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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
戦陣
189/366

5

 騎兵五百、歩兵千五百。海兵と民兵を除いた軍勢を引き連れて、高星(たかあき)はミタク城を発った。

 ミタク城から一路南下すれば、敵の待ち伏せを警戒して慎重に進んでも、翌日にはエイジスに至る。

 しかし高星は、途中フィベト川という小さな川に差し掛かったところで、進路を変えた。

 川の上流にある、フィベトの村をまず制圧するためである。村としてはかなり大きい方で、人口は八千。街と言っても遜色のない村だった。

 ただ産業が自給自足の農業主体で、そういう意味では大きくてもやはり村だった。

 この村にも牧があり、軍馬の調達ができる。ただ恒常的に軍馬を提出させるには、エイジスに近すぎて、妨害を受けるだろう。

 ひとまず二百匹の馬を差し出させ、数日滞在しただけで村を後にした。

 単に軍馬の調達だけが目的ではなく、後方の安全を確保する事も一つの目的だった。これでフィベト川以北の安全は確保した。

 もしかしたら敵がエイジスから出てこないかとも思ったが、やはり誘いには乗らない。いくら誘ったところで無駄だろう。今のコルネリウス軍には、勝負を急ぐ理由が無い。

 田舎道を引き返し、大街道まで戻った。流石に街道を行くのに比べると、行軍速度が半分ほどにまで落ちる。

 遠征軍である間は、あまり街道から大きく離れて動く事は避けていた。騎馬ならともかく、輜重の移動速度が段違いだからだ。

 しかし確固たる拠点を得た今なら、輜重隊を切り離して、原野を駆け回る戦も可能だ。

 敵が固く籠城の姿勢を崩さないのは、それが解っているからなのか。どちらの望む形で戦が出来ているかと言えば、完全に敵の望む様な戦だった。

 フィベト川に架かった木製の橋を渡り、さらに南下する。この辺りまで来るとセカタ平原も端で、道の周囲にまで木々が多く、見通しが悪かった。

 視界が開けると、目の前に広がっているのがセライオ川、そしてその向こうに見えるのが、エイジスだった。近くまで来ると、やはり大都市なのだという事を実感する。

 エイジスの北北西、セライオ川の畔に砦が出来ていた。五百ほどの兵が詰めている気配がある。エイジスの出城として築いたのだろう。

 今はまだ、それらを見るだけに止めた。これ見よがしに周辺の地形を調査して見せたりしてみたが、敵が出てくる様子はない。

 エイジスに背を向けて西進し、内陸の方へ入っていった。それほど行かぬうちに、山の中に入ったという感じになる。

 山の中の盆地に、スリークの村があった。フィベトに比べるといかにもな山間の村で、目だった産物と言えば、タバコを栽培しているくらいだった。

 それでもこの一帯では最大の村だ。ここを押さえておけば、その他の小村は放っておいても逆らいはしない。

 押さえると言っても、エイジスとの間に田舎道が一本あるだけ。後は山中を抜けなければどこにも行けない村だ。示威行為をしてみせて、戦に関わらず息を潜めている様に仕向ける以外にやりようなど無い。

 それでもこれで、エイジスの周囲は一応平定したと言える。これで残るは、こちらの勢力の海にただ一つ浮かぶ島の如き、エイジスの都市のみだ。


     ◇


 軍勢を返し、再びエイジスの傍近くまでやって来た。ミタク城ほどではないが、城壁は高く、城塔はそびえ立つようで、堅牢だという事は解った。城壁の上に、コルネリウス軍の旗が、数多く海風になびいている。

