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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
戦陣
187/366

3

 ティトウスから正式に兵を譲り受けたヴァレリウスは、ほとんど不眠不休でエイジス市の防衛を固めていた。

 総兵力は騎兵一千を含む五千。そのうち五百には、特殊戦闘の訓練も積ませている。

 籠城で敵を消耗させ、疲弊したところで致命的な打撃を与える。その基本方針は変わっていない。

 この戦略を実現するには、安東(あんどう)軍にその意に反した形での攻城戦を強要しなければならない。

 エイジスはセカタ平原の南端。ここを突破しない限り、これ以上の南下はできない。故に必ず攻略しなければならない街だ。

 ミタク城は結局策略をもって落とされたとはいえ、安東軍は本来不得手な攻城戦を行った。今また攻城戦を行う余裕はないはずだ。

 だから安東軍がこれで満足して、今年の軍事行動を終えてしまう事を、ヴァレリウスは恐れていた。しかし時節はまだ初夏、意気込んで攻め寄せてきた安東軍、いや安東高星(たかあき)が、これで満足するとは思えない。

 安東軍は必ずエイジスに攻め寄せて来るはずだ。その時こそが、勝負どころだ。

 軍事要塞では無いとは言え、四万の人口を抱えるエイジスは大都市だ。それを守る市壁も、十二本の塔を持つ堅牢なものだ。

 その市壁が徹底的に補修されているのを見回りながら、ヴァレリウスは休む事無く頭を巡らしていた。

 五千の軍勢の指揮官と言うのは、コルネリウス家中でのヴァレリウスの立場からすれば、過分と言って良いほどのものだ。再びこのような機会があるか、解らない。

 いや、おそらく二度と無いだろう。特に、敗れれば。自分は本家の当主ルキウスから、疎まれている気配がある。

 どこでボタンを掛け違ったのか解らないが、いつの間にか大きな齟齬をきたしていた。だからこれが、最初で最後の機会だろう。

 市壁の上から郊外を見れば、騎兵が調練で駆けまわっている。

 疲れさせるとは言え、安東軍の騎馬隊を追撃して、撃滅しなければならないのだ。生半可な練度では太刀打ちできない。できればもっと入念に調練を行いたかった。しかし、ティトウスから兵権を委譲されるまで、自分の旗下には騎兵を配置されなかった。

 望む形での戦ができる機会を与えられただけ、良しとするしかないだろう。


 周辺の守りとして、エイジスから北北西、街道から少し離れた位置に、砦を建設した。ここに五百ほどの兵を置くつもりでいる。

 エイジスを包囲する安東軍の、背後を脅かすのが狙いだ。もちろん砦に敵が向かえば、エイジスから出撃して背後を突く。援軍の無い籠城戦だ、こういった備えが必要になる。

 もう一つ、気に掛かるのが、海だ。

 安東軍の海軍は強力だと聞く。今までは特に気に掛ける必要は無かったが、エイジスは港町だ、海路を封鎖されているか否かは、大きな問題だ。

 特に今の安東軍は、ミタクの外港と言う海軍の拠点がある。はるばる本国から艦隊を送り出す事も無い。早朝に出港して、早ければ昼前に着ける距離だ。

 海上封鎖に対抗するには、こちらも海軍をもってするしかない。コルネリウス家にも、ある程度の海軍はある。しかしそれは、完全に当主ルキウスの管轄下にあった。

 書簡を送り、安東家の海軍に対抗する艦隊を出してくれるように要請した。海路からの補給の有無で、籠城可能な期間がどれだけ違うかは、説明の必要もない。

 本家からの返事は、安東海軍が海上封鎖をすれば、それを打ち払うための艦隊は出す。というものだった。

 海軍の出動に関しては、ヴァレリウスに兵権を委譲して帰還したティトウスが、熱心に説得してくれたらしい。そういう事が、噂となって流れてきた。

 それがやや不安を感じさせた。海軍の司令官は、ルキウスの義兄に当たるドイが務めている。一から十までルキウスの仰せのままに、という男だ。果たしてどこまで真剣に戦うか。

 憂いたところでどうしようもない事だと、頭から振り払った。事実だけ見れば、これ以上ないくらい準備は順調に進んでいる。

 食料の備蓄は、完全に外部からの補給が絶たれてから、半年は食いつなげるだけの物をかき集めた。市内に分散して保管し、警備は厳重に、特に防火は徹底した。

 水は井戸が出る。貯水槽も大量に用意して、水を貯えさせた。飲料用以外の水は、港で海水を汲んで使えばいい。海水を沸かして、真水を取り出す手もある。

 大型弩砲(バリスタ)、投石機、それらの矢玉も完備している。ただ市壁の長さ当たりの数では、ミタク城に劣るのはどうしようもなかった。そもそも市壁自体がミタクより低く、古い。

 それでも、考えうる限りのことを考え、打てるだけの手は打った。野戦では決して安東高星には勝てなくとも、今ならば、この街に籠っての戦いならば、勝てるという自負がある。


