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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
ミタク城攻略戦
181/366

3

 コルネリウス軍最左翼の隊が崩れた事で、残った左翼全体は側面から攻撃を受け、急速に崩れつつあった。

 安東(あんどう)軍第一、第二大隊が殺到し、さらに騎兵が背後に回り込んでくる。もはや左翼の崩壊は、止め様が無かった。


「ティトウス様、左翼が崩されます」

「解っている!」

「撤退を」

「ならん。中軍は規律を保っている。背後を取られたくらいで崩れはせん。右翼さえ敵を突破すれば、まだ勝てる戦だ。右翼は何をしている」

「乱戦に陥っており、互角の押し合いをしている様です」


 ティトウスは舌打ちした。乱戦になっては、圧倒的な兵力で押す以外に勝負の付けようが無い。


「なぜ右翼はもっと攻め立てない。初めに押しに押せば、もっと押し込めたはずだろう」

「突出した敵が、中軍と右翼の間を激しく攻め立てて、その対応に追われたとの事です」

「あれか」


 朱耶(しゅや)家の旗を掲げている、五百ほどの部隊だ。他家からの援軍が、これ程敢闘するとは予想外だった。だが所詮、僅かな兵だ。


「左翼の後方に百程回して支えてやれ。時間稼ぎくらいにはなる。その間に中軍全体で、押し出す」

「攻勢に出ると?」

「正面の敵は例の五百と、前衛左翼の一部、合わせて七百そこらだ。包囲が見込めなくなった今、圧倒して踏みつぶし、敵を分断する」


 左翼が崩れかけてはいるが、歩騎共にまだ数の上ではこちらが有利だ。特にこちらの中軍の正面は、前衛と後衛の継ぎ目で連携が弱いと見た。

 その上、猛攻を仕掛けてきた朱耶軍も疲弊し、動きが鈍ってきている。ただの突出した部隊に成りつつあり、側面を突けば崩せる。

 前衛左翼と朱耶軍の間隙を突破すれば、こちらの右翼と協力して敵を挟撃する事も、こちらの左翼を崩しつつある敵を背後から襲う事もできる。

 そして攻勢に出る兵力を捻り出す余力は、十分にある。あと少し左翼が踏みとどまって時間を稼げば、優劣はひっくり返り、そのまま勝敗を決められる。


「攻撃部隊は私が自ら指揮を執るぞ。すぐに四、五百ほどを選抜しろ」

「はっ!」


 旗本の兵が応える。しかし、伝令を走らせるより先に、新たな伝令が駆けこんできた。


「左翼が完全に崩されました、敵が中軍に向かってきます!」

「なにっ」


 早すぎる。こうなってはもう、攻勢に出るどころではない。


「若、こうなってはもう……」

「解っている。撤退だ!」


 ティトウスは苦り切った表情で命令を下した。


     ◇


 コルネリウス軍右翼の攻撃を受け止め、乱戦を展開している安東軍後衛は、未だ数で勝るコルネリウス軍相手に、互角以上の戦いを演じていた。

 朱耶家の部隊に向かった一部を除いた敵右翼と、まだ戦力としての価値を残した騎兵。合わせて一千と数百の敵に対し、第三大隊と海兵隊合わせて八百ほどで対抗している。

 それほど大きくは無いとは言え、数の優劣を覆しているのは、明らかに疲労の差だった。

 コルネリウス軍はすでに疲労の色が濃い。それに対して安東軍、特に海兵隊は、万全の状態で、満を持しての参戦だった。

 ほとんど長柄の武器も持たず、刀剣を手に戦う彼らは、乱戦の中の斬り合いでは、無類の強さを見せつけた。

 また海兵独自の武器も持ち込んでおり、自分達が不慣れな長柄武器持ちや騎兵に対して使用して、効果を上げていた。

 その一例が魚網だった。個人の漁師が投げて使う、何の変哲もない魚網だ。それを敵に向かって投げつけ、絡め取る。

 これが長柄の武器を持った兵や、騎士に対してはかなりの効果を上げた。長柄の武器には絡み付き、網に掛かった騎士は馬から引きずり落とす。

 予想だにしない攻撃にほとんどの敵は、もがくばかりで碌に抵抗できないまま討たれていった。

 第三大隊長のワイズマンは、接近戦に強い海兵隊の特性を考えて乱戦に持ち込んだが、予想以上の活躍に驚嘆していた。

 特に、陸の正規兵では思いつきもしない様な独特の戦法には、目を見開くばかりであった。


「そう言えば、古代の戦士の絵に、網を武器にしたものがあったな。実用よりも見栄えを重視したものとばかり思っていたが」


 つい戦場の真ん中だという事も忘れて、そう独り言をつぶやいていた。


「おっと」


 馬上のワイズマンに、槍が突きだされた。剣でそれをいなし、槍を掴んで引く。体勢を崩した敵兵に、剣を振り下ろした。


「推参!」


 向こうから騎士が槍を構えて突撃してくる。ワイズマンも奪った槍を構え、敵に向かって馬を走らせた。

 すれ違い様に、敵が突き出してくる槍を()(くぐ)り、逆に目の辺りを狙って槍を突きだした。確かな手ごたえがあり、騎士が落馬する。

 別の騎士が剣を手に襲い掛かってきた。槍を突きだすが避けられ、槍を掴まれる。剣を片手で振り下ろしてきた。左手で手首を掴んで止める。お互いに身動きが取れないまま、押し合い、引き合った。

