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光る森の様だった。
総勢三千五百を超える軍勢が、槍を立てて行軍する。槍の穂先が陽光を反射して、煌めいていた。
槍が並んで立てられている様は、杉森の様に美しかった。安東軍も、ここまでの威容を誇れるまでに成長したのだと思う。
だがエイジスに近づくにつれ、高星の機嫌は目に見えて悪くなっていた。正確には、フィベト川を越えてしばらくした辺りからだ。
機嫌が悪いと言うのも、正確とは言えない。顔には出さないようにしているが、しきりに周囲を気にしては、渋い顔をしそうになるのを抑えている。
道中の、少し開けた場所で大休止になった。今回の行軍は、投石機なども運搬しているので、いくらか足が遅い。
「この辺りの地形は、やはり危ういものがあるな」
まるで独り言のように高星が言う。
「セカタ平原も端で、山が迫っている。街道沿いも、森や丘が多くて、どうしても見通しは良くないな」
エステルが応えるが、高星自身が実際に下見して、解りきっている事だ。高星が気にしているのは、地形そのものではない。
「操を、斥候に出してみるか?」
「無駄な事だ」
高星やエステル、その他一部の者は、安東軍がずっと見張られている事に気付いている。ただ敵は、姿を隠して見ているだけで、何もしては来ない。高星も、殺気は感じなかった。
居るという事は、確実だ。だから斥候を出すまでも無い。蹴散らそうにも、向こうには戦う気が無いので、部隊を差し向ければすぐに散ってしまうだろう。そしてまた集まってくる。
地形が待ち伏せに有利なので、完全に掃討しようと思えば、かなりの兵力と時間が要る。
「このままでは、兵站線を脅かされるぞ」
「解りきった事を言わなくても良い。籠城側としては、それは当然の戦術だ」
兵站線が狙われるのは当たり前の事で、それに対する備えをするのも当然の事だ。陸路が駄目ならば、海路からセライオ川の河口まで運ぶ方法もある。
むしろ敵が殺気を出さず、襲おうという気も無くただ見ている事が気に障った。いくら本隊と行動を共にしているとは言え、隙さえあらば襲おうという気でいる方が普通だ。
その気配すら出さず、ただ見られている。ただ後方の攪乱のために配置された兵という訳ではなさそうだ。かなり手強いと見て良い。それも、戦場でのぶつかり合いとは別の手強さだ。
それだけの兵を育て上げる時間を、相手に与えてしまったという事が厄介だった。エイジス攻めを半ば強攻した前提が、崩れかけている。
「襲ってきたら追い払え。それだけでいい」
「本当に、それだけでいいのか?」
「他にやりようも無い」
エステルはなおも不安そうだったが、高星はもう遠巻きにこちらを見ている敵の事は、無視した。気にしてもどうなるものでも無い。ならば、気にしない事だ。
「そろそろ出発する」
そう言って高星は馬に跨り、兵の用意が整うのを待った。
◇
エイジスの街は、以前と変わらない姿を見せている。しかし立ち上る気配は、戦場のそれだ。
「今回は長期戦だ。まずは陣地を構築する。セイアヌス!」
「はっ」
「騎兵は街の周囲を哨戒し、敵が妨害に出てきた場合はこれを打ち払え」
「了解いたしました」
「輜重隊はミタク城からここまでの兵站線の構築に掛かれ。民兵五百を護衛に当てる。他の者は工兵の指示の下、陣地の構築に掛かる」
陣地の構築に先立ち、幕舎を張って食事を取る。その間に、工事の割り当てなどの打ち合わせも済ませておく。
陣地は攻城戦準備の間に、高星の意向と工兵隊の意見を合わせて計画が作られている。基本的な図面もすでに用意してあり、資材の用意もある。あとは現場の情況に合わせて修正を入れながら、工事を進めるだけだ。
エイジスの城壁にも大型弩砲が有る事は解っているので、陣地は城壁から最低500m離れた位置に作る。全体の構造から考えて、地形が許す限り1㎞程の距離を取った。
その陣地だが、考えられるだけの防備を施し、これ以上ない程に堅牢なものだというのが、図面だけでも解る様なものだった。兵の間では、どちらが防御側なのか解らないという冗談まで出た。
まず陣地本隊だが、土塁を延々と連ねる。高星の意図は、エイジスの完全包囲だったので、港町であるエイジスを囲む様に、半円形に土塁が築かれた。
土塁の上には丸太の柵が建てられ、内側、つまりエイジス側には、尖った杭が毛を逆立てたハリネズミのように植えられた。
土塁の所々には砦が建つ。砦と言っても簡素なもので、正方形に土塁で囲ったスペースを作り、四つの角のうち内側の二つには櫓を立て、外側の二つには兵舎を立てる。砦は全部で十六建てられた。平均すると砦一つに兵百五十と少しになる。
本陣の内側に、さらに防御のための構造物を重ねる。深さ、幅共に3mの堀を二重に掘る。そのさらに内側には落とし穴を作った。落とし穴と言っても穴ではなく空堀で、底に杭が植えられている。
そのさらに内側に、今度はまさしく穴の落とし穴を無数に作る。深さは1m程で、底には五寸釘を木材に打ち付けた物を埋めた。殺すより、足を傷付けるためのものだ。木材に釘の先端が飛び出すように打ち付けたのは、その方が埋めたとき固定し易いからだ。
