揮は戦闘隊長の役割だ。提督の役目は、艦隊全体の運用を指示する事。それはもう、やるべき事をやり終えて、結果を待つばかりとなっている。
つまり提督も、気兼ねなく一人に戦士となれるという事だった。
提督は伴を二人連れて艦橋に立っていた。その手には弩が握られている。狙いを付けて放つと、矢は唸りを上げて敵船の兵士を貫いた。
矢を放った提督は、弩を伴に渡す。するとすでに装填の終えた弩を交換された。再び狙いをつけて、放つ。
伴二人を装填手とし、提督は敵を狙う事に専念する。弦が強いため装填に時間が掛かる欠点は、二人の装填手が装填に専念する事で短縮する。
遠距離から次々と正確な狙いで弩を射ち込む提督は、まさしく人間城塔とでも言うべき状態にあった。
いくら大船と言っても、戦闘隊は四十人、総兵力は百五十ほどがせいぜいである。一人一人を確実に射ち殺していけば、徐々にその影響は大きくなってくる。
接舷した船上の距離なら、弩はときに人体を貫通するほどの威力を見せる。ましてや敵味方共に、金属の鎧はほとんど身に着けていない。
必殺の矢が対処しようのない距離から飛んでくる。それは敵に大きな恐怖を与え、及び腰にし、できれば物陰に身を置こうとさせる。そこに犬鷲戦闘隊が押し込み、突破されそうになって慌てて押しとどめる。
敵も弩を持ち出して、提督を狙撃しようと試みてくる。提督も矢楯を並べ、できるだけその陰に身を隠す。何本か矢楯に矢が突き刺さって、鏃が貫通する。
提督も狙撃手を先制して狙撃する。狙撃合戦においては、提督の腕前は際立っていた。年齢を全く感じさせない正確な狙いで、次々と敵を射抜く。
単に狙いが正確と言うのではなく、狙撃に適したポイントを見抜き、あらかじめ警戒をしている。そのため敵が狙撃に適した位置に移動すると、弩を構えるよりも早く射抜かれる。
「来たか」
提督の耳が、波を切る音を捉えた。ベテランの船乗りだけが、この喧噪の中でも聞き分ける事の出来る音だった。
押し時だ。押せ。押しまくれ。そう思った。声に出す必要は無かった。心の声が聞こえたかのように、戦闘隊が攻勢に出た。
『犬鷲』の左舷を、もう一つの大船、『鵟』が抜けて行った。そのまま『鵟』は、敵船の右舷舳先に自船の舳先をぶつける。
横に並んだ『犬鷲』と『鵟』の間に、敵船が挟み込まれる格好になった。鵟戦闘隊が、接舷前に飛び移る。左右から挟み撃ち、しかも犬鷲側からの猛攻を支えていて、右舷側が手薄になっていた敵船は、瞬く間に乱戦に陥った。
二対一の乱戦。しかも敵はこれまでの戦闘で、少なくない犠牲を出していた。勝負が付くのは早かった。敵は降伏する者、海に飛び込む者が相次いだ。
船内から黒い煙が上がる。誰が命令するまでもなく、安東海軍の船乗り達は退避して、船も後退して距離を取った。船長か誰かが、最後の意地で船に火を放ったのだろう。船を敵に鹵獲させず、あわよくば道連れにするために。
しかし最後の抵抗も虚しく、船は炎上しながら沈んで行った。海に飛び込んだ者は、まあ何とか岸まで泳ぎつけるだろう。夏場である事もあって、怪我が無ければ命は助かる見込みは大きいはずだ。
敵艦隊はあと一隻大船がいる。それはすでに、進路を南に向けて戦場から離脱を図っていた。それを三隻の安東海軍の小舟が追っている。
ほう、と提督は声を上げた。小舟の行動がここまで早いとは思っていなかった。敵の小舟を三隻掛かりで無理なく仕留めればいい。そう思っていたが、予想以上に行動が早い。
逃亡を図る敵の大船は、鮫の群れが弱った鯨を襲う様に襲われて、くすぶっていた。
元々大船と小舟では速力が違う。その上向かい風に逆らって逃亡しなければならない。風上に進むには、船の性能と、水夫の腕が大きく差をつける。
ただ流石に二百トン級ともなると堅牢だ。三隻掛かりでしきりに火矢を射ち込んではいるが、応戦しながら逃げる敵船を仕留めるのは苦しそうだ。
提督は撤退の命令を出した。これ以上敵を追う必要は無い。沈められなかったにしろ、見たところ敵船は、港までたどり着けるか怪しい様な有様だ。あるいは修理するよりも、解体して新造した方が早いかもしれない。
敵艦隊の撃滅、及び海上封鎖の維持という目標は達せられたのだ。これ以上の敵艦隊がすぐに現れる可能性は低い。艦隊を出し惜しみする理由は無いからだ。
しかもこの海戦は、比較的陸に近い海域で行われた。陸上からコルネリウス海軍が敗れる様子が見えた。あるいは沈没した船の乗組員が、敵にこの事実を伝える可能性は高い。
つまりエイジスに籠城する敵に、味方の海軍は敗れ、海路は完全に塞がれたという事を知らしめる効果が期待できる。それは陸で攻城戦をする高星に、有利に働くはずだ。
安東海軍はその任務を十分に果たした。そう胸を張って報告して良いだろう。
「小舟の衆も良く働いた。儂の予想以上の働きだったな」
「『連雀』が特に、先立って敵の撃破に貢献した様です」
「『連雀』か」
確か見どころの有る若いのが乗っていたなと思った。つい先頃まで陸に上がっていたが、海軍の出動が必要になったので呼び戻された戦闘隊の若い隊長だ。
そう、確か陶明と言ったか。いつか提督の船に新入りとして乗せた、活きの良い新入りだ。
次の次の世代の有望株となるか。若いというなら、今のうちにいろいろ経験させるのも良いだろう。
船長の経験が積める様に移動させてやろうか。戦闘隊を務め上げ、船長を立派に果たせるようなら、いずれ軍船を任せても良い。
船が回頭し、西を向いた。前方遠くにエイジスの街が見える。ここからでは見えないが、街は安東軍に取り囲まれているはずだ。
若、あとは若次第です。声に出さず、昔の呼び方で高星に呼びかけた。




