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コルネリウス軍最左翼の隊が崩れた事で、残った左翼全体は側面から攻撃を受け、急速に崩れつつあった。
安東軍第一、第二大隊が殺到し、さらに騎兵が背後に回り込んでくる。もはや左翼の崩壊は、止め様が無かった。
「ティトウス様、左翼が崩されます」
「解っている!」
「撤退を」
「ならん。中軍は規律を保っている。背後を取られたくらいで崩れはせん。右翼さえ敵を突破すれば、まだ勝てる戦だ。右翼は何をしている」
「乱戦に陥っており、互角の押し合いをしている様です」
ティトウスは舌打ちした。乱戦になっては、圧倒的な兵力で押す以外に勝負の付けようが無い。
「なぜ右翼はもっと攻め立てない。初めに押しに押せば、もっと押し込めたはずだろう」
「突出した敵が、中軍と右翼の間を激しく攻め立てて、その対応に追われたとの事です」
「あれか」
朱耶家の旗を掲げている、五百ほどの部隊だ。他家からの援軍が、これ程敢闘するとは予想外だった。だが所詮、僅かな兵だ。
「左翼の後方に百程回して支えてやれ。時間稼ぎくらいにはなる。その間に中軍全体で、押し出す」
「攻勢に出ると?」
「正面の敵は例の五百と、前衛左翼の一部、合わせて七百そこらだ。包囲が見込めなくなった今、圧倒して踏みつぶし、敵を分断する」
左翼が崩れかけてはいるが、歩騎共にまだ数の上ではこちらが有利だ。特にこちらの中軍の正面は、前衛と後衛の継ぎ目で連携が弱いと見た。
その上、猛攻を仕掛けてきた朱耶軍も疲弊し、動きが鈍ってきている。ただの突出した部隊に成りつつあり、側面を突けば崩せる。
前衛左翼と朱耶軍の間隙を突破すれば、こちらの右翼と協力して敵を挟撃する事も、こちらの左翼を崩しつつある敵を背後から襲う事もできる。
そして攻勢に出る兵力を捻り出す余力は、十分にある。あと少し左翼が踏みとどまって時間を稼げば、優劣はひっくり返り、そのまま勝敗を決められる。
「攻撃部隊は私が自ら指揮を執るぞ。すぐに四、五百ほどを選抜しろ」
「はっ!」
旗本の兵が応える。しかし、伝令を走らせるより先に、新たな伝令が駆けこんできた。
「左翼が完全に崩されました、敵が中軍に向かってきます!」
「なにっ」
早すぎる。こうなってはもう、攻勢に出るどころではない。
「若、こうなってはもう……」
「解っている。撤退だ!」
ティトウスは苦り切った表情で命令を下した。
◇
コルネリウス軍右翼の攻撃を受け止め、乱戦を展開している安東軍後衛は、未だ数で勝るコルネリウス軍相手に、互角以上の戦いを演じていた。
朱耶家の部隊に向かった一部を除いた敵右翼と、まだ戦力としての価値を残した騎兵。合わせて一千と数百の敵に対し、第三大隊と海兵隊合わせて八百ほどで対抗している。
それほど大きくは無いとは言え、数の優劣を覆しているのは、明らかに疲労の差だった。
コルネリウス軍はすでに疲労の色が濃い。それに対して安東軍、特に海兵隊は、万全の状態で、満を持しての参戦だった。
ほとんど長柄の武器も持たず、刀剣を手に戦う彼らは、乱戦の中の斬り合いでは、無類の強さを見せつけた。
また海兵独自の武器も持ち込んでおり、自分達が不慣れな長柄武器持ちや騎兵に対して使用して、効果を上げていた。
その一例が魚網だった。個人の漁師が投げて使う、何の変哲もない魚網だ。それを敵に向かって投げつけ、絡め取る。
これが長柄の武器を持った兵や、騎士に対してはかなりの効果を上げた。長柄の武器には絡み付き、網に掛かった騎士は馬から引きずり落とす。
予想だにしない攻撃にほとんどの敵は、もがくばかりで碌に抵抗できないまま討たれていった。
第三大隊長のワイズマンは、接近戦に強い海兵隊の特性を考えて乱戦に持ち込んだが、予想以上の活躍に驚嘆していた。
特に、陸の正規兵では思いつきもしない様な独特の戦法には、目を見開くばかりであった。
「そう言えば、古代の戦士の絵に、網を武器にしたものがあったな。実用よりも見栄えを重視したものとばかり思っていたが」
つい戦場の真ん中だという事も忘れて、そう独り言をつぶやいていた。
「おっと」
馬上のワイズマンに、槍が突きだされた。剣でそれをいなし、槍を掴んで引く。体勢を崩した敵兵に、剣を振り下ろした。
「推参!」
向こうから騎士が槍を構えて突撃してくる。ワイズマンも奪った槍を構え、敵に向かって馬を走らせた。
すれ違い様に、敵が突き出してくる槍を掻い潜り、逆に目の辺りを狙って槍を突きだした。確かな手ごたえがあり、騎士が落馬する。
別の騎士が剣を手に襲い掛かってきた。槍を突きだすが避けられ、槍を掴まれる。剣を片手で振り下ろしてきた。左手で手首を掴んで止める。お互いに身動きが取れないまま、押し合い、引き合った。
槍が折れた。体勢を崩して落馬するが、掴んだ相手の手首を離さず、一緒に落ちる。地面を転げ回り、組打ちになった。
剣を持つ右手を押さえているこちらが有利だ。相手は暴れ、殴り、蹴ってくる。鼻柱に頭突きを喰らわせた。相手が怯んだ隙に、腰の後ろから短剣を抜き、首を掻き斬った。
