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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
戦陣
188/366

4

 エイジスを攻略する。ミタク城攻略からいくらも経たないうちに、高星(たかあき)は軍議でそう宣言した。

 この一言をきっかけに、軍議は紛糾した。賛成派と反対派と言うよりも、エイジス攻略を主張する高星と、時期尚早だと止める諸将という構図だった。

 紛糾の度合いは、日に日に高まっていった。


「何度でも言うが、今エイジスを落とさなければ、敵はここを第二のミタク城の様に固めてしまう。そうなっては、我が軍の力での攻略は難しくなる。備えの十分では無い今を置いて、攻略の機は他に無い」

「エイジスには以前から二千ほどの規模の敵軍が入っていた。とっくに防備は固めきっていると見た方が良い」

「だからと言って時を与えれば、より一層防備が固くなるだけだろう」


 普段は忠実な副官であるエステルにまで反対されて、高星は声を荒げている。


「エイジスはセカタ平原の南の口を塞ぐ要衝にして、この地方第一の大都市だ。ここを落とさなければ、セカタ平原を抑えた価値は半減だ」


 高星の口調は、どうしてこんな当たり前の事が解らないと言わんばかりだった。


「その上、これ以上の南下ができないという事は、敵に脅威を与えられないという事だ。脅威が無ければ敵は決戦に出てこない。いくら占領地を増やしたところで、長期戦になれば先に力尽きるのはこちらだ。悠長な事をしている時間は無い」

「それは理解している。だがだからと言って性急すぎる戦をして、再び大敗するような事が有れば、それこそお終いだ。それを皆危惧している」

「戦う前から負ける事を考えるな、敗北主義者ども!」

「高星、近頃お前らしくないぞ」

「私らしいとは何だ! お前らの勝手なイメージでらしいだの、らしくないだのと評価するな!」


 そう言われては、エステルも黙るしかなかった。確かにらしいという評価は、勝手なイメージの押し付けに過ぎない。

 そういう所を突いてくる切れと、他人からイメージや評価を押し付けられる事に対する拒否反応だけは、いつもの高星と変わりない。


「殿、せめて敵情を詳しく探り出してから判断をなされては」


 七戸(しちのへ)大隊長が進言する。思慮深い彼らしい、慎重な意見だ。


「すでに密偵を送り込み、報告も上がってきている」


 当然の事だと言わんばかりに、高星が応えた。実際高星にしてみれば、当然の事だ。


「敵は半年分の兵糧を蓄え、水の確保にも余念がない。破壊工作は困難だろうという事だ」


 見兵衛(けんべえ)の調査だ。そうエステルは悟った。(みさお)の方は今、使い物になる精神状態ではなかった。


「出城を築いて牽制の備えをし、海上封鎖に対抗して海軍の援軍も要請しているようだ」

「そこまでご存知でしたか。して、その上での御判断は……」

「無論、攻める」

「敵の備えは、万全に近いと思われますが?」

「万全の備えをした敵だから、戦ってはならんと言うか。ならばそもそも、四倍の兵力を持つコルネリウス家に挑む事自体を止めねばならんな。それで、その先に明日はあるのか?」


 七戸大隊長が黙り込む。分別を弁えた判断では、乱世の波に翻弄されるしかできないのは確かだ。

 それとこれとは話が違う。そう反論したところで、違わない、エイジス攻略は大きな戦略の一部であり、戦略で無理を押さねばならぬのなら、戦術でも無理を押すしか活路はない。そんな反論をされるだけだろう。


「解り申した。殿がそうまでおっしゃられるのなら、我ら一同異存はございません」


 これはで発言を控えていた(やなぎ)大隊長が、重い口を開いた。


「しかし、エイジス攻略の策はお教え願いたい。そうでなければ、指揮にも迷いが出ます。いわんや無策な力押しなどは、為されぬものと存じますが」

「策か。策は、無い。しかし無謀な力攻めもせぬ。正攻法を持って、エイジスを落とす」

「本気で言っておられるのですか?」

「当然だ。策と言えるものは、ミタク城を落とす時に使い果たした。故に策は無い。しかしエイジスがミタク城より固い事は無い。そして我が軍は、以前よりもずっと攻城戦に適した条件を備えている」