 槍が折れた。体勢を崩して落馬するが、掴んだ相手の手首を離さず、一緒に落ちる。地面を転げ回り、組打ちになった。

 剣を持つ右手を押さえているこちらが有利だ。相手は暴れ、殴り、蹴ってくる。鼻柱に頭突きを喰らわせた。相手が怯んだ隙に、腰の後ろから短剣を抜き、首を()き斬った。

 相手の体から力が抜けたのを確認すると、ようやく立ち上がった。息が上がり、疲労感が強い。それでも馬にまたがると、鉦の音が聞こえた。

 安東軍の物ではない。コルネリウス軍の、総退却の合図だった。


     ◇


 抵抗が、急に弱くなったと感じた。敵の腰が砕けている。

 いや、体力の限界に達したのだ。振り回し、走り回らせた成果が、ようやく現れた。

 高星は騎兵を率いて突っ込み、敵を断ち割り、突き崩した。そこに歩兵が襲い掛かり、押し包んで敵を討つ。思うままに、敵を突き崩して行った。

 敵の左翼を完全に崩すのに、時は掛からなかった。高星自身驚くほどに、あっさりと敵は崩れた。

 突き崩した敵の向こうに、整然と隊列を保った敵の新手が見えた。中軍、ティトウスもそこにいる。それを示す、大きな旗が立っていた。

 中軍の兵が素早く陣形を組み替え、槍の穂先をこちらに向けてくる。背後も、固めている様だ。

 つかの間、あそこに突撃したい衝動に駆られた。ティトウスが鍛え、指揮を執っている精鋭と、自分の騎馬隊。どちらが上か、戦って、勝負を付けてみたいと思った。

 味方から離れすぎる。後方の味方は、まだ残る敵の歩兵を討っている。敵中軍と向き合う位置の部隊は、踏みとどまるので精一杯だろう。

 高星は敵中軍に向かって駆け、矢が届く距離に入る直前に反転し、背を向けて敵左翼の残兵を駆りに向かった。

 それで示し合わせたかのように、コルネリウス軍は退却の鉦を鳴らした。中軍が、隊列を保ったまま素早く退いていく。見ていて見事な程だった。

 中軍が退くのに引っ張られる様にして、敵右翼も、絡み合ったものを引きはがす様に退き始めた。


「セイアヌス!」

「はっ」

「敵を追撃しろ。ただし、中軍には手を出すな。痛い目に遭うぞ」


 負けて逃げるのではなく、情勢不利と見て退く敵への追撃は、備えがあると見た方が良い。


「心得ました。追撃だ、続け!」


 騎兵が逃げる敵右翼を追って駆けていく。明確な命令さえ与えておけば、十分に有能な男だ。心配は要らないだろう。


「敵の旗鎧を集めろ、急げ!」


 日が暮れかかっていた。暗くなると、そういう作業はやりにくい。このままミタク城を落とすためには、間を置かず策を起動させる必要がある。


「エステル!」

「負傷者の手当てが済み次第、ミタク城に向けて進軍だな?」

「そうだ。加えて、偽装をした兵が百人程用意できたら、先行する」

「また高星自ら行く気か?」

「不満か?」

「もう半ばあきらめているが、私が行ってもいいのだぞ」

「お前は美人過ぎるからな」


