2・黒幕
暑い日だった。
初夏とは言え、こう暑い日は珍しい。明日当たり雨になるだろう。この時期、特に風の無い暑い日があると、決まって雨が降る。
「御隠居様、当主様がお見えになっております」
「通せ」
リョウシュンの隠居屋敷に、息子が訪ねて来る事は珍しい。家内、領内の事は、大抵自分で始末を付ける。
だから訪ねてくるとすれば、リョウシュンが主導した件についてだろう。その中で今訪ねてくる理由に成るものと言えば、大方予想が付いた。
「父上、失礼します」
「楽にせい、楽に。今日は暑苦しくてかなわぬ」
うっすらと汗をかいたシバ家の当主が、リョウシュンの前に座る。風が吹き込んできたが、暑く湿った風だった。
「ミタク城が陥落した件かな?」
「流石、お耳が早い」
「暇なものでな。噂に耳をそばだてるくらいしかする事が無い」
「しかし、せっかく大量の金穀を援助したというのに……」
当主が顔を曇らせる。しかしリョウシュンは、涼しい顔を崩さない。
「くれてやった物がどうなろうと、儂らには関わりの無いこと。それを惜しんで何とする。第一、今の蓄えからすれば、大したものでもあるまい」
「それはそうですが、せっかく援助した以上、無駄にされたくはありません」
「無駄では無いぞ。コルネリウス家は兵站に余裕を持って戦をする事が出来た。それをアンドウ家に見せつける事も出来た。それで十分価値はある」
「そういうものですか」
「そういうものなのだ」
コルネリウス家の兵站に食い込む事が出来た。ミタク城が落とされたのはむしろ、援助したからには勝ってもらわねば困ると、戦略に口を挟む口実にもなる。
それに、無駄な努力を繰り返していると思わせる事が、無駄では無い効果を生む。
無駄にも二種類ある。やってもやらなくても同じ無駄と、行動した事実は残る無駄。後者は、後になって意味を持ってくる事もある。
「父上がそうおっしゃるなら。しかし、物資が敵の手に渡ってしまった事は、やはり惜しい」
「くどい。未練というものだぞ」
「失礼しました」
敵とは言うが、それは今、表向きの話だ。敵は必ずしも敵ではないし、味方も必ずしも味方ではない。しかしそれは、リョウシュンの胸の内の事だ。
「儲けてはいるか?」
「それはもう。父上の助言に従って、着実に富を蓄えています」
「ならば、多少の無駄遣いなど気に掛けるな。程度の問題だが、もっと鷹揚で居よ」
「心がけます」
シバ家の蔵に、財貨が着実に積み上がっていることは把握していた。軍資金が有って困る事は無い。策を巡らすにも、我が身を守るにも金は要る。
何かを為そうとする者が最初に気に掛けるべき事は、金銭の不足によって足枷を嵌められない事だ。
それに変州の趨勢が決したとき、莫大な資金は軍事力の次にシバ家の価値を高める。兵力と財力を抱えている限り、シバ家が粗略に扱われる事は無い。すでに持つ者の強みと言えよう。
「アンドウの当主は、奴のおかげで儂らが儲けている事を知ったら、どんな顔をするかのう」
リョウシュンが笑う。シバ家の今の稼ぎは、安東家の交易に便乗したものだ。
一つ事業をすれば、それに付随する事業が生まれる。例えば宝石を売ろうと思えば、粗末な箱に入れて売る訳にもいかない。高級木材を削り、意匠を凝らした箱が必要になる。宝石が売れる程、箱屋が儲かる事になる。
また事業に寄生する事業と言うものがある。例えば料理屋では、布巾や割烹着などの洗濯物が、毎日大量に出る。
それを専門に扱えば、洗濯屋は仕事に困る事は無い。それでいて宿主が潰れても、普通に商売をしながら、また新たな宿主を探せばいい。
そんな風にして、安東家が交易事業を拡大して戦費を稼いでいるのに便乗して、シバ家も儲けさせてもらっている。
別に安東家に被害を与えている訳ではなく、むしろ相乗効果で利益は増えているくらいだろう。潰す訳にもいかず、苦虫を噛み潰したような顔をする事は、想像に難くない。
「お前はこのまま、富を蓄える事だけを気に掛けよ。使うべき時は、儂が見極めよう」
「はっ」
領地を治める分に関しては、稼ぎを回してやる必要もなく、健全財政だ。そういう大過の無い運用に関しては、信頼のおける息子だ。
その良さを損なわないためにも、謀略とは無縁でいた方が良い。無理に肌に合わぬ事に手を出して、すでにある美質まで損なう事は無い。
◇
「雨水、構わぬ」
一人になると、雨水を呼んだ。話の途中から、姿は見せぬが傍に居た。
「ただいま戻りましてございます」
雨水が音も無く姿を現す。
「報告しろ。ヤリュート家の件からだ」
「ヤリュート家中の一派と、ワンヤン家の間に繋ぎを作ってやりました。これで当主の死後、後継者争いにワンヤン家が介入してくる事は必定」
「よかろう」
後ろ盾があるとなれば、強気になるだろう。後継者争いは、高確率でお家騒動の内乱に発展する。
「ヤリュート家が潰れるか、それともシュヤ家に絶好の機会を与える事になるか……」
どちらにせよ、ヤリュート家の当主ナロウの死は、間違いなくヤリュート家中に騒乱の火を点ける。そのときは、いつとは言えぬが遠くないはずだ。
その火は、シュヤ家に火傷を負わせるか。それとも、逆にその火種を燎原の火にまで広げて、諸侯を一気に焼き払う武器とするか。
