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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
膠着
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5・潜入

 ミタク城内は、意外と平穏だった。

 城壁の外に安東(あんどう)軍が居るとは言え、外城壁を破って敵がなだれ込んでくる心配は、あまりしていない様だ。

 危機眼が薄いというよりも、彼我の戦力差と、これまでの戦の推移からして、まだ当面は心配ないという判断なのだろう。庶民は、非日常の中でも、できるだけそれを忘れて日常を続けたいようだ。

 城門は完全に閉じられ、外部との交流は絶えているが、見たところ物価が上がったりもしていなかった。市民の生活が守られるだけの備蓄はあるようだ。

 流石に軍の関係施設の警備や、市内の巡回は厳しくなっている。しかし、そう言った場所に近寄らず、素知らぬ顔して道を歩いている分には、何の問題も無い。

 工作を進めるには、悪く無い情況だった。日常の些細で雑多な出来事の中に紛れ込むのが、秘密裏の仕事と言うのはやりやすい。

 逆にこれが非日常に支配されて、市民一人一人までも城の防衛に協力しているような環境では、一人だけ違う行動を取れば目立つ。

 軍隊がやたらと隊列や規則正しい行動を重視するのも、紛れ込んだ工作員を浮き上がりやすくするのが一つの目的だそうだ。

 それだけに街の中に入り込むのは簡単だが、城に入り込むのは難しい。しかし、城に入り込まない事には任務を果たせない。さてどうしたものかと、ジャンは頭を悩ませた。

 街への侵入は、平時から潜入していたという見兵衛(けんべえ)の手の者の手引きを使って、運河から侵入した。

 運河には鉄柵の水門が下ろされているが、門を下ろすと水中に沈む部分の鉄棒を、事前に半分ほど切ってあった。

 戦の最中に、水門を上げる事は無い。水中で鉄棒を一本切断すれば、人一人すり抜ける事は可能だ。そしてそれに気付くのは、戦が終わって水門を上げたときだろう。

 念のため切断した鉄棒は、糸で縛り付けて偽装した。水上から見れば、光の屈折や揺らぎもあって、意識して見ない限り不信感は抱かないはずだ。

 侵入してからは、濡れた服を脱いでボロボロの古着に着替えた。乞食浮浪者かヤクザ者に成りすませば、閉じられた城内に入り込んだ余所者も、疑われにくい。

 彼らは元々、社会の余所者扱いの人間なのだ。余所者が余所者になるのだから、市民は違和感なく受け入れる。普段関心の無い、よく見てもいない余所者の群れに、見知らぬ顔が一人増えた事など、気付きもしない。