 確かにエイジスで五千の敵兵が守りを固めているとは言え、兵力はミタク城と同等、城塞としての堅牢さは、ミタク城に及ばない。

 一方の安東(あんどう)軍は、ミタク城という拠点を得た事で、ずっと長期戦をやりやすくなった。その上、投石機等も揃え、兵站も海路が使える。


「しかしそれでも、敵より劣る兵力で城を攻める不利は免れませぬ。一千の民兵を加えて、ようやく三千を少し超える兵力で、五千の敵が籠る城に挑むというのは――」

「三千しかいないというのがなんだ。ならば不満のある隊は、咎めぬゆえ参戦しなくても良い。私についてくるという兵だけを連れて、戦場に向かう。騎兵だけは何があってもついて来てくれる事だろう。そうだな? セイアヌス」

「仰せの通り。安東軍騎兵は、最後まで棟梁と共にあります」


 この俗物めが。そうエステルは舌打ちしたい衝動に駆られるのを、何とか抑え込んだ。


「他に何も申す事が無いというならば、この件はこれまでとする。以後一切の異論は許さん」


 異論は、誰からも上がらなかった。言うべきことは言いつくして、それでなお高星の気持ちを変える事が出来なかった。高星もそれを見越して、これで最後、決定事項にしようとしている節がある。

 エステル、柳、七戸は高星を説き伏せる事が出来なかった。ワイズマンは新参の客将身分を憚ってか、問われれば常識的な意見を言うだけだった。セイアヌスは完全にイエスマンだった。