シュヤ家の黒龍ならば、後者を成し遂げそうな気がする。それならそれで、変州の統一に大きく近づく。どちらにせよ、悪くはない。
「玄州の方はどうだ? コウスェン子爵はどれだけ持ちそうか?」
コウスェン子爵を援助して再起を図らせてやったのは、ユアン公爵の動きを封じるためだ。まだこの変州に、他所からの揉め事は持ち込ませたくはない。
コウスェン子爵が強ければ、ユアン公爵は玄州に釘付けになる。領を接する玄州・蒼州のそれぞれの有力者、ユアン公爵と自称皇帝ジギスムントを抑えておけば、変州はもうしばらく州内の争いに専念できる。ジギスムントには去年に引き続き、都から討伐軍が送られているので、ユアン公爵さえ抑え込めばいい。
コウスェン子爵には、資金を援助する必要も無かった。元々商人や経済の力に造詣が深い。大商人を斡旋してやれば、後は自力で再起する力を付けた。
「子爵の建てた城を見てきましたが、あれほどの堅城は他にそう無いでしょう。かなり持ちこたえるかと」
「ふむ……。城だけではあるまい? 他に何かあるのだろう? お前にしては時間が掛かった」
「子爵に、かなりの資金援助がされておりました。出所を探るのに手間取りまして」
「どこだ?」
「法王庁」
「法王庁……」
信者からの寄付で、金は常に唸るほどある。だから資金援助自体はいい。問題は、その目的だ。
いや、目的もはっきりしている。今コウスェン子爵を援助して得られるものは、ユアン公爵の牽制以外に無い。公爵を動けなくすることが目的だ。
問題は、公爵の動きを封じてどうするかという事だ。
「法王の意思ではないな。いや、法王の意思でもあるだろうが、主犯はキャバレロ公爵だろう」
法王の息子。聖職者として栄達を約束されておきながら、それを捨て、南朝の皇帝ロベールの娘婿となり、領地と公爵位を手に入れた。しかし、ほとんど名ばかりの公爵だ。
名ばかりの公爵を、実を伴うものにするのが目的だろう。そのための計画が何であるかは解らないが、獲物を横取りされないようにユアン公爵の動きを封じた。おそらく、他にも介入を防ぐ手立ては各所に巡らせているのだろう。
中央に激震が走る。ほとんど直感で、そう思った。直感を全面的に信じる訳ではないが、ある時からこの手の勘は、ほぼ外れなくなった。
思った以上に、世の中の動きは早いかもしれない。だとすると、こちらもあまり悠長な事はしていられない。都から遠いこの変州では、中央がまとまる前に強固な統一政権を作らなければ、飲み込まれる。
強固な政権とは、軍事のみならず、内の政治体制がしっかり固まっていなければならない。軍事政権なら、蒼州の皇帝ジギスムントの政権がすでにある。
しかしあれは、ジギスムントが倒れれば倒れる政権だ。それに配下の諸侯も、ジギスムントが強いから臣従しているだけだ。
一人二人が倒れても、問題無く存続する政権を作らなければ、結局地方政権として飲み込まれるだけだ。それではシバ家も衰退する。衰退の先にあるのは、滅亡の危機だ。
大きな船が波に強いように、最低限一州を治める政権でなければ、乱世の荒波は越えられない。
大きくても脆い船ではうねりに耐えられない様に、強固な政治体制を整えなければ、結局は破綻してしまう。
軍事力に基づいた統一政権は、今の戦乱に勝ち抜いた者が為す。強固な政治体制は、その中でシバ家が主導して築く。それでシバ家は、大きな船の一等室に安住することができる。
それ以外に、シバ家が生き残る道は無い。
「こうなって見ると、誰よりも早く戦を始めたタカアキの決意がありがたいものよ」
だがアンドウ家を覇者として認めるのは、まだ早い。もっともっと厳しい戦を勝ち抜かないことには、シバ家の命運を預けるには足りない。
「アンドウ軍は、ミタク城で更なる進軍の用意を進めている。間違いないな?」
「間違いございません」
「今から首を突っ込むのは、ちと性急すぎるな。今回は、コルネリウス家の底力を期待しよう。そろそろ、黒幕に徹してもいられぬかもしれん」
「戦を?」
「やるべき時は、堂々と渡り合わねばならん。堂々と言っても、戦場なりの策略は十二分に巡らすがな」
堂々と戦う、という事が、必ずしも策謀を使わぬということを意味する訳ではない。
「シュヤ家の方は、動かぬか?」
「属州総督を追放すると素早く軍を退いて、あとは動く気配もありませぬ」
「総督の始末も見事な早業だった。余計な介入をさせぬ点においても、速効は有効だ。天性の勘があるな」
シュヤ家の動きは派手だが、実際に上げた成果は、ようやく総督領を完全制圧したに過ぎない。
それしかできない、というのは間違いではない。しかし、一挙に諸侯を飲み込まなければ、障害が大きくなる。一挙に飲み込む機が訪れないため、今はそれしかできない。
実力が足りない訳ではない。機会に恵まれていないだけだ。
「ヤリュート・ナロウだが、体調は優れぬらしいな」
「はい」
殺せ。そう言いかけて、飲み込んだ。それこそ焦りすぎだ。じれったいが、ここはまだ待つときだ。
待ち続けたまま生涯を終える。そこまで覚悟して待てる者が、機会を掴めるのだ。