 変装しながら、妙に自嘲した気持ちになった。余所者と言うなら、安東家の旗の下に集った、いや流れ着いた者達は、残らずこの世の余所者か。

 余所者は余所者らしく、余所者同士で頼り合うしかない。去年の工作のときも協力してもらった、この街の盗賊頭を訪ねた。二回目なので、面会は以前よりすぐにできた。


「半年ぶりだな。前は稼がせてもらった」

「今回は、もっと稼がせてやれると思う。しかも、危ない橋を渡るのは俺で、あんたらは手伝ってくれればいい」

「今度は何をする気だ?」

「とっくに解っているのだろう?」


 どこぞの楽隠居然とした風貌の盗賊頭が煙管の煙草を吸い、煙を吐いた。


「この城を落とすってか。それはまた大層なこった」

「報酬は、文字通り前とは桁が違うだろう」

「別に俺らは、金のためなら何でもやる訳じゃねえぞ」

「コルネリウスに仁義を通す謂れはないだろう?」

「テメエの親分にもな」

「なら、金払いが良い方にくっついて、何の問題も無い訳だ」


 盗賊頭が低く笑う。


「本当に、テメエのとこの親分は、面白い子分を抱えてやがる」

「まあ俺も、盗賊上がりみたいなもんだからな」

「ならテメエの親分は、国を盗もうっていう大盗賊か。こいつは傑作だ」

「気に入ってくれたんなら、物騒な子分共は下げてもらえないか」


 盗賊頭がじっとジャンの顔を見た。穏やかな眼差しの様だが、目の奥の光は強い。


「……いいだろう。おい! 下がれ」


 隣の部屋で気配がした。ジャンは気付かれない様に、息を吐く。

 気付いていた訳ではない。多分そんなところだろうと当たりを付けて、ハッタリをかました。


「それで、俺達は何をすればいい」

「一つは城が落ちる時に、好き放題暴れてコルネリウス軍の邪魔をしてくれればいい」

「もう一つは?」

「本城に潜入して、盗み出したいものがある。これも、城が落ちるどさくさに紛れて、と言う事になるだろう。これは俺の仕事だ」

「つまり俺らの担当は、お前を本城に忍び込ませる事か」


 都市型の盗賊は、一部の正業に就いている市民にも影響力がある。そう言った方面の力を借りて、なんとか城に入り込めないだろうか。そうジャンは目論んだ。

 兵士や役人に成りすます方法もあるが、戦争中の今は身元の確認も厳しい可能性が高い。もう少し自由に動ける立場で入り込みたかった。


「時間にもよるな。どれくらい余裕がある?」

「戦の推移次第だが、ここだけの話、そう遠くないうちに決行する事になると思う」

「ならあまり手段は選んでられねえな。大分嫌な思いをしてもらう事になる。それでもいいってんなら当てがあるぜ」

「構わん。それで本当に本城に入り込めるんだな?」

「出入りの業者として、毎日入れるだろうな。ただし、城の中を調べ回るのは難しいぜ。今はどの業者も、仕事が済み次第すぐに帰らせられる」

「その辺は、入り込んでから考えるさ。その時が来たときに、城内に居るだけでも大きい」

「最後に一つ確認だ。仕事が上手く行った暁には、テメエの親分に口を利いてもらえんだろうな?」

「もちろんだ。口約束が不安なら、血判でも押せばいいか?」

「そういうのはな、同業者同士だから意味が有るのさ。カタギさんに血判なんて求めやしねえよ」

「カタギかどうか、怪しい所だがな」


 ジャンが肩をすくめて見せる。


「それじゃ、さっそく口を利いてやるとするか。言っとくが、恨むんじゃねえぞ?」


     ◇


 盗賊頭の言葉の意味は、すぐに解った。紹介された業者と言うのは、糞尿回収業者だった。

 臭い、汚い、肉体労働がきつい。誰も好んで関わり合いになりたくない仕事だ。そのためそこそこの賃金を出さなければ、労働者が集まらない。

 金にはなるがきつい仕事と言う事で、短期間働いては辞めていく者が多く、知らない顔ぶれがいても怪しまれない。

 そもそも、城の入口でのチェックもお座なりなもので、ろくに顔も確かめられなかった。気持ちは良く解る。

 それでも城の便所を回って糞尿を回収するのが仕事なので、城中には入れないが、外観はよく観察する事が出来た。そこからある程度、中の様子を想像できる。

 が、うっかりすると覚えた事が全て飛んでしまいそうなほど、回収作業はきつかった。たまっている汚物を回収するのに、どうしてもかき回す事になるから臭いが酷い。

 いや、酷いなんてものじゃない。吐きそうだ。口の中に嫌な味がする。これでも手拭いで顔の下半分は覆っているのだが、それでも耐え難い。

 先輩労働者の忠告によると、しばらくは下手な想像をしない様に、食事は干し肉の様な水分の無い堅い物だけ食え、との事だった。ありがたく忠告に従おうと思う。

 できれば安東軍には一日も早く城を落としてもらって解放されたいと思ったが、人間凄まじいもので、三日目になると臭いにも慣れてあまり気にしなくなった。

 作業中に飛び散った汚物が掛かる事もあるが、どうせ風呂に入るし、作業着も洗うのだからと、そこまで大げさに騒ぎ立てることはなくなった。

 つくづく人間の慣れとは恐ろしい物だと思う。

 ちなみに回収した物だが、大の方は定番に付近の農家に売る。回収する事にも金を受け取り、処分するのにも金が入る。どちらも大した金額ではないが、合計すれば結構儲けているのではないか。

 この街の回収業者は大小を分けて回収しているが、金になるのはむしろ小の方らしい。羊毛加工に際に、(あぶら)を抜くためのアンモニアとして売るそうだ。

 農業より遥かに金になる繊維加工業が相手なので、売価も高くできる様だ。しかも、この街ではこの業種には、税金がかからない。

 人間のたくましさを垣間見る思いだった。


     ◇


 肝心の資料の確保だが、焦る必要は無いと思った。

 どのみち行動を起こすのは、安東軍が城内になだれ込んでからだ。それまでは余計な行動をせず、ただの風景と化して怪しまれないようにしていればいい。

 城内を直接調べられない事も、大した問題ではない。資料を持ち出すにしても、焼却処分するにしても、外に出て来るはずだ。そこを抑えればいい。

 敵が城に火を掛けたりしなければ、チャンスは十分にあるはずだ。城門を内から開けろ、と言った命令も受けていないので、それまで何もせずに、ただ待っていればいい。

 この何もしなくていいというのが、案外重要だった。何もしていなければ怪しまれないし、怪しまれたとしても、存在しない証拠は出ない。おかげで潜伏するには都合が良い。

 一人に複数の任務を与えるのは危険があるのだろうが、それを抜きにしても、高星(たかあき)は城を内から崩そうとは思っていない様だった。受けた命令は、城を落とした後の事についてのものばかりだ。

 おかげでいつ城を攻略に動くのか、知る事も出来ない。だが合図も何も聞かされていないという事は、きっとすぐに解るという事なのだろう。

 少なくともジャンにとっては、いよいよミタク城攻略に動き出した、と言う事がすぐに解る何かがあるはずだ。そうでなければ備え様が無い。

 安東軍は相変わらず、城をにらむ位置に陣を張っている。ジャンが潜入したときの攻撃以来、安東軍が攻撃を掛ける事も無い。

 安東軍の動向は、ミタク市民にとっても注目の的だ。何か大きな動きがあればすぐに話題に上るはずだ。

 そして城を落とす時は、大きな動きを見せるはずだ。なぜなら、ジャンの受けた任務の内容から見て、高星は工作で内側から城を落とすつもりが無い。

 内から崩すでなく、ましてや力攻めで城を落とせる訳も無く。それならば何か途方もなく大きな動きの中で、城を攻略するはずだ。

 そのときを待っている。密かに準備を進めながら、素知らぬ顔で毎日回収業に携わりながら、城をにらんで待っている。

 その二日後に、安東軍が姿を消した。


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