 この場の最後の参加者、安東家家老でもある提督に、何人かは視線を向けた。提督ならば、高星に待ったを掛けてくれるのではないか。そう期待した。

 しかし期待はあえなく破れ、提督は無言の賛意を示した。


「決まりだ。出陣は11節3日。まずはエイジス周辺の村々を制圧。その後エイジスに向かい、これを包囲して攻城戦に入る。以上を踏まえて戦支度を進めよ」


     ◇


 軍議が散会した後、エステルは時間を見つけて提督の居室を訪れていた。


「提督殿、お久しぶり……でもありませんが、無事に再会できてうれしく思います」

「お互い、武人ですからな。いつ戦場の露と消える身か知れん」

「……ちょっと見ない間に、少し御痩せになったか?」

「かもしれんな。さすがに歳かと思う。それで、世間話をしに来た訳では無かろう? 殿がいつになく焦っておられる事だな?」

「お見通しか。いや、この情況では他に無いか。しかし、それだけではなく、もう一つ有る」

「どうして儂が、殿を御止めしないのか、問い詰めに来たと言ったところか」

「そう先回りされ続けては、言う事が無くなってしまうな」


 提督が低く笑い、それに応じてエステルも笑う。


「儂が殿を御止めしなかった理由は、止めても無駄だからだ。殿は分別の有るお方だが、一度こうと決めてしまうと、絶対にそれを覆さないときがある」

「今が、それだと?」

「そうだ。まあ、殿一人に限らず、頑固者の多い土地柄なのだがな」

「迷惑な話だ」

「そう言うな。儂らは戦に敗れて押し込められた民。譲り合いの精神では、身を守れんのだ。

 儂らの敵はこちらが一歩引けば、容赦なく一歩踏み込んでくる。だから何があろうと一歩も退かぬ、強情さが求められたのは、当然の帰結だろうよ」


 同じ土地の民。高星の言葉を借りれば、流刑人形でも、エステルの様な新参者と、高星の様な古参では、根深さが違う。

 古参の者にとっては、人格に影響を及ぼすほどに、追われた民であるという事実は深く、重いのだ。そこにエステルは、自分と高星の間にある、深い断絶を見る思いがした。


「では、高星が焦っているのはなぜだ? ミタク城を落とすまでは、特に焦りの色は見られなかったはずだが」


 提督がまぶたを落とし、疲れたような表情になる。


「はっきりとした事は言えんが、儂が来た事で、抑え込んでいたものを露わにさせてしまったかもしれん」

「どういう事だ?」

「久々に海に出てみて、儂も自分の歳を痛感した。あと何年、殿の御役に立てるか解らん」

「それを、話したのか?」


 提督が首を振る。


「話すまでもなく、殿は感じ取られたのだろう。元々まだ見ぬものを悟る聡明さや、人の心を察する繊細さをお持ちの方だ。それ故に、知らなければ幸せな事まで知ってしまう」

「確かに高星は人の内心。特に悪意や軽蔑、下心には敏感だと思う事が有るが」

「それで儂が、あと何年もすれば隠居爺になるしかないと思った事を、感じ取ってしまわれたのだろう。それで抑えていた焦りが、表に出るほどに大きくなってしまわれた。多分、そうではないかと思う」

「提督殿が身を引かれてしまうのは、確かに痛い。提督殿がいるから、高星は留守の心配をせずに戦が出来ている」

「それだけではないのだ」

「と言うと?」

「殿は肉親を亡くされた。いや、本当の意味での肉親は、殿の祖父、先々代の御当主だけだったと言っても良い」

「確か、提督殿の盟友であられたそうだな」

「そうだ。だから殿にとって、自分の成した事を報告できる、生きた肉親はおられない。唯一、それに次ぐと思えるのが――」

「――提督殿か」

「そうだ。殿は、儂が生きている間に、一族が代々抱き続けた悲願を、せめてある程度だけでも叶えたと報告したいのだ。自らの手で、それをできなくしてしまったから、なおの事な」


 先祖代々長年の悲願をついに成し遂げた。それを報告できるところが、物言わぬ墓石だけというのは、あまりに寂しい。

 高星も本当は、生きた何者かにその報告をして、共に悲願の達成を噛みしめたいと思っているのか。提督が言うならば、きっと間違いのない事なのだろう。

 せめて先代の当主、高星の父を強制的に隠居させ、そういう存在にしておく道は無かったのか。

 いや、それこそ当の高星が、誰よりも考え抜き、悩み抜いた事のはずだ。それでもやはり、殺すしかなかった。だから他人に任せず、自らの手に掛けたのではないか。


「しかしだからと言って、焦って危うい戦をするのを黙って見ていて良いはずが無い」

「エステル殿は、危ういと思われるか?」


 エステルは一瞬、言葉に詰まった。


「今ここでエイジスを攻める、合理的な理由を高星は数多く上げている。どれもいちいちもっともで、反論のしようもない。理屈を言えば、ここで攻めるのは正しい。だが……」

「理屈ではないものが、危ういと告げている?」


 黙って肯いた。


「エステル殿の危惧は、おそらく正しいだろう。理屈だけを前面に押し出して、理屈以外のものを意図的に押し込めるのは、大抵危うい」

「ならば」

「だがやはり、理屈としては正しいのだ。殿が決めて、それが正しい以上、臣下の身に止める術は無い。失敗すると決まった訳でも無いしな」

「……そう、正しいのだ。正しいはずなのに、どうしてこんなにも不安なのだろう」

「さてな。過ちから逃れられぬ人間の身で、不安が無い方が誤っているだろう。

 一つ、年寄臭い事を言わせてもらうと、過つ事を恐れる事は、生きる事を放棄するのと同じ事だ。生きるとは、誤る事だ。故に誤らない事を思うより、どう誤るかを思う方が有意義だ」