同じ物を、落とし穴のさらに内側の地表に植えて、地面を剣山の様にする。うっかり転倒しようものなら、目も当てられない有り様になる事だろう。
最も内側に、幅4mの空堀を掘る。凹字型に掘り、容易には登れないようにした。本陣以外に、実に六重の防御である。
外側に対しても、これを簡略化した防備を固めさせた。堀は3m四方の物一つで、大小二重の落とし穴はあるが、剣山は無い。三重の防御だ。
ここまで執拗に防御を固めたのは、ひとえに敵よりも兵力が少ないからだ。敵が打って出て消耗戦に持ち込まれ、一人が一人と相打ちで死んで行く様な戦になると、先に限界が来るのは兵力に劣る安東軍だ。故に余計な損耗は出さない様に、徹底的に守りを固める必要があった。
エイジスの街から北西に作った砦を、一応の総司令部とした。と言っても、他より少し規模が大きいというだけで、特に砦に違いが有る訳ではない。
ただそこは、エイジスと敵の出城に挟まれる位置に当たるため、出城の方向に対しても内側と同じ防御を施した。高星がここを一応の総司令部としたのも、危険地域であるため、大きな兵力と迅速な指揮が必要になるだろうと見越して、自分が腰を据えた結果だ。
これらの工事を進めている間、敵も指を咥えて見ているはずも無く、何度も妨害攻撃を仕掛けてきた。
そのいずれも騎兵によってすぐに打ち払われたが、兵士達は夏の日差しの中、鎧を着たまま汗だくの重労働をしなければならなかった。
「エステル、工事の進捗はどうだ?」
「八割方完成した。ただやはり、完全包囲となると全体的に手薄にならざるを得ない」
「それを補うための防衛施設だ。それよりも、それだけ完成したなら人夫を回せ。次の作業に取り掛かる」
「了解。とりあえず一個中隊程度で良いか?」
「まあ、最初はそんなもので良いだろう」
陣地の構築が順調に進むと、高星はエイジスに流れ込む川をせき止める作業に取り掛かった。
エイジスは比較的大きな川であるセライオ川から、少し南に行った所にある。直接セライオ川に接していないのは、洪水になったときの被害を減らすためだろう。港があるので、土砂が堆積する河口は都合が悪いというのもあるのかもしれない。
しかしセライオ川の支流などの川が六本、エイジス市内、もしくは近辺に流れ込んでいる。高星はこの六本の川を全てせき止めさせた。
市内には井戸が湧き、飲み水の備えがある事は解っている。しかし川の水も、非飲料用水には使える。例えば消火の時などは、川の水の有無は大きいだろう。
消火ならまだ海水を使えるが、飲料以外でも淡水は必要だ。苦しめる程度の効果は十分にあるはずだ。
せき止めた川の水は、二番目の堀に注ぎ込んで水濠とした。もちろん安東軍の水としても使う。兵を時々風呂に入れてやれるのは、衛生的にも良い。
全ては順調に進んでいる。一瞬でもそう思えれば気は楽なのだが、やはりそうはさせてくれないのが戦場だった。
「兵糧を失っただと?」
「申し訳ありません」
輜重隊長が這いつくばって恐懼している。報告書を見る限り、大した量ではない。荷車が三台焼かれたが、全焼した訳ではない。
「護衛に五百の兵を付けた。民兵とは言え。いや、むしろ民兵だからこそ、兵站線の警護任務などには慣れていたはずだが?」
「我々としても、万全の警戒態勢は取っていたつもりです。しかし僅かな隙を突かれ、被害を出してしまいました」
「敵の兵力は?」
輜重隊長が俯く。
「どうした。答えぬか」
「敵は、確認できた限りでは、およそ十二名」
「なるほど。たった十二人の敵に、良いようにやられたという訳か」
輜重隊長は、今にも責任を取って腹を切りそうな顔をしている。しかし彼の責任とは言い切れないだろう。高星が感じた気配からして、あれはかなり特殊な訓練を積んだ兵だ。
十二人と言う少なさも、かえってこちらに気付かれにくい。そんな兵が、推測だが五百は居ると高星は見た。
「輸送中の敵襲による被害は想定の内だ。引き続き任務を続行せよ。必要な処置があれば、こちらから通達する。ご苦労だったな」
輜重隊長は、ほっとした様子で去っていった。真面目だが、思いつめる性格なのかもしれない。とりあえず自害の心配は無いはずだ。
「高星、兵站線の防御に割く兵力を、増やすべきではないか?」
「それが狙いだろうな」
「はっ?」
「解らんか? 敵は二刀流を使っているのだ。兵站線を脅かして、こちらを飢えさせるのが一つ。それに対抗するために兵站線の警護に兵力を割いた事で、攻城戦に当たる兵力を減らすのがもう一つ。どちらに転んでも、向こうにはしてやったりだ。
だから荷車三台なんていう、チンケな被害を与えてきた。飢えさせるだけが目的なら、下手な事をして警戒されるより、油断するのを待って一気に大量の兵糧を焼き払った方が良い」
「ではどうする?」
「当面は、このままでいい。輸送路に同じ道を使い続ければ、襲撃の手口もだんだん重なってくる。警戒する要点を押さえてしまえば、大きな被害は無い。もちろんそうやって、こちらを油断させる罠でなければな」
「今は、耐えるしかないというのか」
「耐えるべき時に、どれだけ耐えられるかだ。長期戦必死の攻城戦ともなれば、野戦よりも耐えるべき事は多いのだろうと思っている」
高星にとっても、耐える戦は初めてだ。しかし、耐えられるという確信があった。
何百年も、我らは耐えて来たのだ。