相手の体から力が抜けたのを確認すると、ようやく立ち上がった。息が上がり、疲労感が強い。それでも馬にまたがると、鉦の音が聞こえた。
安東軍の物ではない。コルネリウス軍の、総退却の合図だった。
◇
抵抗が、急に弱くなったと感じた。敵の腰が砕けている。
いや、体力の限界に達したのだ。振り回し、走り回らせた成果が、ようやく現れた。
高星は騎兵を率いて突っ込み、敵を断ち割り、突き崩した。そこに歩兵が襲い掛かり、押し包んで敵を討つ。思うままに、敵を突き崩して行った。
敵の左翼を完全に崩すのに、時は掛からなかった。高星自身驚くほどに、あっさりと敵は崩れた。
突き崩した敵の向こうに、整然と隊列を保った敵の新手が見えた。中軍、ティトウスもそこにいる。それを示す、大きな旗が立っていた。
中軍の兵が素早く陣形を組み替え、槍の穂先をこちらに向けてくる。背後も、固めている様だ。
つかの間、あそこに突撃したい衝動に駆られた。ティトウスが鍛え、指揮を執っている精鋭と、自分の騎馬隊。どちらが上か、戦って、勝負を付けてみたいと思った。
味方から離れすぎる。後方の味方は、まだ残る敵の歩兵を討っている。敵中軍と向き合う位置の部隊は、踏みとどまるので精一杯だろう。
高星は敵中軍に向かって駆け、矢が届く距離に入る直前に反転し、背を向けて敵左翼の残兵を駆りに向かった。
それで示し合わせたかのように、コルネリウス軍は退却の鉦を鳴らした。中軍が、隊列を保ったまま素早く退いていく。見ていて見事な程だった。
中軍が退くのに引っ張られる様にして、敵右翼も、絡み合ったものを引きはがす様に退き始めた。
「セイアヌス!」
「はっ」
「敵を追撃しろ。ただし、中軍には手を出すな。痛い目に遭うぞ」
負けて逃げるのではなく、情勢不利と見て退く敵への追撃は、備えがあると見た方が良い。
「心得ました。追撃だ、続け!」
騎兵が逃げる敵右翼を追って駆けていく。明確な命令さえ与えておけば、十分に有能な男だ。心配は要らないだろう。
「敵の旗鎧を集めろ、急げ!」
日が暮れかかっていた。暗くなると、そういう作業はやりにくい。このままミタク城を落とすためには、間を置かず策を起動させる必要がある。
「エステル!」
「負傷者の手当てが済み次第、ミタク城に向けて進軍だな?」
「そうだ。加えて、偽装をした兵が百人程用意できたら、先行する」
「また高星自ら行く気か?」
「不満か?」
「もう半ばあきらめているが、私が行ってもいいのだぞ」
「お前は美人過ぎるからな」
エステルは何を言われたのか解らず、怪訝な顔をしたが、すぐに自分が女だから敵に偽装するのは無理がある、という事を言っているのだと気付き、小さく笑った。
「何か?」
「いや、高星もユーモアと言うものが理解できたのだと思ってな」
「失敬な。私だって諧謔の一つくらい嗜む。エステルこそ、こういう事が解らず真に受ける堅物の様に思えるぞ」
「機知に富んだ会話は、貴族の基本教養なものでな。私のは、それほど大したものでもないが」
「己を知るのは良い事だ」
「謙遜だ。真に受ける奴があるか」
「あいにく、田舎者なものでな」
口をとがらせるエステルに、しれっとした顔で高星が応える。エステルも馬鹿らしくなり、表情を緩めた。
「それで、ミタク城には高星が乗り込むとして、その後は?」
「上手く事が運んだら、全軍で一気になだれ込ませろ」
「上手く行かなかったらどうする? 特に、最悪の場合」
「死ぬ前に助けに来てくれ」
「簡単に言ってくれる。とりあえず、総攻撃で良いんだな?」
「良い。さらに何か良い方法が思いついたら、その場で実行に移して良いと、各大隊長に伝えろ」
「了解した」
エステルが馬を駆け、高星の命令を実行に移すべく動き出した。
「さて、操! 操ー!」
「はーい」
かなり距離があったはずだが、操が高星の呼び声を聞きつけて馳せ参じる。
「敵の動向を探れ。大まかにで良い。その後は、城内に混乱を起こす手伝いに行け」
「はい」
操の声に、どことなく張りが無い。
「紅夜叉の姿が見えない事か?」
「いえ、高星さんの任務が第一ですので、はい」
平静を装っているが、内心動揺しているのは間違いない。
「あの辺りの屍を見ろ。紅夜叉以外にありえん」
高星が顎で指した辺りには、鎧の上から腹を斬られ、腸がはみ出している様な死体が無数に転がっていた。かと思えば、急所を一撃された、綺麗な死体も多くある。
どちらも尋常でない力量の持ち主が大量生産した死体だ。傷口の様子から武器は刀である事も加わって、紅夜叉以外に考えられなかった。
「おそらく、敵の追撃に向かったのだろう。他にも何人か血の気の多いのが、勝手に追撃に行った。まあ良くある事だ」
「失礼しました、高星さん。私情で心を揺らがせていました。すぐに任務に向かいます」
「別に私は、お前に私情を捨てた仕事人になる事を求めた覚えはないのだがな。お前の気持ちに、正直であればいい」
そう言ったが、すでに操の姿は無くなっていた。
「まあ、いい。皆がそれぞれの役目を果たしてくれるからこそ、戦に勝ち進められるのだ」
持っている手駒を活用しているだけの事だ。だがその手駒は、それぞれに意思を持ち、思い悩み、過つ事も、予想以上の働きをする事もある駒達だった。