     ◇


 司令部となったエイジスの市庁舎に戻ると、決済すべき書類が溜まっていた。

 本家があまりいい顔をしないのも、理由が無い事でも無い。書類のほとんどが、戦費に関わるものだった。

 食料の購入、兵士への手当て、武器装備の用意、市壁の補修、市民対策。必要な金は凄まじい金額に上る。

 コルネリウス家の年予算の八分の一、それがこの一戦だけで使う事になる戦費だ。これはあまりにも大きい。

 その上、ティトウスの戦いからの連戦なのだ。今年の戦に掛ける支出は、すでに年予算の一割を大幅に上回る。一年や二年ならともかく、何年もこの様な戦を続ければ、いずれ困窮するのは目に見えている。ルキウスが渋い顔をするのも当然だ。

 だからシバ家からの兵糧・資金援助は、本心を言えばありがたいものだったはずだ。無論、それがどのような毒に変貌するか解らない危うい物である事は、ヴァレリウスも理解している。

 今までヴァレリウスは、高星だけを見てきた。いや、ティトウスもそうだし、当主ルキウスも主眼に置いているのは高星の存在だろう。

 だが本当は、シバ家をもっと注視すべきだったのではないか。警戒するべきだった、とまでは言わないが、味方だからと言って、シバ家の動向に注意を払わなすぎたのではないか。

 シバ家が、能動的に敵に回るとは思えない。しかし、非協力的な味方である事は確かだ。もっと言えば、シバ家はシバ家の安寧だけを考えている気配がある。

 それ自体は、南方の中小諸侯と変わる所が無いが、シバ家の持つ力は、木端貴族とは訳が違う。その気になれば、情勢に裏から影響を及ぼす事も出来るのではないか。もうすでに、それをしているのではないか。

 そういう事を確かめ、場合によっては利用する。そういう意識が足りなかったのではないか。

 いまさら考えても、どうしようもない事だ。あと数年早く同じ事を思っていれば。いつだってそう思う。

 今は、目の前の敵を思うしかないのだ。

 目の前の敵と言えば、安東家には良く毎年戦を続けるだけの財源があるものだ。

 コルネリウス家には、安東家の四倍の領地と、金山からの莫大な上りがある。それに互せるだけの財力が、安東家にはある。

 北方航路貿易。それが利を生む事は解っていたが、まさかこれ程とは。土地からの上りをどう増やすかに腐心していた自分は、何も見えていなかったというのか。

 安東家の財源を絶つ。いまさら考えても、どうしようもない事だ。

 いや、もっと早くに考え付いても、やはりどうしようもなかっただろう。まさかこちらから安東家領の岬を回って、北方航路を封鎖する事も出来ない。そもそも安東家の海軍は、総勢で200トン級軍船を数十隻保有するという。敵う訳が無い物量だ。

 陸上戦力に比べて、海上戦力の規制が緩い事に加え、商船として民間に貸し出す事で、保有戦力を制限する帝国法の網の目を潜り抜けて築き上げた艦隊だ。

 しかし、能天気な事に、今までそれをそれ程脅威には思わなかった。いくら艦隊を保有しようと、土地を制する戦力が無ければ結局は意味が無い。どこかでそう信じていた。

 そして海からの脅威が無視できないものとなった今になって、狼狽え、悩んでいる。本家の反応を見るに、そちらではまだ脅威とすら認識していない様だ。

 人間、現実を目の前に叩きつけられて初めて気づくらしい。遅すぎるが、その前に気付く事が出来なかったのが現実だ。


「ままならぬものだなぁ」


 ため息とともにつぶやいた言葉は、虚しく虚空へと消えていった。孤独だ。孤独な戦いだ。

 どうしようもない事を、どうにかしようと足掻いている。誰にも理解されないとは言わない。しかし、本当に理解してくれる者は、そばにいない。いや、どこにもいない。

 理解してくれるとしたら、それはむしろ、敵である安東高星であろうか。(わび)しい。

 だが孤独な戦いは、指揮官たる者の責務ではないのか。ならば皆、自分と同等以上の孤独な戦いをしているはずではないのか。ならば自分だけ弱音を吐いていては、戦に勝てる訳がない。

 勝たねばならぬ。勝てば道は開けるが、勝たなければ道は無くなる。勝って、安東軍を撃滅して、安東家を葬り去る。それ以外に道はない。

 本当に、それでいいのか。ふと、そういう考えが頭をよぎった。本当に、安東家と死力を尽くして戦って良いのか。戦った果てに、致命的な打撃を与え、そのまま滅ぼしてしまって良いのか。

 戦うのではなく、共に生きていく道は無いのか。

 やはり、いまさら考えたところで、どうしようもない事だった。何よりコルネリウス家という存在が、それを許さない。そして自分は、そのコルネリウス家の一族なのだ。そういうふうに生を受けてしまった。それはどうしようもない事だ。

 持って生まれたもの。いや、生まれながらに欠けているものは、どうしようもない。コルネリウス家の男にとってのそれは、敵と共に生きる道だ。

 コルネリウス家の一族として、今まで安東家との戦いに身を投じてきた。疑問を抱き続けていたからと言って、いまさら自分一人、全てを放り出して戦いから降りる事など、許される訳がない。無責任が過ぎる。

 降りるなら、戦う前に降りるべきだったのだ。戦い始めてしまった今になって、降りられる訳がない。ましてや今自分は、安東軍撃滅のために、全てを賭けて守りを固めているではないか。

 だがそれが時々、酷く虚しかった。

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