 エステルは何を言われたのか解らず、怪訝な顔をしたが、すぐに自分が女だから敵に偽装するのは無理がある、という事を言っているのだと気付き、小さく笑った。


「何か?」

「いや、高星もユーモアと言うものが理解できたのだと思ってな」

「失敬な。私だって諧謔(かいぎゃく)の一つくらい(たしな)む。エステルこそ、こういう事が解らず真に受ける堅物の様に思えるぞ」

「機知に富んだ会話は、貴族の基本教養なものでな。私のは、それほど大したものでもないが」

「己を知るのは良い事だ」

「謙遜だ。真に受ける奴があるか」

「あいにく、田舎者なものでな」


 口をとがらせるエステルに、しれっとした顔で高星が応える。エステルも馬鹿らしくなり、表情を緩めた。


「それで、ミタク城には高星が乗り込むとして、その後は?」

「上手く事が運んだら、全軍で一気になだれ込ませろ」

「上手く行かなかったらどうする? 特に、最悪の場合」

「死ぬ前に助けに来てくれ」

「簡単に言ってくれる。とりあえず、総攻撃で良いんだな?」

「良い。さらに何か良い方法が思いついたら、その場で実行に移して良いと、各大隊長に伝えろ」

「了解した」


 エステルが馬を駆け、高星の命令を実行に移すべく動き出した。


「さて、操! 操ー!」

「はーい」


 かなり距離があったはずだが、操が高星の呼び声を聞きつけて馳せ参じる。


「敵の動向を探れ。大まかにで良い。その後は、城内に混乱を起こす手伝いに行け」

「はい」


 操の声に、どことなく張りが無い。


紅夜叉(べにやしゃ)の姿が見えない事か?」

「いえ、高星さんの任務が第一ですので、はい」


 平静を装っているが、内心動揺しているのは間違いない。


「あの辺りの屍を見ろ。紅夜叉以外にありえん」


 高星が(あご)で指した辺りには、鎧の上から腹を斬られ、(はらわた)がはみ出している様な死体が無数に転がっていた。かと思えば、急所を一撃された、綺麗な死体も多くある。

 どちらも尋常でない力量の持ち主が大量生産した死体だ。傷口の様子から武器は刀である事も加わって、紅夜叉以外に考えられなかった。


「おそらく、敵の追撃に向かったのだろう。他にも何人か血の気の多いのが、勝手に追撃に行った。まあ良くある事だ」

「失礼しました、高星さん。私情で心を揺らがせていました。すぐに任務に向かいます」

「別に私は、お前に私情を捨てた仕事人になる事を求めた覚えはないのだがな。お前の気持ちに、正直であればいい」


 そう言ったが、すでに操の姿は無くなっていた。


「まあ、いい。皆がそれぞれの役目を果たしてくれるからこそ、戦に勝ち進められるのだ」


 持っている手駒を活用しているだけの事だ。だがその手駒は、それぞれに意思を持ち、思い悩み、過つ事も、予想以上の働きをする事もある駒達だった。

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