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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
ミタク城攻略戦
183/366

5

 すでに日は山の稜線に沈み、東の空には星が瞬いている。

 コルネリウス軍がミタク城にたどり着いた頃には、明かりが必要なほど暗くなっていた。


「ティトウス様の軍勢が戻ったぞ、開門!」


 敗れたとは言え、まだまとまった兵が二千は居る。一度散った兵も、しばらくすれば集まってこよう。ミタク城が落ちぬ限り、本当に負けではない。

 まだコルネリウス軍の将兵はそう思っていた。そしてそれは事実であった。


「どうした、早く開けぬか!」


 急がねば敵の追撃が追いついてくる。城門前で声を張り上げる将校の声に、いら立ちが混じる。


「本当に、ティトウス様の軍勢か」


 城壁の上から、そう問いかける声が響いた。


「なにっ、我が軍の旗が目に入らぬのか。貴様らの目は節穴か!」

「こう薄暗くては、確認できぬ。万一の事が有れば、取り返しがつかぬ」


 将校は舌打ちをして、明かりを点けるように命じた。松明の明かりが、コルネリウス軍の軍旗を照らす。


「これで解ったであろう。早く城門を開けよ!」


 だが城門からは、何の返事も無い。


「どうした、はよ開けぬか!」


 ついに将校が怒鳴り散らす。それを受けて、ようやく城壁から反応が返って来た。矢が射ち込まれてくる。


「なっ、何をするかっ!」


 将校が色を失い慌てふためく。だが城壁からは、容赦無く矢が射ち込まれてきた。


「ティトウス様! ミタク城から攻撃が!」

「解っている! これはどういう事だ。謀反か」

「解りません」

「解りませんではない! 早急に情況を把握して、対処せよ!」


 味方から攻撃を受けて、ティトウスの軍勢は混乱に陥る。情況を把握せよと言われても、どうすればいいかも解らず、ただおろおろするばかりだ。


「ティトウス様、後方から敵が接近中。じきに追いつかれます!」

「くそっ、ここは駄目だ! エイジスまで下がるぞ」


 このままでは挟み撃ちになる。どうしようもなかった。ティトウス率いる軍勢は、何故味方から攻撃を受けるのかも解らずに、落ち延びるしかなかった。

 ティトウスの軍勢が去った後のミタク城前に、百程の軍勢が現れる。そこから将校が一人前に出て、城兵に呼びかける。


「城兵達よ、ご苦労であった。お前達の働きで、敵の姦計は失敗に終わったぞ」

「我が軍の兵か」

「左様。旗を見よ」


 明かりが掲げられ、コルネリウス軍の軍旗と、赤旗を照らし出す。


「確かに。今城門を開ける。しばし待たれよ」


 城門が重い音を立てて開かれる。城門が完全に開くと、百程の部隊はしずしずと入城した。城兵がそれを出迎える。


「ご苦労であった。ところで帰還したのは、これだけか?」

「我らは先遣隊だ。本隊は近くまで来ている」

「そうであったか。いやお勤めご苦労であった」

「いやいやそちらこそ……。出迎えご苦労!」


 隊の先頭に進み出た高星(たかあき)が、千錬剣を一閃する。それを合図に、部隊が鉦を打ち鳴らして、一斉に襲い掛かった。


「敵だ! 城門を守れ!」


 そう叫ぶ声がするが、もう遅い。城兵は、本物の味方はたった今、自分達が追い払ってしまった事を思い出した。

 浮足立った城兵は踏みとどまる事ができず、程無くして安東(あんどう)軍に突破された。

 城兵が外城壁を捨て、本城に逃げ込もうとする。まだ城内には一千の兵が残っているので、本城に立てこもる事が出来れば、味方が戻ってくるまで持ちこたえるくらいはできるはずだ。

 だが高星率いる部隊が城門を突破するのと時を同じくして、城内で複数の火の手が上がった。炎と煙が、意気を挫かれかけていた城兵の心に追い打ちを掛ける。

 市街が燃えたところで、本城さえ無事ならばどうという事は無いはずだが、熱気と煙にまかれる城兵に、冷静な判断など無理な話だった。本城に向かわず、城外に離脱を図る兵が出る。一人でも逃げ出すと、雪崩を打って皆逃げ出した。


「逃げるな、馬鹿者! 城に向かえ!」


 将校が叫んでいるが、もはやだれも耳を貸さない。そうこうしているうちに、安東軍の本隊も城壁に迫り、鯨波(とき)の声を上げ始めた。

 高星の部隊は、本城に向かってひた駆けた。本城を陥落させれば、完全にミタク城は落ちる。

 途中、市街に火付けをした盗賊らしき一団が、商家に押し入り、市民から追いはぎをしているのを視界の端に捉えたが、構わず駆け抜けた。


     ◇


 本城は、逃亡の準備で大騒ぎだった。城塔から市街の様子を望める城からは、味方が本城に集結して立て籠もるのは、もはや絶望的だという事が一目で解った。

 街の中央に位置する本城は、守りは固いが落ち延びるには向かない。市街地を抑えられて、敵に囲まれる前に落ち延びようと、混乱の最中にあった。

 混乱の中で、一人の不審者を気に掛ける余裕など無い。ジャンは姿を晒して駆け回りながら、目を皿にして屋外に出てくる者を観察した。

 身一つで逃げていく者。貴重品を持って逃げる者。欲張って、山のような荷物を抱えて逃げようとする者。取る物も取りあえず、やかんを持って逃げ出す者。

 少なくない量の紙や書物を持ち出そうとする者を探した。それが、機密性の高い資料を持ち出す、もしくは焼き捨てようとする者のはずだ。城ごと焼き払うつもりでも無ければ、必ずどこかに出て来るはずだ。