 しばらく軍勢を整列させて、城壁をにらませた。それでどうなるものでもないが、礼儀の様なものだと思っている。

 しばらくそうしていると、城壁の上に軍装を整えた敵が現れた。戦闘態勢ではなく、緊張した様子ながらも、綺麗に整列している。


「敵もなかなか、礼儀正しいではないか」


 そう周囲に漏らすと、エステルが城塔を指さした。


「あれに見えるは、敵将ヴァレリウスではないか?」


 見れば、なるほど城塔の上に、それらしき武将の姿が見える。高星の方を見ている様だ。もっともこの距離では個人を判別できず、帥旗の下を漠然と見ているのだろうが。


「少し、挨拶をしてくるか」

「高星、何をする気だ?」

「何、手荒な事はせん。皆はそのまま待て」


 高星は弓を取り、整列した軍勢の前に出た。エステルだけは高星の後について前に出る。

 高星は矢を一本番え、引き絞った。そして城壁の上に並び立つ、コルネリウス軍の旗の一つに狙いを定めた。旗竿の上には、飾りがついている。

 少々距離があるが、なんとかなるだろう。むしろ海風で矢が流れる方が問題だ。風の具合を勘案して狙いを定め、はっしと放った。

 矢は見事に旗竿の飾りを射落とした。飾りが宙に舞う。

 歓声。そして拍手が城壁上の兵士達から沸き起こった。高星は城塔のヴァレリウスの方を見て、弓を掲げた。


「全く、敵の攻撃を受けたらどうする」


 エステルが呆れ顔をしている。


「遠矢で私は殺せん。それに、あの兵ならばそんな無粋な真似はしないと思ってな」

「結果としては良かったが、あまり軽々しくこういうことは止めて欲しいものだ」

「失敬な。軽々しく考えてなどいない」

「そういう事ではないのだが、言っても無駄か。

 ……おや、向こうも何かする様だぞ」


 城壁上を見ると、返礼のつもりか、何人かの兵士が舞を始めていた。高星も知っている、有名な古の武将の物語だった。

 その武将は眉目秀麗、戦に出れば負けなしで、敵国を滅ぼす大功を立てた。だがそれ故に疎まれて、無実の罪で追われる身となる。

 僅かな臣下と共に逃げる旅の途中で、かつて自分が滅ぼした敵国の王族の生き残り達と出会い、ときに戦い、ときに友情を育みながら、ついに非業の死を迎える物語だ。

 高星はそれを最後まで見届けた。流石に物語の要点以外は大幅にカットされていたので、そう長い事ではなかった。

 見届けると、天に向かって鏑矢を射た。鏑矢の発する音が、長く尾を引いて響き渡った。


「全軍、ミタク城に帰還する」


 高星の号令一下、安東軍は整然とした行軍で帰路に就いた。

 次に来るときは、殺し合いである。


     ◇


 ヴァレリウスは、見えなくなるまで城塔から安東軍を見ていた。

 やはりタカアキ・アンドウは稀代の名将だ。軍略だけではなく、一連のやり取りを見ても、名将の資格は十分に備えている。

 その名将の行く手を、自分が阻んでしまって、本当にいいのか。その考えは、すぐに頭から追いやった。それでも、考えが浮かんだ事実は消える事が無い。

 思えば自分は、タカアキと直接対決をするのはこれが初めてだ。いまさらのように、それに気付いた。

 思えばいつだって自分は、後方から戦略を見ていた。実際に兵を指揮する能力は、一門の中でも劣る方だと自覚している。だから今まで、自ら指揮権を求める様な事も、してこなかった。

 初めて自ら指揮権を望み、自分の指揮でタカアキと戦うことを望んだ。そうせずにはいられない何かがあった。

 魅せられているのかもしれない。ティトウスがタカアキに対して執着を抱いた様に、自分もらしくない事までして、戦ってみたいという衝動に駆られている。それを、魅せられていると言わずして、何と呼べばいいのか。

 タカアキの姿を見て、自分がそんな思いを感じている事を、はっきりと感じた。

 初対面ではない。一昨年の休戦条約の際、一度その姿を見ている。そのときは、武門の貴族らしい若武者だと思っただけだった。

 改めてその姿を見たタカアキは、人を引き付ける何かを持っていた。コルネリウス家という強大な敵を相手取って、ここまで戦い抜いてきたのも肯けると思った。

 戦いの中で、彼もまた成長しているのかもしれない。何と言ってもまだ若いのだ。彼の下には、人も集まる事だろう。

 タカアキ・アンドウ。彼こそが、今この土地に必要な男なのかもしれない。ヴァレリウスが考える道を、成す者がいるとしたらそれは、タカアキなのかもしれない。

 だがどう転んでも、自分はタカアキの敵なのだ。そう在るしかない。あの騎馬武者を討ち破り、その首を討たなければならない。


「すぐにでも、あの軍勢はこの街を攻めに戻ってくる。ケマナイ、出城に入って戦に備えよ。ヒガシは、予定通り敵の後方に回れ。ただし無理はするな。戦果を挙げるよりも、打ち払われない事を第一に考えろ」

「はっ」

「心得ました」

「その他の将は、持ち場について警戒態勢を取れ。敵の姿を認め次第、戦闘態勢に移行。騎兵は調練を怠るな」


 部将達に指示を出すと、司令部の部屋で一人になった。びっしりと考察が書き込まれた地図が何枚もあるが、もうそれを見て考える事も無かった。

 考えるべき事は、全て考え尽くした。あとは、やれるだけの事をやる。死力を尽くして戦うだけだ。

 そう思っても、不安は拭えない。同じ事をまた何度も繰り返し確認する。何度確認しても、どれだけ考えても、穴は無いはずだった。しかし不安は無くならない。

 部将達の前で不安を顔に出していないか、自信が無かった。おかげで最近は、人前に出ずに部屋に引きこもっている時間が増えた。

 一人でいると、影か幻の様なものが、大きくなりながら近づいてくる気がした。タカアキ・アンドウの幻影。

 影は影だ。そう自分に言い聞かせたが、やはり影は消えなかった。それでより一層、部将達の前には出られないという思いが強くなる。しかし、大将が胸を張っている姿も見せなければならない。そう自分を叱咤して、なんとか人前に出ていた。

 しかし今は、不安だけではなかった。気持ちの高ぶりの様なものが、確かにある。タカアキの姿を見て以来、火が点いた様な気がする。

 戦えると思った。不安を振り切って、存分に戦えるという気がした。それは相手がタカアキだからだ。生半可な敵が相手では、こうはならなかったという確信がある。


「しかし、全てが目論見通りに行っても、肝心な所だけは逃してきたからな」


 そう独り言を言っていた。独り言も、引きこもる様になってから増えた。

 自分が武将として、人間として、タカアキ・アンドウに勝てるとは、到底思えない。しかし、だからと言って戦でも勝てないという事にはならないはずだ。

 カマキリが斧を振りかざし、車に立ち向かう。それは確かに無謀な事だ。だが御者の顔に飛びかかれば、車を止める事も不可能ではないはずだ。

 飛ぶ覚悟はできている。あとは、飛ぶ機会を掴む運だけだと思った。

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