「誤らない事ではなく、どう誤るか、か……」

「まさに副官殿の責務ではないか?」


 提督がにやりと笑いかけてきた。


「意地の悪いお方だ。だがまあ、よりマシな誤り方を模索するのは、確かに今必要そうだ」


 そうエステルは、不敵な笑みを返した。それを受けて提督は、満足そうに笑い声をあげた。


     ◇


 出陣に備えた業務を手早くこなしながら、エステルは高星が焦りを覚える理由が、解らないでもないと思った。

 もちろん焦りを表に出すようになったのは、提督の老いを感じたから。もしくはそれだけではない何かを感じ、考えたからだろう。

 しかしそれ以前に、表に出ない焦りを蓄積させていた。

 中央が、大きく動き始めているのだ。今年の初頭、冬を利用して中央に出向いている間に起こり、巻き込まれた事件の続報が聞こえてきた。

 南朝が北朝に対し宣戦を布告し、全面戦争に踏み切った。高星一行は辛うじて戦火に巻き込まれる前に逃げ帰った。

 一行がガルツ港から船に飛び乗って出航した直後、南朝の共同皇帝ロベールが大軍を動員して東進を始めていた。

 しかしその皇帝ロベールの大軍が、第6節の末頃、エルモア伯爵を中心とした北朝軍に大敗したという。兵力差で言えば、皇帝ロベールはエルモア伯の倍以上を擁していたにも関わらずだ。

 その後の詳細な戦況はまだ伝わっていないが、南朝軍の一部が少数で抵抗を続けているという。

 一方のエルモア伯は、昨年に引き続き蒼州(そうしゅう)の自称皇帝ジギスムント・イエーガー討伐に向かった。西から東へ、エルモア伯も大変な事だ。しかもジギスムントの実力は、当代最強の将軍とまで謳われている。

 南朝軍最高司令官の、ウンベルト皇太子も兵を挙げたという話もあるが、南北朝の争いに関しては、まだ未確認の情報が多い。

 ただ一つだけ断言できるのは、中央が激動を始めたという事だ。それを思えば、高星の焦りも無理のない事でもある。

 少しでもそれを支えなくては。そうエステルは気合を入れ直し、部隊の編成に関わる事務に取り掛かった。


     ◇


 提督は高星に呼ばれ、海軍の行動について確認を行っていた。今度の戦は海上封鎖が不可欠であり、敵の海軍が出てくる事はほぼ確実だった。


「200トン級が2隻、100トン級が3隻。合計700トンの一個艦隊があれば足りるな?」

「十分ですな。コルネリウス家の海軍は、合計で1,000トン有るか無いか、その全てが出てくる訳でも無いでしょうし」

「もし全て出てきたら?」

「我が海軍ならば、700トンあれば1,000トンと五分に戦う事が出来ます」


 提督が不敵な笑みを浮かべた。


「そうでなくては。しかし船は、物資を運んできたので、ろくに海兵を乗せていないだろう? 本国から呼び寄せる時間も惜しい。陸に揚げた海兵を、船に戻す。百と四、五十で十分だろう」

「それは構いませんが、その分陸兵力が減りますぞ」

「なに、海兵が百五十減ったくらい、どうという事は無い。攻城戦ともなれば、野戦以上に海兵には不慣れで不得手だろう?」

「まあ、本来数合わせですからな。しかし殿、数の不足を、あまり軽視してはなりませんぞ。いくら敵に劣る兵力での戦いを強いられてきたとはいえです」

「解っている。久々に説教くさいな」

「老臣は説教くさいものです」


 提督はそこで一度言葉を区切り、声のトーンを落としてもう一度口を開いた。


「殿、お気遣いありがとうございます」

「何の事だ」

「この老骨に、また戦をする機会を与えてくださったことに、です。今にして思うのですが、儂に活躍の場を与えるつもりで、エイジスを攻める気でおられたのでは? それも最初から。殿のお部屋で一人戦略を考えておられた頃から」

「戦の意味など、それぞれが勝手に見つけるものだ」

「そうですな。違いありませぬ」


 それからしばらくの間、無言のときが流れた。言葉は無くとも何かは通じ合っている。


「殿」

「なんだ」

「儂は、長生きいたしますぞ」

「そうか」


 それだけ交わせば、十分な事だった。

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