 混乱の中でも良く通る、高い笛の様な音がした。見兵衛(けんべえ)の手の者か。それらしき者を見つけたに違いない。

 音のした方向へ走る。音だけでは正確な位置は解らないが、出入り口の場所は頭に叩き込んである。そこへ向かえば間違いないはずだ。

 それらしい一団を見つけた。紐で閉じた漆塗りの箱や、紐閉じにした紙束を運び出そうとしている。ただ人数が多い。五人居る。


「ええい、ままよ!」


 傍観している訳にもいかない。大柄杓の柄で一人の頭を殴りつけた。殴られた男が崩れ落ちるが、柄も折れてしまった。


「敵か!?」


 残った四人のうち二人が荷を抱えて逃げ、残りの二人がジャンに向かってくる。武器は持っていないが、こちらも丸腰で、二対一だ。その上、逃げられては元も子もない。

 ジャンを押さえ込もうとした男の一人が、あっと声を上げた。二の腕に矢が突き刺さっている。安東軍が使う長大な矢とはまるで違う、30㎝程の短い矢だ。

 矢が短いという事は、弓も小さいはずだ。基本的に弓矢の威力は、大きさに比例する。しかしこの矢が飛ぶときの唸りは低く、十分な殺傷力があると思われた。

 同じ矢が、どこからともなく飛んでくる。矢に怯んだ隙に、目の前の男二人を殴り飛ばし、逃げる二人を追った。そちらにも矢が飛び、一人が倒れた。

 残った一人では、全ての荷を持ち運ぶには手が足りない。まごついている間にジャンが追いつき、跳び蹴りを喰らわせた。荷を奪い、中を確かめる。

 ミタクの戸籍、税収、城の見取り図もある。その他命令書や報告書らしき物。間違いないだろう。


「間違いねえべか?」


 後ろから声。驚いて振り返ると、いつの間にか糠助(ぬかすけ)がいた。


「間違いない。他にもあるかもしれないが、とにかくこれは手に入れるべきものだ」

「そうか、なら落ち着くまでどこかに隠しておくべ」

「さっきの矢は、あんた達が?」

「まあな」

「助かった。丸腰で五人相手はどうしようかと思ったよ」

「この仕事を続けるなら、暗器でも覚えた方が良いべな」

「見兵衛の爺さんに聞けば、教えてもらえるかな?」

「さてな。とにかく今回の儂らの仕事は、これで終わりだ。またそのうちな。ああ、手に入れた物は、頃合いを見て元の場所にでも置いておくべ」


 ふと気づくと、結構な量があった資料が、跡形もなく消えていた。それに気を取られている間に、糠助の姿も消えていた。


「連中だけで、十分なんじゃないか、これ?」


 何のために臭い、汚い、きつい思いをして、城内を探ったのだと思ったが、正面切った戦いや暗殺など、戦闘は期待するなと見兵衛は言っていた。

 わざわざ笛の音でジャンを呼んだ事からも、ジャンがいたからこそ援護射撃ができたという事だろう。

 ともあれジャンの任務は果たした。城も、もはや陥落は決まった。皆それぞれの役目を果たしたという事だろう。

 今は、それでいい。そう思った。


     ◇


 ミタク市街から本城へは、堀に架かる跳ね橋を渡る必要があった。しかし、跳ね橋は下ろされたまま、城は空っぽになっていた。

 本城に乗り込んだ高星は、組織的な抵抗が無い事を確認すると、矢継ぎ早に指示を下し始めた。


「伝令を出せ。後続の部隊は市街地の制圧を最優先。制圧した地域においては、消火活動を行うように。


 我が隊は城内を探索し、隠れている者、立て籠もっている者がいないか探れ。城門を固め、旗を立てる事も忘れるな」

 一度きりの偽報は功を奏し、望み通りの成果を上げた。賭けだと思ったが、賭けに勝ったのだ。

 賭けと言うならば、コルネリウス軍を誘い出して会戦に持ち込んだ事も賭けだ。疲れた敵を待ち構えたとは言え、圧倒的な劣勢で勝負を挑むのは、やはり賭けだった。

 だが一つ一つの勝敗ではない、もっと大きな、人生を、命を賭けた賭けを、とうに始めてしまったのだ。いや、人は否応無く、自分の人生を賭けて博打を打たされる。

 博打なのだから、降りる事もできる。だが高星は、勝ちを求める方を選んだ。勝つためには賭けなければならないし、大きく勝とうと思えば、大きく賭けなければならない。

 護衛に何人か伴って、城の奥へ進んだ。物が散乱し、荒れてはいるが、とりあえず大きな危険は無さそうだった。

 堅牢な城だ。中を歩くだけで、それが良く解った。まともに攻めるとしたら、かなり厄介な事になるだろう。

 しかも、良くできた防備を守る兵は、精鋭である必要は無い。粘り強い兵であればいいのだ。攻撃側の息が切れるまで、耐える事の出来る兵が居れば城は守れる。

 一番高い城頭に登ると、街が一望できた。街を見ると、炎の明かりが夜空を焦がしていた。その向こうに、太白星が燃えている。

 自分の心を映している様な気がした。夜空に白く輝く星。闇を焦がして燃え盛る炎。火にくべられるのは、己が罪。炎を(あお)るのは、怨念の風。

 無性に()えたくなった。自分の中に居る獣が、声を上げている。まだだ、まだこんなものでは足りない。これはまだ、始まりに過ぎないのだと。

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